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田母神俊雄、8月6日の日本核武装論2009/07/01 09:50

タモタモ田母神俊雄がサングラスで、なにやら「フォーー!」


今また楠木正成が蘇ったのか。
血塗られた七生報国は三島由紀夫から田母神俊雄へ?

田母神挑むは8月6日広島ライブでの日本核武装論。
日本会議広島主催の田母神講演会に熱き男たちが詰め掛ける。

「きゃー、やめてー」
もうすでによい子ちゃんたちの悲鳴が聞こえてくる。

カラスは思考停止のよい子ちゃんたちに一言。
「この人たちがいるからこそ、米国は日本核武装を許さない。だから感謝しないとね。」
「いつまでも逃げてないで、あなたたちも少しはお勉強しなさい。」(カー、カー)


<画像引用>

田母神講演会:広島の平和を疑う! 日本会議広島
http://jp-pride.com/08-06_tamogami.pdf


<関連記事>

田母神氏講演、広島市長「8月6日はやめて」と要請
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20090630-OYO1T00402.htm?from=main1

田母神俊雄氏:「ヒロシマの平和を疑う」8月6日講演 秋葉・広島市長、変更要請
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090630ddm041040062000c.html

田母神氏の「原爆の日」講演に広島市長が「待った」
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090629/trd0906292149014-n1.htm

<関連サイト>

講演情報 田母神俊雄 -公式HP-
http://www.tamogami.sc/lecture/

6月に山口県で講演が3回・・・。

トリックスターの親分ことランディ・ニューマン Randy Newman2009/07/02 00:23





<トリックスターの親分ことランディ・ニューマンの楽曲解説リンク集>

Randy Newman - Little Criminals
http://rocks.studio-web.net/bou/randy/little.html

ランディ・ニューマン「セイル・アウェイ」 社会風刺の大力作復活
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/music/080813/msc0808130828001-n1.htm

Harps and Angels Penさんのレビュー
http://www.amazon.co.jp/Harps-Angels-Randy-Newman/dp/B001AN5BNM/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=music&qid=1246464040&sr=1-2

Dropping the big one
http://www.yorozubp.com/0205/020508.htm

村田良平の核持ち込み密約証言、社説読み比べ2009/07/02 23:59

核持ち込み密約について語る村田良平・元外務事務次官



読み比べると、朝日&毎日の社説のひどさがわかるはず。
左派の思考停止ぶりが浮き彫りに。


<社説引用>

核持ち込み 政府は密約の存在を認めよ(7月1日付・読売社説)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20090701-OYT1T00016.htm

 米軍の核持ち込み容認の密約はないとする政府見解の維持は、もはや困難だ。政府は、密約の存在を認め、国民に事実関係を説明すべき時だ。

 日本は、核兵器を搭載した米軍艦船の日本への寄港や領海通過を黙認する――。そうした日米両政府の「秘密の了解」の存在を、村田良平・元外務次官が報道機関のインタビューで明らかにした。

 1960年の日米安全保障条約の改定時に、米軍の核兵器の持ち込みは、両国が事前に協議する対象と定められた。

 一方で、陸上の米軍基地への配備や保管と異なり、艦船・航空機の寄港・立ち寄りや通過は、事前協議の対象外とする密約の存在が以前から、指摘されていた。

 日本政府は一貫して否定しているが、密約の引き継ぎに直接関与していた外務省の事務方トップがその存在を認めた事実は重い。

 東西冷戦下の60年当時、日本では、政治的な保革対立に加えて、一般国民の核アレルギーも強かった。政府が、有事における安全保障の観点から密約を結んだのは、やむを得ない面もあったろう。

 外交交渉に伴う機密を守るのは、相手国との信頼関係を維持するためにも、当然のことだ。

 だが、半世紀近くが経過し、国内外の状況は大きく変化した。

 米側では、ライシャワー元駐日大使ら関係者が密約の内容を証言した。密約を詳細に裏付ける公文書も多数公開されている。

 日本でも、自民、社会両党主軸の55年体制が崩壊し、より健全な安全保障論議ができる環境が整いつつある。

 これ以上無理を重ねて、密約を否定し続けることが、国益に沿うとは言えまい。むしろ、政府の外交・安保政策に対する国民の信頼を損ねるなど、マイナス面の方が大きいのではないか。

 密約を見直せば、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」とする非核三原則のあり方にも踏み込まざるを得ないだろう。

 核兵器の保有と製造の禁止を継続するのは妥当だとしても、「持ち込ませず」は、冷静に議論し直していい。陸上への配備や保管と、一時的な寄港や領海通過では、意味合いが相当異なる。

 北朝鮮の核とミサイルの脅威が深刻化し、中国の軍備増強が急速に進むなど、日本の安全保障環境は厳しさを増している。

 米国の「核の傘」による抑止力を高めるには、有事の部隊運用の柔軟性が重要だ。タブーにとらわれない核論議が求められる。


社説1 冷戦史の断面映す村田氏の「密約」証言(7/1)
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20090630AS1K3000330062009.html

 村田良平元外務次官の核持ち込みに関する「密約」証言は、冷戦史の断面を描き出した。核をめぐる情勢は当時と現在とでは異なる。例えば北朝鮮への核拡散を封じるために、オバマ米大統領は核軍縮を訴え、日本国内では非核三原則の見直し論もある。村田氏は歴史を語り、議論に一石を投じた。

 村田氏は昨年刊行の回顧録に「核兵器を搭載する米国艦船の日本への寄港と領海通過には事前協議は必要としないとの『密約』が日米間にあった」とし、非核三原則と事前協議をめぐる政府の国会答弁を「国民を欺き続けて今日に至っている」と書いた。当時の本紙書評はこれに触れ「著者が外務次官だったことを考えると、びっくりする」と評した。

 今回の発言は、この密約を「1枚紙」によって「前任者から受け取って、後任者に渡した」と具体的に説明した点が新しい。

 事前協議制度は1960年1月に日米安全保障条約と同時に署名した岸・ハーター交換公文に明記されている。藤山・マッカーサー口頭了解によれば、日本への核持ち込みは、交換公文にある、在日米軍の「装備における重要な変更」にあたり、事前協議の対象になる。

 このため日本政府は(1)事前協議がない以上、核の持ち込みはない(2)事前協議があれば、イエスもノーもありうる――と説明してきた。一方、村田氏は「核兵器を持ち込むときは当然、イエスでしょうね、当然そうしましょうというのが密約だ」と述べている。

 「密約」の法的効力は「条約法に関するウィーン条約」の観点から見て疑問とする見方もある。その場合でも、政治的意味は持ちうるが、「密約」が前提としたのは、60年当時の冷戦構造である。冷戦終結期の92年にブッシュ米大統領が艦船と攻撃型原潜からすべての戦術核を撤去してからは前提が変わった。

 核をめぐっていま議論されているのは、核保有国の核兵器の削減であり、北朝鮮などへの核拡散を食い止める努力である。オバマ大統領の核軍縮発言の背景には、保有国の核軍縮によって北朝鮮のような国に核放棄を迫りたいとの思惑がある。

 一方、北朝鮮の核実験への対応として日本国内には核武装すべきだとの極論も飛び出す。それを抑え、日本の安全保障を確保する立場から、場合によっては米国の核持ち込みを認める非核二・五原則の提案もある。村田氏の「密約」証言は、過去、現在、未来にわたり、日本が核とどう向き合うかを改めて考えさせる。


日米密約―また崩れた政府の「うそ」
http://www.asahi.com/paper/editorial20090630.html

 日米間に核兵器の持ち込みに関する密約など存在しない。そう言い続けている日本政府の「うそ」を突き崩す新証言が、日本のかつての外交責任者の口から語られた。

 1987年から89年まで外務省の事務次官をつとめた村田良平氏(79)が、この密約の存在を認め、文書の形で歴代事務次官や外相が引き継いできたと明かしたのだ。

 これまでこの密約は、米政府側の公文書公開などで具体的に裏づけられながら、日本政府は一貫して存在そのものを否定してきた。今回の証言についても河村官房長官は「密約は存在しない」と述べた。

 だが、外務官僚のトップ経験者が認めたのである。政府はもはや「うそ」の上塗りをやめ、歴史の事実を国民の前に明らかにしてほしい。

 村田氏が証言した密約は、60年の日米安保条約改定の際に、核兵器を積んだ米艦船が日本領海を通過したり、寄港したりすることなどを日本側が認めると約束していたというものだ。

 村田氏は「前任次官から引き継ぎ、在任中に2人の外相に説明したほか、後任の次官に同じように引き継いだ」「密約は普通の事務用紙1枚に書かれて、封筒に入っていた」などと、極めて具体的に語った。

 日米間の密約はこれ以外にもある。

 朝鮮半島有事の際には事前協議なしに在日米軍が日本の基地から出撃できるとしたものや、極東有事の際に沖縄への核再持ち込みを認めると約束したことなどがある。いずれも60年代に交わされ、米国務省の公文書やライシャワー元駐日米大使の証言などで、繰り返し明らかにされている。

 外交交渉の中には、すべてを国民に明らかにできないこともあるだろう。とりわけ冷戦まっただなかの60年代、米国に安全保障を依存した日本にとって、米国の戦争に巻き込まれることへの懸念を抱く国内世論と、米国の要請を両立させるのは並大抵のことではなかったに違いない。

 しかし、密約を交わしてから長い年月が経過しただけではない。冷戦はとうに終わり、米国の核戦略や日米同盟の役割もかつてとは様変わりしつつある。さらに、一方の当事者である米国が事実を公開している。

 もはや隠し続ける意味があろうはずがない。政府は密約を認め、国家的なうそをつき続けたことへの批判に向き合うべきだ。それがないままだと、日米間の今後の安保協力にも国民の素直な理解を得られまい。

 外交政策について、たとえ事後であっても公開し、説明を尽くす。これが民主主義を成り立たせるための政府の重い責任のはずだ。国民に信頼される外交を育むためにも、もうほおかむりは許されない。


社説:核持ち込み密約 詭弁はもう通用しない
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20090630k0000m070114000c.html

 1960年の日米安全保障条約改定時の核持ち込み密約について、村田良平・元外務事務次官が毎日新聞の取材に対しその存在を認めた。密約が外務省内で文書によって引き継がれてきたことを事務次官経験者が証言したのは初めてだ。

 外交を預かる外務省の事務方トップが自らの体験を踏まえて証言したことは重い意味を持つ。政府は速やかに密約の存在を認め、事実関係を国民に明らかにすべきである。

 村田氏が認めた密約は、安保条約改定に際し60年1月に東京で行われた当時の藤山愛一郎外相とマッカーサー駐日大使の会談記録などだ。日米両政府は在日米軍基地の運用に関し米軍が装備の重要な変更をする場合は事前協議を行うことにしていたが、核兵器搭載の米艦船の寄港や領海通過、米軍機の飛来については事前協議の対象外とすることを確認したものだ。

 これについて村田氏は87年7月の次官就任時に前任次官から文書で引き継ぎを受け、2年間の在任中に当時の外相に説明し後任次官にも引き継いだという。外務省が組織的に密約を管理していたことを意味する重大な証言である。

 核持ち込み密約は81年に毎日新聞が報じたライシャワー元駐日大使証言で発覚し、その後米側の公文書でも裏付けられている。しかし、日本政府は一貫して密約を認めていない。今回も「密約は存在しない」「事前協議がない以上、核持ち込みはなかったということに全く疑いの余地を持っていない」(河村建夫官房長官)と否定している。

 それにしても不思議なのは、内外の証言や公文書でこれだけ明らかになっている事実をいまもって日本政府が認めないことである。外交や安全保障政策では国益や相手国への配慮から、すべてをオープンにできない場合があることは理解できる。しかし、核持ち込みに関しては安保条約改定から半世紀近く、ライシャワー証言からも30年近くがたっている。米側がすでに公表し、日本政府の元高官も証言していることをなぜ認められないのか理解に苦しむ。

 日米間ではこのほか沖縄返還にかかわる密約の存在もわかっている。民主党の岡田克也幹事長は「沖縄密約に限らず、政権交代をしたら情報公開を徹底する」と明言している。日本の安全保障政策の根幹にかかわる問題をいつまでも隠し続けているのは外交に対する国民の信頼を得るうえで大きなマイナスである。

 「事前協議がない以上、核持ち込みはなかった」という詭弁(きべん)はもう通用しないことを、安保条約改定後ほぼ一貫して政権を担ってきた自民党も深く認識すべきである。


<社説引用追加>

【主張】核「密約」論議 問うべきは核の傘の信頼
2009.7.3 03:20
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090703/stt0907030321004-n1.htm

 1960年の日米安全保障条約改定の際、「核兵器の持ち込みについて日米間に密約があった」と村田良平・元外務次官が発言し、「密約」論議が再燃している。

 一部メディアは政府に密約の確認を求めているが、今回の発言は村田氏が昨年秋に出版した自著で公表しており、新事実でも爆弾証言でもない。日本にとっていま重要なことは、北朝鮮の核開発などの新たな脅威に向き合う日米安保体制や拡大抑止(核の傘)のあり方を超党派で冷静に論じることではないか。

 村田氏らが指摘する密約とは、「核を積んだ米艦船の寄港、領海通過や米軍機の飛来は事前協議の対象外とする」との日米了解事項をさす。ライシャワー元駐日大使発言などを契機に、密約の有無をめぐる論議は過去に何度も蒸し返されてきた。「密約はない」と政府が否定するパターンも、これまでと変わらない。

 日本は第二次大戦後、日米安保条約体制(日米同盟)を通じた米国の「核の傘」に国家の安全を委ねてきた。冷戦時代には、核抑止を確かなものにすると同時に核廃絶の理念を両立させる必要もあった。核持ち込みをめぐる運用上の了解事項を非公開とした当時の判断は、そうした「政治の知恵」の一つでもあったはずだ。

 その理解なしに同じ論議を重ねるのは不毛と言わざるを得ない。それよりも、日本がいま直面する状況を考える必要がある。

 現在の北東アジア情勢は、北朝鮮の核・ミサイル開発の脅威に加えて、核軍拡を続ける中国の存在も見逃せない。日本や韓国にとって、21世紀はむしろ冷戦時代よりも危険な状況に近づいているともいえる。

 先の米韓首脳会談では、韓国側が「核の傘による安全の保障」の再確認を米国に求めて、首脳間で文書化された。これからも明らかなように、同盟国に対する米国の「核の傘」の信頼度が改めて問われる時代に入っているのだ。

 日本においても、敵基地攻撃能力や核保有の是非を含めた独自の抑止態勢のあり方とともに、日米同盟を通じた核抑止がどこまで機能しているかをきちんと論議する必要が高まっている。

 そうした論議を政治が怠っては国家と国民の安全は守れない。国会の場でも、過去を蒸し返すよりも現代の緊急課題に即した抑止論議を最優先してもらいたい。


<画像引用>

核持ち込み密約:村田・元次官「冷戦終結、時代違う」
http://mainichi.jp/select/world/news/20090630k0000m010124000c.html

「8月6日の田母神俊雄米国講演会」のご提案2009/07/03 00:51



先日に続き今日も猿田彦さんとお電話。
田母神俊雄氏の8月6日の広島講演会について、「下品、品がない」で意見が一致。
2人の意見はまもなく日本会議に届く予定。

本ブログも日本核武装の議論だけは封じてはならぬとの立場。
田母神氏を応援したい気持ちもある。

とはいえ、追悼の祈りに包まれる8月6日の広島で行う理由が見当たらない。
この日の広島を汚していいものか。

昨日まで思考停止だった人たちに日本核武装を語って意味があるのか。
左傾化反発勢力の素朴な怒りに油を注いで何かいいことがあるのか。

ここで本ブログからの提案。
田母神氏をアメリカに送り出して、「真の平和構築の道」を語っていただこう。
「8月6日の田母神俊雄米国講演会」を実現しよう。

田母神氏が日本核武装を提起したいのなら、まずは米国に行って反応を確かめる必要がある。
そうすれば、日本が置かれている現実も理解できる。
その上で帰国報告もかねて後日広島講演を行えばよい。

今の保守はスケールが小さすぎる。
日米両国の平和構築のために米国で奔走した新渡戸稲造が泣いている。

あの時のようにまたこの国が乱れてきた。


敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花

敢えて名を伏すの隣人さんの「傘」への問いかけ2009/07/04 09:19







井上陽水の目の前でUAがこの歌を歌うのを見たことがあります。
陽水のあきれたような表情を見ていると「mmm俺よりうまい。。。」と思ってるように見えました。

ところで、「核の傘」の話です。
日本近海を遊弋する米第7艦隊や、沖縄、横須賀などに寄港する米原子力潜水艦(横須賀には空母も寄港しますね)。
いったいどのくらいいるかわかりません。
それらに搭載されている核弾頭も何本あるのかわかりません。
・・・みんな安全保障上の機密ですね。
ただ、日本は米国の核の傘の下に居ることは間違いありませんね。

もし核廃絶を具体的に進めるなら、日本国が最初に取り組むべきは在日米軍に母国へお帰り願うことなのではないでしょうか?
日本の領土、領海内にたくさんの核兵器があるわけですから、まず身近のものを片付けることでしょう。

さてその時、「傘がない」としてどうするのか? 
北朝鮮から発射されたミサイルは、わずか10分で東京に到着するそうです。
中国沿岸部からの所要時間も同じくらいでしょう。

国民の生命と財産を責任もって守るには具体的にどうするのか? 
それを決めて対策を用意してから、米軍にどうぞお帰り下さいと言わなくてはなりません。

一方には、米軍が日本に駐留しているというだけでのリスクもあります。
イラクで見たように、世界中が止めても米国は自分の勝手で戦争を始めましたよね。
東アジアで同じことが起きないとどなたか保証できるのでしょうか? 

つまり東アジアで米国が勝手に戦争を始めたら、日本は自動的にその戦争に巻き込まれるのです。
そのリスクを回避するためにも、在日米軍にはお帰りいただく必要があるのです。

第二次大戦が終結して60年以上が過ぎました。
未だ3万人の外国軍兵士が駐留する国は世界のどこにもありません。
この異常な状態を放置している日本人の無神経さ。
心ある日本人は早く目を覚ましていただきたいと思っている今日この頃です。

吉田タヌキとバック・パッシング2009/07/05 00:48

宰相吉田茂 (中公クラシックス) 高坂正尭 (著)


ついに「米国傘いらねー論」から「米軍いらねー、米国いらねー論」に発展してきました。

自分たちで自分の国を守ってこそ真の独立。
こんなことは確かに当たり前のこと。
大いに議論が盛り上がることを期待しています。

とはいえ、私自身はかなり見方が違います。
だって私は変人の王様だも~~ん。

<普通の日本人の見方>
日本は米軍によって守られている。よって心ある人は真の独立を目指そうとする。

<変人の王様の見方>
日本は米軍を利用している。もっともっと利用しまくって骨までペロペロムシャムシャしてやろうぜ。
これができるのも憲法9条あればこそ。よって憲法9条大幅改正反対。

私は吉田茂本をほとんど揃えて読んだために変人の王様になっちゃった。
正直言って、右も左も吉田の評価が低すぎる。

勇ましく真の独立を目指すのもいいですが、少しは吉田タヌキを見習いましょう。
少なくとも戦死者の数は大きく違ってきますよ(ここが特に重要)。

リアリズム理論を借りれば、憲法9条というのは米国から日本へのバック・パッシングを封じるばかりか、日本が米国に対してバック・パッシングを仕掛けることができるという優れものなのです。

だって北朝鮮の直接的な脅威にさらされているのは日本のはずなのに、「憲法9条あるから無理なんですよ。米国が守ってよね。ねーねー、米国が北をやっちゃってよ」と言えるでしょ。
それでも米国が動こうとしなければ、「日本も核持っちゃおうかな~」と仄めかす。
今まさに北のミサイル連射を見ながら、誰かが米国に言っていると思います(笑)

このことに気付いている日本人は今のところ私だけかな~。

皆さんのご意見も聞かせてくださいね♪


<関連サイト>

「バック・パッシングについて」
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k6/161218.htm

<画像書籍>

宰相吉田茂 (中公クラシックス) 高坂正尭 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E5%AE%B0%E7%9B%B8%E5%90%89%E7%94%B0%E8%8C%82-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-J31-%E9%AB%98%E5%9D%82-%E6%AD%A3%E5%B0%AD/dp/4121600932/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1246722888&sr=1-1

世界の中心で日本核武装を叫ぼう(2) 敢えて名を伏すの隣人さんより2009/07/05 14:03

原爆で廃墟と化した浦上天主堂と被爆マリア像


外交カードとしての「日本核武装論」再び。
実は核兵器の廃絶、削減にも有効だと私は考えています。

諸外国が日本という国をどう見ているかを考えてみると、
外交ではアメリカの属国でしかない、国民性はおとなしく忍耐強い。
しかしいったん‘切れた’ら何をするかわからない。
そしてそのエネルギーは凄まじいものがある。

世界の超大国アメリカを相手に無謀な戦争を始めた唯一の有色人種国家。
しかも、3年8ヶ月にわたって全面戦争をやり、最後には訳のわからない‘特攻’までやった。

そして、原爆を二つも落とされて無辜の民を一瞬にして大量に殺された。
その恨みは忘れていないだろうと。

このことを日本人の私たちがいくら否定しても、彼らはそうは受け取らない。
日本を刺激したらヤバイことになる。意識のどこかにそれがあるのでしょう。

今回の中国外相の日本核武装を懸念する発言の根底には、そうした彼らの(潜在)意識が働いていると思う。日本側では誰もそんなことは言っていないのにである。

日本人に原爆被害の記憶を少しでも薄れさせようと、戦後のアメリカは様々な手を打った。
なかでも長崎の浦上天主堂の修復はその代表的なものでしょう。
戦後の長崎では、原爆で破壊された浦上天主堂を広島の原爆ドームと同じように被爆のシンボルとして残そうという動きがあった。


原爆で廃墟と化した浦上天主堂 (画像上)
http://www.nagasaki-heiwa.org/n2/urakami.html


しかし、保存推進派の当時の長崎市長・田川務氏は、昭和31年の訪米から帰国後、その論を一転翻して建て替え派になった。その結果廃墟は取り壊され、急遽鉄筋コンクリートで再建された。現在のレンガ造りの天主堂はさらに昭和55年に本来の姿に復元し、建て替えられたものです。

同じく廃墟に転がっていた首から上だけの被爆マリア像も、長くその存在は隠されていた。


被爆マリア像(画像下)
http://www.madonnagasaki.org/top.html


この姿を見るだけでも原爆の悲惨さは伝わってきますね。
(2005年にこのマリア像のための聖堂が建造され、現在は公開されているようです。)

広島のドームと異なりキリスト教に直接関係するものが原爆の遺跡として残されることは、キリスト教社会である西欧の人たちに、アメリカの行った野蛮な行為が伝わることをできるだけ隠そうとした意図が窺えるのです。

彼らが隠そうとした原爆遺跡、それでも被爆の記憶がたくさん残っている「唯一の被爆国日本」が、もし核武装を言い出したら、その与える恐怖感は他の国とは違うのです。

日本が核武装をするかも知れないということは、憲法9条があろうが非核3原則があろうが、今回の北朝鮮の核実験を契機に、日本がそう言い出すかも知れないという危機意識は諸外国に存在します。
私たち日本人には全くそんな(核武装の)考えはなくとも、彼らはそう考えるのです。

であるならば、世界の核兵器の削減・廃絶が実現しなければ、日本も核武装することがあるかも知れないと表明することは、外交カードとして有効なものになり得ると私は考えます。

「唯一の被爆国日本」というキーワードは、こんな使い方もあるのではないでしょうか?


以上、敢えて名を伏すの隣人さんからのご意見を紹介させていただきました。


<園田のコメント>
本ブログは絶妙なタイミングで「今こそ世界の中心で日本核武装を叫ぼう」と呼びかけたのですが、勇気を出してハッタリかます政治家はとうとう現れず。
このタイミングで立ち上がらなかった中川昭一氏や坂本剛二氏らのセンスを疑います。
キッシンジャーが慌てふためく様子だけでも見たかったのにね。


<関連記事>

中国外相が日本の核武装論を懸念 北朝鮮の脅威背景に
http://www.47news.jp/CN/200907/CN2009070201000501.html

今こそ世界の中心で日本核武装を叫ぼう
http://y-sonoda.asablo.jp/blog/2009/06/01/4335426
世界の中心が日韓核武装を恐れて動き始めた
http://y-sonoda.asablo.jp/blog/2009/06/08/4352975
世界の中心で日本核武装が利用されている
http://y-sonoda.asablo.jp/blog/2009/06/08/4352757
米知日派公聴会で語られるJapan's Changing Role
http://y-sonoda.asablo.jp/blog/2009/06/30/4402517

アイマイ・パワーと新世界秩序2009/07/06 09:21

「日本の曖昧力」呉善花 (著)


北朝鮮の直接的な脅威にさらされているのは日本のはず。
ところがせいぜい敵基地攻撃論止まり。
内緒でこそこそ米国と「核の傘」の確認中。

「いざとなったら、米国が守ってくれるよね。北をやっつけるよね。」などと言い出す始末。

ところが米国は自国が報復されるリスクまで犯して、日本を守るかどうかはわからない。

結局何もかもが曖昧。

真の独立を求める勇ましき人たちはこの曖昧が大嫌い。
とはいえ曖昧には日本的な風情も感じる(チクリ)。

今世界を眺めてみると・・・。

ブッシュのイラク戦争の大義は曖昧確定。
米中関係はすでに曖昧。
オバマの核廃絶はきっと曖昧。
世界の多極化と無極化は曖昧の極み。

ジャパニーズ・アイマイ・スタイルが新世界秩序を担い始めたのか。

歴史を振り返れば、日本的曖昧さは曲者。
使い方を間違えて一国を滅亡寸前にまで追い込むパワーを発揮した。

やはり曖昧も作法が決め手ということか。

今日本で語られる曖昧力や曖昧戦略、ついでに曖昧効果の行方に注目したい。



<関連記事引用>

【くにのあとさき】東京特派員・湯浅博 あいまい戦略に効用あり
2009.7.2 03:02
http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/090702/mds0907020303001-n1.htm

 米海軍第7艦隊の拠点、横須賀基地に米艦船が入るたびに、基地を担当する新聞記者が発するお決まりの質問がある。

 「横須賀に入港する米艦船は核を搭載しているのか否か」

 対する米海軍側の答えはいつも決まっていて、「核搭載の有無はイエスともノーともいわない」でおしまい。米海軍の広報官も書面で答えているから、かねて用意の文書なのである。

 この「核がありそうな、なさそうな」というボンヤリが大事で、これをもって曖昧(あいまい)戦略という。おそらく半世紀の間、少しも変わらぬ米側の回答だろう。近年では、クリントン政権下の対台湾政策でも「曖昧戦略」という言葉を聞いた。中国が台湾侵攻をした際の対応について、当時のナイ国防次官補は「米軍が介入するともしないとも言わない」と述べていた。

 この場合は、曖昧にすることで中国を刺激しないよう配慮し、同時に抑止力を維持する意図があった。含意は、米軍が応戦することになるから武力攻撃はやめておいた方がいいということである。

 有名な曖昧戦略はイスラエルの政策で、核兵器について「持っているともいないとも言わない」というだけで、アラブの敵対勢力はヘタに手出しできないと思いとどまる。おかげで、イスラエルは核開発が阻止されるNPT(核拡散防止条約)に入らずにすみ、世界に対しては「核があるから怖い」と思わせることができた。

 実のところ、北朝鮮のような犯罪国家が核を持つと、この曖昧戦略では心もとない。それでも日本には、「唯一の被爆国」という微妙な感情があるから、米国といえども核搭載の明言を避ける曖昧戦略に終始する。

 ところが、日米間の「核持ち込み密約」に対する政府答弁では、相変わらず「存在しない」と完全否定してしまう。この場合は曖昧戦略ではなく、国内向けに「核はなし」とごまかすことになる。

 この政府答弁を素直に受けとれば、せっかくの核抑止力をぶち壊すことにならないか。逆に、河村建夫官房長官のいう「事前協議がない以上は核持ち込みがない」というのは不誠実である。

 元外務次官、村田良平氏の昨年の著作『村田良平回想録』や最近の発言は、そういう不誠実な政府見解はやめにして、まともな核論議をすべきではないかとの提起である。一部メディアは次官経験者の村田氏による「核兵器の持ち込みについて日米間に密約があった」との発言だけを取りあげ、「政府のウソ」と矮小(わいしょう)化した。

 しかし、誰もが政府見解を信じていないだろうから、実は抑止力がそのまま働いているという皮肉を見落としている。この密約は1960年代終わりの沖縄返還交渉で、佐藤栄作首相の密使だった京都産業大学の若泉敬教授(96年に死去)が、著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(94年刊)の中ですでに明らかにしている。

 むしろ問題は、佐藤首相が68年の施政方針演説で公約した非核三原則にある。核を「作らず、持たず」に加え、「持ち込ませず」を入れて柔軟性がなくなってしまった。いまや米艦船だけでなく、中国、ロシアの核搭載艦までが航行しているから、「持ち込ませず」がいかに時代遅れであることか。

 やがて、北朝鮮が「核保有国」をかさに荒っぽい行動をするだろう。日本が「独自核」を持てないのなら、せめて三原則を棚上げして曖昧戦略に舵(かじ)を切ろう。


<画像書籍>

「日本の曖昧力」呉善花 (著)
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