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福山雅治の「龍馬伝」と楠木正成2009/07/24 21:56

NHK「龍馬伝」  2010年の大河ドラマは坂本龍馬の生涯を描きます


<関連記事引用>

若宮稲荷神社にも“龍馬の像” 「亀山社中」跡からお引っ越し
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20090706/02.shtml

 日本初の商社、「亀山社中」跡(長崎市伊良林2丁目)から若宮稲荷神社(同)に移された「坂本龍馬之像」の除幕式が5日、同神社境内であった。関係者は来年放送のNHK大河ドラマ「龍馬伝」に向けて新たな観光名所となることを祈願した。

 坂本龍馬之像は、青銅製で高さ1メートル、重さ80キロ。同市伊良林3丁目の風頭公園に立つ龍馬像の原型で約3分の1の大きさ。

 銅像は1991年から亀山社中跡の庭内に置かれていた。社中跡を資料館として8月にオープンすることが決まり、復元工事をするため、土地所有者が市に銅像の移設を求めていた。

 同神社は社中に近く、龍馬が崇拝していたとされる南北朝時代の武将、楠木正成が祭られており、社中の志士が参詣したという言い伝えがあることなどから移設場所に決まった。

 除幕式には関係者ら86人が出席。市民グループ「亀山社中ば活かす会」の針屋武士会長は「龍馬ゆかりの地で、建立にふさわしい場所。これを機にドラマが大成功してほしい」とあいさつ。龍馬像を制作した彫刻家の山崎和國さん(74)は「龍馬像の背に広がる風景も素晴らしく、この地なら申し分ない」と話した。


<画像引用>

NHK「龍馬伝」 2010年の大河ドラマは坂本龍馬の生涯を描きます
http://www3.nhk.or.jp/drama/html_news_ryouma.html

靖国の夏、今なお揺れる南北朝正閏論という活断層2009/07/23 21:40

ひっそりと佇む鎮霊社



英霊にこたえる会:エンディング・・・・武士道を伝えよう
忠臣楠正成・正行父子櫻井の訣別
http://homepage2.nifty.com/shukenkaifuku/eirei/E06Link/E0600mn.html



楠木正成こそが武士道の鑑。

昭和二年生まれの私の母ちゃんはまさにその時代を生きた人。
小学校の学芸会で「櫻井の訣別」を演じたことがあったと申しております。
これに「七生報国」も加わって戦中世代は楠木正成に特別な想いがある。

南朝忠臣たちを今なお熱烈に支持している人たち。
その周りには軽い乗りの南朝ファンクラブも取り巻いている。

もはやこれは宗教の領域。南朝教と呼んでもいいかもしれない。
その総本山は靖国神社。

南朝教信者たちに面と向かって、勘違いを指摘することなんてできません。
とはいえ、それとなく尋ねたことがありますが、なんとも微妙な反応でした。
中にはそれこそ「明治天皇すり替え説」を信じている人もいるのではないでしょうか。

特に戦中世代にとっては非常に繊細な問題。
今さらほじくり返されたくないとの想いも強い。


さて、靖国神社にはそれはそれは恐ろしいものが漂っている気配がある。
「こんなはずではなかった」との念が一塊の黒雲のようになって靖国神社全体を覆っているような感覚。

あの戦争もこんなはずではなかった。
そして、今もなお、こんなはずではなかった。

それを鎮める役目を負っている靖国神社。
極めて重要なお役目だということはわかる。

しかし、現在の「こんなはずではなかった」との想いは、やはり天皇に参拝して欲しいからだと思います。

靖国神社も天皇が参拝できるように少しは歩み寄った方がいいのではないでしょうか。
もうすでに「こんなはずではなかった」が怒りとなって靖国神社に向けられている。

皇室に近い麻生太郎氏の「靖国に弥栄(いやさか)あれ」に耳を傾けるべきだった。
麻生氏には最後の最後で皇室のためにひと踏ん張りしてほしいが、もはやもう無理か。

靖国に弥栄(いやさか)あれ 
麻生太郎
http://www.aso-taro.jp/lecture/talk/060808.html

靖国神社が歩み寄れないのは、その根っこにある南朝びいきが影響しているのでしょう。
これはもう遊就館に行けば、誰だって気付くはず。

今月のハワイ訪問で天皇、皇后両陛下は国立太平洋記念墓地で献花された。
この墓地には旧日本軍による真珠湾攻撃で戦死した兵士も眠っています。

05年のサイパン訪問でも米軍の戦死者や戦闘に巻き込まれて死んだ現地の人々もあまねく追悼された。
当時日韓外交がぎくしゃくする中で韓国人慰霊塔にも寄られた。

北朝系の天皇、皇后両陛下は敵味方の分け隔てなく慰霊の旅を続けておられる。

片や靖国神社は南朝忠臣の恨みを晴らすかのように「勝てば官軍」に固執している。

その溝はますます深まるばかり。

そういえば、靖国神社境内で唯一清らかだったのはひっそりと佇む鎮霊社の一角でした。


<画像引用>

鎮霊社|境内のご案内|靖国神社
http://www.yasukuni.or.jp/precincts/chinreisha.html

「非核三原則」見直し、皇室も容認か?2009/07/19 08:39

MSN産経ニュース:米ハワイのオアフ島に到着された天皇、皇后両陛下=7月14日午後(代表撮影)


KC「すでにお耳に達していることと存じますが、日米両国は核の傘に関する具体的な協議に入ることになります。貴国の国是となっていた非核三原則の見直しにつながることになります。このことを直接事前にお伝えしたくハワイに参りました。」

天皇、皇后両陛下「・・・・・・・」



KCとはカート・キャンベル(Kurt M. Campbell)のこと。
来日したキャンベル米国務次官補(東アジア・太平洋担当)は核の傘に関する日米定期協議開催で合意。

実はキャンベルは日本に来る前にハワイで天皇、皇后両陛下と会っていました。
はたしてハワイで冒頭のようなやりとりがあったのでしょうか。

その真相が明かされるのはまだまだ先のこと。
今はまだ私の憶測に過ぎない。
しかし、昭和天皇の戦後を振りかえると、今もまたその可能性は決して0とは言い切れないのです。

(つづく)


<関連記事引用>

【天皇、皇后両陛下ご動静】15日 水曜
2009/07/16産経新聞東京朝刊

(宮内庁発表分)
◇…現地時間14日…◇ 
【午前】
両陛下 駐カナダ日本大使、駐バンクーバー日本総領事共催レセプションご臨席(コンベンション・センター)
両陛下 カナダ(バンクーバー市)から政府専用機でアメリカ(ハワイ州オアフ島)へご移動
【午後】
両陛下 カピオラニ・パークご訪問≪お手植えの木ご覧、市民とご交流≫(ホノルル市)
【夕刻以降】
両陛下 キャンベル米国務次官補、ズムワルト駐日米臨時代理大使夫妻らをご引見(駐ホノルル日本総領事公邸)
両陛下 駐ホノルル日本総領事館員拝謁(同)
両陛下 駐米日本大使、駐ホノルル日本総領事両夫妻などとのご夕餐≪総領事から説明≫(同)


16日訪日の米次官補 「どんな政権とも協力」 幅広く会談の意向
2009/07/14NHKニュース

 アメリカのオバマ政権で対日政策の実務責任者を務めるカート・キャンベル国務次官補は、日本で行われる総選挙について、「アメリカは、日本のいかなる政権とも協力する用意があることを伝えたい」と述べ、16日からの日本訪問では、民主党を含め、政党関係者と幅広く会談する意向を示しました。

 東アジア・太平洋地域担当の国務次官補として、オバマ政権の対日政策の実務責任者を務めるキャンベル次官補は、16日から就任後初めて日本を訪問します。

 これを前に、ワシントンの空港でNHKの取材に応じたキャンベル次官補は、日本の政治状況について、「明らかに重大な局面にある。日本訪問では、アメリカ政府が、いかなる政権とも協力していく用意があることを伝えたい」と述べ、民主党を含め政党関係者と幅広く会談する意向を示しました。

 また、キャンベル次官補は、来日に先だち、日本時間のあす、ハワイを訪問される天皇皇后両陛下を現地で出迎えることについて、「お2人をオアフ島に案内することをほんとうに光栄に思っています。陛下にハワイのおもてなしを楽しんでいただきたい」と述べました。

 さらに、キャンベル次官補は、日本訪問の後、タイのプーケットで開かれるARF(エーアールエフ)=ASEAN地域フォーラムに出席する予定で、これにあわせて北朝鮮問題を協議するため、日本や中国など関係国と5か国協議の開催に向けて調整を進めていることを明らかにしました。


July 15, 2009
Japanese royals visit Hawaii
http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_403379.html

HONOLULU - THE Japanese emperor and empress are expected to revisit some old memories when they arrive in Hawaii on Tuesday for a three-day stay.

Emperor Akihito, 75, and Empress Michiko, 74, are headed first to Waikiki's Kapiolani Park to see a rainbow shower tree they planted when they came to Hawaii as crown prince and princess in 1960.

The couple planted the tree to commemorate the 100th anniversary of the US-Japan relationship. Then-Prime Minister Shigeru Yoshida and Princess Takamatsu also each planted shower trees in the area that year.

Their foray into the park, which is one of Oahu's most popular, will be the only public event during their stay.

Governor Linda Lingle is expected to meet the couple at Oahu's Hickam Air Force Base when the royal couple flies in from Vancouver, British Columbia where they wrapped up an 11-day trip to Canada.

Admiral Timothy Keating, the head of the US Pacific Command, will also greet the couple along with Kurt M. Campbell, the assistant secretary of state for East Asian and Pacific Affairs.

On the Big Island, the couple is due to be feted with hula and a chant entitled 'Welcoming the Rising Sun,' that's been composed in their honour.

But the main reason they're here is to mark the 50th anniversary of a scholarship Hawaii residents set up to commemorate the couple's wedding in 1959.

The scholarship, which has funded the studies of than 130 people since the 1970s, sends University of Hawaii graduate students to Japan and brings Japanese students to UH to study.

Dozens of former scholarship recipients who are now college professors, historians and scientific researchers, will be on hand to celebrate with the royals at a dinner banquet on Wednesday. -- AP


<画像引用>

両陛下がハワイにご到着 15年ぶりご訪問
http://sankei.jp.msn.com/photos/culture/imperial/090715/imp0907151033001-p1.htm

クスノキと楠木正成、森丑之助と佐久間左馬太2009/06/28 16:45

クスノキと楠木正成、森丑之助と佐久間左馬太


森丑之助は鳥居龍蔵や伊能嘉矩と並ぶアジア人類学草創期の巨人。
森は台湾原住民と固い友好関係を築き、その研究に生涯を捧げた。

森は台湾総督府の原住民強制移住政策に強く反対。
強圧的な「五箇年計画理蕃事業」を策定したのは、佐久間左馬太第5代台湾総督。

当初、佐久間は森の平和的な理蕃方式の提言に理解を示していた。
しかし、伐木に樟脳製造、採鉱や茶の栽培事業のために山地開発に乗り出す政商と原住民が衝突。
このため、「五箇年計画理蕃事業」をもって抵抗する部族に対する討伐が繰り返されることになる。

中でも1914年の「タロコ討伐」はもはやジェノサイド。
佐久間もこの討伐で重傷を負い、総督の職を辞すとまもなく死亡。

そして、タロコの地には佐久間神社が建てられる。
しかし、今や佐久間の魂は文天祥の銅像に差し替えられている。

忠臣の鑑として後世に称えられた文天祥。
その「正気の歌」は吉田松陰や藤田東湖ら幕末の志士たちにも愛された。
文天祥と楠木正成が重なり合う。
長州出身の佐久間もまたその因果に飲み込まれた。

森は「タロコ蕃討伐」の前年に怪我人は一人でも少なくしたいとの悲痛な想いを残して台湾を去る。
タロコ蕃討伐終了直後に台湾に戻るが、当時の世界的な悪魔主義に佐久間自身も飲み込まれていく。
そして、内台航路の笠戸丸で森は行方不明となったままである。


<日外アソシエーツ現代人物情報>

★ 森丑之助

調査時点:1990年3月
氏名:森 丑之助(モリ ウシノスケ)
別名・グループ名:号=丙牛
職業・肩書:台湾研究家
生年月日:明治10年
没年月日:大正15年7月4日
出身地・出生地:出生地 京都

プロフィール
明治28年陸軍通訳として台湾守備隊付となり、42年台湾総督府蕃務本署に入る。以来台湾原住民研究に従事、大正5年台湾博物館主事に就任。13年辞任して蕃族の研究に専念し、台湾蕃族研究者の第一人者となった


★ 佐久間左馬太

調査時点:1998年1月
氏名:佐久間 左馬太(サクマ サマタ)
本名:佐久間 直矩
旧姓:旧名 岡村
職業・肩書:陸軍大将;伯爵
生年月日:弘化1年10月10日(1844年)
没年月日:大正4年8月5日
出身地・出生地:出生地 長門国萩(山口県萩市)

プロフィール
大村益次郎に西洋兵術を学ぶ。慶応2年第2次長州征伐では長州軍大隊長として功をあげた。戊辰戦争には東北各地に転戦、のち陸軍に入り、明治5年陸軍大尉、西海鎮台付となり、以後佐賀、台湾、西南の諸戦乱に従軍。19年12月中将に進み、20年第2師団長、27年日清戦争では第2軍に属して威海衛作戦に当った。その作戦後占領地総督となり、のち近衛師団長、中部都督となり、31年大将に昇進。35年予備役となったが、37年日露戦争には現役に復帰、東京衛戌総督を経て、39年~大正4年台湾総督を務めた。この間明治40年軍功により伯爵となる

「クスノキと楠木正成」の今:小田村四郎と吉田松陰2009/06/27 00:40





小田村四郎(おだむら しろう) 
※吉田松陰の妹の曽孫、長州系右派人脈の中心人物

前拓殖大学総長、明成社社長、日本李登輝友の会会長、國語問題協議會會長、昭和聖徳記念財団理事、(社)国民文化研究会会長、日本会議副会長、英霊にこたえる会副会長、靖国神社崇敬者総代

<主な経歴(読売人物データベースより)>
1947/04:高等文官試験行政科合格
1947/05:大蔵省入省
1962/06:大蔵省主計局主計官
1970/05:名古屋国税局長
1971/08:内閣官房内閣審議室長
1972/06:防衛庁経理局長
1974/10:行政管理庁行政管理局長
1976/06:行政管理庁行政管理事務次官(~1978年)
1978/10:農林漁業金融公庫副総裁
1985/08:日本銀行監事(~93年7月)
1995/06:(学)拓殖大学総長(~2003年6月)
1997/05:「日本会議」(財界人や学者らで設立)副会長
2000/05:国民文化研究会会長



<関連サイト>

【大道無門】NHKスペシャル「JAPANデビュー」・小田村四郎
http://www.youtube.com/watch?v=KHcLrULSEnM
http://www.youtube.com/watch?v=zVO4GblBaEU&feature=channel
http://www.youtube.com/watch?v=oScZhWMZhdo&feature=channel
http://www.youtube.com/watch?v=AP3H1Xjb0CU&feature=channel



英霊にこたえる会:エンディング・・・・武士道を伝えよう
忠臣楠正成・正行父子櫻井の訣別
http://homepage2.nifty.com/shukenkaifuku/eirei/E06Link/E0600mn.html

今また「クスノキと楠木正成」が騒がしい2009/06/26 08:17

シリーズ・JAPANデビュー 第1回「アジアの“一等国”」に関しての説明

NHKスペシャル「JAPANデビュー アジアの“一等国”」問題はついに法廷へ。

NHKの説明には、「台湾」、「地政学」、「樟脳」、「後藤新平」、それに「樺山資紀」まで。

え? 番組制作に私が関わっていたのではないかって?
そういえば・・・(汗)

なにやらこの騒動に多少巻き込まれそうな予感。

それにしても、この問題で鳥居龍蔵や森丑之助の名前がどうして出てこないのか。
このあたりが非常に残念でならない。

「人間動物園」に関して、私からすれば双方に欠落している視点がある。

ここで再度紹介しておきます。


<引用開始>

破壊的な集団攻撃と定義される戦争は文化的進化の産物である。それゆえに文化的に乗り越えることができる。

戦争は人間のいくつかの普遍的な性向を利用する。たとえば攻撃的感情、集団を防衛する傾向、優位性への欲求、なわばりを作る傾向、見知らぬ人間の対敵的信号に反応する傾向、等々である。

しかしこれを全部合わせても戦争には決してならない。戦争はむしろ計画、指揮、破壊的武器、敵の非人間化による同情の超克を前提とする。人間はこの点において簡単に教化されることが明らかである。

殺人に対する抑制と所有の規範などのいくつかの基礎規範がこれに逆に働く。これらは文化的規範のフィルターで覆われるが排除はされない。規範間の葛藤は良心の葛藤として体験される。これはまちがいなく、協定による紛争解決の人道化や、さらに平和的関係の確立、維持のための原動力の1つである。これらは人間の動機づけ構造に対応するのだろう。

つまり人間にはその性向からして平和への能力がある。しかし平和は戦争の果たしている課題を認知し、戦争を病変として簡単に片づけてしまわないことを前提としている。

平和を望むのならば、これまで戦争が果たした、なわばり設定や民族のアイデンティティーと資源の確保という機能を他の無血の方法で解決していかねばならない。


『ヒューマン・エソロジー―人間行動の生物学』イレネウス アイブル=アイベスフェルト
「種内の敵対行動―攻撃と戦争」より引用
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%BD%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%BC%E2%80%95%E4%BA%BA%E9%96%93%E8%A1%8C%E5%8B%95%E3%81%AE%E7%94%9F%E7%89%A9%E5%AD%A6-%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%83%8D%E3%82%A6%E3%82%B9-%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%AB-%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%88/dp/4623035441/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1245161348&sr=1-1



<画像引用>

シリーズ・JAPANデビュー 第1回「アジアの“一等国”」に関しての説明
http://www.nhk.or.jp/japan/asia/index.html
http://www.nhk.or.jp/japan/pdf/asia.pdf


<関連コラム>

『隠されたクスノキと楠木正成』
http://www.sonoda-yoshiaki.com/colum.html

ヒューマン・エソロジーから見た「攻撃と戦争」
http://y-sonoda.asablo.jp/blog/2009/06/16/4369087