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今蘇るボナー・フェラーズ、日本にとって最も繊細な歴史の瞬間がハリウッド映画に2011/11/05 07:47

今蘇るボナー・フェラーズ、日本にとって最も繊細な歴史の瞬間がハリウッド映画に


日本にとって最も繊細な歴史の瞬間がハリウッド映画に。
いろんな意味で話題を振りまくことにはなるだろう(意味深)。
現時点でそれ以上のことは私には言えない。


<関連情報引用>

野村祐人、奈良橋陽子出演、ハリウッドで太平洋戦争終結後の日本を映画化!ピーター・ウェーバーが監督
2011年11月3日 17時34分
http://www.cinematoday.jp/page/N0036721


[シネマトゥデイ映画ニュース] 映画『真珠の耳飾りの少女』のピーター・ウェーバー監督が、太平洋戦争終結後の日本を描く映画を監督することになった。

 ハリウッド・リポーター紙によると、この映画は『エンペラー(原題) / Emperor』というタイトルで、日本の降伏後、アメリカのダグラス・マッカーサー元帥が昭和天皇を戦犯として追及しない決定をしたことなど、戦後の史実をもとにして描くドラマ。プロデューサー陣には、映画『ラスト サムライ』の奈良橋陽子、『シュアリー・サムデイ』の野村祐人が加わっている。

 映画は、マッカーサー元帥の部下として天皇制や昭和天皇の処遇についての任務を任された日本専門家、ボナー・フェラーズを中心に描き、フェラーズの日本人女性との恋愛も織り込まれていく。ウェーバー監督は、「知的で人間的で、感情豊かな脚本に魅了された。ひとつの時代が変化し、古い政治制度への報復を求めるという時代だった。これは現代にもよく似た時代だといえる。映画は、政治スリラーのなかに壮大なラブストーリーが組み込まれていて、とても魅力的なんだ」と語っている。撮影は2012年1月から日本とニュージーランドで開始される予定。キャスティングはまだ決まっていないが、『ラスト サムライ』や『硫黄島からの手紙』に続き日本人俳優のハリウッド作品への出演が期待できそうだ。(竹内エミコ)


太平洋戦争直後の日本の物語をハリウッドで映画化。奈良橋陽子らがプロデュース
http://www.cinemacafe.net/news/cgi/gossip/2011/11/11584/

『ハンニバル・ライジング』、『真珠の耳飾りの少女』のピーター・ウェーバー監督が終戦直後の日本を描く映画の製作準備が始まり、日本から『ラスト サムライ』、『SAYURI』などのキャスティングを担当した奈良橋陽子、彼女の息子で俳優の野村祐人がプロデューサーとして参加していることが明らかになった。

「The Hollywood Reporter」紙によると、『Emperor』という仮題で準備は進められている本作は、日本が降伏した第二次世界大戦終結直後の混沌とした日々を史実を基に描く政治スリラー。アメリカのダグラス・マッカーサー元帥の部下で日本専門家であるボナー・フェラーズが昭和天皇の処遇を検討するという重責を負いながら、かつて愛し合った交換留学生の日本女性を探すラブストーリーの要素もあるという。

プロデューサーには奈良橋さんらのほかに『ゴーストライダー』『デアデビル』などのゲイリー・フォスターも名を列ねる。『コレクター』、『ワイルド・タウン/英雄伝説』などのデヴィッド・クラス、『ウーマン・オン・トップ』のヴェラ・ブラシが脚本を担当。現在キャスティングが進められており、撮影は2012年1月から日本とニュージーランドで行われる予定。


<関連記事>

Peter Webber to Direct WWII Love Story EMPEROR; Filming Begins January 2012 (画像引用)
http://collider.com/peter-webber-emperor/124293/

Peter Webber to Direct Japanese World War II Epic 'Emperor'
http://www.hollywoodreporter.com/news/peter-webber-will-direct-japanese-emperor-256788

Gary Foster to Produce Alongside Yoko Narahashi and Eugene Nomura
http://www.shootonline.com/go/index.php?name=Release&op=view&id=rs-web3-6617693-1320347047-2

皇后さま喜寿の誕生日 「復興の道のり、長く心を寄せ、見守っていきたい」‎2011/10/21 05:57







<関連記事引用>

皇后さま77歳:宮内記者会質問と回答(全文)
http://mainichi.jp/select/wadai/koushitsu/news/20111020k0000m040128000c.html

 今年は3月に東日本大震災、福島第1原発事故が起き、9月には台風災害として平成に入り最悪となった台風12号による豪雨被害にも見舞われました。一方、女子サッカーの「なでしこジャパン」がワールドカップ優勝の快挙を成し遂げるなど、震災後の日本を勇気づける明るい出来事もありました。この1年を振り返ってのご感想をお聞かせください。特に、甚大な被害をもたらした今回の大震災をどう受け止め、天皇陛下とともに慰問された被災地ではどんなことをお感じになりましたか。震災当日の天皇、皇后両陛下のご様子もお聞かせください。

回答)

 今年は日本の各地が大きな災害に襲われた、悲しみの多い年でした。3月11日には、東日本で津波を伴う大地震があり、東北、とりわけ岩手、宮城、福島の3県が甚大な被害を蒙(こうむ)りました。就中(なかんずく)福島県においては、この震災に福島第1原発の事故が加わり、放射性物質の流出は周辺の海や地域を汚染し、影響下に暮らす人々の生活を大きく揺るがせました。大震災の翌日である3月12日には、長野県栄村でもほぼ東北と同規模の地震があり、これに先立つ2月22日には、ニュージーランドにおいても、地震により、多くの若い同胞の生命が失われました。

 豪雨による災害も大きく、7月には新潟、福島の両県が、9月の台風12号では、和歌山、奈良の両県が被災しました。災害に関する用語、津波てんでんこ、炉心溶融、シーベルト、冷温停止、深層崩壊等、今年ほど耳慣れぬ語彙(ごい)が、私どもの日常に入って来た年も少なかったのではないでしょうか。

 2万人近い無辜(むこ)の人々が悲しい犠牲となった東北の各地では、今も4000人近い人々の行方が分かりません。家を失い、或(ある)いは放射能の害を避けて、大勢の人々が慣れぬ土地で避難生活を送っています。犠牲者の遺族、被災者の一人一人が、どんなに深い悲しみを負い、多くを忍んで日々を過ごしているかを思い、犠牲者の冥福を祈り、又、厳しい日々を生き抜いている人々、別けても生活の激変に耐え、一生懸命に生きている子どもたちが、一日も早く日常を取り戻せるよう、平穏な日々の再来を祈っています。

 この度の大震災をどのように受けとめたか、との質問ですが、こうした不条理は決してたやすく受け止められるものではなく、当初は、ともすれば希望を失い、無力感にとらわれがちになる自分と戦うところから始めねばなりませんでした。東北3県のお見舞いに陛下とご一緒にまいりました時にも、このような自分に、果たして人々を見舞うことが出来るのか、不安でなりませんでした。しかし陛下があの場合、苦しむ人々の傍(そば)に行き、その人々と共にあることを御自身の役割とお考えでいらっしゃることが分かっておりましたので、お伴をすることに躊躇(ちゅうちょ)はありませんでした。

 災害発生直後、一時味わった深い絶望感から、少しずつでも私を立ち直らせたものがあったとすれば、それはあの日以来、次第に誰の目にも見えて来た、人々の健気(けなげ)で沈着な振る舞いでした。非常時にあたり、あのように多くの日本人が、皆静かに現実を受けとめ、助け合い、譲り合いつつ、事態に対処したと知ったことは、私にとり何にも勝る慰めとなり、気持ちの支えとなりました。被災地の人々の気丈な姿も、私を勇気づけてくれました。3月の20日頃でしたか、朝6時のニュースに郵便屋さんが映っており、まばらに人が出ている道で、一人一人宛名の人を確かめては、言葉をかけ、手紙を配っていました。「自分が動き始めたことで、少しでも人々が安心してくれている。よい仕事についた」と笑顔で話しており、この時ふと、復興が始まっている、と感じました。

 この時期、自分の持ち場で精いっぱい自分を役立てようとしている人、仮に被災現場と離れた所にいても、その場その場で自分の務めを心をこめて果たすことで、被災者との連帯を感じていたと思われる人々が実に多くあり、こうした目に見えぬ絆が人々を結び、社会を支えている私たちの国の実相を、誇らしく感じました。災害時における救援を始め、あらゆる支援に当たられた内外の人々、厳しい環境下、原発の現場で働かれる作業員を始めとし、今も様々な形で被災地の復旧、復興に力を尽くしておられる人々に深く感謝いたします。

 この度の災害は、東北という地方につき、私どもに様々なことを教え、また、考えさせました。東北の抱える困難と共に、この地域がこれまで果たしてきた役割の大きさにも目を向けさせられました。この地で長く子どもたちに防災教育をほどこして来られた教育者、指導者のあったことも、しっかりと記憶にとどめたいと思います。今後この地域が真によい復興をとげる日まで、陛下のお言葉のように、この地に長く心を寄せ、その道のりを見守っていきたいと願っています。

(震災の日の陛下と私の様子をとのことですが、事後の報道にあったことに、特に加えることはありません)

 この一年の世界の出来事で、特に印象に残るものとして、チュニジアのデモに端を発し、エジプト、リビア始めアラブ世界の各国に波及した「アラブの春」の動きがありました。なお、案じられることとして、タイをはじめ近隣の国々で今も続いている豪雨災害があります。

 9月、日本とのつながりの深いケニアのマータイさんがなくなりました。丁度(ちょうど)日本訪問の思い出をつづったお便りと共に、長く関わってこられた植樹活動のDVDが手許に届けられた直後の訃報でした。そして、10月には、「アラブの春」よりも早く、非暴力をもって独裁に対し、人権や平和のための活動を続けてきたアフリカ、中近東の3人の女性に、ノーベル平和賞の授与が発表されました。

 恵まれぬ環境下で、長く努力を重ねてきた女子サッカーチーム「なでしこ」のワールドカップ優勝、美しい演技で知られる日本体操チームの世界選手権での活躍、魁皇関の立派な記録達成等、今年のスポーツ界には、うれしいニュースが続きました。園遊会に出席の佐々木監督と澤選手は、あの日どんなに大勢の人から喜びの言葉をかけられたことでしょう。大きな魁皇関は、芝生の斜面に笑顔でゆったりと立っておられました。

 この1年間にも各界は何人もの大切な方たちを失いました。このうち5月に亡くなった坊城俊周(としかね)さんは、戦後間もなくより、兄上の俊民氏と共に、宮中の歌会始の諸役となられ、以来、長くこの務めに献身して下さいました。平和な今日と異なり、戦後の混乱期に、若い人々の手で伝統の行事を守り続けることには、想像を超えるご苦労があったと思われます。7月に亡くなられた冷泉布美子さんも又、戦中戦後を通し、長い歴史をもつ時雨亭文庫を守られ、冷泉家に伝わるさまざまな年中行事も、これをつぶさに今日に伝えられました。京都のお宅で、美しい七夕のお飾りを見せて頂いた日のことを懐かしく思い出します。

問2)

 4人のお孫さまは健やかに成長され、秋篠宮ご一家の長女眞子さまはまもなく20歳となり、成年皇族になられます。皇太子ご一家、秋篠宮ご一家とは最近ではどのような交流をされ、どんな思いで接しておられますか。初めてのお孫さまが成年を迎えられることで、何か感慨はございますか。

回答)

 4人の孫たちは、秋篠宮家の上の2人、眞子と佳子が19歳と16歳、東宮の愛子が九つ、秋篠宮家の末の悠仁が五つになり、それぞれに個性は違いますが、私にとり皆可愛く大切な孫たちです。会いに来てくれるのが楽しみで、一緒に過ごせる時間を、これからも大切にしていくつもりです。

 質問にもありましたように、今年は秋篠宮家の長女眞子が成人式を迎えます。思慮深く、両親が選んだ名前のように真直ぐに育ってくれたことを、嬉(うれ)しく思っています。

問3)

 7月初旬に左の肩から腕に強い痛みを訴えられ、9月に痛みが再燃し、北海道訪問を取りやめられました。天皇陛下は2月、心臓の冠動脈に硬化や狭窄(きょうさく)が見つかり、治療を始められました。喜寿を迎えられたわけですが、両陛下の現在のご体調はいかがですか。両陛下の健康管理、公務のあり方についてはどのようにお考えですか。

回答)

 5、6年程前から、医師の警告を受けていた頸椎(けいつい)症より来る痛みが、7月初旬と9月初旬の2度にわたり発症し、幾つかの務めを欠いてしまいました。これまで比較的健康に恵まれてきましたが、この頃は加齢のためか、体に愉快でない症状が時折現れるようになり、その多くは耐えられないといったものではないのですが、日程変更の可能性を伴う時は症状を発表せねばならず、その都度人々に心配をかけることを心苦しく思っています。

 8年前、前立腺の手術をお受けになった陛下は、今もホルモン療法をお受けになっており、そのことが骨や筋肉に及ぼす悪い影響は避けられません。薬をお摂(と)りになる他、医師からは適度の運動も奨(すす)められており、私も毎朝の散策に加え、体調が許すようになりましたら、また以前のようにテニスコートにもお伴をしたいと願っています。この2月に冠動脈の狭窄(きょうさく)が見付かった結果、これに対応するための投薬も受けていらっしゃり、運動もあまり長時間はなさいません。陛下も私も、時に体におこる不具合に対処する一方で、今持っている体力があまり急速に衰えぬよう体に負荷をかけることも必要な、少ししんどい年齢に来ているかと感じています。

 陛下のお務めの御多忙がお体に障らぬよう、深くお案じ申し上げておりますが、他方、病気をお持ちの陛下が、少しも健康感を失うことなく、日々の務めに励んでいらっしゃるご様子を見上げますと、陛下の御日常が、ごく自然に公務と共にあるとの感も深くいたします。

 人々のために尽くすという陛下のお気持ちを大切にすると共に、過度のお疲れのないよう、医師や周囲の人たちの意見も聞きつつ、常に注意深くお側にありたいと願っています。

日経:第1部危機脱出の針路(6)「脱原発」は争点か(エネルギーを問う)を読む2011/07/24 08:31



エネルギー安全保障を無視した菅直人に首相としての資格なし。 このままでは日本が滅びる。菅首相は即刻退陣を!

日経さんもストレートにこう書けばいいのにね。

<関連記事引用>

第1部危機脱出の針路(6)「脱原発」は争点か(エネルギーを問う)
2011/07/24 日本経済新聞 朝刊

 首相の菅直人(64)が唐突に「脱原発依存」を表明した翌14日。青森市内で開かれた青森県民向けの原子力問題の説明会で、同県知事の三村申吾(55)は政府への不信感を隠さなかった。「エネルギーは国家の基幹にかかわる。政府は一貫した戦略を示すべきだ」

 青森県下北半島には建設中を含め5カ所の原子力施設が集まる。核燃料税は県税収入の1割を超え、電力業界の助成や寄付も多い。ただ、リスクを伴う原子力施設の立地に同意したのは雇用や財源だけが理由ではない。国や電力業界から「資源小国である日本には原子力が不可欠」と懇願されてきた背景もある。

いら立つ地方

 「戦後、福島は東京に電気を送り、世界に誇る東京、京浜工業地帯になった。国益、国策に協力してきた」。福島県選出の民主党最高顧問、渡部恒三(79)は語る。日本経済は地方が都市部の消費地に電力を供給する構造が支えてきた。

 安全、経済成長、環境……。政治とは、相反する価値を調整し、苦しみながらも現実解を導く営みだ。脱原発依存を掲げた菅にエネルギー安全保障を含む国家戦略と地域経済、住民自治といった利害の対立を調整する問題意識が感じられないことに地方はいら立つ。

 「エネルギー安全保障も考えた方がいいです」。菅が13日に脱原発依存を表明する直前、原発事故担当相の細野豪志(39)は直言した。

 「中東やロシアにエネルギーを依存して大丈夫ですか。中国も今後、化石燃料を大量に使います。天然ガスに(日本向けの価格を上乗せする)『ジャパン・プレミアム』がつくかもしれません」。細野は脱原発の危うさを訴えたが菅は「うーん。分かっている」と言って取り合わなかった。

 外務省幹部は警告する。「ウクライナがいかにロシアに苦しめられたか学ぶべきだ」。親欧米に傾斜するウクライナに対し、ロシアは2009年の厳寒期、天然ガスの価格引き上げや供給停止を実施。当時の大統領、ユーシェンコ(57)は退陣に追い込まれ、親ロシア政権が翌年誕生した。

 経済財政担当相の与謝野馨(72)は「明治以来、政財界の人は『日本は無資源国』と意識した。自動車、製鉄、化学、あらゆる分野が電力がないと成り立たない国だ」と危機感を募らせる。日本はかつて満州(現中国東北部)の石炭、南方の石油を狙った。「太平洋戦争も領土と資源の問題で始まった」。エネルギー危機は国家の存亡に直結する。

目立つ独断

 脱原発依存の表明前、菅は経済産業相の海江田万里(62)に「議論はいずれしっかりやろう」と電話で伝えただけだった。目立つのは菅の独断専行ばかり。閣内ですら議論を尽くした形跡はない。

 菅による「脱原発解散」の有無に関係なく、民主党代表選や次の国政選挙でエネルギー政策が争点になることは避けられない。「脱原発」は「郵政民営化」や「政権交代」と同じようにシングルイシュー(単一争点)になるだろうか。

 経産省OBのある国会議員は「実は現在は与野党のエネルギー政策が非常に近く歴史的に見ても珍しい状況だ」と語る。原子力を推進してきた自民党も総裁の谷垣禎一(66)が福島原発事故直後に「原子力政策を推進していくことは難しい状況」と表明した。

 これまでの推進派も反対派も「再生可能エネルギーはてこ入れするが、供給力やコストなどの課題があり原発の即時全廃は難しい。ただ、今後の新規建設も難しく原発依存度は徐々に下がる」という時間軸を考えた意見に集約されつつある。

 「シングルイシューで選挙をしていいことはない。原発の問題は冷静に議論すべきだ」(民主党幹事長の岡田克也、58)。経済や社会への影響も見据えて現実解を導く政治が問われる。=敬称略

宮島理氏:「正義」を簡単に着替えて「カマトトぶる日本人」(BLOGOSより)2011/06/26 14:25



<関連記事引用>

反原発は反普天間と同じ結末招く
2011年06月24日14時34分

宮島理

http://news.livedoor.com/article/detail/5660144/

 政府が感情的な運動を煽っておきながら、結局は最悪の意味での現状維持に終わる。民主党政権になってから繰り返されているのは、その場限りで感情を発散できればいいという「退行」である。
 
 普天間問題は結局のところ、普天間基地が永久固定されるという最悪の意味での現状維持になろうとしている。その理由は、今では誰もが理解している。民主党政権が「最低でも県外」という期待を持たせたことで、反普天間運動を煽ってしまったからだ。
 
 この件については、2009年12月16日の新聞記事が本質を鋭く突いている。

「外務省幹部は『外交関係でこれほど恵まれたスタートを切ることができた政権は過去になかった』と断言する。陰りが見えるとはいえ、米国は依然、軍事力、経済力ともに世界一だ。中国やインドの台頭は著しいが、日米欧が組めばなお強力で、その関係も悪くない。そして、橋本政権から麻生政権までの自民党政権のくびきだった普天間問題は、米政府、日本政府、沖縄県の考え方が初めて一定幅に収まった状態で、『後は淡々と進めるだけだった』(同幹部)からだ。

 結局は、鳩山自身が問題を4次方程式にまで複雑化させたことが混乱の原因だとの見方は根強い」(読売新聞 )

 自民党政権の普天間移設は、決して100点ではないが、沖縄の負担軽減と日米同盟の深化という意味で、60点くらいの内容になっていた。もちろん、反普天間運動からしてみれば、県内移設はすべて0点だろう。ただ、現実的な路線として、長い時間をかけて地元と議論をし、普天間移設をまとめあげたことは、非常に大きな政治的成果だったと言える。
 
 ところが民主党は、「自民党の普天間移設は100点じゃないから0点も同然だ」と言いだし、「最低でも県外」と口にした。もっともこれは本気ではなく、単に「民主党は自民党よりもっとビッグなことができる」と主張したかったという程度の話に過ぎないのだが、反普天間運動は「そうだ、自民党の普天間移設は0点だ。米軍を沖縄から追い出せ」と一気にボルテージを上げた。(この辺の構図は改革論議についても言える。自称改革派が「60点の改革は100点じゃないから0点も同然だ」と言って地道で漸進的な改革を妨害するのが、民主党の「改革つぶし」である。詳しくは「図解:民主党の改革つぶしの手口」 をご覧いただきたい)
 
 もともと現実的な問題解決策はない反普天間運動を、問題解決能力のない民主党政権が無責任に煽る構図になったのが不幸の始まりだった。当然のごとく、普天間問題は膠着した。二転三転し、最後には「辺野古」に戻っていったのは記憶に新しい。
 
 しかし、今さら「辺野古」と言われても地元は納得しない。私は自民党政権の普天間移設に賛成していたが、そんな私だってもし辺野古住民だったら、こんなメチャクチャなプロセスを経て「やっぱり辺野古でお願いします。ゴメンね」と言われても絶対に納得できないだろう。
 
 政府が感情的な反普天間運動を煽ったことによって、割を食ったのは、普天間基地周辺の住民である。民主党政権は選挙向けのリップサービスのつもりでしかなく、運動家は運動家でその場限りの感情を発散できればいいのかもしれないが、住民には生活がかかっている。民主党政権と反普天間運動の無責任なタッグが、最悪の意味での現状維持を招いてしまった。(この問題で唯一得をしたのは米軍再編が遅れることで相対的に自由度が増した中国軍)
 
 同じことは「脱原発」についても言える。民主党政権と反原発運動の無責任なタッグが、おそらく最悪の意味での現状維持を招くことになるだろう。そのことを説明する前に、原発問題について整理しておきたい。
 
 私は地球温暖化問題に懐疑的なので(温暖化がないと言っているわけではないが)、もともと原発には熱心ではなく、エネルギー安全保障の観点から、現状程度の原発依存度でいいと考えていた。しかし、民主党政権の「温暖化ガス25%削減」を支持している多くの有権者は、民主党政権が温暖化ガスを出さない原発を推進していることについても、きっと賛成していたことだろう(菅政権も2010年6月の閣議決定 で、2030年までに原発を14基以上増やす方針を明確にした)。「知らなかった」とは言わせない。
 
 原発事故が起きた後、私は大変なことになったが、これは国民が選択してきた原発のコストであり、これから長い時間をかけて乗り越えていかなければならないと覚悟した。ところが、民主党政権の「温暖化ガス25%削減」に賛成し、当然、その論理的帰結として民主党政権の原発推進政策も支持してきたはずの有権者が、「原発にリスクがあるなんて知らなかった。原発なんてもう要らない」と言い出した。この「カマトトぶる日本人」 たちに、私はあきれるだけだった。
 
 さらにひどいことに、「カマトトぶる日本人」たちは、昔ながらの反原発運動に煽られて、「原発をすぐ止めろ」と言い出した。何の問題解決策もないくせに「悪魔祓い」 をすればいいと考える日本人が、21世紀になってもこれだけいるという事実に、愕然とするしかなかった。
 
 この無責任かつ感情的な運動に乗っかってきたのが、菅首相だった。既存原発のリスク再評価や代替エネルギー確保という地道で大変な作業を嫌う菅首相は、いざとなれば電力会社の責任にして逃げられる浜岡原発停止“要請”というポピュリズム的手法を実行した。このポピュリズム的手法に、「カマトトぶる日本人」たちも、「あーこれでひとまず安心」と、訳も分からず賛同していた。

 私が民主党政権と反原発運動の無責任なタッグに批判的なのは、彼らが最優先で取り組むべき課題を結果的に妨害し、さらには中長期的なエネルギー政策までオモチャにしているからだ。原発事故を受けてまず取り組むべきことは、現場作業員の環境改善、原発周辺汚染地域の除染、避難民の生活である。それなのに、彼らは原発から遠く離れた都市部住民の「(過敏な)安全安心」を優先し、原発周辺住民を後回しにしている。
 
 本来なら、今回の原発事故については「父祖の地を守れ」というスローガンが唱えられるべきだ。私も汚染により避難を強いられ、生業を奪われている原発周辺住民には深く同情している。だからこそ、何よりもまず、原発周辺での対応に政治的資源を注がなければならない。
 
 ところが、反原発運動は「こどものいのちを守れ」と言う。微量の放射性物質しかない都市部住民を煽り、昔ながらの反原発運動に駆り出そうとしている。「父祖の地を守れ」というスローガンでは原発周辺に限られてしまうので、むしろ都市部に拠点を置くべく「こどものいのちを守れ」という煽り方をしているのだろう。一部の人たちの政治勢力を拡大するために、原発事故が政治利用されてしまっている。(政治利用ではなく純粋に「こどものいのち」を心配しているのだというなら、子供の死亡原因1位である自動車を規制すべきだが、彼らは「マイカー全廃」 とは言わない。結局、原発周辺の汚染や、交通事故などで失われる子供たちの生命について考えているわけではなく、都市部住民を煽る口実がほしいだけなのだろう。だから、「こどものいのちを守れ」と、原発問題の論点をすり替えている。反普天間運動でも、「ジュゴンのいのちを守れ」と、論点のすり替えがなされた)
 
 さらに反原発運動は、中長期的なエネルギー政策を考えずに、感情的に行われている。この点でも、反普天間運動にきわめてよく似ている。
 
 もし本気で「脱原発」をしたいなら、天然ガスなどの現実的な代替エネルギーを確保する道筋を付けなければならない。さらに、原発依存度を下げれば、外国からのエネルギー資源輸入への依存度が増すので、エネルギー安全保障の観点が必要となる。備蓄体制も強化しなくてはならないし、場合によっては中東などの安定のために、日本の防衛力を積極的に展開する場面も多くなるだろう。もちろん、外交力も強化しなくてはならない。いずれも、オイルショックから日本が抱えている課題であり、いまだに解決できていないものが多いが(だから原発依存に逃げたという経緯もあった)、「脱原発」と言うなら、ある意味で原発依存時代よりも大きな覚悟が求められる。
 
 仮にそれだけの覚悟をしたとしても、実現するには時間がかかる。少なくとも向こう数年間は、電力の安定供給のために、既存原発を使わざるを得ない。そこで、すべての既存原発のリスクを再評価し、安全性を高め、それでもなお「リスクはゼロではない」という現実を理解した上で、既存原発を従来通り稼働、あるいは再稼働していかなければならない。
 
 また、「脱原発」のスケジュールが遅れれば、既存原発に頼る期間もそれだけ長くなる。場合によっては、安全性確保の観点から、既存原発を最新型の原発に更新することも必要になってくるだろう。その時、反原発という感情論ではなく、冷静な判断であえて既存原発を更新するという決断をすることが、「脱原発」という最終ゴールに近づいていくことにつながる。
 
 以上は、天然ガスなどの現実的な代替エネルギーを想定した場合だ。それでも、これだけの覚悟と困難が想定される。仮に「自然エネルギー」で原発を代替するというプランを採用すれば、実現のスケジュールはさらに長引くだろう。下手をすれば、いつまで経っても実現できないということも予想される。
 
 その意味で、反原発や「自然エネルギー」にかまけるのは、実は「脱原発」を妨害していると言わざるを得ない。反普天間運動が結果的に普天間固定という最悪の現状維持をもたらしたように、反原発は原発の現状を固定化するのではないかと危惧する。
 
 反原発は今すぐ原発を停止させることを要求しているから、稼働を前提とした既存原発のリスク再評価を許さない。しかし、既存原発が停止したままで、いずれ電力不足が発生すれば、現在の感情的でなおかつ誰も責任を取りたがらない日本では、なし崩し的な再稼働が行われるだろう(詳しいシナリオは「あいまいな日本の原発再稼働」 をご覧いただきたい)。その結果、既存原発はリスク再評価もされず、それゆえ安全性も高められないままに、ずるずると稼働し続けていく。
 
 さらに、菅首相が「自然エネルギー」に拘泥して現実的なエネルギー政策論議を放棄すれば、「脱原発」の動きも(かけ声とは裏腹に)完全にストップする。民主党政権と反原発運動の無責任なタッグによって、原発の安全性は向上せず、「自然エネルギー」も進展しないまま、最悪の意味での現状維持が招かれてしまう可能性は、決して低くないと考えている。
 
 日本の問題は、「反原発か原発推進か」ではない。重要なのは、さまざまなリスクを理解し、その上でどのエネルギー政策を選択するかということだ。山林破壊や村落崩壊になれば水力を嫌い、大気汚染や資源高になれば火力を嫌い、放射性物質が漏れれば原子力を嫌い、騒音になれば風力を嫌い、温泉が枯れれば地熱を嫌い、電力が安定せず維持費がかかると太陽光を嫌い、そのくせ電力供給は誰かが何とかしてくれると思っているような国では、「脱原発」どころか、どのようなエネルギー政策も行き詰まるのは目に見えている。
 
 地球温暖化対策と原発増設という民主党政権の方針を支持してきた積極的原発推進派(国民の多数派)は、何の合理的説明もなく、一夜にして反原発派に転じた。その意味で、原発推進派と反原発派というのは、実は同根ではないかと考えている(昔ながらの生粋の反原発派は除く)。一方、民主党政権の方針に反対し、あくまで消極的に既存原発利用を考えていた私は、原発事故後もスタンスを変えずに当面の既存原発利用(と将来的な「脱原発」の検討)を主張しているわけだが、原発推進派から反原発派に「転向」した人々は、常に「絶対正義」の側に立って「悪の原発を支持するのか」と批判する。まさに敗戦後と同じような醜い現象が、現在の日本を覆っているのである。


「正義」を簡単に着替える日本人
2011年06月25日16時15分

宮島理

http://news.livedoor.com/article/detail/5662716/

 日本人は何も変わっていない。無定見に「正義」を着替え、いかなる「正義」にも便乗しない者を絶えず感情的に攻撃する。

 敗戦は、日本人がその責任から逃れるために、古い「正義」をスルリと脱ぎ、新しい「正義」を羽織った時代だった。そこには合理的説明も省察も何もなく、効力の失われた「正義」を捨て、新しい「正義」を拾うという、醜い自己保身があるだけだったのである。

 その過程で、いかなる「正義」にも阿らない人々が犠牲となった。

 美濃部達吉は戦前、いわゆる天皇機関説を唱えたことにより、軍部や右翼、ならびに「世論」から激しく攻撃された。美濃部は貴族議員議員を辞職する事態に追い込まれている。

 戦後になって、軍部や右翼に同調していた「世論」は、一転して軍部と右翼を叩き、「民主主義者」となり「平和主義者」となった。明治憲法は当然改正されるべきだということになり、天皇機関説により「リベラル」と思われていた美濃部は、反明治憲法陣営(およびGHQ)から、力強い味方として期待されていた。

 しかし、美濃部は「軍国主義者」にも「平和主義者」にも阿らない。自分の憲法学を貫き、新憲法制定(明治憲法改正)は無効であると主張した。また、天皇機関説の美濃部は、明治憲法下でも戦後日本はやっていけると考えていたとも言われている。

 この美濃部の行動に、反明治憲法陣営は「勝手に失望」した。そして、美濃部は彼らから批判されることになるのである。戦前は「軍国主義者」に批判され、戦後は「平和主義者」に批判されたわけだが、「軍国主義」も「平和主義」もその衣を着ているのは実際のところ同一の「世論」であった。美濃部は日本人の無定見な「正義」に翻弄されたと言えるだろう。

 同じような目にあった人はまだいる。戦前、津田左右吉は、その実証主義的な記紀研究が皇室の尊厳を犯しているとして、これまた軍部や右翼から批判されていた。戦後になり、「尊皇主義者」から「反天皇主義者」に「転向」した人々にとって、津田は反天皇運動の味方になると期待された。

 ところが、津田は1946年に「建国の事情と万世一系の思想」という論文を発表し、天皇制廃止を否定した。そのため、反天皇運動からは激しく批判されることとなったのである。

 津田もまた、戦前は「尊皇主義者」に批判され、戦後は「反天皇主義者」に批判された。「尊皇」も「反天皇」も、時代と寝ることしかできない者たちによる仮衣装であり、日本人の無定見な「正義」は、津田のような人物をも苦しめた。

 こうした日本人の欺瞞を鋭く突いたのが、太宰治だった。太宰は1946年に発表した「十五年間」の中で、次のように書いている。

「日本に於いて今さら昨日の軍閥官僚を罵倒してみたって、それはもう自由思想ではない。それこそ真空管の中の鳩である。真の勇気ある自由思想家なら、いまこそ何を措いても叫ばなければならぬ事がある。天皇陛下万歳! この叫びだ。昨日までは古かった。古いどころか詐欺だった。しかし、今日に於いては最も新しい自由思想だ。十年前の自由と、今日の自由とその内容が違うとはこの事だ。それはもはや、神秘主義ではない。人間の本然の愛だ。アメリカは自由の国だと聞いている。必ずや、日本のこの真の自由の叫びを認めてくれるに違いない」(「十五年間」より)

 太宰一流の皮肉だが、現在であれば、「天皇陛下万歳!」のかわりに「原発万歳!」と叫ぶところだろうか。

 美濃部、津田、太宰の時代と、今の日本人は何ら変わるところがない。昨日まで「脱ダム」「温暖化ガス削減」「原発ルネサンス」と言っていた人々が、一夜にして「水力発電推進」「火力発電推進」「原発即時廃止」と叫んでいる。

 民主党政権では、「脱ダム」「温暖化ガス削減」「原発ルネサンス」が掲げられた。「脱ダム」の象徴が八ッ場ダム問題である。そして、「温暖化ガス25%削減」を進めるために、温暖化ガスを出さない原発を積極的に推進し、海外に輸出することも官民一体で行われた。菅政権も2010年6月の閣議決定で、2030年までに原発を14基以上増やす方針を打ち出している。

 政権交代を実現した国民の多数派は、「脱ダム」を支持し、「温暖化ガス削減」を支持し、さらに「温暖化ガス削減」の論理的帰結としての「原発ルネサンス」を明確に支持した。ちなみに、私は「脱ダム」にも「温暖化ガス削減」にも「原発ルネサンス」にも懐疑的だったが、エネルギー安全保障の観点から消極的に原発依存度の現状維持という立場を取る「時代遅れ」でしかなかった。

 ところが、時代の先端を行く国民の多数派は、原発事故を受けて、一気に次の新しい流行へと飛び移った。彼らは一夜にして「脱ダム」を忘れて「水力発電推進」を言い出した(念のため言っておくが、多目的ダムの八ッ場ダムには、発電目的も含まれている)。さらに「温暖化ガス削減」を忘れて「火力発電推進」を言い出した(石炭・石油から天然ガスに比重を移したところで温暖化ガス削減では原発に到底及ばない)。「原発ルネサンス」はどこかへ消え去り、「原発即時廃止」がトレンドとなった。

 180度転換した「世論」の前では、「水力発電のためにダム増やしたら環境破壊になるけどいいの?」「火力発電を増強したら、温暖化ガス削減目標は絶対に達成できないけどいいの?」「原発即時廃止したら当面の電力が足りなくなるけどいいの?」という当然の疑問は何の意味も持たない。「正義」を着替えた彼らにとって、そのような「過去」にこだわるのは「ダサい」のである。もちろん、「風力・地熱・太陽光だけじゃ絶対に電力足りないよ?」という疑問もスルーされる。別に彼らは本気でエネルギー政策を考えているわけではなく、単に原発事故という責任から逃れたいだけだからだ。

 それどころか、「本当に脱原発をしたいなら、既存原発を当面活用しつつ、地道に代替エネルギー確保やエネルギー安全保障強化をしていかなきゃいけないんじゃないの?」という主張をする者は、「時代遅れの原発推進派」として糾弾されてしまう。また、「浜岡原発停止“要請”は、電力供給対策を放棄して、いざとなれば電力会社の責任にして逃げられるポピュリズム的手法なんじゃないの?」と批判する者は、彼らにとって「原発利権の回し者」だ。浜岡原発停止“要請”を賛美することは、かつて民主党政権の積極的原発推進路線を支持していた忌まわしき「過去」を忘れるための大切な「儀式」なのである。「儀式」を邪魔することは、絶対に許されない。

 こうした「空気」の時は、空想的理想論がもてはやされる。「原発の電気は使いたくない」という子供じみた言い回しをして、「自然エネルギー」がブームになるのは、「血塗られた平和は要らない」という子供じみた言い方をして、「非武装中立」を唱えた時代と重なる。そう、「自然エネルギー」とは、21世紀の「非武装中立」なのだ。

 積極的原発推進路線にも原発即時廃止路線にも阿らない人々は、現在、息を潜めてジッとしている。積極的原発推進路線から原発即時廃止路線に「転向」し、絶えず「正義」を振りかざす人々の感情が収まるまで、何も言わないのが得策だとあきらめているのだろう。政治家もマスメディアも学者も奥歯に物が挟まったような言い方しかしないのは、敗戦後とまったく同じである。わが日本は、いつまで「正義」を簡単に着替える人々に振り回されなければならないのだろうか。


<関連記事>

先ず我が国の国民性に付いて思うことは付和雷同性が多いことで、これは大いに改善の要があると考える。
昭和天皇、聖談拝聴録原稿(木下のメモ)③「結論」
http://y-sonoda.asablo.jp/blog/2008/07/31/3663328

単純素朴に良かれと思ってやることが全部裏目に出てしまう民主党、中には「混乱・混沌」狙いの確信犯も?2010/09/10 08:59

解説委員室ブログ:NHKブログ  時論公論「米韓合同演習と中国の軍拡」より引用


三条実美と近衛文麿を足して2で割る。
その上で風見鶏エキスをたっぷり加えれば鳩山由紀夫のできあがり。

鳩山に限らず民主党議員及びその支持者にも言えること。
それは単純素朴に良かれと思ってやることが全部裏目に出てしまうタイプが多い。

「友愛の海」などと歯が浮きそうなことを語りながら、東アジア共同体構想を夢見る。
しかし、その先に待っているのは「混乱の海」と「混沌の海」。
さらにその先には「血で赤く染まった海」まで待ち構えている。

彼らが単純素朴に良かれと思ってやっていると信じたい。
しかし、中には「混乱・混沌」狙いの確信犯もいるような気配。

あの時と同じように日本のシーレーンを破壊するつもりか。
「油で始まり油で終つた」戦争を繰り返したいのか。

本ブログは何度も何度も同じことを書く。
今日はトンチンカンさんから教えていただいたNHKブログを紹介しておきたい。


<関連記事引用(画像も)>

解説委員室ブログ:NHKブログ 時論公論「米韓合同演習と中国の軍拡」
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/59356.html#more

●日本の役割

 勿論、アメリカと同様、中国も双方の全面対決を望んでいるわけではありません。とは言え、中国の海洋戦略は、海外からの物資の輸送ルートの確保や海底資源の開発さらには防衛ラインを外に広げると言った中国の核心的な利益と直結しています。

 中国が、経済力の拡大と比例するように自己主張を強めていることを考え合わせますと、より広い海を支配すると言う野心を放棄することは考えられません。自身が主導する既存の秩序を維持したいアメリカと新たな秩序の構築を目指す中国が、周辺国を巻き込んでせめぎ合う、東アジアはそうした時代を迎えたと言えるのかもしれません。

 その中で気になるのが、日本の存在感の希薄さです。日本に代って韓国がアジアで最も重要なアメリカの同盟国になったと言う見方が、韓国で広まりつつあります。

 しかし、朝鮮半島に限定した米韓同盟が、アジアの公共財と位置づけられる日米同盟に取って代われるとは思えません。この点を強く自覚すべきは日本です。

 言うまでもありませんが、中国の海洋進出は、シーレーンの確保や東シナ海の領有と言った面で、日本の権益と衝突します。

 新たな時代のうねりの中で、日本の安全と権益を守り、地域の安定を維持するためにどう対処すればいいのか。日本があらためて考えなければならない外交・安全保障上の大きな課題と言えます。

八百万の神々こそ民主主義の原点、民主主義の本質でもある2010/05/05 09:36



「八百万の神々こそ民主主義の原点、民主主義の本質でもある」

昨夜の飲み会で森野榮一先生の口から飛び出たこの言葉。私にとってこの日一番の収穫。

日本の民の底力を信じたい。日本の民主主義が今試されている。
そんな今こそ、WAになっておどろう。







<そんなことはここにちゃんと書かれておる=森野先生の解説>

第七講 村邑

一、八種の天罪

 日本人は農業の民で有つた、故に太古に於て最も罪悪視せられたるものは、農業を妨害することであつた、左記八種(やくさ)の天罪(あまつみ)といふものは、古事記にも日本書紀にも、延喜式の「大祓の詞」にも、古語拾遺にも、すべて古書といふ古書には必ず記して伝へられて居るのである。

 第一 毀畔(あなはち)(阿那波知)とは、耕田の畔(くろ)を毀つこと

 第二 溝埋(みぞうめ)(美曾宇女)とは、灌漑の溝を埋むること

 第三 放樋(ひはなち)(斐波那知)とは、溝洫(こうきょく)の樋を放開して、耕田に溢れしむること

 第四 重播(しきまき)(志伎麻伎)とは、他人の耕種せる田に、重ねて種を播くこと

 第五 串刺(くしさし)(久志作志)とは、他人の耕田を冒認して、自己の耕田の如くに標識すること

 第六 生剥(いきはぎ)とは、耕田に用ひる牛馬の類を虐待すること

 第七 逆剥(さかはぎ)[六に同じ]

 第八 屎戸(くそへ)とは、新穀の祝典たる新嘗の祭日を汚すこと

 此八種の天つ罪が、日本人の最も初めに罪として認めたもので、後に仏教の感化に依りて高唱せられたる殺生、愉盗、妄語、邪淫、飲酒の五戒よりも、深く厳しく戒飭せられた所のものであつた。

 古神話に驚天の大変として伝へられたる、天照大神の「岩戸隠れ」は、素盞嗚尊が此の八種の天つ罪を、悉くその一身に犯したることが原因で有つたといふことである。而して当時日本の政体は、八百萬神の合議を用ひたので有つた。謂ゆる「八百萬神、天安之河原(あめやすのかわら)に神集(かんずまりましま)して」といふは、是れである。

 是れは誠に自然である。人の生命、自由、財産、名誉に対する福利は、奴隷の境遇にあるものゝ外、其人の得心なくして、他より侵さるべき者でない。人は固より群居するものであるから、共存の必要上、個人と個人との関係、並に集団と集団との関係に依り、規律ある行動に出るのであるが、是れは各人の福利を犠牲にするのでなく、その福利を保護するのである。各人の発言権を停止するのでなく、その発言権を障碍なからしめるのである。日本国民の総員、即ち八百萬の神には、貧の神も福の神も、凡べて、平等の発言権を以て「天安の河原」に集まつたといふ神話は、純朴なる日本の古俗を想像せば、如何にも斯くありしならんと首肯せらるるのである。

 農業的の国民(八百萬神)が、農業侵害者(素盞嗚尊)に対する処置を決するために集会を開いた。是れは恰も自治の運用である、自治を推し広めた協和制、一層適切にいへば国民投票であつた。

 我が神世の洪謨(こうも)は、全く此の如き自然の民性に忓(さから)はざる方針であつた神武天皇東征の詔に「蒙以て正を養ふ」とあるのはそれである。此の詔の語は、周易蒙卦(しゅうえきもうけい)の衆伝を引いて、日本書紀の作者たる舎人親王(とねりしんのう)の文飾せられたものではあるが、其意味は正しき神武天皇の詔旨で有つたに相違ないのである。蒙以て正を養ふとは、蒙は童蒙である、民性自然の発達を以て、童蒙の次第に智恵づくに譬へ、其の啓発すべき時機には之を啓発し、其時機に至らざれば其儘に差し置き、たゞ成るべく邪悪に陥らぬ様に、成るべく正しき心を養ふやうに、之を指導して行くといふことを云ふのである。此詔を以て、我が太古の皇謨を察すれば、決して或国の王者の如く、国民を以て私有財産と同視し、生殺与奪たゞ王者の意欲に任ずるといふのではない。国民自体の機能をして、成るべく智恵と徳義の方面に進ましむべく、無干渉の間に静かに摂理せられたのである。

 けれども人民は、智巧の進むに従つて、太古の純撲をいつまでも維持しては居らなかつた。既にして強者が弱者を併呑して、其福利を榹(うば)ひ去つたのである。是れ其詔の末文に「邑に君あり、村に長あり、各自ら彊を分ち用て相凌轢す」とある所以である。天皇には深く之を歎息せられて、竟に東征の御決行となつた。

(出典:権藤成卿『農村自救論』公同の概念)

民主・鳩山政権誕生へ2009/08/30 20:24



何が怖いって、それは改善されない日本人の付和雷同性。


<関連記事>

昭和天皇、聖談拝聴録原稿(木下のメモ)③「結論」
http://y-sonoda.asablo.jp/blog/2008/07/31/3663328

「非核三原則」見直し、皇室も容認か?2009/07/19 08:39

MSN産経ニュース:米ハワイのオアフ島に到着された天皇、皇后両陛下=7月14日午後(代表撮影)


KC「すでにお耳に達していることと存じますが、日米両国は核の傘に関する具体的な協議に入ることになります。貴国の国是となっていた非核三原則の見直しにつながることになります。このことを直接事前にお伝えしたくハワイに参りました。」

天皇、皇后両陛下「・・・・・・・」



KCとはカート・キャンベル(Kurt M. Campbell)のこと。
来日したキャンベル米国務次官補(東アジア・太平洋担当)は核の傘に関する日米定期協議開催で合意。

実はキャンベルは日本に来る前にハワイで天皇、皇后両陛下と会っていました。
はたしてハワイで冒頭のようなやりとりがあったのでしょうか。

その真相が明かされるのはまだまだ先のこと。
今はまだ私の憶測に過ぎない。
しかし、昭和天皇の戦後を振りかえると、今もまたその可能性は決して0とは言い切れないのです。

(つづく)


<関連記事引用>

【天皇、皇后両陛下ご動静】15日 水曜
2009/07/16産経新聞東京朝刊

(宮内庁発表分)
◇…現地時間14日…◇ 
【午前】
両陛下 駐カナダ日本大使、駐バンクーバー日本総領事共催レセプションご臨席(コンベンション・センター)
両陛下 カナダ(バンクーバー市)から政府専用機でアメリカ(ハワイ州オアフ島)へご移動
【午後】
両陛下 カピオラニ・パークご訪問≪お手植えの木ご覧、市民とご交流≫(ホノルル市)
【夕刻以降】
両陛下 キャンベル米国務次官補、ズムワルト駐日米臨時代理大使夫妻らをご引見(駐ホノルル日本総領事公邸)
両陛下 駐ホノルル日本総領事館員拝謁(同)
両陛下 駐米日本大使、駐ホノルル日本総領事両夫妻などとのご夕餐≪総領事から説明≫(同)


16日訪日の米次官補 「どんな政権とも協力」 幅広く会談の意向
2009/07/14NHKニュース

 アメリカのオバマ政権で対日政策の実務責任者を務めるカート・キャンベル国務次官補は、日本で行われる総選挙について、「アメリカは、日本のいかなる政権とも協力する用意があることを伝えたい」と述べ、16日からの日本訪問では、民主党を含め、政党関係者と幅広く会談する意向を示しました。

 東アジア・太平洋地域担当の国務次官補として、オバマ政権の対日政策の実務責任者を務めるキャンベル次官補は、16日から就任後初めて日本を訪問します。

 これを前に、ワシントンの空港でNHKの取材に応じたキャンベル次官補は、日本の政治状況について、「明らかに重大な局面にある。日本訪問では、アメリカ政府が、いかなる政権とも協力していく用意があることを伝えたい」と述べ、民主党を含め政党関係者と幅広く会談する意向を示しました。

 また、キャンベル次官補は、来日に先だち、日本時間のあす、ハワイを訪問される天皇皇后両陛下を現地で出迎えることについて、「お2人をオアフ島に案内することをほんとうに光栄に思っています。陛下にハワイのおもてなしを楽しんでいただきたい」と述べました。

 さらに、キャンベル次官補は、日本訪問の後、タイのプーケットで開かれるARF(エーアールエフ)=ASEAN地域フォーラムに出席する予定で、これにあわせて北朝鮮問題を協議するため、日本や中国など関係国と5か国協議の開催に向けて調整を進めていることを明らかにしました。


July 15, 2009
Japanese royals visit Hawaii
http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_403379.html

HONOLULU - THE Japanese emperor and empress are expected to revisit some old memories when they arrive in Hawaii on Tuesday for a three-day stay.

Emperor Akihito, 75, and Empress Michiko, 74, are headed first to Waikiki's Kapiolani Park to see a rainbow shower tree they planted when they came to Hawaii as crown prince and princess in 1960.

The couple planted the tree to commemorate the 100th anniversary of the US-Japan relationship. Then-Prime Minister Shigeru Yoshida and Princess Takamatsu also each planted shower trees in the area that year.

Their foray into the park, which is one of Oahu's most popular, will be the only public event during their stay.

Governor Linda Lingle is expected to meet the couple at Oahu's Hickam Air Force Base when the royal couple flies in from Vancouver, British Columbia where they wrapped up an 11-day trip to Canada.

Admiral Timothy Keating, the head of the US Pacific Command, will also greet the couple along with Kurt M. Campbell, the assistant secretary of state for East Asian and Pacific Affairs.

On the Big Island, the couple is due to be feted with hula and a chant entitled 'Welcoming the Rising Sun,' that's been composed in their honour.

But the main reason they're here is to mark the 50th anniversary of a scholarship Hawaii residents set up to commemorate the couple's wedding in 1959.

The scholarship, which has funded the studies of than 130 people since the 1970s, sends University of Hawaii graduate students to Japan and brings Japanese students to UH to study.

Dozens of former scholarship recipients who are now college professors, historians and scientific researchers, will be on hand to celebrate with the royals at a dinner banquet on Wednesday. -- AP


<画像引用>

両陛下がハワイにご到着 15年ぶりご訪問
http://sankei.jp.msn.com/photos/culture/imperial/090715/imp0907151033001-p1.htm