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「燃料電池車」主戦場に、トヨタの2014年500万円程度に恐れ戦くホンダとGM、動向気になる韓国・現代自動車2013/07/03 07:17

「燃料電池車」主戦場に、トヨタの2014年500万円程度に恐れ戦くホンダとGM、動向気になる韓国・現代自動車


<関連記事>

燃料電池車 主戦場に ホンダ、GMと提携 (画像引用)
開発へ世界3陣営
2013/7/3 0:59
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD020H1_S3A700C1EA2000/?dg=1

 ホンダと米ゼネラル・モーターズ(GM)は2日、燃料電池車などの共同開発で提携すると正式発表した。両社の提携で燃料電池車の開発は、トヨタ自動車と独BMWのグループなど大きく3グループに集約される。ホンダとGMは同分野の豊富な特許を生かして開発を加速する。開発競争が激化することで製造コストはさらに下がりそうだ。

 燃料電池車は水素と酸素を反応させて電気を起こしてモーターを回す。次世代エコカーの一つである電気自動車(EV)に比べ、燃料の補給時間が短く走行距離も長い。ハイブリッド車(HV)やEVが化石燃料などで発生させた電気を動力源にしているのに対し、燃料電池車の燃料は自然界に無尽蔵にある水素と酸素で排出するのも水だけ。次世代エコカーの大本命と目され、数年後の量産化を目指して各メーカーが開発にしのぎを削っている。

 燃料電池車は2002年、トヨタとホンダが世界で初めて発売した。当時の製造コストは1台1億円以上。その後、水素と酸素の反応を促す触媒に使う白金の使用量を大きく削減するなどの技術革新で、製造コストは劇的に下がった。トヨタは15年をめどにセダンタイプの燃料電池車を500万円程度で投入するとみられる。

■巨額の費用軽減

 一方で量産化には巨額の費用がかかるため合従連衡の動きも急だ。トヨタは13年1月、BMWとの共同開発を発表した。さらに同月、日産自動車も独ダイムラーや米フォード・モーターとの共同開発を公表した。

 その中で動向が注目されていたのがホンダとGMだ。12年実績で世界販売約380万台のホンダにとって燃料電池システムの開発費負担は小さくない。世界販売約930万台のGMと組み、20年をめどに互いの販売する車両に搭載していけば、負担が軽減されると判断した。


 各国で導入される環境規制も両社の提携の背景にある。米カリフォルニア州は自動車メーカーに対し、州内で販売する自動車の一定割合をHVやEVなど有害物質の排出が少ない「ゼロ・エミッション車」とすることを義務付ける方針。今後各国で燃費規制が強化され、従来のエンジン車では販売できない国・地域が出る恐れもある。

 ライバルのトヨタはHVでの技術を最大限に生かして燃料電池車開発でも急速に技術力を高めている。トヨタが強みを持つHVと燃料電池車は電気モーターなど多くの部品を共有できる。HVの量産効果を生かすことで、燃料電池車の製造コストも引き下げられる。

 トヨタはBMWと20年をめどに新たな燃料電池の基本システムを開発する方針だ。BMWは水素ボンベなどに使う軽量素材「炭素繊維」関連の技術に強みを持ち、互いの技術を持ち寄って開発を加速する。

■特許の強み活用

 ホンダとGMも同様の相乗効果を狙う。特許分析サービスのパテント・リザルト(東京・台東)によると、米国で公開された燃料電池分野の特許の総合力で、GMは首位でホンダは3位。GMは燃料電池の腐食防止技術など、ホンダは水素と酸素を反応させる技術などで優位性を持つ。

 2社の提携は、互いの特許を持ち寄って開発することを可能にし「今後の国際的な勢力図への影響は大きい」(パテント・リザルト)とみられる。3グループ間の開発競争の激化は量産技術の革新と製造コストの削減につながり、消費者にとってもメリットになる。

 富士経済(東京・中央)によると、燃料電池車の世界市場規模(車両の出荷金額)は13年度は15億円にすぎないが、25年度には2兆9100億円まで急伸する見込みだ。


ホンダ、GM:燃料電池車で提携-システム共同開発へ
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MPB8W26KLVRC01.html

7月2日(ブルームバーグ):ホンダ と米ゼネラルモーターズ(GM )は、燃料電池電気自動車(FCEV)の普及を促進するため、次世代型燃料電池や水素貯蔵システムの共同開発で合意し、提携契約を締結した。2020年ごろの実用化を目指す。

両社の発表資料によると、小型・軽量、高性能で低コストな燃料電池システムと水素貯蔵システムの開発が可能になり、規模のメリットで一層のコスト削減が期待できるという。両社は米国で02-12年に燃料電池に関する特許を1200以上も保有し、それぞれ1、2位にあり、FCEV開発のリーディングカンパニー。

FCEVは水素を使って電気を作り出して走る。二酸化炭素や有害な排気ガスを出さないため、世界の主要メーカーが開発を進めている。ホンダはすでに、新型水素燃料電池車「FCXクラリティ」を官公庁や法人向けにリース販売している。

また、環境技術の分野では、自動車各社が提携に乗り出している。例えば、トヨタ自動車 と独BMW は環境分野で協力し、燃料電池(FC)などの共同開発を進めている。こうした中、ホンダはこれまで、提携に慎重な姿勢だった。ホンダ広報担当の北條毅氏は電話取材に対し、他社との提携に関して、環境技術の分野で最近、大きな提携はなかったとコメントした。

GMのダン・アカーソン最高経営責任者(CEO)は発表文で「この2社で共同開発することが最善の方法であることを確信している」とコメント。ホンダの伊東孝紳社長も「両社の得意技術を融合させて、高性能で低コストの燃料電池システムを共同開発する提携に至ったことをうれしく思う」と述べた。

「水しか排出しない燃料電池車」をアピールするHondaのコンセプトムーヴィー "Hands"がすばらしい2013/07/07 14:30






<関連サイト>

Honda "Hands"
https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=Dxy4n0UT82o#at=51



2013.7.7 SUN
ホンダの65年のイノヴェイションを2分間で表現した映像
http://wired.jp/2013/07/07/honda-hands/

技術者の夢と好奇心を源に、世界最先端の製品をつくり続けてきたホンダ。そんな日本のものづくりの原点ともいえる「ホンダ・スピリッツ」を表現した映像”Honda Hands”が、なぜか英国ホンダにより制作、公開され話題を呼んでいる。この映像は、停滞する現在の日本のものづくりに、ヒントと力を与えてくれるかもしれない。

机の上に転がる、ひとつのナット。人の手がそれを拾い上げる。すると、ナットはエンジンに変わり、オートバイになる。それはさらにクルマ、船、ロボット、ジェット機と、さまざまな製品に変わっていく。イマジネーションが、最先端のテクノロジーをつくり出していく。

英国ホンダのサイトで公開されているコンセプトムーヴィー、“Honda Hands”は、技術者の夢と好奇心から、世の中に役立つ製品を数多く生み出してきた「ホンダ・スピリッツ」を魅力的に表現している。

この映像に登場するのは、「世界を変えた」次のようなホンダの製品だ。

誰でも乗れるバイク、スーパーカブ。1958年の登場以後、世界中で販売され、人類史上最も多く販売された乗り物になった。ホンダの代名詞的製品。

悲願のマン島TTレースを制したロードレーサー、2RC143。1961年の世界グランプリで「コンストラクターズ・チャンピオンシップ」をホンダにもたらした名機。

世界初の「環境にやさしいクルマ」、シビック。当時、実現不可能と言われた環境基準「マスキー法」を、世界で初めてクリアした。

公道で走れるF1カー、NSX。オールアルミニウムのモノコックボディ、戦闘機をモチーフとしたキャノピー等、先進のテクノロジーとデザインを詰め込んだスーパーカー。

世界最速のソーラーカー、ドリーム号。初挑戦のワールド・ソーラー・チャレンジで世界新記録を樹立し、優勝した。

世界初の量産型燃料電池電気自動車、FCX クラリティ。搭載された水素燃料電池が排出するのは純水だけ、という完全ゼロ・エミッション車。

どこでも行ける全地形対応車、ATV。車でもバイクでもないユニークな乗り物は、英国南極調査隊にも利用されている。

世界初の二足歩行ロボット、ASIMO(アシモ)。人間のように歩き、走る二足歩行ロボットは、世界中の人気者になった。

ホンダ初の航空機、ホンダジェット。燃費や居住性を改善するため主翼上面にエンジンを設置するなど、斬新な技術が取り入れられたビジネスジェット。

映像に登場するこれらの製品は、いずれも「世界初」「世界最高」のものばかりだ。もしホンダが実現していなかったら、いま、この世の中に存在していないかもしれない。

ひとつのナットが、人の手によっていままでにない製品に変わっていく。このコンセプトムーヴィーが表すように、技術者の夢と好奇心から、世の中に貢献するイノヴェイションを生み出し続けてきたホンダ。日本の製造業が目標を失いつつあるいま、「ものづくりとは、世の中の役に立つ想像力である」と言う本田宗一郎の言葉を、わたしたちはもう一度思い出すべきかもしれない。

そして何より残念なことは、“Honda Hands”のような、ものづくりの理念や先進性をセンスよく、魅力的に伝えるコンテンツが、母国日本からではなくイギリスから発信されている、ということだ。優れたテクノロジーや製品の開発だけでなく、それを伝え、支え、時に刺激を与えるメディアもまた、「科学技術立国日本」復興のための重要な要素のはずだ。手遅れになる前に、早くそのことに気づいてほしいものだ。

白洲正子の世界 道行抄「かくれ里」を旅する [DVD]2013/07/13 12:30

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「自然に育てられているんじゃないでしょうか、日本人は」

「(今はもう)山川草木の声を聞く力を失ってしまいました」

「(それでも)いずれ気がつくんじゃないかと」

「昔にかえれと言ってるわけじゃないのよ。昔にはかえれませんからね」

『森の力』:杉山正明・京都大教授による書評(2013年7月14日付読売新聞朝刊より)2013/07/14 16:11

『森の力』:杉山正明・京都大教授による書評(2013年7月14日付読売新聞朝刊より)


それにしても、本書に漲るこの力強さは一体なにか。
もし心が少し萎えた時、この一書を読んで下さい。
きっと、ふるい立たせてくれるメッセージがそこにあります。
そして、あなたに勇気を与えてくれるでしょう。
本書は、人生への応援歌かもしれません。

それにしても経験に裏打ちされた凄みを痛感せずにいられない。
心より敬意をこめて。


宮脇昭『森の力 植物生態学者の理論と実践』(講談社現代新書)
http://www.amazon.co.jp/dp/4062882043/ref=cm_sw_r_tw_dp_3Lhqrb1MARA4X
http://www.amazon.co.jp/dp/B00CXBDIQM/ref=cm_sw_r_tw_dp_KR-Nrb0PVMWPC

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


杉山先生へ

「凄み」に気付いて下さり、本当にありがとうございます。
実はこの本に登場する「凄み」の原点は私のブログにあります。
私なりの思いを込めて、「凄み」を入れておきました。
そのブログの日付は福島以前にさかのぼります。

地球の凄み: Nausicaa in Chernobyl's forest
http://y-sonoda.asablo.jp/blog/2009/05/26/4323757

ソフトバンクが燃料電池に参入、あのコリン・パウエル様がいらっしゃる米ブルームエナジーと合弁2013/07/18 10:45

ソフトバンク、燃料電池に参入 あのコリン・パウエル様がいらっしゃる米ブルームエナジーと合弁

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ソフトバンク、燃料電池に参入 10億円投じ米VBと合弁
2013/7/18 2:00
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD170MH_X10C13A7EA2000/

 ソフトバンクは今秋にも産業用の燃料電池事業に参入する。米環境ベンチャーと組み、据え置き型の大型燃料電池を企業や病院、公共施設などに売り込む。大手電力会社の値上げが相次ぐなか産業用燃料電池のコスト競争力が高まり、普及が進む可能性が出てきた。

 燃料電池は工場やオフィスの非常用電源だけでなく、コストの安定した自家発電装置の役割が期待されている。

 ソフトバンクは20年程度の長期契約を前提に燃料電池の設備費などを利用料に上乗せして顧客の初期投資を不要にする。燃料電池ベンチャーの米ブルームエナジー(カリフォルニア州)と10億円ずつ出資し設立したブルームエナジー・ジャパン(東京・港)が事業を手掛ける。福岡市の自社オフィスで燃料電池を活用、営業を始める。

 ブルームエナジーは米航空宇宙局(NASA)向けの研究をしていた学者が立ち上げたベンチャー。都市ガスを燃料とする燃料電池で1基あたりの発電能力は200キロワットで一般家庭500軒分の電力を賄える。米グーグルや米小売り大手ウォルマート・ストアーズ、ホンダの米国拠点などに納入実績がある。

 ソフトバンクは燃料電池で発電する電力や維持費、ガス使用料、設備費をまとめ、月単位や年単位で利用料として請求する。火力発電などに比べ発電効率が高く長期契約のため、電力会社から同じ期間、電力を買う場合と比べてコストを抑えられる見通し。

 民間調査会社の富士経済によると、燃料電池の国内市場規模は2020年に約3500億円と12年比で約8倍に膨れる見通し。富士電機や三菱重工業、東芝グループなども力を入れている。


ソフトバンク、米社との合弁発表 燃料電池に参入
2013/7/18 8:41
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFL180FP_Y3A710C1000000/

 ソフトバンクは18日、米国で燃料電池を手がけるブルームエナジー(カリフォルニア州)と折半出資で合弁会社を設立し、国内で燃料電池による電力供給を始めると発表した。ブルームエナジー社の燃料電池を活用した電力供給のほか、関連機器の輸入や設置業務を担う。

 新会社「ブルームエナジージャパン」を5月に設立済みで、本社を東京・港に置いた。資本金は10億円で、資本準備金は10億円。ソフトバンクは福岡の自社ビルに10月にもブルームエナジー社の燃料電池を導入する方針。電池の営業活動はすでに始めたという。〔日経QUICKニュース(NQN)〕


<画像引用>

Board of Directors Bloom Energy
http://www.bloomenergy.com/about/board-of-directors/

Clean, Renewable Energy Bloom Energy Solid Oxide Fuel Cells_com-
http://www.bloomenergy.com/

SoftBank & Bloom Energy Form Joint Venture to Provide Clean, Reliable, and Affordable Energy to Japan
http://www.bloomenergy.com/newsroom/press-release-07-17-13/

南三陸町「五十鈴神社」訪問 - 未来の人々へ「地震があったら、この地よりも高いところへ逃げること」2013/07/20 18:27

南三陸町「五十鈴神社」訪問 - 未来の人々へ「地震があったら、この地よりも高いところへ逃げること」


<関連記事>

東日本大震災/津波到達点、後世に/宮城・南三陸町で記念碑完成
2012/11/13 河北新報朝刊

 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県南三陸町戸倉折立地区で、住民らが避難した高台の五十鈴神社に、津波到達点を伝える記念碑が完成した。

 標高23メートルに立つ石碑は「未来の人々へ」で始まり、「地震があったら、この地よりも高いところへ逃げること」との教訓や、地区の津波被害の状況が刻まれた。

 折立地区は132戸全戸が全半壊、39人が死亡、行方不明になった。五十鈴神社には住民や戸倉小、戸倉保育所の子どもら約190人が逃れた。

 震災から1年8カ月の11日、石碑の除幕式があり、多くの住民が犠牲者をしのんだ。企業の支援を得て記念碑を建てた地区住民互助組織の佐藤真さん(64)は「津波の知識があれば犠牲者は少なかった。500年、1000年先に記憶が風化しないよう石碑で伝えたい」と話した。


デスク日誌/千年先へ/東日本大震災の津波到達点を知らせる記念碑が宮城県
2012/11/27 河北新報朝刊

 東日本大震災の津波到達点を知らせる記念碑が宮城県南三陸町の高台にある五十鈴神社に完成した、という記事が先日、1面に掲載された。引かれたのは「千年先に記憶が風化しないように石碑で伝えたい」という地元男性(64)の言葉だ。

 190人もの住民が石碑脇の参道を駆け上がって津波を逃れた経験を踏まえ、「津波の知識があれば犠牲者は少なくなる」と子孫たちを思いやる。縁あって審査員を務めた中学生弁論大会でも同じような気持ちに触れた。

 最優秀賞に輝いた岩沼市の女子生徒は、同市の「千年希望の丘」での植樹祭に参加した経験を紹介した。震災で発生したがれきを盛り土に活用し、津波よけの機能を担う丘にタブノキなど20種類の苗木を植えた。

 「悲劇を繰り返さないように、つらい思い出を次世代へ伝えることが私たちの使命」「将来、自分が植えた木の意味を自分の子どもにも教えたい」と覚悟を示し、たくましさと爽やかさを感じた。

 献身や思いやりとは縁遠い性格なのだが、言葉が心にすとんと入り込み、自然に共感できた。(報道部副部長 藤原陽)


(磯田道史の備える歴史学)建つべき位置学んだ神社 南三陸の津波の痕跡
2013/04/20 朝日新聞 朝刊

 春休みに宮城県の南三陸町に入った。東日本大震災の津波の痕跡をたしかめるためである。白い巨大な建造物はベイサイドアリーナ。五百をこえる遺体を安置したその「白い箱」をのぞむ幼稚園で園児らとかけっこをした。

 ふと視線を感じた。年格好は私と同じぐらいの男性であった。私が会釈をすると黙って名刺を差し出した。みると「大川小学校遺族」とあった。自分の名と亡くなった子の名が一枚の名刺に書いてあり、子のところに(五年生)と括弧で添えてあった。私は言葉にならず「それは、どうも……」と口ごもったが、何か言わねばと思った。

     *

 「静岡からきました。次の東海地震に備えて歴史津波がどこまできたか調べています。神社が水に浸(つ)かったかどうかの古記録が手掛かりになるので、今回の震災で南三陸町の神社がどうなったか聞いて歩いています。神社の手前でギリギリ津波が止まった所が多い気がしますが」すると、その父親は訥々(とつとつ)と言った。「このあたりで津波で流された神社は三つだけと聞いてます」

 事実そうだった。荒沢神社はこのあたりで最古の海辺の神社だが御神体の手前で津波がぴたっと止まった。ちょうど貞観津波(869年)の頃につくられ慶長三陸津波(1611年)もくぐりぬけている。今回の津波で「鳥居(標高12メートル)はほぼ水没。鳥居脇の神官宅(同14メートル)も床上1・5メートルまで浸水し、本殿(同14・5メートル)も床上1メートルまで水がきたが、台上の御神体は濡(ぬ)れなかった」(同社の遠藤芳男さん)。16メートルの津波であったことがわかる。

     *

 津波常襲地の古い神社は幾度も津波に襲われ、建つべき位置を学習した結果、そこにある。近くの上山(かみのやま)八幡宮の女性の禰宜(ねぎ)・工藤真弓さんが教えてくれた。「私の実家、上山八幡宮は元は防災庁舎の近くにありました。しかしチリ地震津波(1960年)で被害をうけ今の高台に移転したのです。それで今回は助かりました」

 上山八幡宮は移転を繰り返している。はじめはもっと高台にあったが1800年ごろに、防災庁舎の近くにうつされた。遠藤未希さんが最後まで避難を呼び掛けて亡くなり町長らが屋上の鉄塔手すりにしがみついて助かった、3階建てのあの建物の横だ。そこは標高1メートルに満たない土地。しかも地名は「塩入」だ。江戸時代、津波高潮の被害を塩入とよんだ。津波被害が繰り返される場所が塩入もしくは塩入田とよばれているのを何カ所もみた。塩入という地名のついた場所に防災庁舎を建ててはいけなかったのである。

 チリ地震津波のとき塩入にあった上山八幡宮は、4メートル近い津波の直撃をうけ拝殿と社務所に浸水。境内の樹木はみな枯れた。のちの高潮被害もあり標高19メートルの高台に移転。今回、事なきを得た。「神社の石段を登った鳥居まで津波がきた神社が多かった。うちもそうでした。昔の人は津波の到達点を鳥居で示したのかと神職仲間は言っています」(工藤さん)。これは津波の時、高台の古社に逃げこめば助かりやすいことを示している。事実、南三陸の戸倉小学校は津波で20メートルも浸水したが教員らが近所の五十鈴神社に児童を誘導。津波のなか神社の境内だけがポッカリと島のように浮かび、助かった。

 大川小学校遺族の男性は私の目をみて言った。「歴史を知るのが何より大切です」。彼の黒いかばんのなかに歴史津波の専門書がぎっしりと詰まっていたのが忘れられない。

ネット選挙の宴と奇縁 - 三木谷浩史、鈴木寛、藤田晋2013/07/30 08:26



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ネット選挙宴の後(2)三木谷新経連、届かず(迫真)
2013/07/30 日本経済新聞 朝刊

 折からのゲリラ豪雨でビニール傘が用をなさない。選挙カーの上の3人はずぶぬれだった。

 「党派を超えて、日本のことを考えて、鈴木さんが必要なんです」。7日の夕刻、東京・渋谷のスクランブル交差点で、紺色のポロシャツを着た楽天社長の三木谷浩史(48)は、家路につく足を止めた有権者に向かって声を振り絞った。隣には民主党の参院選候補、鈴木寛(49)。その隣にはサイバーエージェント社長の藤田晋(40)がいた。

 4日の公示日、三木谷が代表理事を務める新経済連盟(新経連)は推薦する候補者のリストを発表した。イノベーション、グローバル化、アントレプレナーシップ(起業家精神)の推進という新経連の政策に合致した8人だ。内訳は自民党5人、民主党、みんなの党、無所属が各1人だった。

 当選が危ぶまれたのは鈴木と、5月に民主党を離党し、無所属で出馬した元衆院議員の高井崇志(43)。「民主党色」が大きなハンディになっていた。三木谷は鈴木を重点的に応援した。

 鈴木はネット選挙実現の功労者である。慶応大環境情報学部で教べんを執った経験もある鈴木はIT(情報技術)に理解が深い。2004年、楽天がプロ野球に参入するとき参院議員として応援してくれたのも鈴木だった。何よりネット選挙の効果で若い有権者が投票所に足を運び、敗色濃厚な鈴木が勝てば「日本の政治が変わる」(三木谷)。

 だが有権者は三木谷のプログラム通りには動かなかった。24日未明、サンフランシスコのホテルにいた三木谷の携帯電話が鳴った。鈴木からだった。

 「応援してもらったのに申し訳ない」「こちらこそ力不足でした」。短いやり取りだった。

 鈴木は、「脱原発」を掲げたタレントの山本太郎(無所属)に競り負けた。組織の後ろ盾がない山本もネットを駆使した。「向こうの方がメッセージが分かりやすかった。それにしても民主党への逆風がきつかった」(三木谷)。民主党色が抜けきらない高井も落選した。新経連はネットで劣勢を跳ね返す策を練ったが「準備時間が足りなかった」(同)。

 選挙中、鈴木はネット選挙の意義を熱く語っていた。「あらゆる世代がネットを通じて豊富な判断材料を持つ。知名度や組織力だけで戦ってきたこれまでとは全く違う選挙になる」。だが鈴木は負けた。(敬称略)