杉原千畝の真実 ― 2010/02/20 16:34
<関連記事引用>
自由への逃走 PART2 杉原ビザの謎(16) 情報の見返り、発給決断?
1995/04/17中日新聞朝刊
ポーランド諜報機関通じ独ソの動向探る
杉原千畝(ちうね)が、ドイツのケーニヒスベルク総領事館からルーマニアのブカレスト公使館に転勤となる四カ月ほど前の、一九四一年八月。ある極秘報告書がドイツの国家保安本部で作成された。タイトルは「帝国における日本人スパイについて」。その冒頭に挙げられた“スパイ”の名はスギハラだった。
「三九年当時、カウナスに駐在していた杉原は、ポーランドと英国に好意的で(中略)カウナス時代から知り合いで、彼から日本国籍を手に入れたペシュというポーランド人は、ケーニヒスベルクでの杉原の秘密情報機関に属している」
そして、単刀直入に「杉原が引き続き(ケーニヒスベルクで)職務を続けることは、日独関係を危険に陥れる。(中略)州長官は、杉原の解任を外務省を通じて手配する考えである」。杉原の異動は、ドイツからの圧力のため――とのうわさは本当だったようだ。
報告書にあるペシュことダシュケビッチ陸軍中尉。独ソに母なる大地を踏みつぶされ、ロンドンに亡命政府を構えたポーランド共和国が、ドイツ支配地域に放ったスパイである。
ペシュや杉原が戦後になって書いた未公開の手記が、ワルシャワ大学日本語学科のエバ・ルトコフスカ助教授の手元にある。助教授の共同研究者アンジェイ・ロメルが手に入れたものだ。来月発行されるポーランド研究誌「ポロニカ」第五号に、その一部が載る。
手記の中で、杉原はカウナス領事館開設が陸軍参謀本部主導で決まったという事実を指摘し、こう書く。「国境地帯でのドイツ軍の集結状況(中略)について、参謀本部および外務省に情報を送ることが私の任務であることを理解した」
ドイツがソ連をけん制すれば、日本の極東戦略は大きく変わる。参謀本部は、独ソ双方の情報を入手するため、以前からポーランド亡命政府の情報機関と協力関係を保っていた。たとえポーランドが盟邦ドイツの敵であっても、背に腹は代えられぬ、というわけだ。
妻幸子が今も「子供好きな人」と振り返るペシュらと、杉原は領事館などで頻繁に接触し、情報提供を受けた。無論、ペシュらにも見返りがあった。
杉原は、ナチスドイツの魔手から彼らを守るため、領事館書記生などと偽って日本や満州国のパスポートを手渡した。彼らがロンドンの亡命政府に報告書を送るには、日本の外交ルートが使えるようにした。
さらにもう一つ、彼らが杉原に求めたことがある。ペシュは書いている。「私は杉原から(ポーランド難民のための)日本経由の通過ビザ発給の決定をもらうことになっていた」。そして、杉原はビザを出し始めた。四〇年夏のことだ。
杉原が難民にビザを発給した最初の動機は、自らの諜報(ちょうほう)任務のためだったのか。
それにしても、ポーランドの情報機関は、何の目的で難民への通過ビザ発給を求めたのだろう。ルトコフスカ助教授の見方はこうだ。「ポーランド人の難民を北米大陸などに逃がし、亡命者で結成されたポーランド軍に加わらせようとしたのでしょう」
殺到し始めた難民。ペン書きでビザを出し続けたため、杉原は手が痛くてしようがなかった。
「日本語でビザを書くのは面倒で、発給手続きの大きな障害になっているのです」。杉原の相談にペシュは答えた。「ゴム印を作って、一部だけを手で書くようにしたらどうです。何なら私が作ってきますよ」
杉原からひな型を受け取ったペシュは、諜報員仲間のヤクビヤニェッツ大尉に渡した。「彼は印を注文したが、その際、二つ作るように指示し、一つはビルナ(現在のリトアニアの首都ビリニュス)へ渡された。ビルナでも後に日本の通過ビザ発給が行われた」
ビザの大量発給を助けたゴム印と、存在がこれまでも語られていた偽造ビザ。それはポーランド情報機関によるものだった、という闇(やみ)の男の告白だ。
しかし、ペシュらのもくろみとは違い、押し寄せたのは、ポーランド人ではなくユダヤ人だった。
にもかかわらず、杉原はビザを出し続けた。もしポーランド情報機関への見返りというだけなら、ビザ発給をやめることもできたのではなかったろうか。=文中敬称略
自由への逃走 PART2 杉原ビザの謎(20) 「任務」と「時代」も背景に
1995/04/21中日新聞朝刊
受け入れの土壌読み、政府方針超えて発給
「査証(蘭=オランダ=領行敦賀上陸) 滞在拾日限 昭和十五年八月七日 在カウナス領事代理杉原千畝」
「杉原ビザ」とは、パスポートの一ページに書き込んだ、わずかこれだけの記述だった。だが、ユダヤ難民にとってはまさしく生への、自由への護符となった。
ビザを今も大事に保管している生存者たちは、同時に疑問も抱き続けてきた。「なぜ、スギハラは私たちを助けてくれたのか」
これまでの連載をふり返りながら、その答えを考えてみたい。
発給は「ひとえに杉原個人のヒューマニズムによるもの」と語る人は多い。大きな要因には違いないだろう。しかし、情の深さを示す青年期のエピソードはあっても、それ以上の杉原の人間形成の土壌をうかがわせる具体的な証言は、歳月の厚い壁もあって聞くことはできなかった。
ただ、多感な青春時代を送ったハルビンには多くのユダヤ人がおり、杉原自身交際もしていたという事実があった。彼らを間近に知ることで、偏見を持たずに済んだことは十分あり得る。少なくとも、日本でも喧(けん)伝された反ユダヤ思想には無縁でいられたのではないか。
ヘルシンキ時代、妻幸子はユダヤ人への差別的な隠語を周囲の日本人から聞いた。それを杉原に披露したところ、「そんなことを言うものじゃない」とたしなめられたという。
杉原研究を続け著書もある篠輝久(44)=横浜市青葉区=は、杉原の信仰心も理由に挙げる。ロシア女性との結婚を機にロシア正教の洗礼を受けた杉原は、晩年も聖書に親しみ続けた。
しかし、杉原を人道主義者としてヒーローに奉ってしまうことは、他の大きな要因を見逃すことになる。諜報(ちょうほう)活動という彼の任務だ。
杉原はポーランド軍スパイから情報を収集し、見返りにポーランド難民への日本通過ビザの発給を求められた。一九四〇年の春から初夏のことで、これが「杉原ビザ」の出発点になったのは、ほぼ間違いない。
だが、実際にカウナスの領事館に殺到した難民はポーランド人ではなく、ユダヤ人だった。スパイの手記には「私はあらゆる手続きでポーランド難民を優先的にした」とある。杉原は少なくとも途中からは、難民の多くはユダヤ人と認識して発給を続けたはずだ。
情報の見返りというだけなら、ユダヤ難民への発給は「余分なこと」だった。それをあえて続けたのは、杉原のヒューマニズムにもよるのだろうが、当時の日本の時代背景を抜きにしては考えられない。
日本政府は、ユダヤ難民について迫害などせず、財力や技術を持つ者なら積極的に受け入れる方針を、三八年末の五相会議で決めた。
ユダヤ人を利用して満州国への米国資本導入を図り対米関係の悪化も避けるという、打算的な構想ではあった。だが、ユダヤ人問題に詳しい宮沢正典・同志社女子大教授(61)は「当時の日本でも正常な部分があったあかし」とし、「これが杉原の支えになったのではないか。決定がなければ、大量発給は難しかっただろう」と見る。
後に外務省は「保証金を用意するなど条件が整った難民にだけ発給せよ」との訓令を出した。受け入れには消極的になったような指示だ。しかし、杉原は条件不備の難民にもほぼ無制限にビザを出した。彼がユダヤ人の「命の恩人」とされるのは、まさにこの点だ。
杉原は少々の条件不備は構わないだろうと、五相会議決定を「拡大解釈」したのかもしれない。満州国にも勤務したことで、後々も同国に関心を寄せ、情報を集めていた可能性は高い。「満州ユダヤ国」構想の存在も、五相会議の決定前後に満州国に多くのユダヤ難民が流入したことも知っており、「拡大解釈」を自ら許したのではないか。「難民は現実に受け入れられている」と。
「人間性」と「任務」と「時代状況」。どれか一つ、ではないだろう。この三つが絡み合った結果が大量発給につながったと見る方が自然な感じを受ける。
「杉原ビザ」とは、あの戦争の時代に日本という国家と杉原という人間が図らずも織り成した、共同の所産ではなかったろうか。=文中敬称略 (社会部取材班)
<お勧めサイト>
杉原千畝とロシア正教
http://nels.nii.ac.jp/els/110000470228.pdf?id=ART0000851927&type=pdf&lang=en&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1266650279&cp=
駐カウナス日本領事館臨時領事・杉原千畝夫人,杉原幸子氏との会談
http://www.l.yamaguchi-pu.ac.jp/archives/2009/internationalstudies/i09.pdf
駐ストックホルム・小野寺信武官夫人,小野寺百合子氏との会談
http://www.l.yamaguchi-pu.ac.jp/archives/2008/internationalstudies/11_watanabe.pdf
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