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「モスラ対ゴジラ」--「絆」破壊でゴジラを圧倒、がれきに舞う出張大好きモスラ2012/03/26 07:18

「モスラ対ゴジラ」--「絆」破壊でゴジラを圧倒、がれきに舞う出張大好きモスラ


ダンカイ星人とダンカイ・ジュニアは出張大好き。
モスラとモスラの幼虫は出張大好き。

彼らのお気に入りは米軍基地問題で揺れる沖縄。

そこはモスラにとっては南国リゾート。
遠くからはるばるやってきたことを示すための“のぼり旗”を立ててお祭り騒ぎ。

311以後は反原発でも大忙し。
がれき受け入れで荒れる神奈川あたりに出没中。

中でもがれき受け入れに“反対”を表明した横須賀市大楠地区。
その地元説明会にも出張モスラの姿。

NHKによれば、「遠くからやってきた反原発や政治活動のグループが、知事の説明や質疑応答に野次や怒号を浴びせ、地元の人たちが止めてもおさまりませんでした」とのこと。

驚いたのは左寄りのNHKが「反原発や政治活動のグループ」と書いたこと。
いつもなら「反原発の市民団体」と書くはずなのにどうしたことか。

右がやれば右翼団体。左がやれば市民団体のエコ贔屓。
新聞やテレビのエコ贔屓に守られてきたモスラ。

しかし、モスラとて怪獣。日本の大切な「絆」を破壊中。
その破壊力にゴジラもビックリ。

ブチギレるモスラにも癒しが必要。
「モスラーや、モスラー♪」 
双子の小美人妖精の歌声復活を祈らずにはいられない。


<関連記事>

時論公論 「がれき受け入れ"拒否"の理由」 (画像引用)
2012年03月22日 (木)
松本 浩司 解説委員
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/113992.html

 
【受け入れ“反対”を表明した横須賀市大楠地区】

【大楠地区はなぜ受け入れを拒否したのか(2)~不手際続きの県対応】

このような背景があるなかで、受け入れ拒否に至った直接的な理由は、県の対応のまずさにありました。

産業廃棄物処分場を受け入れた際、地元は県と協定書を結んでいました。この中に

▼「受け入れる廃棄物は県内から出されたものに限定する」という約束と、

▼「協定の内容を変更しようとするときは、すみやかに県と地元で協議を行う」という約束があります。地元としては、いったん引き受けると既成事実として負担が増大していった苦い経験から「歯止め」として設けたものでした。

しかし、今回、この約束がないがしろにされてしまいました。

黒岩知事は去年5月にいったん受け入れ方針を示しましたが、このときも、12月にあらためて表明したときも、県から地元の大楠地区に事前の相談はありませんでした。町内会長や自治会長たちは憤慨しましたが、それでも被災地の窮状に心を痛めていたため、県が呼びかけた地元説明会に足を運びました。しかしこの説明会は混乱を極めました。

(VTR 大楠地区地元説明会)

町内会長などは、知事と大楠地区の人たちだけで話し合いたいと希望していましたが、ほかの地区や市外からも大勢の人が詰めかけました。予定の倍以上の人であふれ、肝心の地元町内会長たちは会場に入れませんでした。説明会では遠くからやってきた反原発や政治活動のグループが、知事の説明や質疑応答に野次や怒号を浴びせ、地元の人たちが止めてもおさまりませんでした。

そして地元の人たちが一番知りたかった、持ち込まれる焼却灰の安全性の根拠や処分場の敷地にある活断層への備えなどについて、知事や担当者から納得のゆく説明を聞くことはできませんでした。

説明会は混乱と説明不足のうちの終わり、「まずは知事の話を聞いてみようじゃないか」と言って参加した町内会長たちは、終わったときには全員「受け入れ反対」で気持ちが固まっていたと言います。

さらにこの二日後の黒岩知事の記者会見で地元の人たちを批判したと受けとれる発言があり、地元に残っていた「もう少し自分たちで話し合いを続けよう」という空気も吹き飛んでしまいました。町内会長たちは、話し合いの窓口は残しながらも、いっきに「受け入れ拒否」という結論に至ったのです。

地元の反発を受け、神奈川県はこれまでの案を撤回し、新たな案のとりまとめを急いでいます。黒岩知事は被災地を視察し、受け入れの必要性と地元住民の不安とのかねあいに悩んだ末、県議会の最終日ぎりぎりに受け入れ方針を表明しました。しかし、その意気込みが空回りしたと言わざるを得ません。


細野環境相が反対派に囲まれ混乱 北九州でがれき処理PR活動
2012.3.25 16:55
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120325/plc12032516560009-n1.htm

 「九州を汚さないで」「北九州で説明会を開いてないぞ」-。

 東日本大震災で発生したがれきの受け入れを北橋健治北九州市長に要請するため、同市を25日訪問した細野豪志環境相。市長との会談後、細野氏自らが街頭で行ったがれき処理の安全PR活動は、受け入れに反対する市民らの抗議で混乱した。

 細野氏は正午ごろからJR小倉駅前でチラシ配布を開始。ところが、約15分後、プラカードを掲げて怒号を飛ばす反対派の市民ら数人に取り囲まれて中断。細野氏は予定していた1時間のうち約30分を反対派市民との話し合いに費やした。

 市民側が「千葉県から汚染を恐れて避難した人もいる」「がれき全てを検査するのは不可能」などと訴えると、細野氏は「被災者は元の土地で暮らしたいが、がれきが障害になっている。不安にさせたことは申し訳ないが、千葉県は安全。冷静に考えて」などと応じた。


「『絆』失われつつある」 知日派の元米紙特派員が警鐘
2012.3.12 21:39
http://www.sankeibiz.jp/macro/news/120312/mcb1203122139014-n1.htm

 【ワシントン=柿内公輔】米紙ワシントン・ポストは11日までに、「昨年の悲劇は日本を停滞から目覚めさせるのに失敗した」と題した元同紙東京特派員の寄稿を掲載し、自治体ががれき受け入れを拒否している問題に触れながら、東日本大震災直後に世界から称賛された日本国民の連帯意識が失われかけていると警鐘を鳴らした。

 筆者は神奈川県鎌倉市在住のポール・ブルスタイン氏で、震災から1年の節目を「この国の見通しがほとんど変わらなかったとつくづく考えさせられる、なんとも気がめいる機会だ」と表現。過去の日本なら災害や危機を糧として再生に向かうはずなのに「もがいている」と苦言を呈した。

 同氏は、「東北の人々に国民は同情と支援を惜しまず、それは『絆』という言葉に要約された」としながら、「その精神は色あせた」と断言。

 被災地のがれき処理問題について、「私の住む近くの街では、放射性物質が検出されなくても、地元の農業や漁業従事者が『風評被害』に悩まされる、といって当局が受け入れを拒否した」と疑問を投げかけた。

 同氏は震災直後には、「私はなぜ日本を離れないか」と題したコラムで、各国の過剰反応を「賢明でも公正でもない」と戒め、日本の“応援団”を進んで買って出た。それだけに、日本人の間ですら団結の精神がすたれ、風評に流される事態にいたたまれないようで、「こんなことでは絆も終わり」と嘆いている。


辺野古「テント村撤去を」住民763人の署名提出
http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20120303-OYS1T00219.htm

 日米両政府が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設を目指す沖縄県名護市辺野古区の大城康昌区長は2日、移設に反対する市民団体が座り込みを続けている「テント村」の撤去を求め、区民763人分の署名を稲嶺進市長に提出した。

 区は昨年7月から市と市民団体に立ち退きを求めてきたが実現しないため、1月下旬から約2週間、署名活動を実施。区内の高等専門学校の学生を除く住民約1500人の半数以上の署名を集めた。

 署名を受け取った稲嶺市長は「話し合いで解決できる方法を模索したい」と応じたが、同席した区民からは「早く解決しないと、実力行使をしようという若者も出かねない」といった声も出た。 (2012年3月3日 読売新聞)