今また「クスノキと楠木正成」が騒がしい ― 2009/06/26 08:17
NHKスペシャル「JAPANデビュー アジアの“一等国”」問題はついに法廷へ。
NHKの説明には、「台湾」、「地政学」、「樟脳」、「後藤新平」、それに「樺山資紀」まで。
え? 番組制作に私が関わっていたのではないかって?
そういえば・・・(汗)
なにやらこの騒動に多少巻き込まれそうな予感。
それにしても、この問題で鳥居龍蔵や森丑之助の名前がどうして出てこないのか。
このあたりが非常に残念でならない。
「人間動物園」に関して、私からすれば双方に欠落している視点がある。
ここで再度紹介しておきます。
<引用開始>
破壊的な集団攻撃と定義される戦争は文化的進化の産物である。それゆえに文化的に乗り越えることができる。
戦争は人間のいくつかの普遍的な性向を利用する。たとえば攻撃的感情、集団を防衛する傾向、優位性への欲求、なわばりを作る傾向、見知らぬ人間の対敵的信号に反応する傾向、等々である。
しかしこれを全部合わせても戦争には決してならない。戦争はむしろ計画、指揮、破壊的武器、敵の非人間化による同情の超克を前提とする。人間はこの点において簡単に教化されることが明らかである。
殺人に対する抑制と所有の規範などのいくつかの基礎規範がこれに逆に働く。これらは文化的規範のフィルターで覆われるが排除はされない。規範間の葛藤は良心の葛藤として体験される。これはまちがいなく、協定による紛争解決の人道化や、さらに平和的関係の確立、維持のための原動力の1つである。これらは人間の動機づけ構造に対応するのだろう。
つまり人間にはその性向からして平和への能力がある。しかし平和は戦争の果たしている課題を認知し、戦争を病変として簡単に片づけてしまわないことを前提としている。
平和を望むのならば、これまで戦争が果たした、なわばり設定や民族のアイデンティティーと資源の確保という機能を他の無血の方法で解決していかねばならない。
『ヒューマン・エソロジー―人間行動の生物学』イレネウス アイブル=アイベスフェルト
「種内の敵対行動―攻撃と戦争」より引用
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%BD%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%BC%E2%80%95%E4%BA%BA%E9%96%93%E8%A1%8C%E5%8B%95%E3%81%AE%E7%94%9F%E7%89%A9%E5%AD%A6-%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%83%8D%E3%82%A6%E3%82%B9-%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%AB-%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%88/dp/4623035441/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1245161348&sr=1-1
<画像引用>
シリーズ・JAPANデビュー 第1回「アジアの“一等国”」に関しての説明
http://www.nhk.or.jp/japan/asia/index.html
http://www.nhk.or.jp/japan/pdf/asia.pdf
<関連コラム>
『隠されたクスノキと楠木正成』
http://www.sonoda-yoshiaki.com/colum.html
ヒューマン・エソロジーから見た「攻撃と戦争」
http://y-sonoda.asablo.jp/blog/2009/06/16/4369087
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