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皇后さま喜寿の誕生日 「復興の道のり、長く心を寄せ、見守っていきたい」‎2011/10/21 05:57







<関連記事引用>

皇后さま77歳:宮内記者会質問と回答(全文)
http://mainichi.jp/select/wadai/koushitsu/news/20111020k0000m040128000c.html

 今年は3月に東日本大震災、福島第1原発事故が起き、9月には台風災害として平成に入り最悪となった台風12号による豪雨被害にも見舞われました。一方、女子サッカーの「なでしこジャパン」がワールドカップ優勝の快挙を成し遂げるなど、震災後の日本を勇気づける明るい出来事もありました。この1年を振り返ってのご感想をお聞かせください。特に、甚大な被害をもたらした今回の大震災をどう受け止め、天皇陛下とともに慰問された被災地ではどんなことをお感じになりましたか。震災当日の天皇、皇后両陛下のご様子もお聞かせください。

回答)

 今年は日本の各地が大きな災害に襲われた、悲しみの多い年でした。3月11日には、東日本で津波を伴う大地震があり、東北、とりわけ岩手、宮城、福島の3県が甚大な被害を蒙(こうむ)りました。就中(なかんずく)福島県においては、この震災に福島第1原発の事故が加わり、放射性物質の流出は周辺の海や地域を汚染し、影響下に暮らす人々の生活を大きく揺るがせました。大震災の翌日である3月12日には、長野県栄村でもほぼ東北と同規模の地震があり、これに先立つ2月22日には、ニュージーランドにおいても、地震により、多くの若い同胞の生命が失われました。

 豪雨による災害も大きく、7月には新潟、福島の両県が、9月の台風12号では、和歌山、奈良の両県が被災しました。災害に関する用語、津波てんでんこ、炉心溶融、シーベルト、冷温停止、深層崩壊等、今年ほど耳慣れぬ語彙(ごい)が、私どもの日常に入って来た年も少なかったのではないでしょうか。

 2万人近い無辜(むこ)の人々が悲しい犠牲となった東北の各地では、今も4000人近い人々の行方が分かりません。家を失い、或(ある)いは放射能の害を避けて、大勢の人々が慣れぬ土地で避難生活を送っています。犠牲者の遺族、被災者の一人一人が、どんなに深い悲しみを負い、多くを忍んで日々を過ごしているかを思い、犠牲者の冥福を祈り、又、厳しい日々を生き抜いている人々、別けても生活の激変に耐え、一生懸命に生きている子どもたちが、一日も早く日常を取り戻せるよう、平穏な日々の再来を祈っています。

 この度の大震災をどのように受けとめたか、との質問ですが、こうした不条理は決してたやすく受け止められるものではなく、当初は、ともすれば希望を失い、無力感にとらわれがちになる自分と戦うところから始めねばなりませんでした。東北3県のお見舞いに陛下とご一緒にまいりました時にも、このような自分に、果たして人々を見舞うことが出来るのか、不安でなりませんでした。しかし陛下があの場合、苦しむ人々の傍(そば)に行き、その人々と共にあることを御自身の役割とお考えでいらっしゃることが分かっておりましたので、お伴をすることに躊躇(ちゅうちょ)はありませんでした。

 災害発生直後、一時味わった深い絶望感から、少しずつでも私を立ち直らせたものがあったとすれば、それはあの日以来、次第に誰の目にも見えて来た、人々の健気(けなげ)で沈着な振る舞いでした。非常時にあたり、あのように多くの日本人が、皆静かに現実を受けとめ、助け合い、譲り合いつつ、事態に対処したと知ったことは、私にとり何にも勝る慰めとなり、気持ちの支えとなりました。被災地の人々の気丈な姿も、私を勇気づけてくれました。3月の20日頃でしたか、朝6時のニュースに郵便屋さんが映っており、まばらに人が出ている道で、一人一人宛名の人を確かめては、言葉をかけ、手紙を配っていました。「自分が動き始めたことで、少しでも人々が安心してくれている。よい仕事についた」と笑顔で話しており、この時ふと、復興が始まっている、と感じました。

 この時期、自分の持ち場で精いっぱい自分を役立てようとしている人、仮に被災現場と離れた所にいても、その場その場で自分の務めを心をこめて果たすことで、被災者との連帯を感じていたと思われる人々が実に多くあり、こうした目に見えぬ絆が人々を結び、社会を支えている私たちの国の実相を、誇らしく感じました。災害時における救援を始め、あらゆる支援に当たられた内外の人々、厳しい環境下、原発の現場で働かれる作業員を始めとし、今も様々な形で被災地の復旧、復興に力を尽くしておられる人々に深く感謝いたします。

 この度の災害は、東北という地方につき、私どもに様々なことを教え、また、考えさせました。東北の抱える困難と共に、この地域がこれまで果たしてきた役割の大きさにも目を向けさせられました。この地で長く子どもたちに防災教育をほどこして来られた教育者、指導者のあったことも、しっかりと記憶にとどめたいと思います。今後この地域が真によい復興をとげる日まで、陛下のお言葉のように、この地に長く心を寄せ、その道のりを見守っていきたいと願っています。

(震災の日の陛下と私の様子をとのことですが、事後の報道にあったことに、特に加えることはありません)

 この一年の世界の出来事で、特に印象に残るものとして、チュニジアのデモに端を発し、エジプト、リビア始めアラブ世界の各国に波及した「アラブの春」の動きがありました。なお、案じられることとして、タイをはじめ近隣の国々で今も続いている豪雨災害があります。

 9月、日本とのつながりの深いケニアのマータイさんがなくなりました。丁度(ちょうど)日本訪問の思い出をつづったお便りと共に、長く関わってこられた植樹活動のDVDが手許に届けられた直後の訃報でした。そして、10月には、「アラブの春」よりも早く、非暴力をもって独裁に対し、人権や平和のための活動を続けてきたアフリカ、中近東の3人の女性に、ノーベル平和賞の授与が発表されました。

 恵まれぬ環境下で、長く努力を重ねてきた女子サッカーチーム「なでしこ」のワールドカップ優勝、美しい演技で知られる日本体操チームの世界選手権での活躍、魁皇関の立派な記録達成等、今年のスポーツ界には、うれしいニュースが続きました。園遊会に出席の佐々木監督と澤選手は、あの日どんなに大勢の人から喜びの言葉をかけられたことでしょう。大きな魁皇関は、芝生の斜面に笑顔でゆったりと立っておられました。

 この1年間にも各界は何人もの大切な方たちを失いました。このうち5月に亡くなった坊城俊周(としかね)さんは、戦後間もなくより、兄上の俊民氏と共に、宮中の歌会始の諸役となられ、以来、長くこの務めに献身して下さいました。平和な今日と異なり、戦後の混乱期に、若い人々の手で伝統の行事を守り続けることには、想像を超えるご苦労があったと思われます。7月に亡くなられた冷泉布美子さんも又、戦中戦後を通し、長い歴史をもつ時雨亭文庫を守られ、冷泉家に伝わるさまざまな年中行事も、これをつぶさに今日に伝えられました。京都のお宅で、美しい七夕のお飾りを見せて頂いた日のことを懐かしく思い出します。

問2)

 4人のお孫さまは健やかに成長され、秋篠宮ご一家の長女眞子さまはまもなく20歳となり、成年皇族になられます。皇太子ご一家、秋篠宮ご一家とは最近ではどのような交流をされ、どんな思いで接しておられますか。初めてのお孫さまが成年を迎えられることで、何か感慨はございますか。

回答)

 4人の孫たちは、秋篠宮家の上の2人、眞子と佳子が19歳と16歳、東宮の愛子が九つ、秋篠宮家の末の悠仁が五つになり、それぞれに個性は違いますが、私にとり皆可愛く大切な孫たちです。会いに来てくれるのが楽しみで、一緒に過ごせる時間を、これからも大切にしていくつもりです。

 質問にもありましたように、今年は秋篠宮家の長女眞子が成人式を迎えます。思慮深く、両親が選んだ名前のように真直ぐに育ってくれたことを、嬉(うれ)しく思っています。

問3)

 7月初旬に左の肩から腕に強い痛みを訴えられ、9月に痛みが再燃し、北海道訪問を取りやめられました。天皇陛下は2月、心臓の冠動脈に硬化や狭窄(きょうさく)が見つかり、治療を始められました。喜寿を迎えられたわけですが、両陛下の現在のご体調はいかがですか。両陛下の健康管理、公務のあり方についてはどのようにお考えですか。

回答)

 5、6年程前から、医師の警告を受けていた頸椎(けいつい)症より来る痛みが、7月初旬と9月初旬の2度にわたり発症し、幾つかの務めを欠いてしまいました。これまで比較的健康に恵まれてきましたが、この頃は加齢のためか、体に愉快でない症状が時折現れるようになり、その多くは耐えられないといったものではないのですが、日程変更の可能性を伴う時は症状を発表せねばならず、その都度人々に心配をかけることを心苦しく思っています。

 8年前、前立腺の手術をお受けになった陛下は、今もホルモン療法をお受けになっており、そのことが骨や筋肉に及ぼす悪い影響は避けられません。薬をお摂(と)りになる他、医師からは適度の運動も奨(すす)められており、私も毎朝の散策に加え、体調が許すようになりましたら、また以前のようにテニスコートにもお伴をしたいと願っています。この2月に冠動脈の狭窄(きょうさく)が見付かった結果、これに対応するための投薬も受けていらっしゃり、運動もあまり長時間はなさいません。陛下も私も、時に体におこる不具合に対処する一方で、今持っている体力があまり急速に衰えぬよう体に負荷をかけることも必要な、少ししんどい年齢に来ているかと感じています。

 陛下のお務めの御多忙がお体に障らぬよう、深くお案じ申し上げておりますが、他方、病気をお持ちの陛下が、少しも健康感を失うことなく、日々の務めに励んでいらっしゃるご様子を見上げますと、陛下の御日常が、ごく自然に公務と共にあるとの感も深くいたします。

 人々のために尽くすという陛下のお気持ちを大切にすると共に、過度のお疲れのないよう、医師や周囲の人たちの意見も聞きつつ、常に注意深くお側にありたいと願っています。

ロイター特別リポート:中国で膨張する地方債務、経済の「地雷原」に、3割近くに不良債権化の恐れあり2011/10/21 06:39



<関連記事引用>

特別リポート:中国で膨張する地方債務、経済の「地雷原」に
2011年 10月 20日 12:54 JST
http://jp.reuters.com/article/mostViewedNews/idJPJAPAN-23718520111020?sp=true

[成都/武漢/東京 20日 ロイター] 中国における地方債務の拡大が深刻化の一途をたどっている。景気対策の名の下に行われた野放図ともいえる建設ラッシュの結果、地方政府が抱える債務は2010年末で10兆7000億人民元(1兆6700億ドル)に達し、少なくとも3割近くに不良債権化の恐れが出ている。

 中国経済の「地雷原」ともいえる借金バブルの膨張。だが、地方当局者の危機意識は薄く、投資収益が細る中で、事態がさらに悪化する懸念が高まっている。                 

 リーマンショックが世界を覆った08年、中国・四川省の省都、成都市で、英ロンドンのウォータールー駅をモデルにした鉄道ハブを建設するという大胆なプロジェクトが動き出した。中央政府は金融危機による国内経済の悪化を懸念、各地方都市に積極的な景気対策の実施を指令していた。その命をうけ、本家のウォータールー駅をはるかにしのぐ成都市の野心的な建設計画には、膨大な資金がつぎ込まれた。

 「実際にウォータールー駅を訪れた時には、ずいぶん小さいので驚いた」。成都新駅の建設を手掛けた成都交通投資集団の陳軍(Chen Jun)董事はこう振り返る。「成都の実情に合わせるには数倍大きな駅が必要になるだろうと思った」。

 中国におけるインフラプロジェクトの例に漏れず、新駅の規模は計画に比べて2倍以上に膨れ上がり、国有銀行からの融資額は30億人民元に達した。さらに工事スケジュールも、わずか2年後の完成をめざすという異例のスピードだった。

 だが、華々しく立ち上げられた新駅計画が国民からの称賛の的にはなっているわけではない。むしろ、他の多くの地方公共プロジェクトと同様、建設バブルの象徴として厳しい視線と批判にもさらされつつある。

 <目算なき建設ラッシュ> 

 リーマンショック後の08年11月9日、中国政府は2年間で4兆人民元におよぶ景気刺激策を実施すると発表。世界経済が急速に悪化した局面でいち早く打ち出した大規模かつタイムリーな経済対策は、その後の中国の2桁成長をけん引したほか、世界経済の立て直しにも貢献した。

 景気対策の大きな柱になったのは、地方都市における公共施設の建設だった。中央政府の意向をうけた各地方政府は喜々として大型プロジェクトに乗り出した。

 地方政府は債券発行や銀行からの直接借り入れを禁じられているため、資金調達の核になったのは各政府が設立した「地方融資プラットフォーム会社」と呼ばれる投融資企業。その数は中国全土で1万社に増加し、リーマンショック後に発生した地方債務はこうした企業向け融資の形で一気に積み上がった。

 「刺激策は中国の現状に合っており、タイムリーで強力、かつ効果的だった」、「正しい決定であり、われわれにとって、将来の世代にとって、そして世界全体にとり有益だった」。景気刺激策が終了する直前の昨年9月、温家宝首相はこう語り、その効果を高く評価した。

 しかし、「ハコモノ行政」の御多分に漏れず、多額の融資をつぎ込んだ建設物には、役立たずの橋など無用の長物も少なくない。新たに作った施設の収益が不足し、債務返済が滞る事態は現実になりつつある。

 中国の地方政府が抱える債務は10年末時点で10兆7000億人民元とみられ、中央政府ではそのうち2兆5000億─3兆人民元が不良債権化すると予測。一方、スタンダードチャータード銀行は不良債権額が8兆─9兆人民元に上るとみる。今年と来年が償還期限になる地方債務は、全体の約4割にあたる4兆4000億元に達する。

 <巨額の債務、不足する営業収益>

 成都のオフィスでソファに深く腰を下ろした成都交通の陳董事は、成都版ウォータールー駅の開発については、同市政府が資金の問題に行き当たる、と笑顔であっさりと認めた。陳董事は「市の鉄道網への投資から生じる可能性がある影響については、まだ自社の決算に反映させていない」と明かした上で、「ローン返済の期限が来たら、困難に直面するかもしれない」と述べた。

 成都交通は10年末時点で資産額が117億人民元であるのに対し、負債額は189億人民元に達する。それでも陳董事は解決策があると考えており、過度な心配は抱いていない。

 陳董事が期待する策とは、全国の地方政府が所有する資産、すなわち不動産だ。同市内で成都交通以外に国有企業6社の経営も手掛ける陳董事は、本家ウォータールー駅のように各駅周辺に大規模な住宅や商業施設を建設する計画を抱く。もちろん資金は借り入れで賄うつもりだ、という。

 湖北省の省都、武漢市。長江とその支流の漢江が交差する要所に位置する同市でも、成都市と同様に、リーマンショック後の景気対策として公共投資のラッシュが続き、そのツケをめぐる議論が巻き起こっている。

 交通ハブとしての機能をさらに高めるため、同市政府は過去3年間で橋梁や鉄道路線、高速道路の建設に熱を上げた。これらの公共投資のうち、ほとんどをファイナンスしたのが武漢市城市建設投資開発集団(UCID)。同市最大の地方融資会社であるUCIDは1万6000人の従業員を抱え、総資産額は1200億人民元に上る。

 UCIDが抱える銀行からの借入額は10年9月時点で685億人民元に達し、営業キャッシュフローの1億4800万人民元をはるかに上回る水準となっている。巨額の投資と営業収益の不足に対する市民の不満を気にした市当局者らは、長江に架けた橋梁について、これまでにない資金回収策を思いついた。通常の通行料に加えて、月に最低18日間利用する車両について、往復料金16人民元を徴収するという方法だ。

 さらに、人口980万人の同市では、地下鉄路線を17年までに215キロ延伸する計画も抱えている。大手国有銀行からの融資で建設費を賄う考えだ。融資の担保として土地販売に依存しているが、市によれば、高級住宅向け用地の価格は04年比で2倍以上に膨らみ、1平方メートル当たり1万1635人民元に高まっているという。

 UCID新聞弁公室(広報部門に相当)の申志忠(Shen Zhizhong)副主任は、債務の危機に直面しても、多額の赤字を責められるいわれはないと強弁する。

 「政府にやるべきことをすべて決められ、いずれのプロジェクトもわれわれには何ら権限はない」。さらに、申副主任は「われわれはスポーツ選手と同じで、監督やレフェリーではない。監督やレフェリーしか知らないことをなぜ選手に尋ねるのか」と語り、同社に市の借金返済計画を尋ねるのは「非科学的」と一蹴した。

 <危機感みせない当局者>

 成都市や武漢市も含め、ロイターが取材したいくつかの地方融資会社では、多額の債務にもかかわらず、担当者に懸念の色は見えなかった。単に中央政府の意向に沿った対応をとっているだけであり、中央政府は必ずや救済に乗り出すに決まっている、というのが彼から一様に戻ってくる答えだ。

 おそらく彼らの目論見は当たっている。中央政府は3兆ドル以上の外貨準備を保有しており、債務超過の投融資企業を救済するだけの資金は十分だ。実際、1990年代には主要行救済のために資産管理会社を設立した経緯もある。

 成都市発改委区域計画処の曽明友(Zeng Mingyou)処長は、債務は積み上がっているものの、市は支出やリスクをコントロールできると自信をみせる。「重要なのはわれわれにはリスクをコントロールする適切な対策があるということだ。ほかの都市に比べ、われわれには優れたコントロール機能がある」と強調する。

 曽処長によれば、市では3年前、利用者のいない高速道路が農業用地に建設されていることが判明、それを受けて投融資企業の引き締めに取り掛かったという。また、インフラ融資の担保として土地を利用することも既に中止しているという。

 「市の土地すべてを利用し、担保にすることは不可能」と曽処長は話す。「いつかは土地も枯渇する。そのため、今では持続的な発展に向けて努力しているところだ」。

 武漢市でも、金融規制当局である湖北銀監局新聞弁公室の謝作槐(Xie Zuohuai)副主任が債務マネジメントに対する自信を見せる。謝副主任はたばこをひっきりなしに吸いながら、「武漢は、地方債務に関する中央政府の規制を実施するにあたっては模範都市とされている」と話す。

 「中央政府がうまい具合にリスクを抑えると信じているから」とも語り、いざとなれば中央政府が救済に乗り出すという、世間に流布しているうわさを裏付ける証言も行った。

 <不動産規制の打撃>

 地方当局者にとって、債務をコントロールするカギのひとつは、不動産価格を高水準に保つことだ。上海に本拠を構える不動産情報・コンサルティング会社、中国房産信息集団によると、昨年の地方政府収入のうち、4割が土地販売によるものだった。土地はまた、地方融資会社に対するローンの担保としても活用されることが多いという。

 しかし、そこに大きな懸念材料が浮上している。中央政府が不動産ブーム抑制の動きを強め、国有銀行に融資カットを指導しているからだ。

 中国では昨年、国内投資がGDPの7割を占めたが、その多くが不動産市場やインフラ開発に流れ込んでいる。こうした投資ブームに乗って土地の使用権を売り、債務返済の財源としてきた一部の地方政府にとって、不動産取引の規制強化は、その計画を狂わせるだけでなく、新規融資に必要な信用力の低下にもつながる。

 実際に、銀行側は、地方プロジェクト向け融資への慎重姿勢を強めている。たしかに、地方債務の増大と返済能力の悪化にともなう融資リスクは、各行のバランスシートの健全性を考慮すれば、まだ低いレベルにとどまっているようにみえる。銀行業界の不良債権引当率は10年末に218%となり、08年末の80%、09年末の155%から上昇した。

 しかし、北京、武漢、成都の銀行の経営幹部は、利益を生むという保証がない場合、あるいは潰すことができないような巨大プロジェクトでない限り、地方政府への融資をストップしたと口をそろえる。北京のある中規模行の経営幹部は匿名を条件に、「現在、多くの銀行は地方政府に属する投融資企業への新規融資をカットしている」と明かす。

 地方政府や融資企業も、資金調達が難しくなったと認める。成都交通の陳董事は「銀行が知りたいと望むのは、明確な収入源だ」と指摘。「高速道路や鉄道路線といった大プロジェクト向けのローンは得ることが難しくなった」と打ち明ける。

 <影の銀行>

 中国の地方官僚は、共産党の評価を得るために、雇用や成長を促すプロジェクトを通じて好調な経済を維持することが求められる。不動産バブルを防止するために融資が引き締められれば、住宅・不動産市場の低迷につながりかねず、その使命は果たせない。そこで登場するのが「影の銀行」だ。

 彼らは闇の融資・信用業者として、正規の融資では不適格とされた個人や企業に信用を供与。供与した信用を細切れに別の投資商品に紛れ込ませる役割を担う。いわばアメリカの銀行がサブプライムローンで行っていたのと同様の手法だ。

 クレディ・スイスは最近のリポートで、中国でこうした闇の融資が急成長している事態を「時限爆弾」と表現した。同社は、中国の闇融資の市場規模を4兆人民元と推計。これは正規の銀行融資規模の約8%に相当する水準だ。

 闇市場では最高で利息が70%に達し、市場規模は1年で約50%拡大しているという。今年に限ってみると、影の銀行による不動産デベロッパー向け融資は2080億人民元に達しており、正規の銀行による同様の融資額2110億人民元とほとんど変わらない水準とみられる。

 正規の銀行は危険性のあるローンを闇市場に移してきた。アナリストによれば、公的銀行も財務をよく見せるため、ローンの再構築や組み換えを進めているところだという。例えば、地方政府向け融資を企業向け融資に分類し、引当金を減少させることで利益を水増しする行為がみられるとしている。国内メディアによると、分類しなおす予定のローン総額は2兆8000億人民元に達するという。

 「各行は一定水準の不良債権の存在を認めなくてはならないが、規制当局がこうしたローンの再分類を許しているため、あえて認めることはしないだろう」。米シカゴにあるノースウェスタン大学のビクター・シー教授は、中国の金融システムに関する著書でこう指摘した。

 そのような債権の再分類は、関係者全員に都合がいい方策といえるだろう。中央政府は金融システムの不安定化を警戒しており、不良債権の増大を望むはずもない。また地方政府にとっても、胡錦濤(Hu Jintao)氏から習近平(Xi Jinping)氏に国家指導者の交代が予想される来年秋の重要な党大会を控え、巨額の不良債務が発覚して成長軌道から外れるのは避けたい、という思惑もあるようだ。

 とはいえ、中国は世界景気の影響を受けやすく、不況を避けるためにあらゆる対策が必要になる可能性もある。建設ラッシュは08年に国内経済を守る役割を果たしたが、現在の中央政府に当時のような力はない。インフレ率は高止まりし、これ以上のマネー供給は事態を悪化させるだけだ。 バークレイズ・キャピタルは世界的な景気後退が中国の「ハード・ランディング」を招く可能性に言及。国内総生産(GDP)も、都市部に流入する地方出身者に十分な雇用を確保するのに必要とされる成長率8%を大きく割り込むとみている。深刻な経済不況に落ち込めば、地方政府の資金供給源となっている土地販売にも影響し、地方が抱える債務はさらに危機的な状況に追い込まれる可能性もある。

  (Kelvin Soh、Aileen Wang、翻訳/編集:川上健一、北松克朗、取材協力:Koh Gui Qing)