米国金融先物市場の父“レオ・メラメド”が認める日本の知力 「大阪堂島米会所こそ先物の故郷」 ― 2010/02/20 00:41
「先物市場そのものは大昔から存在していたが、組織化された取引所において集中した形で先物取引が行われたのは1730年に大阪で開設された堂島米会所が最初のことである。」
米国金融先物市場の父“レオ・メラメドの自伝『エスケープ・トゥ・ザ・フューチャーズ』より
<関連サイト>
LEO MELAMED - Home Page
http://www.leomelamed.com/
Preface to the Japanese Translation of ESCAPE TO THE FUTURES
By Leo Melamed
http://www.leomelamed.com/essays/97-escp.htm
In 1940, I was only eight years old when the Trans-Siberian train brought us to Vladivostok, our gateway to freedom --- far too young to appreciate the extraordinary deed of the Japanese official who had made our flight to safety possible. It wasn't until many years later that my father recounted to me the story of Sugihara, the Japanese Counsel General to Lithuania who defied orders from his own foreign ministry in order to save the lives of some 6,000 doomed refugees.
In the beginning, even my father didn't know the full truth of Chiune Sugihara's courage. The details of this Schindler-esque story weren't immediately available to the world at large. But what my father did know was that this uncommonly humane Japanese official recognized the plight of Jews trapped in this Lithuanian corner of the world who were about to be consumed by the insane hatred-flames of the Nazis. Sugihara did the one thing in his power to do: he granted the refugees a lifeline --- a transit visa through Japan.
Indeed, futures markets are another and equally important reason for translating this book into Japanese. It is no secret that I have devoted almost my entire adult life to the understanding and furtherance of futures markets, particularly financial futures. And while futures markets have been in existence from time immemorial, their official beginning on an centralized exchange did not occur until the Dojima Rice Market was organized in Osaka in 1730. Thus Japan has a special and unique tie to my life’s work in the promotion of organized futures exchanges throughout the world.
Leo Melamed
http://en.wikipedia.org/wiki/Leo_Melamed
Melamed was born in Poland in 1932. The family name at the time was Melamdovich. In 1939, the Japanese consul general to Lithuania, Chiune Sugihara, issued his family a life-saving transit visa, and they made the long trek across Siberia to safe haven in Japan. They crossed the Pacific to the US in spring 1941 and the family settled in Chicago.
在シカゴ日本国総領事館 シカゴごあんない
http://www.chicago.us.emb-japan.go.jp/chicago.html
市内にはシカゴ商品取引所(CBOT)、シカゴ商業取引所(CME)等があり、ここで行われる先物取引は全米及び世界の相場の動向を大きく左右し、時に「シカゴ筋」と称されてきましたが、2007年7月、CMEがCBOTを買収し、世界最大の先物取引所である「CMEグループ」が誕生しました。ちなみに、「アメリカの金融先物市場の父」といわれるレオ・メラメド氏は1970年代にシカゴ商業取引所を舞台に先物取引を育てましたが、同氏は日本人外交官杉原氏の発行したビザのおかげで子供の時にホロコーストから逃れ、米国にたどり着いた人です。
在シカゴ日本国総領事館 杉原千畝を偲ぶ夕べ
http://www.chicago.us.emb-japan.go.jp/cg_sugihara091013.html
メラメド氏による体験談
世界最大の先物取引所CMEグループ(Chicago Mercantile Exchange Group:本社シカゴ)の名誉会長であり、自身も杉原副領事の発給したヴィザで救われたレオ・メラメド氏は、当時の状況や杉原家の思い出を紹介しつつ、当時のユダヤ人を勇敢に救出した杉原氏は、たった一人でも状況を変えられるという信念を体現する人物であるとして杉原氏を称賛しました。
堂島帳合米(江戸期先物)市場分析の金融工学アプローチ
http://sfc-forum.sfc.keio.ac.jp/forumnews/news68/forumnews68-2.html
堂島米先物市場におけるヘッジ行動
幕末:天保五年(1834)より元治元年(1864 年)の分析
http://risk.sfc.keio.ac.jp/dojima/nfa.pdf
金融先物の父“レオ・メラメド”から学ぶ金融先物の世界(画像引用)
http://www.amazon.co.jp/%E9%87%91%E8%9E%8D%E5%85%88%E7%89%A9%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E2%80%95%E9%87%91%E8%9E%8D%E5%85%88%E7%89%A9%E3%81%AE%E7%88%B6%E2%80%9C%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%A9%E3%83%A1%E3%83%89%E2%80%9D%E3%81%8B%E3%82%89%E5%AD%A6%E3%81%B6-%E5%8F%AF%E5%85%90-%E6%BB%8B/dp/4788709775/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1266592638&sr=1-1
コメント
_ とおる ― 2010/02/20 13:51
_ 商会 ― 2010/02/20 16:24
マーケットに与えているる日本の影響は結構あります。
昔から、シカゴの連中は「我々はドウジマの直系」と言っていると聞いていましたが、この方だったんですね、勉強になりました、王様。
世界中の相場で使われているローソク足も日本発。
一目均衡表や酒田陽線などは世界最古のテクニカルと言ってもいいですし、現在も一目の日足週足の雲は世界中の相場師の中でも参考にされています。
本間ゴルフのご先祖様は、最古のマーケットの魔術師と言ったところでしょうか(笑
江戸が終わり、明治となって、渡航が自由になった時、日本の商人達は新しい知識を求めてワクワクしながら世界に出ました、しかし、「何も目新しいことはなかった」とガッカリし帰ってきたそうです。
当時、欧米の商業単語については、日本には同様の概念の言葉があったそうですし、今で言う、リート不動産証券に相当する貸し倉庫証券なるものが江戸時代に既にあったことを考えますと、商業に措いては、世界と江戸時代日本とは同程度、先物市場を加味すれば日本のほうが進んでいたとも言えそうです。
私も、エリオットのラペリングより、一目均衡表の遅行線の方が当てになると考えています。
昔から、シカゴの連中は「我々はドウジマの直系」と言っていると聞いていましたが、この方だったんですね、勉強になりました、王様。
世界中の相場で使われているローソク足も日本発。
一目均衡表や酒田陽線などは世界最古のテクニカルと言ってもいいですし、現在も一目の日足週足の雲は世界中の相場師の中でも参考にされています。
本間ゴルフのご先祖様は、最古のマーケットの魔術師と言ったところでしょうか(笑
江戸が終わり、明治となって、渡航が自由になった時、日本の商人達は新しい知識を求めてワクワクしながら世界に出ました、しかし、「何も目新しいことはなかった」とガッカリし帰ってきたそうです。
当時、欧米の商業単語については、日本には同様の概念の言葉があったそうですし、今で言う、リート不動産証券に相当する貸し倉庫証券なるものが江戸時代に既にあったことを考えますと、商業に措いては、世界と江戸時代日本とは同程度、先物市場を加味すれば日本のほうが進んでいたとも言えそうです。
私も、エリオットのラペリングより、一目均衡表の遅行線の方が当てになると考えています。
_ Y-SONODA ― 2010/02/21 11:28
★とおるさんへ
>住まいは豪邸なのに、豚小屋。
あはは、ぽん夫人さんと一緒に雷にお祈りしましょう。
>メラメド氏はヘブライ語で「教師、先生」を意味する単語
そうなんですか。これは知らなかった。
ユダヤ人がヘブライ語。こりゃまた奥が深そうですね。
★商会さんへ
>シカゴの連中は「我々はドウジマの直系」
>エリオットのラペリングより、一目均衡表の遅行線の方が当てになる
ぎゃはは。本家本元が弟子たちに負けたらアカンですな。
こういう視点が重要。
鳩山に見られる負け犬根性系のしょぼい発言を聞くとガッカリします。
>住まいは豪邸なのに、豚小屋。
あはは、ぽん夫人さんと一緒に雷にお祈りしましょう。
>メラメド氏はヘブライ語で「教師、先生」を意味する単語
そうなんですか。これは知らなかった。
ユダヤ人がヘブライ語。こりゃまた奥が深そうですね。
★商会さんへ
>シカゴの連中は「我々はドウジマの直系」
>エリオットのラペリングより、一目均衡表の遅行線の方が当てになる
ぎゃはは。本家本元が弟子たちに負けたらアカンですな。
こういう視点が重要。
鳩山に見られる負け犬根性系のしょぼい発言を聞くとガッカリします。
_ ks ― 2010/02/21 12:33
レオ・メラメドと言えば、鈴木宗男を思い出すんですが。
杉原千畝つながりで。
杉原千畝つながりで。
_ Y-SONODA ― 2010/02/22 08:11
ksさんへ
>レオ・メラメドと言えば、鈴木宗男を思い出す
確かにこの関係で鈴木氏の名前がよく登場しますね。
イスラエルに接近したいという思惑があったのではないでしょうか。
>レオ・メラメドと言えば、鈴木宗男を思い出す
確かにこの関係で鈴木氏の名前がよく登場しますね。
イスラエルに接近したいという思惑があったのではないでしょうか。
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杉原氏も、立場が異なっていても、人と人とは同じだという信頼(信用)が有ったのかもしれません。
それなのに、魔物「永田町の謎の鳥」が、信用をパクパク喰らっています。
・人によっては、優しいおじさんに見え。人によっては、サルに見え。
・住まいは豪邸なのに、豚小屋。
・九官鳥(旧官庁)のように、人真似して言葉はしゃべるが、意味不明(意味が変遷)。
・鳴き声は、「ダツカンリョー」、「オモイ」。時々、苦し紛れに、「トラストミー」。
・国債増発で、「円」と国の信用も崖っぷち。
はたして、その魔物の名前は、………、ユウアイ。
なお、メラメド氏はヘブライ語で「教師、先生」を意味する単語です。