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中国解剖:西嶋定生の「東アジア冊封体制論」再考2009/08/24 07:44

西嶋定生


東アジア史の権威といえば今は亡き西嶋定生氏。
西嶋氏が残した最大の功績は東アジアの国際秩序を分析した中国中心の「冊封体制」論。
日本でも多極化論が話題になる中、新聞等で西嶋再評価があってもいいはずなのに、今なお埋もれたまま。

私自身は多極化なんてまだまだ先と考えていますが、いずれ中国が一極を担う可能性は否定できない。
その時、東アジアの「大中華共栄圏」の下で新冊封体制が復活するのか。
またしても日本は朝貢外交を迫られることになるのか。
なかなか興味が尽きないところ。

スケールの差こそあれ、西嶋氏の東アジア冊封体制論とパクス・アメリカーナとの比較も重要。
「核の傘」とていつ破れるかわからない。
属国などという自虐的な見方があるものの、日本は覇権国との付き合い方が上手と評価することもできる。

よって、我々日本人は何も恐れることはない。
その時がくれば、米中の間をしたたかに立ち回ればいいだけの話。
余裕かまして俯瞰する姿勢も重要です。


<冊封体制とは>

冊封体制(さくほうたいせい)
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%86%8A%E5%B0%81%E4%BD%93%E5%88%B6/

近代以前の中国とその周辺諸国との関係を示す学術用語。冊封とは、中国の皇帝が、その一族、功臣もしくは周辺諸国の君主に、王、侯などの爵位を与えて、これを藩国とすることである。冊封の冊とはその際に金印とともに与えられる冊命書、すなわち任命書のことであり、封とは藩国とすること、すなわち封建することである。したがって冊封体制とは、もともとは中国国内の政治関係を示すものであり、これを中国を中心とする国際関係に使用するのは、それが国内体制の外延部分として重要な機能をもつものと理解されるからである。

周辺諸国が冊封体制に編入されると、その君主と中国皇帝との間には君臣関係が成立し、冊封された諸国の君主は中国皇帝に対して職約という義務を負担することとなる。職約とは、定期的に中国に朝貢すること、中国皇帝の要請に応じて出兵すること、その隣国が中国に使者を派遣する場合にこれを妨害しないこと、および中国の皇帝に対して臣下としての礼節を守ること、などである。これに対して中国の皇帝は、冊封した周辺国家に対して、その国が外敵から侵略される場合には、これを保護する責任をもつこととなる。このような冊封された周辺国家の君主は、中国国内の藩国や官僚が内臣といわれるのに対して外臣といわれ、中国国内の藩国を内藩というのに対して外藩とよぶ。そして内藩では中国の法が施行されるが、外藩ではその国の法を施行することが認められ、冊封された外藩の君主のみが中国の法を循守する義務を負うことになる。

周辺諸国に対する冊封関係は、国内で郡国制が採用された漢代初期から朝鮮、南越を対象として発生するが、武帝時代にはこれらは郡県化される。しかし西南夷(せいなんい)諸国に対しては冊封関係が継続し、また高句麗(こうくり)もこれに編入される。3世紀になると邪馬台国(やまたいこく)女王卑弥呼(ひみこ)が魏(ぎ)王朝から親魏倭王(わおう)に封ぜられて金印を受けたのも冊封体制へ編入されたことを示すものである。その後、朝鮮半島では百済(くだら)、新羅(しらぎ)がその対象とされ、唐代には新羅、渤海(ぼっかい)がその主要な藩国となる。しかし日本は6世紀以降はこの体制から離脱していた。

10世紀初め唐帝国が滅亡すると、それ以後、中国を中心とする冊封体制は一時崩壊し、宋(そう)代にはかえって中国王朝が遼(りょう)や金の下位に置かれるという事態も起こるが、14世紀に明(みん)王朝が成立すると、冊封体制は強化され、足利義満(あしかがよしみつ)も明の永楽帝から日本国王に冊封され、日本もふたたびこの体制内に位置づけられる。しかし室町幕府の衰微とともにその関係は消滅した。清(しん)代では、この体制は日本とインドを除くアジアの大部分に拡大され、清仏戦争や日清戦争の原因の一つとなった。しかし東アジアにヨーロッパ勢力が及び、また中国の皇帝制度が消滅するとともに、この体制は消滅した。

冊封体制の歴史的意義は、10世紀以前では中国文化を周辺諸国に伝播(でんぱ)させる媒体となったこと、それ以後では中国を中心とする東アジアの交易関係を統制し秩序化する役目を果たしたことである。しかし中国を中心とする国際関係は冊封関係のみではなく、敵国関係(対等な関係)、父子、兄弟、舅甥(きゅうせい)関係(国家関係を親族関係に比定した関係)、および冊封を伴わない単なる朝貢関係などのいろいろの形態があり、冊封関係はそのうちの一つであったが、中国と朝鮮、日本との関係としてはこの関係が重視される。

[執筆者:西嶋定生]


<関連サイト>

冊封 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%8A%E5%B0%81

西嶋定生の東アジア冊封体制論
http://edo.ioc.u-tokyo.ac.jp/edo2/edo.cgi/_NVpr474CanA9G6Bj0WAXBQ.html

西嶋定生・清水登両先生を送る(古厩 忠夫)(画像引用)
http://hyena.human.niigata-u.ac.jp/e_asia/zazhi/zazhi08/furu0298.html

西嶋先生の思い出(大隅 晃弘)
http://hyena.human.niigata-u.ac.jp/e_asia/zazhi/zazhi08/osumi98.html

この日西嶋先生は講義の冒頭、「世界史とは世界が一体化する過程である」と世界史とは何かという定義から入られ、次に「資本主義成立以前の前近代では世界は一つではなくそれぞれの地域にそれそれ独自の文化をもつ文化圏を形成し、いわば世界は複数存在した」と述べ、その上で「東アジア文化圏」とは何かという命題にはいられた。その間わずか五分程度、早口ではあったが、非常に明晰な語り方だった。おおげさに聞こえるかも知れないが、そのとき私は本当に涙ぐんでしまった。今思えば、先生としては自明のこととしてお話になったのだと思うが、いわゆる「ものしり」(?)なだけの歴史オタクの少年が、はじめて歴史を体系的・構造的に解明する理論に出会って感動したのだ。

コメント

_ たまにコメントする読者 ― 2009/08/25 13:06

中国の新たな冊封体制に関してですが
三極委員の田中明彦氏は「新しい中世」のなかで
世界は3つ位のグループにわかれ,国境やナショナリズムは
意味を失うといった記述があったように記憶するのですが
どう思われますか?

_ へなちょこエンジニア ― 2009/08/26 07:49

殿;
我が藩は小藩故、つろうござりますなーあ。幕府、雄藩の間にはさまれて。
禽獣の心で生き延びるしかござりませんなーあ。

_ Y-SONODA ― 2009/08/26 08:31

★たまにコメントする読者さんへ

田中明彦氏の「新しい中世」は随分前に読みましたが、中身を覚えていない(汗)
この本が出た当時はグローバリゼーション花盛り。
多極化後の世界システムをめぐる議論が流行りました。

しかし、911は米国を一変させる。
高まるナショナリズム。ネオコンとキリスト教右派の台頭。
米国は田中氏が唱えた「新中世圏」を飛び出して、「近代圏」から「混沌圏」に向かう。
この時点でナショナリズム軽視の弱点が明らかになった。
そして、最近の田中氏の論説からはネオコンへの恨み節が聞こえてくる。

また多極化を認めつつも米国を侮るべきではない的な発言を繰り返していますが、これは大いに賛成。
世界が多極化なり無極化に向かったとしても、それは米国にとって都合のよい「米国中心の多極化」になるのではないかと見ています。

★へなちょこエンジニアさんへ

何を言う。幕府、雄藩を適当におちょくるという楽しみがあるではないか(笑)

_ Q ― 2009/08/26 20:45

>冊封された諸国の君主は中国皇帝に対して職約という義務を負担することとなる。
>職約とは、定期的に中国に朝貢すること、中国皇帝の要請に応じて出兵すること、
>その隣国が中国に使者を派遣する場合にこれを妨害しないこと、
>および中国の皇帝に対して臣下としての礼節を守ること、などである。

西嶋先生のおしゃった、この上の箇所について

4世紀の神功皇后の三韓征伐や任那倭府も、この中国を中心とした冊封体制の下の職約の義務と関係がある。

なぜなら、記紀や中国の文献を総合して解釈すれば、4世紀の倭国による朝鮮半島の軍事介入は、朝鮮半島にあった中国の帯方郡・楽浪郡の崩壊が影響していることが分かる。また、それは、満州にあった高句麗の南下が要因であった。
そして、それから、倭は朝鮮半島への軍事介入を正当化するために、倭の五王(六王?)による中国への請願(朝鮮半島南部を軍事的に管理するための中国の官位を要求)が始まる。これらは、全て、倭国が、中国の冊封体制の下での職約の義務の随行するためのことを主張し、それを自らの軍事行動の大義名分としていることからも分かる。

で、下のソース。

その常識、ホントウ?
http://www.asahi-net.or.jp/~yw8a-kndu/html/inuyama_1_yamatai_kunakoku.html

このソースからも考えられることだが、おそらく、紀元前1世紀ごろに既に、漢帝国(中国)と倭国との間に、職約の義務があり、中国にとって倭国は重要な臣下とされていたと思われる。3世紀の卑弥呼は親魏倭王とされ、これは、満州や朝鮮半島諸国からみたら、別格扱いを受けている。また、1世紀の倭の奴国の金印も、他の諸国よりも圧倒的な高待遇だ。(また、ただ単に奴国とされず、倭の奴国とされたのは、おそらく、中国にとって、倭国という大きなカテゴリが既に存在していたと思われ、この西暦57年の時点では、倭国内部が混乱状態だったので、とりあえず倭の奴国に金印を譲渡されたとも見える。卑弥呼=モモソ媛命で逆算したら、ちょうど、ナガスネヒコの専横、神武東征ぐらいの頃)

で、中国と倭国の関係が想像以上に古い文献資料

倭・倭人関連の中国文献
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E3%83%BB%E5%80%AD%E4%BA%BA%E9%96%A2%E9%80%A3%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%96%87%E7%8C%AE

あと、これも、もしかしたら、倭国?

漢書 王莽伝 (元始五年)東夷王度大海奉国珍
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/bunken.html#kanjo3

園田さんの別の記事にもあったが、王莽の時代に冊封体制が完成したらしい。この東夷の王が倭国かどうかは分からないが、私は、卑弥呼=モモソ媛命で逆算したら、ちょうど、天火明命、ニニギ命、天香語山命の時代と重なり、もしかしたら、それ以前の出雲に代わる最初のヤマトの王ではないのか?とも推測している。

_ Y-SONODA ― 2009/08/27 09:42

Qさんへ

西嶋氏は倭国に関する著作も多数残しています。
「邪馬台国と倭国」などはお勧め。
アプローチの仕方などは参考になると思いますよ。

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