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本家タタリガミにもタタられそうな小沢という名のトンデモタタリガミ2011/01/07 08:13

本家タタリガミにもタタられそうな小沢という名のトンデモタタリガミ


1月5日、小沢一郎は神社をはしご。
下谷神社に続いて訪れたのは、湯島天神と神田明神。

平野貞夫に影響されて菅原道真と平将門からタタリガミパワーを授かろうとでも?
格が違うと本家タタリガミにもタタられそうな小沢という名のトンデモタタリガミ。

わざわざ神戸まで出向いて、湊川神社の楠木正成にも会いに行きそうな勢い。
そこまでしたら、やはりこの人完全ビョーキ。

その際はぜひ大阪の今宮戎も。
商売繁盛の「えべっさん」の方が小沢には似合っている。


<関連記事引用>

離党要求の仙谷氏 小沢氏は神社をはしご(01/05 19:55)
http://news.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210105032.html

 仙谷官房長官は、民主党の小沢元代表が強制起訴されれば自発的な議員辞職や離党を求める考えを示しました。当の小沢氏は、5日は神社をはしごです。

 下谷神社・阿部明徳宮司:「自分(小沢氏)が生まれた時に関係があったその神社に、久しぶりにご参拝になるというのは、意義深いことだと思います」

 小沢氏が訪れたのは、東京・台東区の下谷神社です。「自分が生まれた場所の神様にお参りしたい」という本人の希望で、朝になって急きょ、参拝が決まったということです。小沢氏はこの後、文京区の湯島天神と千代田区の神田明神にも相次いで訪れました。

 こうしたなか、仙谷長官は小沢氏に対し、強制起訴された場合、出処進退を過去の例などを参考に判断するべきだという考えを示しました。菅総理大臣と同様に議員辞職も含めた対応を促し、圧力を強めています。


<関連記事>

平将門から読み解く「小沢の乱」 (2)平野貞夫が語る妙見信仰の朝敵DNA
http://y-sonoda.asablo.jp/blog/2010/01/31/4848945

小沢の民主党代表選出馬阻止のネガティブ・キャンペーン勃発か2010/07/20 08:02

小沢の民主党代表選出馬阻止のネガティブ・キャンペーン勃発か 「世論調査|報道ステーション|テレビ朝日」より 


昨日公開された二つの世論調査。それは、民主党関係者、特に小沢一郎周辺にいる人たちの背筋を凍りつかせるほどの衝撃内容。

民主党支持者寄りと見られるリベラル系テレビ朝日「報道ステーション」の世論調査では小沢が代表選に立候補するべきと答えた人はなんとたったの13%。立候補するべきだと思わないと答えた人は80%にのぼる。

一方で産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)の合同世論調査は、まさに小沢が主人公。ネガティブな調査結果がズラリと並ぶ。

それはまるで小沢の民主党代表選出馬阻止を狙ったかのような世論調査。左右からのネガティブ・キャンペーンのようにも見えてくる。

それでもインターネットを中心に熱狂的な小沢信者がいるのも事実。副島隆彦グループと陰謀系サイトの阿修羅の一部が小沢教総本山。小沢を反米の神として崇めている。なにやらここに外国人地方参政権を熱烈に支持したい人たちも紛れ込んでいるとかいないとか。おそらく彼らも必死になってマスコミ批判を絡めた反撃に出ると思われるが、世論を動かすほどの影響力などない。

単なる過大評価にも見えるが、これほど注目される小沢もたいしたもの。ここまで来れば誰がやっても同じこと。ならばここは思い切って「小沢首相」という火遊びに興じてみるのも悪くない。

その時おそらく日本は割れる。それはさながら南北朝動乱。しかも今度は米中韓北までもが参戦。そしてまたもや焼け野原。

小沢はそれを狙っているのか。小沢目指すは平成の楠木正成なのか。


<小沢関連世論調査>

▼世論調査|報道ステーション|テレビ朝日
【調査日】2010年7月17・18日(土・日曜日)【調査方法】層化二段無作為抽出(全国125地点)
【対象】1000人【有効回答率】58.1%
http://www.tv-asahi.co.jp/hst/poll/201007_2/index.html

代表選に小沢氏出馬すべき?

民主党内には、9月に予定されている代表選挙に、小沢前幹事長が立候補するべきだとの意見があります。あなたは、小沢前幹事長は立候補するべきだと思いますか、思いませんか?

思う 12%
思わない 80%
わからない、答えない 8%


▼産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)の合同世論調査
17、18両日実施
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100719/stt1007191802007-n1.htm

・民主党の小沢一郎前幹事長の「政治とカネ」問題に関し、82.9%が「小沢氏の政治責任の取り方が不十分だ」と答えた。

・小沢氏の政治資金問題では、東京第1検察審査会が15日に平成19年分の政治資金収支報告書への虚偽記載容疑に関し「不起訴不当」と議決した。これに関し、「小沢氏の説明は十分」との答えは7.8%にすぎず、90.0%は「説明は不十分」と回答した。

・小沢氏は鳩山由紀夫前首相の退陣に伴い、党幹事長を辞任したが、「政治責任を十分取った」としたのはわずか12.9%だった。小沢氏が国会などでの説明責任に応じないことなどを受け、批判がなお根強いことをうかがわせる。

・小沢氏が参院選で首相方針に異を唱えたことが民主党にとって「よくなかった」が75.4%にのぼった。


<関連サイト>

世論調査|報道ステーション|テレビ朝日
http://www.tv-asahi.co.jp/hst/poll/201007_2/index.html

菅内閣の支持率34.3%に下落 不支持が支持上回る(動画あり)
http://news.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/200719023.html

小沢氏が八丈島へ 趣味の釣りはせずに帰京か (動画あり)
http://news.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/200719015.html

【世論調査】「小沢氏の政治責任不十分」83%、内閣支持率続落40% 「菅首相続投に理解」65%
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100719/stt1007191802007-n1.htm

菅内閣支持率40.3% 民主・手塚副幹事長「菅総理以下、党執行部としても前進あるのみ」
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00181026.html

国民統合の象徴たる天皇を安直に利用していいのか 東大教授・山内昌之2009/12/17 09:31



山内教授はともかく、靖国担ぐ産経さんだってあまり偉そうなことは言えないはず。
「玉(ぎょく)」については拙著「隠された皇室人脈」も参考にしてください。


<関連記事引用>

【幕末から学ぶ現在(いま)】(41)東大教授・山内昌之 玉松操
2009.12.17 08:05
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/091217/acd0912170807002-n1.htm

「玉」と「旗」の高い代償

 中国政府の希望をいれて、内政のルールを曲げながら、習近平副主席に天皇陛下との会見の機会を与えた鳩山由紀夫首相と平野博文官房長官の姿勢に、各界から疑問や批判が寄せられている。

 首相官邸は、民主党の小沢一郎幹事長も強調する賓客の重要性に気をとられたせいか、ルールを破った対応が民主主義国家と象徴天皇制の原理にかかわる微妙な問題に波及することを洞察できなかったようだ。

 詳しくは本紙1面コラム「歴史の交差点」(12月15日付)でも触れておいたが、官邸の歴史感覚と政治センスの鈍感さには驚くほかない。国民と全政党の良識がほぼ一致して今回の官邸による措置に疑問を呈する理由は、国民統合の象徴たる天皇を政治の判断によって安直に利用したと解釈されても仕方のない点にある。

 ◆大胆な天皇政治利用

 ここで「玉(ぎょく)」という言葉を思いだした人もいるに違いない。幕末に長州藩の過激派志士たちは尊皇を語りながら、いかに天皇を政治の切り札として自らに有利な具合に使うかを考えていた。そこには天皇に対する真の尊敬心を疑わせるような雰囲気さえあった。

 木戸孝允や大久保利通ら政治工作に巧みだった薩長の人間は、幼少の明治天皇を隠語で「玉」と称して、ひそかに抱え込み、「玉」の威力で官軍を名乗ることに成功したのであった。

 これは最も大胆な天皇の政治利用にほかならない。この時に、錦旗を考案して討幕軍を鼓舞したのが玉松操である。

 東海道や東山道を下る軍の先頭を飾った日月章の錦の御旗と菊花の紅白旗は、そのまま古代から公の旗として格別に使われていたわけでない。下級公家出身の玉松の工夫したデザインは、あたかも朝廷に長く伝えられた由緒ある制式の旗でもあるかのように各地の人びとを心服させる魔法の役割を演じた。

 しかし、岩倉具視という稀代(きたい)の陰謀家の腹心として、倒幕のために天皇を「玉」とし、その手段たる錦旗を考えついた薩長のマキャヴェリアンたちに加担したつけは大きかった。

 ◆新政府の立場と対立

 玉松操は、大国隆正に師事した国学者であったが、幕末維新期の岩倉具視と常に行動をともにし、彼の活動を文才や学識で助けた。

 ことに小御所会議で示された王政復古の勅を起草したとき、彼の書いた格調高い文章は公卿(くぎょう)や大名たちを驚かせている。王政復古の大業にあたって、官職や制度を建武新政でなく、神武創業に基づくことを岩倉に勧めたのも玉松であった。しかし、維新後に大学寮(漢学所)を国学中心の大学官(皇学所)に統合することを求めるなど、「尊内卑外政策」を信奉する保守感覚は、文明開化を国是とする新政府の立場と相いれず、岩倉とも対立するようになった。

 東京では大学中博士兼侍読という「皇国学」を指導する役どころを与えられた。しかし、政府の欧化政策は彼の国学的世界観と合うはずもなく、辞職して京都に帰り、失意の中まもなく病没した。

 明治維新当初の復古精神の一翼を担った玉松としては、新政府の開国主義や洋学採用の方針には憤懣(ふんまん)やるかたない気分であったろう。しかし、鬱勃(うつぼつ)たる心で世を去った彼は、幕末薩長の倒幕リーダーたちが天皇を「玉」と呼ぶなどプラグマチックな活動家だったことを知っていたはずだ。

 そのうえで、「玉」という考えにあたかも象徴的権威を与えるために「旗」を考案したのだから、新政府が倒幕を実現して想像以上の欧化主義を採用したとしても自業自得というところであろう。

 理想家が術策家と手を結んだ代償は、相当に高くつくことだけは現代でも変わらないのだ。(やまうち まさゆき)



【プロフィル】玉松操

 たままつ・みさお 文化7(1810)年、京都生まれ。本名、山本真弘。醍醐寺の僧となり、大僧都法印に任ぜられたが、寺中の綱紀粛正のために唱えた僧律改革が受け入れられず、還俗。山本毅軒(きけん)と号し、さらに玉松操と称した。京都で国学者の大国隆正に学んだ後、私塾を開いて勤王の大義を説いた。門人の紹介で岩倉具視と知り合い、謀議に参画して王政復古の勅を起草。維新後、内国事務局権判事、侍読(じどく)を務めるが、政府の政策と意見が合わず、辞職した。明治5(1872)年、63歳で死去。


【歴史の交差点】東京大学教授・山内昌之 誰にも公平に、天皇と外交
http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/091215/imp0912150253000-n1.htm

小沢に取り憑くタタリガミ2009/12/13 08:41








暴走を始めた小沢一郎。その背後にタタリガミの復活を感じ取る。
小沢と同じく奥羽越列藩同盟の血が流れる新渡戸稲造。
その新渡戸が架けた太平洋の橋をぶっ壊すほどの勢い。

そして、予測どおり長州の安倍晋三が登場。やはりこの人は空気読めないチャンピオン。
安倍が鳩山政権に対して暴走を口にするとタタリガミはますます興奮するに決まっている。

小沢はこう思っているに違いない。
長州こそ暴走癖があるではないか。皇室の政治利用とて長州の得意技。
長州にだけは文句を言われたくない。

長州のタタリガミが奥羽越列藩同盟の東条英機を経て小沢に乗り移っただけ。
そして今、長州の関ヶ原の戦い以来250年の怨念と奥羽越列藩同盟の戊辰戦争以来150年の怨念がぶつかり合う。

またしても日本に南北動乱の危機迫る。
宮内庁の羽毛田信吾長官が不快感を表明するという極めて異例の事態はこの危機の深刻さを物語る。
プロテスタント(天皇陛下)とカトリック(皇后陛下)のネットワークが警告を発しているのか。

悲しみと怒りに潜むまことの心を知るために、小沢も安倍も森に帰るが良い。


<関連記事引用>

「皇室の政治利用」と批判=自民・安倍氏
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009121200334

 自民党の安倍晋三元首相は12日付のメールマガジンで、鳩山由紀夫首相の要請で天皇陛下と中国の習近平国家副主席との会見が特例的に実現することに関し「皇室の政治利用だ」と厳しく批判した。

 安倍氏は、特例措置について「中国の胡錦濤国家主席から小沢一郎(民主党)幹事長訪中団に対する異例の大歓待を引き出すための約束だったからではないか」と指摘。同時に「陛下のご健康への配慮から決められたルール(1カ月前までの要請)を破り、陛下を自分たちのために政治利用したことになる。この政権の暴走は危険水域に入った」と断じた。(2009/12/12-23:04)


<関連記事>

特例会見、小沢氏が要請…「政治利用」批判強まる
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091212-OYT1T00915.htm?from=top

鳩山 幸 語られざる「血脈」「父との別れ」(『週刊文春』中吊り広告より)2009/10/01 09:27

鳩山 幸  語られざる「血脈」「父との別れ」(『週刊文春』中吊り広告より)


鳩山幸の父の名は楠瀬幸雄。
週刊文春では「くすせさちお」となっていますが、正しくは「くすのせさちお」だと思われます。

母の名は橋本秀子、その父は橋本楠治(はしもとくすじ=鳩山幸の母方の祖父)でキリスト教信者。

鳩山幸はクスノキ・ファミリーの権化のような人。
クスノキの因縁が今蘇る。

「昭和の教祖」こと安岡正篤と楠木正行2009/08/06 08:02

南朝後裔を名乗った安岡正篤


「俺は、楠木正行を助けて南朝のために戦死した堀田弥五郎正泰の末裔だ」

 安岡は、生涯のあいだに何十回となく周りの人たちにこんな話をして祖先と血統を自慢した。
 
 全国師友協会残務委員会発行の『安岡正篤先生流芳録』に収録されている上松貞治郎の「津島神社と安岡先生の先祖」という一文によれば、昭和二十七年(一九五二年)七月、愛知県を訪れた安岡は、上松にもつぎのような話をしたという。

「自分の実家の堀田家は尾張の出身で、尾張の津島神社の近郊に堀田庄の主として栄えていた。津島神社の境内の一隅に、堀田弥五郎正泰が、堀田の姓祖は武内宿禰を夢見て、武内宿禰を祭神とする立派な社殿を建立し、今も堀田弥五郎殿として祭られている筈である。その後、堀田弥五郎正泰は楠木正行に味方して四条畷で戦死している。また佐倉の元大名、堀田家は、姻戚の稲葉家に再婚した春日局が徳川家康に推挙して、堀田の一族中より大名に取り立てられたのである。堀田家の系図一切は自分が保管していたが、戦災により惜しくも全焼したので、一度、津島神社と堀田弥五郎正泰に参詣したいと思っている。」

以上、「安岡正篤 昭和の教祖」塩田潮(文春文庫) 第三章「南朝の後裔」より引用
http://www.amazon.co.jp/%E5%AE%89%E5%B2%A1%E6%AD%A3%E7%AF%A4%E2%80%95%E6%98%AD%E5%92%8C%E3%81%AE%E6%95%99%E7%A5%96-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%A1%A9%E7%94%B0-%E6%BD%AE/dp/4167516020/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1249479955&sr=8-2


<画像引用>

安岡正篤プロフィール
http://www.chichi-yasuoka.com/profile.html

カーメン・ブラッカー追悼:「神道と自然の聖なる次元」2009/07/25 18:42

カーメン・ブラッカー Carmen Blacker


日本人でさえ神道と国家神道の区別がつかない人が多いと聞く。
そうした中で、本来の神道の良き理解者であったカーメン・ブラッカーさんが逝去されました。

ご冥福をお祈りしつつ、ブラッカーさんの「神道と自然の聖なる次元」を紹介させていただきます。


「神道と自然の聖なる次元」
ケンブリッジ大学東洋学部 カーメン・ブラッカー博士
http://www.shinto.org/isri/jpn/drcarmen.htm

 神道を研究し,その神々への畏敬をもちはじめてから30年,私は,神道が我々をとりまく世界についての新しい見方を示すことができると確信している。神道は,自然物には神聖な次元があること,そして空間は均質ではなく,「完全に異なる」ものの存在で占められる場所が実際に存在することを,我々に思い出させてくれる。

 では始めに,この新しい学会が世界中に知らしめたいと考えている神道は,近年において古来の信仰から破滅的な逸脱をした国家神道ではないことから始めよう。この歪曲された信条はいったい何であり,いかにしてそのような力にのし上がったのだろうか?

 ご存知のように,日本には1868年に明治維新として知られる歴史的大変革がおこった。徳川幕府の下での封建制度は廃止され,日本は歴史上初めて,東京にいる天皇と,この大変革をもたらした進取の気性を持つ少数の男たちの支配の下に統一された。

 この変革は政治的,制度的なものにとどまらず,精神的,心理的なものでもあった。1868年にできた新政府は,消滅した将軍政治と京都御所に隔離された神秘的で目に見えない天皇とに支配され,それぞれの君主に絶対忠実であった,封建領主たちのゆるやかな連合体であった。こうしたばらばらの人々には,新しい神話,新しい思想が不可欠だった。つまり,彼らが統一された同一性と運命意識を持ち,「一つの心と一つの精神」に結びつける神話である。この新しい神話は,宗教的裏付けによって明確に支えられ,正当化されねばならない。

―明治の為政者が選んだ神道―

 アジアの他の国には仏教に帰依した著名な皇帝や王たちがいたが,明治政府の為政者たちがよりどころにしようとした宗教は仏教ではなかった。彼らはインスピレーションにより,日本古来の宗教である神道を選んだのである。

 だが,実のところ,l868年以前に存在した神道以外には,明治政府の目的にそった強力な材料はほとんど見つけられなかったようだ。どの宗教も,統一され特に選ばれた民族の新しい神話の基盤を形成する可能性はほとんどなかった。

 もともと,神道という語そのものは,宗教的な信仰や崇拝の膨大な広い分野を包含していた。それはまず数千の現象を包含していて,数万とは言えないまでもたくさんの小さい独立した神社が日本全国に点在し,「神」と呼ばれる無数の神霊を祀っていた。それらの神は,多くの異なった霊的な起源をもち,まったく多種多様であった。それはたとえば,神格化された祖先であったり,宥められた怒れる怨霊,神聖な木々や湖水,男根石のこともあり,また特定の芸術や技能に天分ともいえる超自然的な技を授ける力であったりした。こうした聖なるものは、遠い有史前にまでさかのぼるものもあり、最近のものもあったが、どれもすべて「神」という同じ一般名称で呼ばれたのだった。

 日本民族に他の国民とは異なる特別の誕生の場と役割を与え,日本人は比類なく特別な国民であり,共通の聖なる起源と宿命によって,ともに結びつけられているのだと論証することだった。この目的のために為政者たちが巧妙に利用したのは,8世紀に作成された古事記の古典神話だった。それにより,l868年以前には多くの地方で知られていなかった太陽神の天照大神が,以前にはまったく享受することのなかった最高の栄誉を受けることになった。天照大神は皇室の祖神であると宣言され,そこから発した天皇の継承は,現在まで連綿として続き,その世襲によって日本は他の国にはない比類なく神聖な特性が授けられているのだとされた。天照大神を祭神とする伊勢神宮は最高の地位と名誉を与えられ,大神をめぐる神話は「全日本国民の太古からの遺産」であると宣言された。

 中でももっとも重要なことは,天皇が2000年以上も離れることのなかった京都での隔離生活から,新しい首都である東京に御所を移されたことだ。そこで天皇は異常なほどの権力をもつ宗教的で象徴的役割を担わされた。天皇は太陽の女神の直系の子孫であり,日本を祖神に結びつける黄金の鎖の生きた環だった。天皇は神道の最高神官であり,忠誠や献身といったすべての感情の対象であり,天皇のために死ぬことは日本人の最高の名誉とされた。

―1945年に崩壊した国家神道―

 この神格化された姿に対する崇拝は,そのうつわとなり媒介者となった人間とはほとんど無関係に,学校や大学で容赦なく教えこまされた。天皇の肖像は聖像として崇拝され,1890年に出された天皇の勅語は聖典としてあがめられた。1868年以降のさまざまな戦争で天皇のために死んだ人々は,英霊として靖国神社に手厚く祀られた。また,学校での教化は警察の活動によって裏打ちされ,国家神道との関係が悪いとみなされた信仰は不敬罪の嫌疑で抑圧された。

 こうした政策は第二次世界大戦中に頂点に達し,国家神道のこの奇妙で非現実的な体制が崩壊したのは.1945年になってからだった。敗戦後の日本に入った占領軍は,すぐにこの崇拝に関係するすべてを廃止し,日本人に各々が好む宗教を崇拝し,その宗教集団を設立する完全な自由を与えた。また,ただちに天皇が自ら人間であり,いかなる神格も有しないことを宣言するように求めた。

 このようにして宗教としての神道は,1868年以前とほとんど同じ状態に戻された。独立した小神社が激増し,大神社が分社を有して繁栄する一方,特定の神と特別の関係があると宣言するカリスマ的教主によって設立された新しい教団が,それまで絶対無敵の地位を保っていた国家神道の崩壊によって生じた空白を埋めるべく,雨後の筍のように日本全国に出現した。

 ここに私の第一のポイントがある。国家神道とは,長い間日本で平和的に存在し,独待かつ自然な方法で日本の文化,文学,民間伝承を活気づけていた信仰を,近年において逸脱させたものである。この話は,新しい民族国家を団結させるためだけでなく,その国家が文化の真の伝承とまったく相いれない全体主義的狂信によって破滅に追い込まれるために.神話や宗教の強力な象徴が巧みに操作され,いかに利用されるかについて,我々に教訓を与えてくれる。それはまた,歴史学者ヒュー・トレバ・ロパーが「伝統の発明」と呼んだものによって,どのような破壊が引き起こされるかについて,思い出させもする。

 私は様々の方面から質問を受けているので繰り返すが,この新しい神道国際学会の組織者たちが海外に普及しようと努めているのは,国家神道ではない。いったいそんな考えが,国際的な訴求力を持つことがありえようか?我々は天皇崇拝とか,日本の特別な宿命の復活などについて,恐れる必要はない。これから探求され,提示されるだろうと我々が期待するものは,より古く,またより普遍的なものである。それは常に日本文化の一部であって,同時にどこででも理解されうるものである。

―日本文化の根源への回帰―

 神道は,自然界が我々の享楽のためだけに設置された機械ではないことを,我々に思い出させてくれる。神道は,自然に対する畏敬や尊敬の念をよびおこし,我々はその巧妙な組織の一部分であり,搾取者であってはならないという直観を起こさせる次元を持っている。神道は,まわりの世界を新しい目で見直す助けとなり,我々の祖父たちが迷信として捨て去ったり,宣教師たちが偶像崇拝として愚弄しようと努めたものが,本当は本質的なものであり,長い間顧みられなかった真実を秘めていることを,我々にわからせてくれるのだ。

 以上のように,私は,このような日本文化の不可欠な要素である神道の普及を歓迎するものである。神道は日本に対してのみならず,世界に対し,より広範な意味を持つからである。それゆえ私は,神道国際学会が名前に「国際」という文字を冠していることを歓迎し,我々がこの古来からの,だが忘れさられていた経験の次元を,卒直に学び直すことができることを期待している。


<関連記事引用>

カーメン・ブラッカーさん死去(英国の日本文化研究者)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200907/2009071500952

 カーメン・ブラッカーさん(英国の日本文化研究者)英紙タイムズによると、13日死去、85歳。死因は明らかにされていない。
 24年生まれ。戦前から日本語を学び、戦後間もなく慶応大学で福沢諭吉を研究。82~84年に英国民俗学会長、97年に南方熊楠賞を受賞。ケンブリッジ大など日米英の大学で活動し、日本文化の研究と紹介に貢献した。(ロンドン15日時事)(2009/07/15-21:48)


<画像引用記事>

Carmen Blacker: Japanese scholar and teacher
http://www.timesonline.co.uk/tol/comment/obituaries/article6709795.ece

福山雅治の「龍馬伝」と楠木正成2009/07/24 21:56

NHK「龍馬伝」  2010年の大河ドラマは坂本龍馬の生涯を描きます


<関連記事引用>

若宮稲荷神社にも“龍馬の像” 「亀山社中」跡からお引っ越し
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20090706/02.shtml

 日本初の商社、「亀山社中」跡(長崎市伊良林2丁目)から若宮稲荷神社(同)に移された「坂本龍馬之像」の除幕式が5日、同神社境内であった。関係者は来年放送のNHK大河ドラマ「龍馬伝」に向けて新たな観光名所となることを祈願した。

 坂本龍馬之像は、青銅製で高さ1メートル、重さ80キロ。同市伊良林3丁目の風頭公園に立つ龍馬像の原型で約3分の1の大きさ。

 銅像は1991年から亀山社中跡の庭内に置かれていた。社中跡を資料館として8月にオープンすることが決まり、復元工事をするため、土地所有者が市に銅像の移設を求めていた。

 同神社は社中に近く、龍馬が崇拝していたとされる南北朝時代の武将、楠木正成が祭られており、社中の志士が参詣したという言い伝えがあることなどから移設場所に決まった。

 除幕式には関係者ら86人が出席。市民グループ「亀山社中ば活かす会」の針屋武士会長は「龍馬ゆかりの地で、建立にふさわしい場所。これを機にドラマが大成功してほしい」とあいさつ。龍馬像を制作した彫刻家の山崎和國さん(74)は「龍馬像の背に広がる風景も素晴らしく、この地なら申し分ない」と話した。


<画像引用>

NHK「龍馬伝」 2010年の大河ドラマは坂本龍馬の生涯を描きます
http://www3.nhk.or.jp/drama/html_news_ryouma.html