英エコノミスト誌 Facing up to China 臆せず中国に立ち向かえ ― 2010/02/09 00:59
中国に地政学の季節到来。
“contain” (封じ込め)にまで言及している点に注目を。
<関連記事>
Geopolitics
Facing up to China
Making room for a new superpower should not be confused with giving way to it
Feb 4th 2010 From The Economist print edition
http://www.economist.com/displayStory.cfm?story_id=15452821&source=most_commented
米中関係:臆せず中国に立ち向かえ
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/2723
小沢一郎と猿岩をめぐる世にも奇妙な物語 ― 2010/02/09 09:19
サルにこだわってしまったのもこの記事を見つけていたから。
ボスザルと名付けた小沢一郎にまつわる言葉が並ぶ。
「オロセ猿岩」に始まり、「胆沢ダム」に「アテルイ」。
さらには「アイヌ」や「山窩(さんか)やマタギ」も気になるところ。
この記事の日付は5月5日。ならば今年の5月5日はどうなる。
「群猿の住む山」のボスザルは一年生群猿を率いて米国遠征中か。
そこで何かが起こるのか。
なお、ダムに沈む予定の猿岩隧道(猿岩トンネル)は心霊スポットとして有名とのこと。
何やらコダマも大騒ぎ。
<関連記事引用>
オロセ猿岩・岩手 奇岩をめぐる歴史と民俗(1)、神の座
1998/05/05河北新報朝刊
マタギらが広く尊崇
猿岩は、岩手県の穀倉地帯・胆沢扇状地の扇のかなめに位置する標高549メートルの小高い岩山だ。於呂閇志(おろへし)神社の奥宮が鎮座する民俗信仰の聖地でもある。胆沢扇状地は、地勢につきまとう深刻な水問題に悩まされ、猿岩は苦難する人々を励ますように見守ってきた。胆沢扇状地の歴史は水と猿岩を軸に展開してきた、とさえ言える。この奇岩に刻まれた歴史と民俗の一端を読み解いてみる。(5回続き、水沢支局・野村哲郎)
<切り崩さず残る>
4月8日、胆沢町の人たちは喜びに沸いた。猿岩から胆沢川を3キロほど下った同町若柳で建設中の「胆沢ダム」の堤体材として、いったんは切り崩されることが決まった猿岩について、建設省が堤体材を他に求めると発表したからだ。
於呂閇志胆沢川神社は胆沢ダム建設地よりさらに下流の胆沢町若柳土橋にある。猿岩の於呂閇志神社と、土橋にもともとあった胆沢川神社を明治の後期に合祀(し)した社だ。
宮司の石川正さん(61)は一通の手紙を前に首をかしげる。差出人は塩釜市の人だが、名前に記憶がない。猿岩保存の新聞報道に接し「ご同慶に堪えない」との内容がしたためてあった。
「於呂閇志神社は作神様として広い地域の信仰を集めていますからね。例祭には秋田県や宮城県からも参拝客がやってきたものです」。奥宮のさい銭を馬3頭で担ぎ下ろしたという古老の話が残っている。こんな手紙が舞い込むのも、不思議なことではないのかもしれない。
<語源はアイヌ語か>
ところで、於呂閇志なる神社の名だが、縁起帳が失われているので石川宮司も正式な由来は分からないという。猿岩の周辺に下嵐江(おろせ)という地名が残っており、これが於呂志閇(おろしえ)に転化し、文書の写し間違いで「志」と「閇」が逆転した-というのが定説だ。於呂閇志神の本来の名はオロセ神だった、らしい。オロセの語源は不明だ。アイヌ語の「オヤシ(精霊)」から派生したとする説などがある。
オロセ神を奉じていたのはどんな人たちだったろう。
民俗学者の谷川健一氏は著書「白鳥伝説」の中で、オロセ神は「蝦夷(えみし)のまつる神」だと断じている。北上市の民俗学者菊池敬一氏は、谷川氏の説を展開し、「古代東北の英雄・阿弖流為(アテルイ)たちの神はオロセであったろう」と述べている。
<岩山自体神の依代>
於呂閇志神社の名は、延長5年(927年)に成立した古代朝廷の法典「延喜式(えんぎしき)」に登場する。けれど、朝廷勢力が東北地方に手を伸ばす以前から、猿岩にオロセ神が鎮座していたことは、諸家の一致した見方となっている。岩山そのものが、神の依代(よりしろ)として尊崇を受けていたと考える方が自然かもしれない。
日本列島には山窩(さんか)やマタギ、木地師のように山野を自由自在に渡り歩く人々がいた。鉱物資源を求めて山中を漂泊する者もあった。往古の山中も、今日的な感覚では意外に思えるほど、にぎやかだったのではあるまいか。谷川説の蝦夷に限らず、オロセ神は山人から広く尊崇されたものだろう。
【写真】北西の方角から見た猿岩。名前の由来を尋ねると、「岩壁に猿の顔が浮き出て見えるから」とか、「群猿の住む山だったから」とか、研究者によってまちまちな答えが返ってくる
<画像引用>
自然との調和を目指す(胆沢ダム)2 - ダム便覧
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jdf/Dambinran/binran/TPage/TP0277Sizen2.html
<猿岩隧道(猿岩トンネル)の不思議な写真>
2004年06月 『猿岩隧道』(Automobile Inspectinon)
http://www.geocities.jp/s56_sj30f_001/trip_etc/etc/2004_10/saruiwa.html
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