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サル学から見たクジラ・イルカ問題2009/08/12 00:22

左端が伊谷純一郎、中央が今西錦司 (1958年3月6日 アフリカにて)


クジラを守れ、イルカを殺すなと迫られて、
「伝統に文化なんだよコノヤロー、害獣なんだよアイツらは」と叫ぶ人たち。
中には牛や羊やカンガルーを持ち出して、「おまえの母ちゃんでべそ」で返す人もいる。
まるでキーキー騒ぐおサルさん。

一方で日本にもイルカちゃんを守ってあげようと立ち上がる優しい人たちもいる。
彼らの「イルカを守れ」に「地球を守れ」もなにやら人間様の上から目線が気になるところ。
やはり、西洋かぶれに見えてくる。

「いただきます」はどこにいった?
「ごちそうさまでした」はどこにいった?

自然や動物に対する感謝の気持ち、謙虚な姿勢も日本人の持ち味だったはず。
それを忘れているのではないでしょうか。

動物に名前を付けて人間のようにみなす日本式のサル学が今や世界標準に。
今西錦司や伊谷純一郎が草葉の陰で泣いている。


<関連記事引用>

▼「サルとすし職人」フランス・ドゥ・ヴァール (著)、P85

日本の文化は、人間と動物のちがいを強調しないので、反擬人化の呪縛からは比較的自由である……それが多くの重要な発見をもたらしてきたと思う。  伊谷純一郎(一八八五年)


▼人類学者伊谷純一郎氏(22)擬人主義――「人間に近い」ゆえに(私の履歴書)
1991/02/23日本経済新聞朝刊

 霊長類の研究は世界的規模で盛んになり、野外研究も活発になった。私が「欧米周遊」やタンガニイカ湖畔で出あった人びと、シャラー、グドール、ドゥヴォー、クンマーなどが新しい資料をたずさえてデビューした。

 国際霊長類学会が発足し、国際誌『フォリア・プリマトロギカ』が、私たちの『プリマーテス』に遅れること七年にして、スイスから刊行された。その序文の冒頭には、この学問のそしてこの国際誌の史的な基礎をトーマス・ハックスリーの一世紀前の著書『自然における人間の位置』に置くとしている。

 国際シンポジュームもつぎつぎに開催され、私もいくつかに出席した。ヨーロッパの研究者は鳥などからサルに転向した行動学者、アメリカではウォッシュバーンの流れを汲む人類学者が多かった。これらの研究者の間で、日本流の擬人主義的方法論への批判が囁かれるようになった。行動学は擬人主義をタブーとして厳しくいましめていたのである。

 ミミズを二つに切ると、その半身ははねまわる。それをミミズが「痛がっている」と言うのは擬人主義だと、私たちも教わった。ミミズには神経がないというのがその理由である。しかし私は、ミミズなりに「痛がっている」という表現が不適切ではないと考える。

 行動学者のおっしゃることをつきつめれば、サルの行動にだって何一つものが言えないことになる。日本の霊長類学は科学なのかという疑義と、私たちの立場との分かれるところなのだが、それはまた今西先生が提起された反生物学主義につながることになる。

 この問題は、今西先生の『生物の世界』(一九四一)の中で早くに解かれている。とくに人間に近い動物を対象にする場合、自らの類推の能力を閉ざすとは何と愚かなことか。もちろん類推は仮説であるが、それを支持する事例を集積するうちに仮説は実証されるだろう。ジェーンは新著『窓を通して』のなかで、同じ批判への自らの立場を述懐している。長期調査を経験した者のみに開ける世界といってよいのだろうか。 (人類学者)


▼京都発 サル学の60年 座談会(上)パイオニアワーク 日本の個体識別、世界標準に
2008/03/20京都新聞朝刊

 日本の霊長類学六十年の歴史と未来について、京都大霊長類研究所長・教授の松沢哲郎氏と、日本霊長類学会長で京大理学研究科教授の山極寿一氏に語り合ってもらった。連載の締めくくりにふさわしく、座談会の前半では、日本の霊長類学を創始した今西錦司氏(一九〇二-九二、元岐阜大学長)や伊谷純一郎氏(一九二六-二〇〇一、元京大教授)らの業績、日本と欧米の研究スタイルの違いなどが論点となった。(司会は編集委員・尾古俊博)


餌付けの手法 欧米から批判

 尾古 今西さんの業績ですが、西洋に理解されにくかったという指摘もあるが?

 山極 個体識別ということが非常に擬人的なやり方だと批判された。動物に名前を付けて人間のようにみなすことが科学的じゃないと。もう一つは餌付けですね。西洋風の思考方法では、環境が個体の行動や社会にどういう影響をもたらしているか、定量的に測ることにあったから、それをだいなしにする餌付けはやるべきではないという。

 日本の霊長類学が最初に目指したのは幸島のイモ洗い行動のような文化。種の中の行動や社会の変異ですね。地域によって色々違う行動がみられるのではないかと。それには個体識別や餌付けが必要だったが、欧米的な見方からは批判された。

 しかし、チンパンジー研究を始めたジェーン・グドールさん、あるいはゴリラ研究を始めたジョージ・シャラーさんやダイアン・フォッシーさん、オランウータン研究のビルーテ・ガルディカスさん。こういった類人猿の研究者は初めから個体に名前を付けている。

 ジェーンさんの場合は、日本の研究を見習ったわけではないが、フォッシーさんの場合は明らかに日本の研究を見習っている。個体に名前を付けて行動を記録していく。こういった手法を初めからとった。霊長類の社会的な知覚力をフィールドで見る方法として名前を付けることは間違いではない。今ではそういう手法をほとんどの人が使っている。

 尾古 こんな話を聞いた。欧米の研究者が霊長類の一つの群れを研究した。最後に全部撃ち殺して標本にして持ち帰った。

 松沢 霊長類学者のフランス・ドゥ・バールさんが書いた論文、原題が「サイレント・インベイジョン」、「静かな侵入」という意味の論文に書いてある。クラーレンス・カーペンターさんという研究者の話だ。一九三〇年代に東南アジアでテナガザルを調査し、雄と雌のつがいが社会の基本であるということを明らかにした。最後に撃ち殺して標本として持ち帰った。

 日本人の今の感性では理解できない。しかし、キリスト教的には、私は人間でありサルは動物。人間と動物という二分法があり、人間と自然という二分法がある。だから、標本にすることが当然なのです。

 今西さんをはじめ日本の研究者は、個体の向こうにある社会をみたかったから、個体に名前を付けて長い間見続けるという方法を確立した。それが妥当だったから西洋の人たちも使っていく。特に霊長類の社会を研究する場合、それが世界標準になっていく。学問の世界の標準になってしっとりと根を下ろした。それが「サイレント・インベイジョン」です。


<画像引用>

今西錦司と日本の霊長類学の60年 — 京都大学
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/news6/2008/080723_1.htm

左端が伊谷純一郎、中央が今西錦司 (1958年3月6日 アフリカにて)

8.6田母神講演会2009/08/12 09:24




どう見ても赤い旗の連中の方が気持ちわりぃ~。