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小泉純一郎氏の「日本人の自然への畏敬の念」演説(2014年1月26日、池袋駅東口にて)2014/01/26 23:15

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(11分10秒から)

ピンチはチャンスと言います。

今度の東北の大震災のピンチは、
まさに日本人が昔から持っていた自然と共に生きる社会(を思い出させてくれました)。

山にも海にも川にも何か目に見えない大事なものがあるんじゃないか。
畏敬の念を持っている国民性。

この自然を尊重して、自然を資源に生きる社会ができれば・・・。
もう日本は太陽でも水でも風でも地熱でも無限に自然の資源に溢れています。

石油とか石炭とか天然ガスとか、
世界各国に行って、資源獲得戦争に参加する必要はない。

自然と共に生きる社会ができるかできないかの、
大きなチャンスが今やってきたと考えています。

どうかこの壮大な事業。夢のある事業。
自然を大切にする事業に皆さんと共に参加して、
細川さんを都知事にしようじゃありませんか。

日本人が日本人であるために・・・2013/09/10 00:01









出演:菅原文太、安田喜憲、福岡政行

撮影:平成25年8月31日 宮城県岩沼市「千年希望の丘」にて

制作:『パワー・オブ・フォレスト』製作委員会


菅原文太『コンクリートの防潮堤で大災害に対抗できるか』(前編)
http://www.youtube.com/watch?v=WZzTEibjkXQ

菅原文太『コンクリートの防潮堤で大災害に対抗できるか』(後編)
http://www.youtube.com/watch?v=qrib7hdz_EI

菅原文太『コンクリートの防潮堤で大災害に対抗できるか』(8分バージョン)
http://www.youtube.com/watch?v=H9L64CdBty0

植樹の神様・宮脇昭氏がいよいよ福島へ 
10月6日南相馬市植樹祭撮影プロジェクト
http://www.makuake-ca.com/project/powerofforest/

宮脇昭氏公認サイト『パワー・オブ・フォレスト』
http://www.powerofforest.com/

Facebook
https://www.facebook.com/powerofforest

Twitter
https://twitter.com/powerofforest

「出番だ、宮脇昭さん」 森だくさんの2020年東京五輪2013/09/08 08:54

「出番だ、宮脇昭さん」 森だくさんの2020年東京五輪


有明テニスの森
海の森クロスカントリーコース
海の森水上競技場
海の森マウンテンバイクコース
武蔵野の森総合スポーツ施設
武蔵野の森公園


<画像引用>

経済波及効果、試算3兆円 コンパクト五輪実現
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0302Y_T00C13A9GO2000/?dg=1

南三陸町「五十鈴神社」訪問 - 未来の人々へ「地震があったら、この地よりも高いところへ逃げること」2013/07/20 18:27

南三陸町「五十鈴神社」訪問 - 未来の人々へ「地震があったら、この地よりも高いところへ逃げること」


<関連記事>

東日本大震災/津波到達点、後世に/宮城・南三陸町で記念碑完成
2012/11/13 河北新報朝刊

 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県南三陸町戸倉折立地区で、住民らが避難した高台の五十鈴神社に、津波到達点を伝える記念碑が完成した。

 標高23メートルに立つ石碑は「未来の人々へ」で始まり、「地震があったら、この地よりも高いところへ逃げること」との教訓や、地区の津波被害の状況が刻まれた。

 折立地区は132戸全戸が全半壊、39人が死亡、行方不明になった。五十鈴神社には住民や戸倉小、戸倉保育所の子どもら約190人が逃れた。

 震災から1年8カ月の11日、石碑の除幕式があり、多くの住民が犠牲者をしのんだ。企業の支援を得て記念碑を建てた地区住民互助組織の佐藤真さん(64)は「津波の知識があれば犠牲者は少なかった。500年、1000年先に記憶が風化しないよう石碑で伝えたい」と話した。


デスク日誌/千年先へ/東日本大震災の津波到達点を知らせる記念碑が宮城県
2012/11/27 河北新報朝刊

 東日本大震災の津波到達点を知らせる記念碑が宮城県南三陸町の高台にある五十鈴神社に完成した、という記事が先日、1面に掲載された。引かれたのは「千年先に記憶が風化しないように石碑で伝えたい」という地元男性(64)の言葉だ。

 190人もの住民が石碑脇の参道を駆け上がって津波を逃れた経験を踏まえ、「津波の知識があれば犠牲者は少なくなる」と子孫たちを思いやる。縁あって審査員を務めた中学生弁論大会でも同じような気持ちに触れた。

 最優秀賞に輝いた岩沼市の女子生徒は、同市の「千年希望の丘」での植樹祭に参加した経験を紹介した。震災で発生したがれきを盛り土に活用し、津波よけの機能を担う丘にタブノキなど20種類の苗木を植えた。

 「悲劇を繰り返さないように、つらい思い出を次世代へ伝えることが私たちの使命」「将来、自分が植えた木の意味を自分の子どもにも教えたい」と覚悟を示し、たくましさと爽やかさを感じた。

 献身や思いやりとは縁遠い性格なのだが、言葉が心にすとんと入り込み、自然に共感できた。(報道部副部長 藤原陽)


(磯田道史の備える歴史学)建つべき位置学んだ神社 南三陸の津波の痕跡
2013/04/20 朝日新聞 朝刊

 春休みに宮城県の南三陸町に入った。東日本大震災の津波の痕跡をたしかめるためである。白い巨大な建造物はベイサイドアリーナ。五百をこえる遺体を安置したその「白い箱」をのぞむ幼稚園で園児らとかけっこをした。

 ふと視線を感じた。年格好は私と同じぐらいの男性であった。私が会釈をすると黙って名刺を差し出した。みると「大川小学校遺族」とあった。自分の名と亡くなった子の名が一枚の名刺に書いてあり、子のところに(五年生)と括弧で添えてあった。私は言葉にならず「それは、どうも……」と口ごもったが、何か言わねばと思った。

     *

 「静岡からきました。次の東海地震に備えて歴史津波がどこまできたか調べています。神社が水に浸(つ)かったかどうかの古記録が手掛かりになるので、今回の震災で南三陸町の神社がどうなったか聞いて歩いています。神社の手前でギリギリ津波が止まった所が多い気がしますが」すると、その父親は訥々(とつとつ)と言った。「このあたりで津波で流された神社は三つだけと聞いてます」

 事実そうだった。荒沢神社はこのあたりで最古の海辺の神社だが御神体の手前で津波がぴたっと止まった。ちょうど貞観津波(869年)の頃につくられ慶長三陸津波(1611年)もくぐりぬけている。今回の津波で「鳥居(標高12メートル)はほぼ水没。鳥居脇の神官宅(同14メートル)も床上1・5メートルまで浸水し、本殿(同14・5メートル)も床上1メートルまで水がきたが、台上の御神体は濡(ぬ)れなかった」(同社の遠藤芳男さん)。16メートルの津波であったことがわかる。

     *

 津波常襲地の古い神社は幾度も津波に襲われ、建つべき位置を学習した結果、そこにある。近くの上山(かみのやま)八幡宮の女性の禰宜(ねぎ)・工藤真弓さんが教えてくれた。「私の実家、上山八幡宮は元は防災庁舎の近くにありました。しかしチリ地震津波(1960年)で被害をうけ今の高台に移転したのです。それで今回は助かりました」

 上山八幡宮は移転を繰り返している。はじめはもっと高台にあったが1800年ごろに、防災庁舎の近くにうつされた。遠藤未希さんが最後まで避難を呼び掛けて亡くなり町長らが屋上の鉄塔手すりにしがみついて助かった、3階建てのあの建物の横だ。そこは標高1メートルに満たない土地。しかも地名は「塩入」だ。江戸時代、津波高潮の被害を塩入とよんだ。津波被害が繰り返される場所が塩入もしくは塩入田とよばれているのを何カ所もみた。塩入という地名のついた場所に防災庁舎を建ててはいけなかったのである。

 チリ地震津波のとき塩入にあった上山八幡宮は、4メートル近い津波の直撃をうけ拝殿と社務所に浸水。境内の樹木はみな枯れた。のちの高潮被害もあり標高19メートルの高台に移転。今回、事なきを得た。「神社の石段を登った鳥居まで津波がきた神社が多かった。うちもそうでした。昔の人は津波の到達点を鳥居で示したのかと神職仲間は言っています」(工藤さん)。これは津波の時、高台の古社に逃げこめば助かりやすいことを示している。事実、南三陸の戸倉小学校は津波で20メートルも浸水したが教員らが近所の五十鈴神社に児童を誘導。津波のなか神社の境内だけがポッカリと島のように浮かび、助かった。

 大川小学校遺族の男性は私の目をみて言った。「歴史を知るのが何より大切です」。彼の黒いかばんのなかに歴史津波の専門書がぎっしりと詰まっていたのが忘れられない。

『森の力』:杉山正明・京都大教授による書評(2013年7月14日付読売新聞朝刊より)2013/07/14 16:11

『森の力』:杉山正明・京都大教授による書評(2013年7月14日付読売新聞朝刊より)


それにしても、本書に漲るこの力強さは一体なにか。
もし心が少し萎えた時、この一書を読んで下さい。
きっと、ふるい立たせてくれるメッセージがそこにあります。
そして、あなたに勇気を与えてくれるでしょう。
本書は、人生への応援歌かもしれません。

それにしても経験に裏打ちされた凄みを痛感せずにいられない。
心より敬意をこめて。


宮脇昭『森の力 植物生態学者の理論と実践』(講談社現代新書)
http://www.amazon.co.jp/dp/4062882043/ref=cm_sw_r_tw_dp_3Lhqrb1MARA4X
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杉山先生へ

「凄み」に気付いて下さり、本当にありがとうございます。
実はこの本に登場する「凄み」の原点は私のブログにあります。
私なりの思いを込めて、「凄み」を入れておきました。
そのブログの日付は福島以前にさかのぼります。

地球の凄み: Nausicaa in Chernobyl's forest
http://y-sonoda.asablo.jp/blog/2009/05/26/4323757

白洲正子の世界 道行抄「かくれ里」を旅する [DVD]2013/07/13 12:30

白洲正子の世界 道行抄「かくれ里」を旅する [DVD]


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「自然に育てられているんじゃないでしょうか、日本人は」

「(今はもう)山川草木の声を聞く力を失ってしまいました」

「(それでも)いずれ気がつくんじゃないかと」

「昔にかえれと言ってるわけじゃないのよ。昔にはかえれませんからね」

日経:巨樹の神威仰ぎ撮る―巨樹写真家高橋弘氏2013/06/28 10:05

日経:巨樹の神威仰ぎ撮る―巨樹写真家高橋弘氏


<記事引用>

巨樹の神威仰ぎ撮る―巨樹写真家高橋弘氏(文化)
2013/06/28 日本経済新聞 朝刊

 出合うと、まず手を合わせる。私なりの挨拶(あいさつ)である。そして周囲を何度も回る。1人では抱えきれないほど幹が太くて、てっぺんも容易に見えない巨木は、初対面ではなかなかいいアングルを教えてくれない。納得いく写真は2度、3度と訪れてようやく、撮れる。

 日本の巨樹・巨木を撮り続けている。28歳のころから、25年になる。

 カメラメーカーに勤めていたこともあり写真は昔から趣味で、国内の史跡によく出掛けていた。そんな中、福島県・会津で幹の直径が3メートルに及ぶスギに出合った。その圧倒的な重量感、存在感が忘れられなかった。調べると、日本には7万本近くもの巨樹がある。それを一つ一つ訪ねるところから、撮影は始まった。

 ∧ ∧ ∧

 世界屈指の多種多様さ

 巨樹とは環境省の定義に従えば、高さ1・3メートルのところで幹周りが3メートル以上の樹木を指す。現在7万本弱というのは、確認されたものという意味で、実際にはまだまだあるはずだ。スギ、クスノキ、ケヤキ、イチョウ、カツラ、イチイ、モミ……。日本は巨樹の数と、その多種多様さにおいて、世界で屈指だ。

 これまで3100本ほどを撮影した。延べで1万本になる。現在は東京・奥多摩町の日原森林館で解説員をしながら、各地で撮り歩いている。8年前からは環境省の巨樹のデータベースの管理もしており、新発見の情報も入る。数年前には熊本県で、日本で2番目に大きいイチョウが世に出た。幹の直径は5メートル、幹周りが16メートルもある。

 巨樹は、山奥にあるとは限らない。熊本県のイチョウもそうだが、むしろ人里の方が多い。よく見つかるのは、神社や寺の境内だ。ある地域の「神木」となれば、伐採されることなく大きく育つ。その木を、地元の人は見慣れているがゆえに、巨樹としての価値をなかなか認知しないのだ。

 巨樹のあるところは、人が暮らしやすい場所だともいえる。南からの日差しと水があり、強風があたらない土地。例えば北側に山のある、山と平地のきわのあたりでよく発見される。いわゆる里山と呼ばれる場所は、巨樹の宝庫でもある。巨樹は、日常風景の延長線上に存在するものなのだ。

 山間部まで日本中を徹底的に調査すれば、もっともっと現れるだろう。現在では幹周りが25メートルほどのものが日本最大とされているが、それ以上の木もあるはずだ。

 ∧ ∧ ∧

 失礼を働くとバチが

 数百年から千年以上の樹齢を持つ巨樹はいわば地球で最大・最長寿の生命体である。人間の常識を超越した存在、神が宿るもののように感じられる。出合ってしばらく、放心状態になることも多い。撮影の際は、半日はねばる。晴れの日よりむしろ、曇りや霧雨の日の方がいい写真が撮れる。

 うっかり失礼を働くと、バチが当たると思っている。撮影前に手を合わせるのを忘れたり、直接実や葉を採取しようとしたりするとケガをしたり、体調を崩したりするのだ。こうした巨樹は伝承のあるものも多く、ヤマトタケルや空海、親鸞、平家の落人、八幡太郎(源義家)らの「お手植えの木」だと伝えられるものも少なくない。

 山中を2時間もさまよって、遭難しかかったこともある。ようやく見つかった一本道の先に、日本一のヒノキはあった。東京都の御蔵島は巨樹が多い土地だが、海が荒れて船が接岸できない日が多い。しかし台風の合間に1日だけ上陸でき、念願だったシイの巨木に出合うことができた。

 巨樹には蛇のようにうねった木、あちらこちらに伸びて暴れているような木も多く、私はそうしたアクの強い木が特に好きだ。カメラと共にメジャーや樹高計も25年前から持ち歩き、幹周りや高さを測る。

 ∧ ∧ ∧

 震災、大半が無事

 東日本大震災後は、東北の巨樹も見て回った。大半が無事に残っていた。多くが高台の神社や寺の境内にあったためだろう。石段の最上段まで津波が来た、という話もよく聞いた。境内のすぐ下で水が止まったというのだ。やはり巨樹は、人が安全に暮らせる場所を示しているのだろう。

 国内の巨樹を探しつつ、少しずつ海外でも撮影したい。例えば台湾にあるタイワンヒノキは、幹周りが25メートルを超えるものが数多く存在する。そして世界最大の巨樹、セコイアデンドロン。米国・カリフォルニアに多いが、幹周りは30メートルを超え、日本の巨樹たちの3倍はありそうな印象だ。世界の巨樹も、私にいいカメラアングルを教えてくれるだろうか。(たかはし・ひろし=巨樹写真家)

【図・写真】筆者が撮影した宮崎県・諸和久のカツラ

池内紀氏書評=『森の力』(講談社現代新書)、週刊ポスト2013年7月5日号2013/06/26 07:57

池内紀氏書評=『森の力』(講談社現代新書)、週刊ポスト2013年7月5日号


壮大な「宮脇方式」による森づくりの原点に、
忘れられたような小さな「鎮守の森」がある。

カミのいますところとして強欲な人間も、
おもわず伐るのをはばかってきたシミのような地上の一点。

それこそ果敢な行動力のヘソの緒として理論と実践の正しさを保証している。

フレデリック・バックの神話的なアニメーション「木を植えた男」が、
麦わら帽の老植物生態学者とかさなってくる。

見渡すかぎりの荒廃地に、緑の点が一つ。

そして「森の力」は祈りの言葉で終わっている。