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http://www.asahi.com/international/update/0724/TKY200907240383.html

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http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00159695.html

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http://www.nhk.or.jp/news/k10014466551000.html

カーメン・ブラッカー追悼:「神道と自然の聖なる次元」2009/07/25 18:42

カーメン・ブラッカー Carmen Blacker


日本人でさえ神道と国家神道の区別がつかない人が多いと聞く。
そうした中で、本来の神道の良き理解者であったカーメン・ブラッカーさんが逝去されました。

ご冥福をお祈りしつつ、ブラッカーさんの「神道と自然の聖なる次元」を紹介させていただきます。


「神道と自然の聖なる次元」
ケンブリッジ大学東洋学部 カーメン・ブラッカー博士
http://www.shinto.org/isri/jpn/drcarmen.htm

 神道を研究し,その神々への畏敬をもちはじめてから30年,私は,神道が我々をとりまく世界についての新しい見方を示すことができると確信している。神道は,自然物には神聖な次元があること,そして空間は均質ではなく,「完全に異なる」ものの存在で占められる場所が実際に存在することを,我々に思い出させてくれる。

 では始めに,この新しい学会が世界中に知らしめたいと考えている神道は,近年において古来の信仰から破滅的な逸脱をした国家神道ではないことから始めよう。この歪曲された信条はいったい何であり,いかにしてそのような力にのし上がったのだろうか?

 ご存知のように,日本には1868年に明治維新として知られる歴史的大変革がおこった。徳川幕府の下での封建制度は廃止され,日本は歴史上初めて,東京にいる天皇と,この大変革をもたらした進取の気性を持つ少数の男たちの支配の下に統一された。

 この変革は政治的,制度的なものにとどまらず,精神的,心理的なものでもあった。1868年にできた新政府は,消滅した将軍政治と京都御所に隔離された神秘的で目に見えない天皇とに支配され,それぞれの君主に絶対忠実であった,封建領主たちのゆるやかな連合体であった。こうしたばらばらの人々には,新しい神話,新しい思想が不可欠だった。つまり,彼らが統一された同一性と運命意識を持ち,「一つの心と一つの精神」に結びつける神話である。この新しい神話は,宗教的裏付けによって明確に支えられ,正当化されねばならない。

―明治の為政者が選んだ神道―

 アジアの他の国には仏教に帰依した著名な皇帝や王たちがいたが,明治政府の為政者たちがよりどころにしようとした宗教は仏教ではなかった。彼らはインスピレーションにより,日本古来の宗教である神道を選んだのである。

 だが,実のところ,l868年以前に存在した神道以外には,明治政府の目的にそった強力な材料はほとんど見つけられなかったようだ。どの宗教も,統一され特に選ばれた民族の新しい神話の基盤を形成する可能性はほとんどなかった。

 もともと,神道という語そのものは,宗教的な信仰や崇拝の膨大な広い分野を包含していた。それはまず数千の現象を包含していて,数万とは言えないまでもたくさんの小さい独立した神社が日本全国に点在し,「神」と呼ばれる無数の神霊を祀っていた。それらの神は,多くの異なった霊的な起源をもち,まったく多種多様であった。それはたとえば,神格化された祖先であったり,宥められた怒れる怨霊,神聖な木々や湖水,男根石のこともあり,また特定の芸術や技能に天分ともいえる超自然的な技を授ける力であったりした。こうした聖なるものは、遠い有史前にまでさかのぼるものもあり、最近のものもあったが、どれもすべて「神」という同じ一般名称で呼ばれたのだった。

 日本民族に他の国民とは異なる特別の誕生の場と役割を与え,日本人は比類なく特別な国民であり,共通の聖なる起源と宿命によって,ともに結びつけられているのだと論証することだった。この目的のために為政者たちが巧妙に利用したのは,8世紀に作成された古事記の古典神話だった。それにより,l868年以前には多くの地方で知られていなかった太陽神の天照大神が,以前にはまったく享受することのなかった最高の栄誉を受けることになった。天照大神は皇室の祖神であると宣言され,そこから発した天皇の継承は,現在まで連綿として続き,その世襲によって日本は他の国にはない比類なく神聖な特性が授けられているのだとされた。天照大神を祭神とする伊勢神宮は最高の地位と名誉を与えられ,大神をめぐる神話は「全日本国民の太古からの遺産」であると宣言された。

 中でももっとも重要なことは,天皇が2000年以上も離れることのなかった京都での隔離生活から,新しい首都である東京に御所を移されたことだ。そこで天皇は異常なほどの権力をもつ宗教的で象徴的役割を担わされた。天皇は太陽の女神の直系の子孫であり,日本を祖神に結びつける黄金の鎖の生きた環だった。天皇は神道の最高神官であり,忠誠や献身といったすべての感情の対象であり,天皇のために死ぬことは日本人の最高の名誉とされた。

―1945年に崩壊した国家神道―

 この神格化された姿に対する崇拝は,そのうつわとなり媒介者となった人間とはほとんど無関係に,学校や大学で容赦なく教えこまされた。天皇の肖像は聖像として崇拝され,1890年に出された天皇の勅語は聖典としてあがめられた。1868年以降のさまざまな戦争で天皇のために死んだ人々は,英霊として靖国神社に手厚く祀られた。また,学校での教化は警察の活動によって裏打ちされ,国家神道との関係が悪いとみなされた信仰は不敬罪の嫌疑で抑圧された。

 こうした政策は第二次世界大戦中に頂点に達し,国家神道のこの奇妙で非現実的な体制が崩壊したのは.1945年になってからだった。敗戦後の日本に入った占領軍は,すぐにこの崇拝に関係するすべてを廃止し,日本人に各々が好む宗教を崇拝し,その宗教集団を設立する完全な自由を与えた。また,ただちに天皇が自ら人間であり,いかなる神格も有しないことを宣言するように求めた。

 このようにして宗教としての神道は,1868年以前とほとんど同じ状態に戻された。独立した小神社が激増し,大神社が分社を有して繁栄する一方,特定の神と特別の関係があると宣言するカリスマ的教主によって設立された新しい教団が,それまで絶対無敵の地位を保っていた国家神道の崩壊によって生じた空白を埋めるべく,雨後の筍のように日本全国に出現した。

 ここに私の第一のポイントがある。国家神道とは,長い間日本で平和的に存在し,独待かつ自然な方法で日本の文化,文学,民間伝承を活気づけていた信仰を,近年において逸脱させたものである。この話は,新しい民族国家を団結させるためだけでなく,その国家が文化の真の伝承とまったく相いれない全体主義的狂信によって破滅に追い込まれるために.神話や宗教の強力な象徴が巧みに操作され,いかに利用されるかについて,我々に教訓を与えてくれる。それはまた,歴史学者ヒュー・トレバ・ロパーが「伝統の発明」と呼んだものによって,どのような破壊が引き起こされるかについて,思い出させもする。

 私は様々の方面から質問を受けているので繰り返すが,この新しい神道国際学会の組織者たちが海外に普及しようと努めているのは,国家神道ではない。いったいそんな考えが,国際的な訴求力を持つことがありえようか?我々は天皇崇拝とか,日本の特別な宿命の復活などについて,恐れる必要はない。これから探求され,提示されるだろうと我々が期待するものは,より古く,またより普遍的なものである。それは常に日本文化の一部であって,同時にどこででも理解されうるものである。

―日本文化の根源への回帰―

 神道は,自然界が我々の享楽のためだけに設置された機械ではないことを,我々に思い出させてくれる。神道は,自然に対する畏敬や尊敬の念をよびおこし,我々はその巧妙な組織の一部分であり,搾取者であってはならないという直観を起こさせる次元を持っている。神道は,まわりの世界を新しい目で見直す助けとなり,我々の祖父たちが迷信として捨て去ったり,宣教師たちが偶像崇拝として愚弄しようと努めたものが,本当は本質的なものであり,長い間顧みられなかった真実を秘めていることを,我々にわからせてくれるのだ。

 以上のように,私は,このような日本文化の不可欠な要素である神道の普及を歓迎するものである。神道は日本に対してのみならず,世界に対し,より広範な意味を持つからである。それゆえ私は,神道国際学会が名前に「国際」という文字を冠していることを歓迎し,我々がこの古来からの,だが忘れさられていた経験の次元を,卒直に学び直すことができることを期待している。


<関連記事引用>

カーメン・ブラッカーさん死去(英国の日本文化研究者)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200907/2009071500952

 カーメン・ブラッカーさん(英国の日本文化研究者)英紙タイムズによると、13日死去、85歳。死因は明らかにされていない。
 24年生まれ。戦前から日本語を学び、戦後間もなく慶応大学で福沢諭吉を研究。82~84年に英国民俗学会長、97年に南方熊楠賞を受賞。ケンブリッジ大など日米英の大学で活動し、日本文化の研究と紹介に貢献した。(ロンドン15日時事)(2009/07/15-21:48)


<画像引用記事>

Carmen Blacker: Japanese scholar and teacher
http://www.timesonline.co.uk/tol/comment/obituaries/article6709795.ece