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中国解剖:「徐福」で悪酔い羽田孜?2009/08/20 07:54





日本徐福会名誉会長の羽田孜は秦朝・徐福の後裔だと自称している。
これまた夢か幻か。羽田の悪酔いに過ぎないのか。
結局、日中友好は中中友好ということか。

それでも羽田は日本人。日本人というものの奥行きを知ることができる。
むしろ、今流行の「理屈じゃないのよ、嫌中は」の軽さの方が余程問題です。



<関連記事引用>

▼日中で「徐福」へ関心高まる(取材ファイル)
1991/06/18朝日新聞夕刊

 不老不死の仙薬の探索を始皇帝に命じられ、童男、童女数千人を連れて東海へ旅立った――と史記にも記録された中国秦代の仙術士「徐福」への関心が、最近、日中両国で高まっている。2年前、中国江蘇省で徐福村が発見され、「徐福は伝説上の人物ではなく、実在したのでないか」と話題にされたのが騒ぎのきっかけ。

 昔からある日本渡来説も再燃し、著書や論文が次々と発表されだしたのをはじめ、この5月には、関心を寄せる作家や地方史家たちの発案で、全国組織の「日本徐福会」(東京都中央区日本橋茅場町2の14の1、第1井上ビル503)も発足。これが人民日報や文匯報で中国に報じられたり、日本各地の徐福上陸伝承地の自称「子孫」たちが続々参加を申し込んで情報を寄せたりするなど、ちょっとしたフィーバーぶりを見せている。

 「徐福会」の発起人には巌谷大四、尾崎秀樹、早乙女貢氏らのほか、瀬戸内寂聴、陳舜臣、梅原猛、駒田信二、岡本好古氏ら60人以上が名を連ねているが、音頭をとったのは「徐福―弥生の虹桟」の著書もある飯野孝宥さん。「歴史研究の学術団体ではなく、紀元前3世紀の夢とロマンを追う大人の懇親団体。秋には中国徐福村の訪問なども計画中です」と、論議の高まりを期待している。

 徐福を巡る伝承や記録は日中双方に昔から数多くあるが、それを要領よくまとめて紹介した本も最近出た。逵志保(つじ・しほ)著「徐福伝説考」(一季出版)で、これは大学での卒論が認められて出版されたものという。ブームとは離れた冷静な筆運びが好評を呼んでいる。


▼首相訪欧メモ/ 「祖先も日本のかじとり」 政権運営に決意も新た
1994/05/04中日新聞朝刊

 就任早々、訪欧の途についた羽田孜首相は、ローマへ向かう機中で、持参した飯野孝宥著「弥生の日輪」を読み返しながら、羽田家の先祖につながるという“秦徐福伝説”を秘書官らにひとくさり。

 二千二百年前、日本にあると言われていた不老の薬を、秦の始皇帝に献上するため来日したのが徐福で、羽田家はその末えいとか。この本には「秦氏は血の気の多い行動派の名門で、大乱になると必ず表舞台に躍り出て、日本の進路を変えてきた」とも記されている。首相はこの本に、自筆で「温故知新-二千二百年前をたどって、訪欧の途次記す 羽田孜」と書き込んで、訪欧と政権運営にかける決意を胸に刻んでいた。


▼外資導入で発展する浙江省
2008/07/02鉄鋼新聞

中国沿岸部で上海に程近い浙江省。省都の杭州市は人口643万人、ほかに560万都市の寧波市や330万都市の嘉興市を有する大都会で工業も盛んだ。外資系企業が多く進出しており日系企業では医療機器メーカーのテルモや食品のキューピーが工場をおいているほか、東芝や松下電工などの総合電機メーカーも生産拠点を構えている。文化面でも日本との関係が深く、曹洞宗の開祖道元が修行した天童寺があり、秦の始皇帝の命で日本に渡来した徐福が出港した地としても有名。産業に加え観光事業にも力を入れており、昨年4月には中国の揚子江流域で最も古い城跡が見つかるなど見所も多い。浙江省旅游局と全日空の協力で現地を取材する機会を得たので、躍進を続ける浙江省の今をリポートする。(古瀬唯)

日系企業の戦略拠点

日本からも多数の電線メーカー進出

浙江省は東シナ海に面し、面積は約10万平方キロメートル。人口は5060万人で一人当たりのGDPでは4883ドル、中国で上海、北京、天津に次ぐ4位となっている。非金属鉱物を中心に地下資源が豊富で、セメント用の凝灰岩や蛍石などの埋蔵量が多い。

電線関連のメーカーの進出状況は、昭和電線HDが富陽市に杭州富通通信技術股分、杭州富通昭和線纜配件を置いて光通信ケーブル、電子ワイヤを生産するほか、嘉興市の嘉興昭和機電で機器用のハーネス事業を展開。古河電工グループの東京特殊電線は、平湖市に現地法人の東特(浙江)でエナメル線やフレキシブルフラットケーブルなどの電子材料を製造している。

省都の杭州市では、ワイヤハーネス首位の矢崎総業が自動車向け計器や部品を製造。関西系のハヤカワ電線工業もハーネスを生産する。

産業の誘致に力を入れており、93年から国家プロジェクトとしての開発区を杭州に設置。様々な優遇政策を行っており、世界各国の情報電子、医薬品企業が工場を構える。日系企業では東芝が世界に輸出するノートパソコンの大多数を生産する東芝情報機器杭州社を建設、松下電工が白物家電の製造拠点として27万平メートルの松下杭州工業団地を造成するなどグローバル展開に向けた戦略拠点がある。

工業製品の輸出が非常に活況で、06年度の海外への販売額は前年度比31・4%増の1009億ドル。電化製品、衣料品、ハイテク製品、携帯電話などが中心で日本は相手国としてアメリカに次ぐ第2位にある。

杭州湾大橋開通2100億円国家事業

経済規模が拡大する中、インフラの整備も盛んでおり、5月には杭州湾跨海大橋が開通。寧波市から嘉興市を南北36キロメートルで結び、上海から寧波市までの距離は360キロメートルから、240キロメートルまで短縮された。

大橋は総工費約2100億円の超大型事業で35%を寧波市の民間企業が出資、残りの65%を中国の政府系銀行が融資した。耐用年数は100年で震度10の揺れにも対応できる。上海との経路が短くなったことで浙江省に進出する企業の物流面でのメリットが大きくなっている。

全長36キロメートルは、アメリカ、ルイジアナ州のポンチャートレイン湖にかかるゴーズウェイ大橋の38・4キロメートルに次ぐ世界2位で海に架かる橋としては最長。上海万博を睨んで観光資源としての役割にも期待が集まっており、開通から3日で約100万人が訪れた。道路は全6車線で、最高時速は120キロメートル。フォルクスワーゲンやBMWといった欧州車やトヨタ、ホンダなどの日本車の往来も多い。

杭州市の杭州蕭山国際空港から寧波市の大橋までの道のりでも自動車の通行が活発で、砂埃が舞う道路を旧式のオート三輪や高級車などが混在して行きかっている。現在、自動車の普及台数は200万~250万台。農村部ではまだ高級品だが、裕福な自営業者を中心に1日300台のペースで販売が進んでいる。これまで自動車メーカーは現地資本と海外企業の合弁会社が中心だったが、ここに来て中国のメーカーも成長している。

自動車の普及に加え、郊外には新築の戸建住宅も多いほか、山を切り崩しての造成や工場建設も活発。道中では露出した山肌が多く見られたほか、工事現場、建築部材を扱う金属問屋などが軒を連ねる。隅々まで急速な発展の「過渡期」を感じられる浙江省。鉄鋼、非鉄関連とも有望な市場として、また新たな生産拠点の候補地として決して目を離せない。

観光事業にも注力

観光資源も豊富道元らゆかりの地

約500社の外資系企業を擁し工業が盛んな浙江省だが「文化の都、絹茶の里、観光勝地」としても有名。観光客の誘致にも力を入れており、06年度は国内から1億6千万人海外から427万人が訪れている。特に省都の杭州は「天に極楽あり地上に杭州・蘇州あり」と言われるほど風光明媚。その人気は国内でも強く中国人が住みたい町で第1位を獲得するほどだ。

同省には日本と関係の深い観光地が多く、寧波市には曹洞宗の開祖である道元が1223年に修行した天童寺がある。4世紀に建立された歴史ある寺院で、荘厳な雰囲気。高さ18メートルの巨大な弥勒菩薩や韋駄天などの仏像が並ぶ。現在も多くの出家者が在籍し、朝の3時半から夜の11時まで厳しい修行に励んでいる。最盛期には1千人を越える修行僧がおり、巨大な青銅製の鍋で1千人分150キログラムの粥を作っていた。

道元に加え、水墨画の巨匠、雪舟も天童寺で学んだ一人。1467年、雪舟47歳の時に同寺に入った。その後、精進を続けて高僧のとなり「天童寺の第一座」と呼ばれ敬われたといわれている。広大な敷地に多くの仏閣が並んでいるが現在も増築が進んでおり7階建ての千仏塔が建設中だ。

日中交流架け橋徐福出港の地

同省は紀元前210年、秦の始皇帝に不老長寿の薬探しを命じられ、三千人の童子とともに日本に渡った歴史上の人物徐福が出港した地としても有名。海を望む慈渓達蓬山にはテーマパークの徐福文化園がこの6月にオープンしている。

山に作られたテーマパークの麓には、釈迦の巨大な足跡が石に残るといわれる仏跡寺がある。徐福は佐賀県に流れ着き当時の日本の文化水準を高めるために貢献したとされており、徐福像の開幕式には日本から羽田孜元総理大臣も出席し、日中友好を祈念した。

山頂には3千人の童子たちが船旅の無事を祈った祈求壇と呼ばれる中国建築の建物を再現。出港する際の無事を願った神事を再現するため青銅製の祭器を置いている。祭器は始皇帝が全国を行脚した際に立ち寄った句省県から持ち帰ったもののレプリカ。船出の時期と伝えられる5~6月には徐福祭りを開催する予定で、テーマパークは年間30万人の入場が予想されている。

文化的に日本とゆかりがある浙江省。日本人に対するイメージも良く、寧波市旅遊局の陳民憲副局長は「家電など電化製品を通して、日本という国に親しみを感じている人が多い。こちらでは日本人は皆勤勉という印象。寧波市は歴史の町、仏教の町として知られ、開放的な風土もある。多くの日本人を受け入れていければ」と期待を膨らます。

日本との距離縮まる

揚子江文明の城跡世界遺産に申請

歴史の面では4千年~5千年の歴史を持つ良渚文化があり、杭州市北部の博物館では出土した玉石の装飾品が並ぶ。玉石は権力の象徴とされており、豪族の墓から見つかっている。その手の込んだデザインには目を見張るばかりで文明の高度さに圧倒される。当時は石器で畑を耕しており、稲作も行われていたという。

良渚文化はこれまで古墳のみの文明と考えられてきたが昨年4月には幅60メートル、長さ1700メートルに渡る城壁が発見され、5千年前に城を中心にした国家が存在したことが実証された。中国では黄河文明では城跡が見つかっていたが、揚子江の流域での発見は初。20年来の歴史的な発見として現在、中国は世界文化遺産に申請を行っている。

出土した城壁は高さが4メートル。最初に発見されたものは西側の壁面で、城を囲むのは全長1700メートル×1900メートルの長方形のものと見られている。今も発掘作業が進んでおり、城壁とともに当時の石器などが続々と見つかっている。

豊かな文化、発展を続ける産業を有する浙江省。ANA杭州市店の藤井康充支店長は「当社は2004年3月から成田からの直行便を就航、現在は関西国際空港からのコースもある。関空からは2時間のフライトで上海までの時間と変わらない。日本と杭州の渡航時間は短縮している」と話す。

東京都と地図上は約2千キロの隔たりがあるが、観光、ビジネスの面でその距離は極めて近い。中国では北京オリンピックや上海万博など国際的なイベントも控えており、その隔たりは今後さらに縮まっていきそうだ。