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天皇皇后両陛下と新渡戸稲造、カナダの地にて (猿田彦さんより)2009/07/09 00:00

天皇皇后両陛下と新渡戸稲造、カナダの地にて


天皇皇后両陛下がブリティッシュ・コロンビア大学構内にある新渡戸記念公園をご訪問されるとのこと。 
そこには「太平洋の架け橋とならん」と刻まれた新渡戸博士の石碑があることを知る人は少ない(画像上)。

「国を思ひ世を憂ふればこそ何事も忍ぶ心は神ぞ知るらん」

その晩年にこう詠んだ新渡戸博士と昭和天皇の心の交流を、今上陛下はきっとご存知なのでしょう。
沖縄へ、サイパンへ、慰霊の旅を続けられる両陛下のお心は、こんなところにも現れておられるのです(画像下ーサイパン)。

しかしながら田母神俊雄氏をはじめとする右よりの方々の言動、行動を見ていると、まさに「親の心子知らず」と言わねばならない。上のような両陛下のお心をきめ細かく学ぼうとする意識はないようにみえるのである。

その様相は、明治維新以降天皇を現人神と奉る一方で、影では天皇を「玉」と呼んでいた心根に相通ずるものがある。その浅薄さが、維新から敗戦までわずか77年という短い間に大きな戦争をいくつも起こすという結果に繋がっていよう。

長い日本の歴史の中でこの77年は極めて異例な状態であったと言わねばならない。日本という国の本来のあり方を深く考えもせず、浅薄な国際関係に流されてしまった結果、危うく国を損なうようなことになったのではないか。

心を鎮めてそのことに思いを致すことが必要である。

コメント

_ Y-SONODA ― 2009/07/09 00:52

猿田彦さんへ

天皇皇后両陛下のカナダ公式訪問。
宮内庁HPで日程を調べるとこう書かれていました。

7月10日(金)
バンクーバー(ブリティッシュ・コロンビア州) 御着
ビクトリア(ブリティッシュ・コロンビア州) 御着

7月14日(火)
同地 御発 http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/gaikoku/h21northamerica/eev-h21-northamerica.html#D0612

バンクーバーにビクトリア。これはもう確実に新渡戸慰霊もありと判断。
それで『「8月6日の田母神俊雄米国講演会」のご提案』で新渡戸記念公園のビデオ紹介。
実はこのビデオの3分40秒あたりに石碑も映っているのです。
http://y-sonoda.asablo.jp/blog/2009/07/03/4410186

そしてバンクーバー経済新聞は13日の午前中にブリティッシュ・コロンビア大学訪問と報じました。
http://vancouver.keizai.biz/headline/617/

同大学構内にある新渡戸記念公園訪問もほぼ確実。
記念撮影に備えて「太平洋の架け橋とならん」の石碑はピカピカに磨かれているかもしれませんね。

新渡戸といえばクエーカー。
今上天皇といえばヴァイニング夫人でこれまたクエーカー。
おそらくクエーカーの方々も大勢集まるのでしょう。

憲法9条はクエーカーの信条そのもの。
今回のカナダ訪問は憲法9条を守るという天皇皇后両陛下の固い信念を感じます。

今上天皇は「即位後朝見の儀」で「皆さんとともに憲法を守り,これに従って責務を果たす。」と宣言された。
これを聞いた「右よりの方々」が大いに失望したらしい。
このあたりから皇室と「右よりの方々」との距離がどんどん拡がってきた。
あの富田メモの反応も「極めて異例な状態」と言えるものでした。

今一度これを読んで欲しいと願います。


聖談拝聴録原稿(木下のメモ)③「結論」
http://y-sonoda.asablo.jp/blog/2008/07/31/3663328

 結論

 以上緒論及び本文に於て戦争の原因とその防止の不可能なりし所以を縷々述べて来たが、結論として概括的に私の感想を話そう。

 先ず我が国の国民性に付いて思うことは付和雷同性が多いことで、これは大いに改善の要があると考える。近頃のストライキの話を聞いてもそうであるが、共産党の者が、その反対者を目して反動主義者とか非民主主義者とか叫ぶと、すぐこれに付和雷同する。戦前及び戦時中のことを回顧して見ても、今の首相の吉田などのように自分の主張を固守した人もいるが、多くは平和論及至親英米論を肝に持っておっても、これを口にすると軍部から不忠呼ばわりされたり非愛国者の扱いをされるものだから、沈黙を守るか又は自分の主義を捨てて軍部の主戦論に付和雷同して戦争論をふり廻す。

 かように国民性に落ち着きのないことが、戦争防止の困難であった一つの原因であった。将来この欠点を矯正するには、どうしても国民の教養を高め、又宗教心を培って確固不動の信念を養う必要があると思う。又このことが日本民族の向上ともなり、世界に向かって人種平等を要求する大きな力ともなることと思う。

 次に軍備のことであるが、抑々軍備は平和確保の為の一手段である。しかるに従来の有様を見ると、平和の為に軍備をするといいながら、軍備が充実すると、その軍備の力を使用したがる癖がとかく軍人の中にあった。

 このことは後編に譲ることにする。

 最後に為政者に付ての感想であるが、以上述べたような国民と軍人とを指導すべき人物として、この困難に当った近衛、東條、鈴木、米内に付て一言すると、近衛は思想は平和的で、ひたすらそれに向かって邁進せんとしたことは事実だが、彼は自分に対する世間の人気ということを余りに考え過ぎた為、事に当って断行の勇気を欠いたことは、遂に国家を戦争という暗礁に乗り上げさして終い、次に立った東條の最後の努力をもってしてもこれを離礁せしめることが出来なかった。

 これに引きかえ鈴木首相と米内海相とは、政治的技術に於ては近衛に及ばなかったけれども、大勇があったのでよく終戦の大事を為し遂げたのである。

 以上は他人に関する感想であるが、私自身としては、不可抗力とはいいながらこの戦争によって世界人類の幸福を害い、又我が国民に物心両方面に多大な損失を与えて国の発展を阻止し、又、股肱と頼んだ多くの忠勇なる軍人を戦場に失い、かつ多年教育整備した軍を武装解除に至らしめたのみならず、国家の為粉骨努力した多くの忠誠の人々を戦争犯罪人たらしめたことに付ては、我が祖先に対して誠に申し訳なく、衷心陳謝するところである。

 しかし負け惜しみと思うかも知れぬが、敗戦の結果とはいえ我が憲法の改正も出来た今日に於て考えて見れば、我が国民にとっては勝利の結果極端なる軍国主義となるよりも却って幸福ではないだろうか。

 歴史は繰り返すということもあるから、以上事共を述べておく次第で、これが新日本建設の一里塚とならば幸いである。

_ えの ― 2009/07/10 01:00

Nitobe Memorial Garden
http://www.nitobe.org/
「"I am in Japan," was the reaction of the Crown Prince (now Emperor) of Japan as he walked through UBC's renowned Nitobe Memorial Garden.」
宮内庁発表御日程より
「天皇陛下は,皇太子殿下として1953年4月11日から21日にかけて,ビクトリア,バンクーバー,トロント,オタワ,モントリオールを御訪問になりましたが」
このときに新渡戸記念公園を御訪問されたようです。

_ 和平治 ― 2009/07/10 06:20

イタリアサミットでの、核廃絶についてのコメント、宣言全文等、入手できるようであれば、ぜひご紹介下さい。

皇后は、病をおしてのカナダご訪問であったようです。手が小刻みに震えていました。テレビで拝見するお姿に、心が痛みました。

両陛下におかれましては、くれぐれもご健康に留意され、この国と世界の平和をいつまでもご祈念いただきたいものです。

どんな動機にせよ、日本の核武装(論)など、愚かなことです。

_ Y-SONODA ― 2009/07/10 09:50

★えのさんへ

"I am in Japan," was the reaction of the Crown Prince (now Emperor) of Japan as he walked through UBC's renowned Nitobe Memorial Garden.

実は私もNitobe Memorial GardenのHPのこの一文が気になって文献調査中。
これが事実だとすれば、56年ぶりの新渡戸再訪ということになります。

ところが新渡戸記念公園のオープンは1960年。
皇太子時代の1953年のご訪問の際にはまだオープンしていなかったということになります。
前身のようなものがあったのでしょうか。
それとも何かの間違いか。

新渡戸記念公園(正確に訳すと新渡戸記念庭園)についてはこちらに興味深い記述あり。

「日本と北米との交流に多大な功績のあった新渡戸稲造博士を顕彰し、末永く交流を図る場として、日本国外務省とブリチィッシュ・コロンビア大学総長によって企画された日本庭園で、千葉高等園芸学校教授森歓之助氏によって1959年設計、翌60年竣工された。その後、森教授の教え子で、同じく世界的に活躍された造園家小形研三氏による維持管理技術の指導などを経て良好に維持・されていたが、10年程前、枡野氏によって部分的に改変改修され、大学や地元造園関係者から復原要望が強く寄せられていた。
http://www.chiba-u.ac.jp/international/in/16ijr.pdf

当時の外務省には新渡戸門下生が大勢。
昭和天皇や吉田茂や小泉信三などのクリスチャン人脈も後押ししたのでしょう。


★和平治さんへ

>どんな動機にせよ、日本の核武装(論)など、愚かなことです。

いいえ、核武装“論”は今の日本には必要です。

皇室が祈る平和と日本人一般の平和ボケとはあまりにも重みが違いすぎる。
この違いすらわからないことの方が余程問題ですよ。

_ ぽん夫人 ― 2009/07/11 03:27

酷い物言いだというより、お前バカだろ絶対wwwと
言われるのを覚悟して・・・。

皇室の願う平和も、新渡戸門下生が願った平和も
ある種のメタ言語になっていて
もうちっともぴんと来ない。
 
格差社会とはこういう精神的開きをいうのかも。
万歳の先をもはや共有できない時代なのだと思います。

ウイグルの悲惨さは皆の知るところではありますが、

わが日本の政府与党の公明党(悪夢)の池田大作大先生のやたら数だけ妙に持っているのが海外からの名誉学術称号ですが、そのうち3分の一が中国からのモノ。
特に目立つのが新疆からのものです。

90年代半ばにどどんと何やらかんやら政府のひも付き
団体に関する称号を戴いていらっしやいます。

95年にはご丁寧にクチャ県(タムリ石油、天然ガスの開発拠点 ウイグル人にしてみれば憤怒の拠点)の名誉県民になっておられるようで・・・。

どんだけカンパしてあげたんでしょうね。
王楽泉(新疆覇王)の蓄財は天文学的数字とか。

こういううさんくささ100パーセントの団体が与党という驚愕の事実と日増しにます日常の悲惨さ。
生活圏で起こる動物虐待事件やら、なんやらかんやらでメタ言語がもう理解できない人が多数なのです。

それで、そんな胡散臭さ100パーセントの団体のジュニアと皇太子殿下がブラジル記念式典なんかで一緒だったりすると、(ほかにもたくさん人はいましたが)ドわーっと心が離れるのも無理もない気がします。

_ Y-SONODA ― 2009/07/11 08:49

ぽん夫人さんへ

>皇室の願う平和も、新渡戸門下生が願った平和もある種のメタ言語になっていてもうちっともぴんと来ない。

あはは。特に気付き系だと自負する若い人たちはみんなそう思っていますよね。
きっと正論とか諸君に象徴される保守系オピニオン誌の影響もあるはず。

それでは今の保守の問題を一点。
岸信介を評価しても吉田茂を評価していない。
私からすれば吉田を評価する能力がない。

少し前まで保守にも優秀な人がいたのです。
猪木正道や高坂正尭などがそう。
ところがその流れを引き継ぐ保守がいなかった。
これはもう中西輝政の責任だと思っています。

そして今。
保守は安倍晋三を大いに担いだが、麻生については中途半端。
実によくここに表れている。

私が皇室や新渡戸及びその門下を持ち上げる時は要注意。

皇室はもう仕方がない。平和を祈るのがお仕事。
とはいえ今回のカナダ訪問に象徴されるように皇室外交はなかなかしたたか。

新渡戸については正直あまり評価していない。
以前もコメント欄に書きましたが、情緒的な新渡戸よりもクールな朝河貫一の方を評価。

しかし、両方をうまく取り込んだ吉田茂は別格。

現在の保守やその論調に影響を受けた人に一言。
吉田の経済重視路線の恩恵を本当に否定できるの?
早々に経済分野でも中国に敗北していてもよかったの?

少なくとも猪木と高坂の吉田本ぐらいは読んで欲しいな~。

_ えの ― 2009/07/11 10:34

新渡戸『武士道』は、武士道知らずが書いた武士道本だった
http://media.excite.co.jp/book/news/topics/092/p03.html
『《新渡戸は「武士道」の用例を知らなかっただけではなく、そもそも日本の歴史や文化そのものにあまり詳しくなかったようである》』
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0605.html

『朝河貫一「島津忠久の生い立ち」をめぐって』矢吹晋
http://www.21ccs.jp/soso/gyakujun/gyakujijunji_15.html

_ 猿田彦 ― 2009/07/12 02:13

ぽん夫人さんへ

この小論はこのところうるさくなった「気付き系」・・・田母神氏自身も代表的気付き系ですが、彼を担いでワイワイ言ってる人たちへの警鐘のつもりで書いたのです。

戦前とは少々色合いは異なるのですが、こういう浅はかな連中が政治的な力を得て付和雷同な日本人一般を引っ張ることになってはならないとの私の思いを書いたのです。

天皇を「玉」と呼ぶ心根を持つ人たちに、もっと学べというメッセージなのです。
かつて私は「軍服を着た天皇は本来の姿ではない」ということをこのブログにも書きました。

私たちの先祖は、このクニを建てる際に「天皇」という仕組みを作った。その時創った人たちの思いを私なりに読み解いたのは、「天皇とは二度と国を割らない誓いの徴である」ということです。

後から来た(渡来してきた)人たちがエラそうに・・・と思われてるのかも知れませんが、そうではなくて、先住していた勢力も実はその仕組みを支える役目を納得して引き受けたのです。

オモテの役目とウラの役目を分け合って、互いに支え合うことでこの国がバラバラにならないようにしてきたのです。だからと言っていいでしょうが、世界の歴史では王朝の交代は当たり前の常識なのに、日本では一度も起きてないのです。

このウラの役目は本来語られることはないのですが、現代でも綿々と続いているという証査があります。それは天皇の生涯に一度だけオモテの場に現れて、その人たちにだけに与えられたお役目を果たすのですが、最近では平成元年の2月24日にそのお役目を担う人たちが現れていました。

(参考)http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/9c5752985fcf9f8fd1965a52b42502ea

_ ぽん夫人 ― 2009/07/12 03:05

園田様、猿田彦様
丁重なレスありがとうございます(深々 叩頭)

ワイワイ気づき系に多少なりシンパシーを感じているのは、右だろうが、左だろうが知らないし、岸さんも吉田さんももうわかんないよ、西尾幹二ですら、クラシックだよ、こちとら、な しかし、 なんか変な感じだ祖国と本当の意味での気付き系の受け皿をやってくれているからです。

安倍さんはOKなのに、麻生さんには冷たいとおっしゃられる保守論壇を無視して 気づき系一般人でタロビ商品化希望を盛り上げようとしていたりします。

おいこら付和雷同さんがたよ!と斜め上目線ではなく、それではいかんというのなら、まず、どうしたらいいのでしょう??クラシックを読む時間は無いから、今ある月刊誌を読む。ブログを読む。 

言われているように、前世代のテキストを学んだ人たちが、今へ、翻訳してそれを伝える。そうした翻訳の歴史からはスポリと落ちているのかもしれません。

それは理解できなかったからなんでしょうか?

見えない部分が多すぎてしかし、ちらちらと目に見える
部分で天安門などへと行っちゃう皇室のあの訪中はどういう風に理解したらいいのか・・・?

実際まだまだ私をはじめ踊り場で何なんだろうね、と
持てる違和感を持て余している状態であるのでしょうか?

で、ご心配の浅はかな方向にぐぐぐーっと引っ張っていってもらっては困る。ですが、私の印象ではそれは無いでしょう。何でもかんでも引っ張られるのにもスタミナがいるのです。そんなマッチョではない。

付和雷同って不満から出たほうがパワーあるので、
まず、日本人が日本で暮らす窮屈さを何とかしてもらえれば、問題はないと考えます。
 
コメントへのレス本当にありがとうございました(再度 叩頭)

_ 敢えて名を伏すの隣人 ― 2009/07/12 03:11

今から15,6年前、米国に住んでいた当時、池田大作大先生の米国西海岸の個人資産管理人に「飲みねぇ、食いねぇ。。」という調子で、良いお友達になってました。

この方とは、さる上院議員の関係で知り合ったのですが、その上院議員も立派な方でした(今年のオバマ大統領就任式のニュース画像にもよく出てました)ので、池田大先生もたいへんなご支援をしておられるようでした。

Malibu 界隈のきれいな道をドライブしながら、「このあたりの大富豪の邸宅というのは、山ひとつが一軒の邸宅で、山裾を囲むしっかりしたフェンスがあり、ガードマンの居る入り口ゲートから山上へ続く道路を走ると、頂上付近にはお城のような屋敷が建っている」。。とかいった珍しいお話を聞かせていただきました。
また、Santa Monica Blv. に沿った一等地の広大な敷地に建つ SGI 教会の自慢話など、 楽しい思い出になりました。

私はちょくちょく海外に行くものですから、ブラジルには記念式典の半年前に約1ヶ月滞在しておりまして、現地日系人団体のボスの屋敷などにお世話になっていました。

このとき聞いた話ですが、ブラジルの SGI 信者の数は百万人を超えているようです。
この団体は式典の次第に大きな影響力を持っていましたので、(当時、内部ではいろいろな意見対立もありましたが)その関係で変な人でも潜り込めたのではないでしょうか。

他に、YAHOO知恵袋には、「池田大作が園遊会に呼ばれないのは、なぜですか?」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1226041622

という質問と回答がありましたよ。

_ Y-SONODA ― 2009/07/12 10:36

★えのさんへ

確かに新渡戸の武士道認識については出版当初から批判がありました。
武士道自体の定義が今も昔もずっと曖昧のような気もします。

★猿田彦さんへ

気付かない系があまりにも頼りないので、気付き系が頑張りすぎちゃっているのかも。
このブログは気付き系に厳しいですが、これも期待しているからこそ。
むしろ気付かない系の方が問題山積みですよね。

ぜひぜひ一度「猿田彦の天皇論」をまとめていただきたく、どうぞよろしくお願いします。

★ぽん夫人さんへ

あはは。気付き系へのシンパシーは私も感じているんですよ。
とはいえ私の場合はどうしても眺める習性があるらしく、「ありゃま、集団移動が始まったなぁ」と。
集団の中に入っちゃうとわからないと思うのですが、集団移動には扇動者がいるもの。
それで気付けば「いつか来た道」ということもあるかもしれない。
このあたりは気をつけたほうがいいと思いますよ。

★敢えて名を伏すの隣人さんへ

>YAHOO知恵袋には、「池田大作が園遊会に呼ばれないのは、なぜですか?」

あはは、すごい質問。
一度コラムで創価学会批判をしたら、ネチネチネチネチしつこいこと。
ようやく静かになったと思ったら、ひょっこり「潮」から原稿依頼が入ったり。
なかなか彼らもしたたか。
そうやって束ねた票と金で自民も新聞も金縛り状態。
なんだか怪しいですね。

_ 敢えて名を伏す ― 2009/07/12 13:36

園田さん、お久しぶりです。
最近は私の隣人がこのブログで活躍してるようで、私も忘れられないようにちょっとだけお邪魔します。

「潮」の原稿料は世間相場とはかけ離れた金額だという噂がありますよ。車の1台も買えたかも知れなかったのに、もったいなかったですね。

さらにこのグループと親しい教団のソウルから少し離れたところにある白亜の大聖堂に、国際VIPとして名誉のご招待もあったりと、幸せな人生を送れたかもしれませんね。

我が国の公的情報機関も創価学会の調査をしようとすると、たちまち天の声が降りてきて全部止められという話を聞いたこともあります。

「どげんかしなきゃいかん」知事さんに助けてもらいましょうかね。

_ Y-SONODA ― 2009/07/13 00:38

敢えて名を伏すさんへ

どうもお久しぶりです。

>「潮」の原稿料は世間相場とはかけ離れた金額

来るもの拒まずでw、ちょこっと書評なんぞを書かせていただいたのですが、確かに原稿料はよかった記憶が・・・。
もう少し頑張っていればもっと幸せな人生になったのでしょうか。

とはいえ私の仲間にはこのあたりの団体に飲み込まれて、何も書けなくなった人もいます。
その人、あまり幸せそうに見えないですよ。

敢えて名を伏すの隣人さんから米国西海岸の上院議員の情報をいただきました。
オバマ大統領就任式では司会進行役を務めたあの人も創価学会と関係があったとは驚きです。

そのお礼にハンク・ジョンソン下院議員を取り上げておきましたので、隣人さんと一緒にお楽しみ下さい。

_ 敢えて名を伏す ― 2009/07/13 02:08

>もう少し頑張っていればもっと幸せな人生になったのでしょうか。

ハイ、魂を売ってしまえば生活は楽になりますよ。
うまくいけば大川先生の本のように、出せばいつでもベストセラーに名を連ねることができるようになって、お金持ちになれるでしょう。 なにしろ全国800万人の潜在読者がいるのですから。

アメリカの政治資金規正法はどうなってんでしょうか?
個人献金(寄附)の背後に日本の西松建設ケースのようなことがあるのかどうか、
チェックする仕組みやルールはあるのでしょうか?

隣人の話によると、上院議員殿の選挙資金(当時20Million)の過半数は。。。とのことでした。

ハンク・ジョンソン下院議員のこと、ありがとうございました。
SGI会員と名乗っては初めてのようですが、上院議員のケースは20年近くも前の話ですから、
他にもいるのかも知れませんね。

・・・・と、ここまで考えて、フト気がついたのですが、
もしかしたら池田大先生は大変な愛国者なのかも知れません。

中国でのご活躍は周知のとおりですし、アメリカの国会議員も金で押さえてしまって、米中2大国を思い通りに動かして我が国の国益に寄与しようという深謀遠慮がおありなのかもwwww hhhh

_ ぽん夫人 ― 2009/07/13 18:37

我が国の公的情報機関も創価学会の調査をしようとすると、たちまち天の声が降りてきて全部止められという話を聞いたこともあります。

↑さらっともの怖い事を書いておられる・・・。
敢えて名を伏す 様が おっしゃると 
ああ、やっぱり・・・。と妙な得心があります。

気づき系のはしくれとして、精進していかねば。

_ Y-SONODA ― 2009/07/14 01:38

★敢えて名を伏すさんへ

>上院議員殿の選挙資金(当時20Million)の過半数は。。。

オバマ大統領就任式では司会進行役を務めたあの人の選挙資金の過半数ということですよね。
あの人の上院議員就任は10年以上も前のこと。
うまく規制を潜り抜けたのでしょう。
恐るべし。。。

>米中2大国を思い通りに動かして我が国の国益に寄与しようという深謀遠慮

そういえばG2構想言い出しっぺのキッシンジャーも・・・。
http://www.sokanet.jp/sg/FWIM/sn/soka-info/achievements/w-f-record/page04.html

こりゃ、陰謀じゃーw


★ぽん夫人さんへ

さらっと質問すれば、さらっと別の怖い事も出てくるかもしれませんよw

_ えの ― 2009/07/14 02:05

>最近では平成元年の2月24日にそのお役目を担う人たちが現れていました。
八瀬童子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%80%AC%E7%AB%A5%E5%AD%90
『延元元年(1336年)、京を脱出した後醍醐天皇が比叡山に逃れる際、八瀬郷13戸の戸主が輿を担ぎ、弓矢を取って奉護した。この功績により地租課役の永代免除の綸旨を受け、特に選ばれた者が輿丁として朝廷に出仕し天皇や上皇の行幸、葬送の際に輿を担ぐことを主な仕事とした。』
『実際には後醍醐天皇以降の全ての天皇の棺を担いだわけではなく、特に近世においては長く断絶した期間もあった。』
『大正元年(1912年)、明治天皇の葬送にあたり、喪宮から葬礼場まで棺を陸海軍いずれの儀仗兵によって担がせるかをめぐって紛糾し、その調停案として八瀬童子を葱華輦(天皇の棺を載せた輿)の輿丁とする慣習が復活した。』
南朝、天台座主法親王と帝国陸海軍の制度欠陥に関係。
元伊勢を睨む「鬼」
http://www.ley-line.net/motoise/motoise_06.html
『朝廷に帰順した「童子」は八瀬に住む場所と朝廷の庇護を与えられ、あくまで抵抗した「童子」は、100年後に殲滅されてしまう。そんな構図が見えてはこないだろうか。』
「天皇の信仰に見る日本人と仏教」萬遜樹
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r18-136.htm
「この小論の目的は、天皇および皇統は自らの出自である日本の神(特に天照大神)ひとすじに古来仕えてきたとの日本人の思い込みを正し、天皇のありのままの仏教信仰を通じて、日本人の信仰を探ることにある。」

_ えの ― 2009/07/14 02:24

>それで、そんな胡散臭さ100パーセントの団体のジュニアと皇太子殿下がブラジル記念式典なんかで一緒だったりすると

せんべい - ドス子の事件簿(皇太子妃雅子殿下の事件簿)
http://wiki.livedoor.jp/dosukono/d/%A4%BB%A4%F3%A4%D9%A4%A4

_ えの ― 2009/07/19 13:33

>八瀬童子

明治天皇の生母は八瀬で育った。
中山慶子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E6%85%B6%E5%AD%90
「天保6年(1836年)1月16日、京都石薬師に生まれ、八瀬(現京都市左京区八瀬)に里子に出されて育つ。17歳で典侍御雇となって宮中に出仕し、名を安栄(あえ)と賜る。孝明天皇の意を得て懐妊し、嘉永5年(1852年)9月22日、実家中山邸において皇子祐宮(さちのみや、のちの明治天皇)を産む。家禄わずか二百石の中山家では産屋建築の費用を賄えず、その大半を借金したという。」
八瀬赦免地踊り
http://www.photoland-aris.com/myanmar/ne/19/
「このような死霊と現世の民との触れ合いが、異能の八瀬童子である人々によって『赦免地踊り』として奉納されているのが、本質ではなかろうか。異界と現世を自由に往来することができる八瀬童子であるからこそ、秋元但馬守の霊を切子燈籠に憑かせることも容易ではなかろうか。」

_ Y-SONODA ― 2009/07/20 10:26

えのさんへ

Qさんも書いておられますが、このあたりの背景を知れば皇室一族内での正統性をめぐる争いが続いてきた理由もわかりますね。

今もいろんな噂が飛び交っていますもんね。

_ えの ― 2009/08/05 01:33

>武士道自体の定義が今も昔もずっと曖昧のような気もします。
江戸時代の支配階級である武士は人口の5%(武士の家族も含めて)で、人口の80%の農民には「武士道」など意味がない。
明治以降に農民の子孫が日本の精神は「武士道」にありとか言いだすのは洗脳教育の結果だろうか。
田舎の農家で先祖伝来の土地を守るとかいうけど昭和の農地改革以後の所有者(元小作農)が大半ではないのか。

_ Y-SONODA ― 2009/08/05 02:50

えのさんへ

単に騎士道に対抗するために武士道を持ち出しただけかもしれませんよw

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