白洲正子の世界 道行抄「かくれ里」を旅する [DVD] ― 2013/07/13 12:30
白洲正子の世界 道行抄「かくれ里」を旅する [DVD]
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「自然に育てられているんじゃないでしょうか、日本人は」
「(今はもう)山川草木の声を聞く力を失ってしまいました」
「(それでも)いずれ気がつくんじゃないかと」
「昔にかえれと言ってるわけじゃないのよ。昔にはかえれませんからね」
「やくしま森祭り」があるならば・・・ ― 2012/11/01 06:24
見上げてごらん夜の星を ― 2011/04/10 11:15
超オススメ新刊=アズビー・ブラウン『江戸に学ぶエコ生活術』 ~「Just Enough: 吾れ唯足ることを知る」の精神に学ぶ~ ― 2011/02/28 08:37
この本の何が凄いのか。
それはもう筆者自筆の豊富なイラスト。
このイラストだけでも「各家庭に一冊」級の価値あり。
子供たちもきっと興味を示してくれるのではないでしょうか。
▼「はじめに」(13ページより引用)
「何よりも大きかったのは、この国に広く浸透し、あらゆる改善を導く原動力となった人々の精神的態度である。それは自然のメカニズムと、自然の本質的な限界に対する理解に根ざしたもの。謙虚さを尊び、浪費を嫌い、協力による解決を求め、一人ひとりが必要な分だけを手に入れ決してそれ以上を求めない。そんなすばらしい生き方に意味を見いだし、満ち足りた気持ちになれるのだ。」
<関連サイト>
江戸に学ぶエコ生活術
http://t.co/Ou7e4go
Just Enough: Lessons in Living Green from Traditional Japan
http://t.co/DvS0SEc
What does it mean to live “green”
http://www.justenoughjapan.com/JustEnough/HOME.html
Review: Just Enough by Azby Brown
http://blogs.nationalgeographic.com/blogs/thegreenguide/2010/05/review-just-enough-by-azby-bro.html
スゲ本レビュー「江戸に学ぶエコ生活術」
http://blogs.bizmakoto.jp/tools/entry/1991.html
鳩山由紀夫前首相の「抑止力は方便」発言で今再び沖縄は「怒」「怒」「怒」…に染まるのか ― 2011/02/14 08:13
<関連記事引用>
鳩山由紀夫前首相の一問一答
http://www.47news.jp/CN/201102/CN2011021201000540.html
鳩山由紀夫前首相のインタビューの一問一答は次の通り。
―2009年衆院選の際に移設先は「最低でも県外」と発言した際の見通しは。
「民主党は沖縄ビジョンの中で、過重な基地負担を強いられている沖縄の現実を考えた時に、県民の苦しみを軽減するために党として『最低でも県外』と決めてきた。鳩山個人の考えで勝手に発言したというより党代表として党の基本的考えを大いなる期待感を持って申し上げた。見通しがあって発言したというより、しなければならないという使命感の中で申し上げた。しっかりと詰めがあったわけではない」
―当初、大きな問題になると考えていたのか。
「最終的に首相を辞する大きなテーマになるとは予測してなかった」
▽漏れた機密
―閣僚の発言はバラバラだった。
「岡田(克也)君は外相当時、マニフェスト(政権公約)に『県外』とまで書かなかったと話したが、民主党が圧倒的な国民の支持を得て政権を中心的につくらせてもらったのだから、党のビジョンはしっかり打ち出すべきだと思った。一致して行動していただきたいという思いはあった」
「北沢俊美防衛相は、政権交代後、どこまで防衛省の考え方を超えられるか、新しい発想を主張していくかということが本当はもっと勝負だった気がする」
―外務、防衛両省に新しい発想を受け入れない土壌があったのでは。
「本当に強くあった。私のようなアイデアは一笑に付されていたところはあるのではないか。本当は私と一緒に移設問題を考えるべき防衛省、外務省が、実は米国との間のベース(県内移設)を大事にしたかった。官邸に両省の幹部2人ずつを呼んで、このメンバーで戦って行くから情報の機密性を大事にしようと言った翌日に、そのことが新聞記事になった。極めて切ない思いになった。誰を信じて議論を進めればいいんだと」
「自民党(政権)時代に相当苦労して(県内移設という)一つの答えを出して、これ以上はないという思いがあり、徐々にそういう方向に持っていこうという意思が働いていたのではないか。彼らが米国と交渉すると、信頼するしかない。これ以外ない、これ以上は無理だとなった時に、その先を進めることはなかなかできなかった。自分自身の力量が問われた」
「防衛省も外務省も沖縄の米軍基地に対する存在の当然視があり、数十年の彼らの発想の中で、かなり凝り固まっている。動かそうとしたが、元に舞い戻ってしまう」
▽密使、候補はいた
―味方はいたのか。
「平野博文官房長官(当時)は(望みをかけた)徳之島をいろいろと模索してくれた。少なくとも1人はいた」
―密使を使う考えはあったのか。
「やりたい発想はあり、やってくれそうな方もいて検討はしたが、非常に難しかった」
―県内移設理由として在沖縄米海兵隊の抑止力は唐突感があった。
「徳之島も駄目で辺野古となった時、理屈付けをしなければならなかった。海兵隊自身が(沖縄に)存在することが戦争の抑止になると、直接そういうわけではないと思う。海兵隊が欠けると、(陸海空軍の)全てが連関している中で米軍自身が十分な機能を果たせないという意味で抑止力という話になる。それを方便と言われれば方便だが。広い意味での抑止力という言葉は使えるなと思った」
▽オバマからの手紙
―日米首脳会談での発言が物議を醸した。
「沖縄県民に理解されながら、米国にも合意してもらえる案が必ず作れるという気持ちは持っており、私という人間を信じてくれという意味で『トラスト・ミー』という言葉を使った。昨年7月にオバマ米大統領から手書きのレターが来て『あなたは自分の言葉に忠実だった』と書かれていた。日米関係が大変毀損(きそん)したと(メディアに)書かれたが、少なくとも7月の段階ではそうではない」
「残念ながら沖縄の皆さんに理解してもらえる案にはなっておらず申し訳なく思っている。政府と沖縄との信頼関係が大きく毀損したのは事実で本当に申し訳ない。大変残念だ」
―09年末までに一度、県内移設を決断したのではないか。
「トラスト・ミーという言葉まで使い、県外移設のめどが立たない現実があった。一方で(09年12月段階で)最終的に昨年5月28日に発表したもの(沖縄の負担軽減策)と同じようなものが既に取れていた。ここを前面に出し、沖縄の理解をいただき辺野古は仕方がないと感じた瞬間はなかったと言えばうそだ」
「しかし仲井真弘多沖縄県知事の意向などもうかがいながら、沖縄県民に対する裏切りで政治的に持たないと判断し決着時期を延期した」
▽幻の直接交渉
―決着時期を昨年5月とした理由は。
「米国として(09)年内の決着を期待しているものを1年は延ばせない、せいぜい半年という思いがあった。3月までは予算で動けない。社民党の党内事情もあった。普天間を争点にしたら7月の参院選を戦えない。ゴールデンウイークに米国に行き、(オバマ氏と)直接交渉しようと思っていたが、(政府案が)まとまっていなかった」
―昨年3月の韓国海軍哨戒艦沈没の影響は。
「現実に北朝鮮の脅威を感じた。ある意味で戦争行為。(移設先が)辺野古に舞い戻らざるを得なくなって来る時の現実の脅威が、てこみたいに働いてきた」
―「腹案」とは。
「徳之島に移設先を見いだしたかったので腹案という言い方をした。米軍も最後には、訓練の一部を移すことは検討できるということだったから、日米共同声明の中で『徳之島』という文言は生きている」
▽遠かった政治主導
―県内移設の最終判断は。
「徳之島をあきらめざるを得ないと結論を出した時。4月28日に(元衆院議員の)徳田虎雄氏と会い、(理解を得られず)完全に徳之島が閉ざされた」
「沖縄と日本政府と米国との3者が協議機関をつくり、政府原案を議論する舞台ができれば乗り切れると思った。5月に仲井真知事と2回目に会った時に、知事選まではできないと言われ、沖縄の理解を得るところまで行かなかったと基本的に観念した」
―今後の交渉は。
「普天間の移設先も固定化してはいけない。未来永劫(えいごう)、米国の基地として使わせるつもりで造ってはいけないという話は平野官房長官との間では認識していた。沖縄は納得していない。理解を得るためには日米合意には入っていないが、(基地としての使用に期限を設ける)暫定しかない(ようにする)とか、交渉のやり方はあってしかるべきだ」
「(沖縄から)ある程度の距離があっても(米軍が)ワンパッケージであれば、十分、抑止力という言葉で成り立つ」
―反省点は。
「相手は沖縄というより米国だった。最初から私自身が乗り込んでいかなきゃいけなかった。これしかあり得ないという押し込んでいく努力が必要だった。オバマ氏も今のままで落ち着かせるしか答えがないというぐらいに多分、(周囲から)インプットされている。日米双方が政治主導になっていなかった」
鳩山氏「抑止力は方便」本紙インタビュー
辺野古回帰 理屈付け
普天間移設 戦略の欠如 陳謝
2011年2月13日 09時15分(22時間30分前に更新)
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-02-13_14499/
【東京】鳩山由紀夫前首相は12日までに沖縄タイムス社のインタビューに応じ、米軍普天間飛行場の移設をめぐる政権時の取り組みや対米交渉の全容を語った。移設先を名護市辺野古と決めた理由に挙げた在沖海兵隊の抑止力について「辺野古に戻らざるを得ない苦しい中で理屈付けしなければならず、考えあぐねて『抑止力』という言葉を使った。方便と言われれば方便だった」と弁明し、抑止力論は「後付け」の説明だったことを明らかにした。
さらに「海兵隊自身に抑止力があるわけではない。(陸海空を含めた)四軍がそろって抑止力を持つ。そういう広い意味では(辺野古移設の理由に)使えるなと思った」と語った。前首相が抑止力を後付けとする理屈を挙げたことで、あらためて日米合意の是非に関して論議を呼びそうだ。
2009年12月上旬に現行案での決着を逡巡(しゅんじゅん)したと明かした上で、その時点でホテル・ホテル訓練水域の制限解除など、昨年5月の日米合意に盛り込まれた負担軽減策の骨格は米側から引き出せていたと指摘。「軽減策とのパッケージで辺野古に理解がもらえるか考えたが、政治的に持たないと判断し(移設先決定を)延期した」と述べた。
日米合意の直前には沖縄、日本政府、米国の三者による協議機関の設置構想を持ち、5月の2度目の来県時に仲井真弘多知事へ打診したと明かした。知事が「知事選前にそのようなことはできない」と話したため、構想を断念したという。
決着期限を10年5月としたのは7月の参院選の争点化を避けるためだったと明言。5月の大型連休に渡米しオバマ米大統領との直接交渉を検討していたとし、実現できなかったことを「後悔している」と振り返った。
09年の衆院選で「最低でも県外」と掲げたことについては「民主党の沖縄ビジョンに書かれていることを言った。順序立てた見通しがあったというより『しなければならない』という使命感だった」と述べ、戦略性が欠如していたことを認めた。結果的に実現できなかったことには「詰めの甘さがあった。申し訳なく思っている」と陳謝した。
県外の移設先として鹿児島県徳之島を模索し始めたのは09年内の決着を先送りした直後だったとし「地上部隊を沖縄に残してヘリ部隊だけを移すとなると距離的にギリギリと考えた」と説明。徳之島が自身の「腹案」だったと明かした。
[ことば]
抑止力 軍事・外交戦略上の用語として、一般的には、部隊や武器を保有して、いつでも報復できる構えを維持することで、相手国からの攻撃や侵略を未然に抑え込む能力のことを指す。鳩山前首相は米軍普天間飛行場の沖縄県外移設を断念した理由を「学べば学ぶにつけ、海兵隊のみならず沖縄の米軍が連携して抑止力を維持していると分かった」と説明していた。
「発言責任持って」県外執着も“人ごと” 鳩山氏「県民に申し訳ない」
2011年2月13日 (画像引用)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-173443-storytopic-3.html
【東京】米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設を決めて首相を辞任して以来、初めて沖縄の地元紙のインタビューを受けた鳩山由紀夫前首相。県民の期待を怒りに一転させた県内移設回帰の政治決断をした当時の内幕を淡々と語る一方で、今も「県外」にこだわりを見せる口ぶりはまるで「人ごと」。無責任な雰囲気を漂わせた。
インタビューでは「県外」への強い思いを語る一方、「残念ながら沖縄の皆さんに理解してもらえる案になっておらず申し訳なく思っている」と県民に陳謝した。
政権交代前の衆院選から「最低でも県外」と繰り返してきたことには「県民の期待感もそこに非常に集約されていたし、県民のことを考えればどうしてもやりたいという強い気持ちがあった」と沖縄県民を意識したように力を込めて語る。
日米合意以降ずっと物議を醸してきた「抑止力」。当時この言葉を耳にした県民の意外感や、裏切られたような印象があったことを問われると鳩山前首相は「そうでしょうなあ」と、質問を予測していたというように一呼吸置いてゆっくりと答えた。
時折、冗談も交えながら記者の質問に答える前首相。政権運営のさまざまな場面について「何か不幸があった気がする」「むしろ非常に勉強になった」などと当時の心境を振り返ったが、評論家が論評するようで、当事者意識を感じさせない口調だった。
ただ、辺野古移設の説明で来県した際に反対市民の抗議を車内から見ていた印象については「(最初の来県時は)皆さん喜んでいる感じで、(2回目の来県時は)また違う異なる印象を感じた。1度目は沿道から多くの人が手を振って歓迎する人もたくさんいた。2度目の時は反対が強かった。声を出さない人にもいろんな考え方があるのではと複雑な思いだった」と答えた。
<関連記事>
沖縄タイムス 「軽い」前首相に怒り 後悔するより日米合意見直しを
名護や宜野湾 市民ら責任指摘
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-02-13_14517/
普天間移設問題:“抑止力は方便“鳩山氏に不信再び 県内関係者「地元で声聞いて」
http://mainichi.jp/area/okinawa/news/20110213rky00m010005000c.html
小沢一郎、輿石東、高嶋良充、連合、日教組、自治労をめもめも ― 2010/06/12 11:30
<関連記事引用>
普天間問題、参院民主党に“乱”の兆し
2010.5.27 00:03
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100527/stt1005270005000-n1.htm
26日午前、国会内で開かれた参院民主党議員総会。普段は本会議の議事進行の説明などが淡々と続くが、この日は違った。
「比例候補として全国を回っているが、党にもっと危機感をもってほしい」
改選組の小林正夫氏(電力総連出身)がこう切り出すと空気は一変した。
「普天間は結局辺野古に戻り、国民は自民党案が正しかったと受け止めている。『民主党はダメだ。鳩山の優柔不断さはダメだ』という声が圧倒的に強い。私たちは(参院選に勝ち)この場に戻ってきたい。打開策の手を打ってほしい」
「参院のドン」といわれる輿石東参院議員会長、「NO・2」の高嶋良充参院幹事長ら参院幹部の顔がみるみる強ばる中、加藤敏幸氏(電機連合出身)がこれに続いた。
「衆院に308議席あるから参院選で負けても数合わせで政権維持できると考えているのか!」
6年前の参院選で小林氏は比例代表でトップ当選、加藤氏は2位当選だった。出席者らは「まさか連合と打ち合わせた上での発言なのか」と顔を見合わせた。
【くにのあとさき】東京特派員・湯浅博 日本を「劣化」させたくない
2010.6.5 03:12
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100605/plc1006050312006-n1.htm
ところが、議員がもつ生存本能が覚醒(かくせい)されると、メガトン級の力が噴出する。日教組出身の輿石東参院議員会長と自治労出身の高嶋良充参院幹事長が先陣を切ったのはさすがだ。労組のプロだけに職を失う怖さを知っている。
有権者の怒りと違って議員の動機は不純だ。勢いあまって親分筋の小沢一郎氏まで、結果的に道連れにしてしまった。「鳩山おりれば、小沢までも」である。
動機が憂国でなく雇用だから、政権公約への反省が少ない。鳩山政権の8カ月は、日本の繁栄と安全のために何が良くて何が悪かったか。検証がないまま、数日でバタバタと新首相をつくった。
連合「首相に軽視されている」不安… 菅政権と微妙な距離感
2010.6.11 23:02
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100611/plc1006112306034-n1.htm
辞任した小沢一郎幹事長の周辺を排除する“小沢外し”の姿勢が顕著な首相にとって、小沢氏に近い輿石東参院議員会長(日教組出身)、高嶋良充参院幹事長(自治労出身)ら連合傘下の公務員労組系議員は、最もけむたい存在でもある。
枝野幸男幹事長が就任翌日の8日にまず訪れた団体は、連合ではなく経営者側の団体である日本経団連で、連合との会談は後回しとなった。連合サイドは「古賀氏が出張のため、その時間しかとれなかった」と説明するが、産別労組幹部からは「枝野氏が最初に連合を選ばなかったのは残念だ」との声も漏れた。
小沢氏の幹事長時代、小沢氏と連合幹部の地方行脚は民主党の選挙戦になくてはならないものだった。枝野氏も同様に実施することで合意しているが、連合は「地方の組合員と頻繁に会ってきた小沢氏と同様の親密な関係を枝野氏と築けるとは思えない」(地方労組幹部)と危惧(きぐ)している。
2010.2.12(その1)
森田実の言わねばならぬ【127】
平和・自立・調和の日本をつくるために[127]
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C06074.HTML
2月11日夜、栃木県で行われた民主党集会での「小沢コール」「イチロー・コール」の模様をテレビで見た。今後、小沢一郎氏が全国各地を回ったとき、各地で「小沢コール」「イチロー・コール」が起こるのではないかと想像する。おそらく、「小沢コール」「イチロー・コール」という小沢一郎へのゴマスリを先導しているのは民主党の国会議員と労働組合幹部ではないかと想像する。ヒトラーのナチスにおいても、スターリンのソ連共産党においても、ゴマスリ労働組合幹部が「ヒトラー・コール」「ウラースターリン・コール」の先頭に立った。ファシズムや独裁体制形成期においてゴマスリ労働組合幹部が先頭に立つ例は多い。
いま、民主党は小沢幹事長の両脇にいるのは輿石東参議院議員会長(日教組出身)と高嶋良充副幹事長(自治労出身)である。輿石、高嶋両氏は小沢一家の大政、小政のような存在である。労働組合の連合は民主党小沢体制を支える基盤勢力である。日教組、自治労の巨大な地方公務員の労働組合が小沢ファシズム運動の先頭に立つおそれなしとしない。日教組執行部と自治労執行部が「小沢ファシズム」のお先棒を担ぐ。考えるだけで暗い気持ちになる。労働組合は民主主義の守り手でなければならない。日教組は教師の集団であり、自治労は地方公務員の集団である。権力者になってはならない。
2010.6.8(その3)
森田実の言わねばならぬ【502】
平和・自立・調和の日本をつくるために[502]
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C06451.HTML
しかし、現実は違った方向へ動いています。日教組出身の輿石民主党参議院議員会長は民主党の独裁者の小沢一郎幹事長の側近第一号の役割を果たしています。自治労出身の高嶋参議院議員は民主党筆頭副幹事長として小沢幹事長の側近第二号的存在です。輿石、高嶋両氏が小沢体制を支えているのです。どう見ても目立ちすぎです。
私はいま、日教組、自治労はきわめて危うい状況にあると思っています。日教組、自治労の両組合が支えているのは巨大な政治権力です。強大な鳩山・小沢政権が大きな過ちをして、国民に大きな被害をもたらすようになったとき、この政権と一体化している日教組、自治労が責任を負うことは不可能です。日教組、自治労は政治権力と一体化すべきではなく、政治権力と一線を画して、政権が過ちを犯さぬよう監視とチェックの役割を果たすべきです。日教組と自治労がとるべきは「是は是、非は非」の態度を堅持することです。
繰り返します。労働組合は、自らが支持してきた政党が選挙で大勝利したからといって、調子に乗って政治権力を振り回すようなことをしてはいけないのです。政治権力から一歩離れて好意的中立を守りつつ、政権に対してチェックの役割を果たすべきです。
最近、鳩山内閣は沖縄米軍基地問題について大きな過ちを犯しました。こういうときに、労働組合はどうすべきでしょうか。批判しなければダメです。批判もできないようでは、労働組合とは言えません。Qさん。ぜひとも、この問題をよく考えてください。
八百万の神々こそ民主主義の原点、民主主義の本質でもある ― 2010/05/05 09:36
「八百万の神々こそ民主主義の原点、民主主義の本質でもある」
昨夜の飲み会で森野榮一先生の口から飛び出たこの言葉。私にとってこの日一番の収穫。
日本の民の底力を信じたい。日本の民主主義が今試されている。
そんな今こそ、WAになっておどろう。
<そんなことはここにちゃんと書かれておる=森野先生の解説>
第七講 村邑
一、八種の天罪
日本人は農業の民で有つた、故に太古に於て最も罪悪視せられたるものは、農業を妨害することであつた、左記八種(やくさ)の天罪(あまつみ)といふものは、古事記にも日本書紀にも、延喜式の「大祓の詞」にも、古語拾遺にも、すべて古書といふ古書には必ず記して伝へられて居るのである。
第一 毀畔(あなはち)(阿那波知)とは、耕田の畔(くろ)を毀つこと
第二 溝埋(みぞうめ)(美曾宇女)とは、灌漑の溝を埋むること
第三 放樋(ひはなち)(斐波那知)とは、溝洫(こうきょく)の樋を放開して、耕田に溢れしむること
第四 重播(しきまき)(志伎麻伎)とは、他人の耕種せる田に、重ねて種を播くこと
第五 串刺(くしさし)(久志作志)とは、他人の耕田を冒認して、自己の耕田の如くに標識すること
第六 生剥(いきはぎ)とは、耕田に用ひる牛馬の類を虐待すること
第七 逆剥(さかはぎ)[六に同じ]
第八 屎戸(くそへ)とは、新穀の祝典たる新嘗の祭日を汚すこと
此八種の天つ罪が、日本人の最も初めに罪として認めたもので、後に仏教の感化に依りて高唱せられたる殺生、愉盗、妄語、邪淫、飲酒の五戒よりも、深く厳しく戒飭せられた所のものであつた。
古神話に驚天の大変として伝へられたる、天照大神の「岩戸隠れ」は、素盞嗚尊が此の八種の天つ罪を、悉くその一身に犯したることが原因で有つたといふことである。而して当時日本の政体は、八百萬神の合議を用ひたので有つた。謂ゆる「八百萬神、天安之河原(あめやすのかわら)に神集(かんずまりましま)して」といふは、是れである。
是れは誠に自然である。人の生命、自由、財産、名誉に対する福利は、奴隷の境遇にあるものゝ外、其人の得心なくして、他より侵さるべき者でない。人は固より群居するものであるから、共存の必要上、個人と個人との関係、並に集団と集団との関係に依り、規律ある行動に出るのであるが、是れは各人の福利を犠牲にするのでなく、その福利を保護するのである。各人の発言権を停止するのでなく、その発言権を障碍なからしめるのである。日本国民の総員、即ち八百萬の神には、貧の神も福の神も、凡べて、平等の発言権を以て「天安の河原」に集まつたといふ神話は、純朴なる日本の古俗を想像せば、如何にも斯くありしならんと首肯せらるるのである。
農業的の国民(八百萬神)が、農業侵害者(素盞嗚尊)に対する処置を決するために集会を開いた。是れは恰も自治の運用である、自治を推し広めた協和制、一層適切にいへば国民投票であつた。
我が神世の洪謨(こうも)は、全く此の如き自然の民性に忓(さから)はざる方針であつた神武天皇東征の詔に「蒙以て正を養ふ」とあるのはそれである。此の詔の語は、周易蒙卦(しゅうえきもうけい)の衆伝を引いて、日本書紀の作者たる舎人親王(とねりしんのう)の文飾せられたものではあるが、其意味は正しき神武天皇の詔旨で有つたに相違ないのである。蒙以て正を養ふとは、蒙は童蒙である、民性自然の発達を以て、童蒙の次第に智恵づくに譬へ、其の啓発すべき時機には之を啓発し、其時機に至らざれば其儘に差し置き、たゞ成るべく邪悪に陥らぬ様に、成るべく正しき心を養ふやうに、之を指導して行くといふことを云ふのである。此詔を以て、我が太古の皇謨を察すれば、決して或国の王者の如く、国民を以て私有財産と同視し、生殺与奪たゞ王者の意欲に任ずるといふのではない。国民自体の機能をして、成るべく智恵と徳義の方面に進ましむべく、無干渉の間に静かに摂理せられたのである。
けれども人民は、智巧の進むに従つて、太古の純撲をいつまでも維持しては居らなかつた。既にして強者が弱者を併呑して、其福利を榹(うば)ひ去つたのである。是れ其詔の末文に「邑に君あり、村に長あり、各自ら彊を分ち用て相凌轢す」とある所以である。天皇には深く之を歎息せられて、竟に東征の御決行となつた。
(出典:権藤成卿『農村自救論』公同の概念)
堂(タン)と御嶽(うたき)と聖なる森 ― 2009/10/23 09:16
<関連記事引用>
出版:『原始の神社をもとめて』 著者・岡谷公二さんに聞く
2009/10/22毎日新聞朝刊
日本の神社はいかにして成立したのか?――。この興味の尽きない課題に新しい切り口で迫る『原始の神社をもとめて』(平凡社新書・924円)が出版された。副題に「日本・琉球・済州島」とあり、朝鮮半島文化との関係に大きく踏み込んでいるのが刺激的だ。著者の岡谷公二・跡見学園女子大名誉教授に聞いた。【伊藤和史】
◇「堂と出合ってますます複雑に」
「堂(タン)と御嶽(うたき)が、まさかこんなに似ているとは思わなかった。感動しましたね」
2002年、朝鮮半島の南に浮かぶ韓国最大の島・済州島で、初めて堂を見た印象を岡谷さんは生々しく覚えている。
「堂」とは、耳慣れない言葉だ。数本の大木がこんもりと茂った韓国の聖地のことである。一方、御嶽とは沖縄の聖地。こちらも南島の常緑樹が茂る森で、森の中の空き地にはサンゴ礁の白砂が敷かれ、祭りが行われる。本土の神社に相当するが、社殿はおろか、鳥居などの人工物がまったくないところもある。
その堂と御嶽がそっくり。
「堂も建物が少なく、あっても控えめ。女性がお祭りをするところまで同じなんです」
岡谷さんは1961年、初めて御嶽を訪れた。「人工のさかしらが一切ない。何もない方が神と直接向かい合えるんです。社殿などは、雨風をしのごうという人間の都合で生まれたもの。信仰にとっては堕落でしょう」
最初の感激はさめることなく、岡谷さんは、御嶽の何もつくらせない力こそが日本人の精神の原点と考えてきた。
こうした特徴はもともと本土の聖地でも同じだったが、仏教の影響で社殿がつくられるようになり、沖縄に古い形が残った――これが定説でもある。
ところが、最新の研究や遺跡の発掘成果によると、少々様相が違ってきた。
沖縄では12世紀以前の歴史がはっきりしない。だが、どうやら平安末~南北朝時代前後に本土から人と文化が流入し、御嶽の元になる信仰も入ってきたようなのだ。だが、そのころ、本土ではすでに神社は社殿をもち、神主も男性に変わった。
御嶽の信仰が本土由来だとした場合、社殿をつくらない、女性が主体といった御嶽の信仰の実情の説明がつかないのだ。
この難問に直面したとき、岡谷さんが出合ったのが済州島の堂である。
「朝鮮半島に『堂』があることは知っていた。でも、神樹の信仰はあっても森の形をなしていることは少ないし、だいたいは堂舎があって、祭祀(さいし)も儒教風に男性が行うと聞いていて、重視しなかった。ところが済州島は違いました」
済州島にももちろん儒教は入っているが、影響は比較的弱かったらしい。女性の手によって、なんとか堂の祭りが維持されてきたという。
こうして神社や御嶽の成立を考えるうえで、朝鮮という新しい要素が加わった。日本に最も近い韓国である済州島と琉球との意外なまでの密接な交流ぶりや、信仰の類似性に肉迫してゆく過程はスリリングで読み応え十分。同時に、こうした記述はタブーへの挑戦でもある。
「神社は日本のものだという考えは、戦前はもちろん戦後も根強いですからね」。本書では、神社をめぐるもう一つのタブー、「神社の前身は墳墓か」という問題にも踏み込んでいる。清浄を至上とする神社にとって、死のケガレはもっとも忌むべきこと。タブーなき議論は、この本の特に痛快なところだ。
とはいえ、神社と御嶽の間に堂を置いたとしても、すぐに全体の成立事情が解明できるほどに簡単な問題ではない。どちらがどう影響を与えているのか、その方向が一方通行のはずもなければ、時期も単純ではなく、すべてが今後の課題だろう。
「堂と出合って、ますます一筋縄ではいかない複雑な問題だと思うようになりました。でも、御嶽と神社だけが並んでいたところに堂が加わって、解決の気配が出てきた。沖縄などの南島と済州島、それに九州の西部は古代には同じ文化区域だったと思う。このことを視野に入れない限り、日本の神社のことはわからないでしょう」
◇暖流沿いの聖地の森
御嶽のような社殿なき聖地の森は、日本では沖縄以外にもある。その分布が興味深い。
沖縄のほか奄美大島、種子島、対馬、壱岐、山口県の蓋井(ふたおい)島、島根県の西石見、福井県・若狭湾の大島半島と、明らかに対馬暖流に沿った地域に点々と存在している。みだりに入ったり、木を切ったりしてはいけないというタブーも似ている。
ただ、済州島に最も近い五島列島にはこの種の森が見つかっておらず、岡谷さんも今、大いに気になっているそうだ。
■人物略歴
◇おかや・こうじ
仏文学者・美術史家。1929年東京生まれ。画家・ゴーギャンや民俗学者・柳田国男に関する著書のほか、御嶽や神の森の考察として『神の森 森の神』『南の精神誌』など。
<関連書籍>
「原始の神社をもとめて―日本・琉球・済州島」岡谷公二 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E5%8E%9F%E5%A7%8B%E3%81%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%82%92%E3%82%82%E3%81%A8%E3%82%81%E3%81%A6%E2%80%95%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%BB%E7%90%89%E7%90%83%E3%83%BB%E6%B8%88%E5%B7%9E%E5%B3%B6-%E5%B9%B3%E5%87%A1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%B2%A1%E8%B0%B7-%E5%85%AC%E4%BA%8C/dp/4582854885/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1256227139&sr=1-1
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