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「脱原発」社説読み比べ:今また「現実」と「空想」が激突、戦前の教訓生かせぬ菅直人と朝日新聞2011/07/14 08:37



そもそも何が問題なのか。

それは、すでに退陣を表明している首相が、国の根幹を左右するエネルギー安全保障の転換を軽々しく語る愚かさにある。ましてや偉そうに使命に言及するなどもってのほか。

今朝(7月14日)の日経によれば、「脱原発」の記者会見に先立ち、細野豪志原発事故担当相は「エネルギー安全保障も考えた方がいい。今は各国が資源供給に同情的だが、いつまで続くか分からない」と進言。しかし、首相は「分かっている」と答えたものの、結局、聞く耳を持たなかったとのこと。

菅首相はエネルギー安全保障の観点そのものが欠落。それは即ち首相の資格などなかったことを意味する。それが日本の不幸の始まり。

エネルギー安全保障の観点そのものが欠落しているのは毎日新聞や朝日新聞も同様。とりわけ朝日がひどい。現実主義を欠いて戦争へと突き進んだ苦い歴史が蘇ってくるほど。

戦前の教訓生かせぬ愚か者たちが迎合しあう地獄絵図。しかも、脱原発で恐怖の日独伊三国同盟なるオマケ付き。

そんな菅直人と朝日記者全員に最低5年の企業研修を提案したい。モノづくりの現場で汗を流すもよし、海外企業相手に商談するもよし。少しは現実が見えてくるだろう。


<関連社説引用>

▼ 日経:菅首相の「脱原発依存」発言は無責任だ(社説)
2011/07/14 日本経済新聞 朝刊

 菅直人首相が13日に記者会見し「原子力発電に依存しない社会を目指す。将来は原発のない社会を実現する」と語った。政府・与党で十分な議論をしないまま政策の大転換を口にし、代替エネルギーに関する十分な説明もなかった。国民生活などへの影響の大きさを考えれば、首相の発言は無責任である。

 首相は政策転換の理由として「原子力事故のリスクの大きさを考えたときに、これまで考えていた安全確保だけでは律することができない技術であると痛感した」と強調した。

 電力不足への対応に関しては「節電の協力などを得られれば十分にこの夏、この冬についての電力供給は可能であると耳に入っている」と述べるにとどめた。定期検査中の原発の再稼働の時期は明確にせず、電力の安定供給にどう責任を果たすのかという疑問には答えなかった。

 政策を決定するうえで国民の安心や安全を重視するのは当然だ。ただ電力の約3割を担ってきた原子力への依存度を引き下げるのであれば、代替エネルギーをどうするのかや、温暖化ガスをどう減らすのかを含めた総合的な戦略が欠かせない。

 太陽光や風力など再生可能エネルギーを増やしていく努力は重要である。主要国の中で日本は自然エネルギーの投資で大きく遅れ、水力を除くと電力供給の約1%をまかなっているにすぎない。政策を総動員するのは当然だろう。

 一方で気象状況に左右される自然エネルギーは不安定で、現状では発電コストも高い。火力発電を増やせば天然ガスや石油の輸入経費がかさみ、国際的に割高とされる電気代の一層の値上げを招きかねない。国際競争力が低下し、産業の空洞化に拍車をかける恐れがある。

 首相の原発事故をめぐる対応は一貫性を欠いてきた。5月には中部電力の浜岡原発の停止を要請。他の原発は再稼働に向けて自治体との調整を進めたが、突如として全原発のストレステスト(耐性調査)の実施を決めた。

 全国知事会は12日にまとめた緊急提言で「政府は場当たり的な対応に終始し、国民の不信感はかつてなく高まっている」と指摘した。今回も議論の経過が全く見えないまま、重要な政策転換が発表された。

 首相は震災復興や原発事故などの対応に一定のメドがついた段階で退陣すると6月に表明した。20~30年後をにらんだ国の重要政策の方向付けを行う立場にない。中長期的な国家戦略は新政権の下で、腰を落ち着けて議論するのが筋である。


▼ 産経:脱・原発依存 その場限りで信用できぬ
2011.7.14 03:00
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110714/plc11071403000004-n1.htm

 エネルギー政策は社会と経済を支える国の基本だ。菅直人首相が記者会見で「将来的に原発に依存しない社会を目指す」と政策を大転換する考えを打ち出した。

 だが、その内容は全く不十分で、無定見ですらある。何より退陣を表明して「死に体」となっている首相が国の将来を左右する新たな政策に取り組むことがあっていいのだろうか。

 菅首相は「原発への依存度を計画的、段階的に下げてゆく」と明言した。発電量に占める現在の原発比率は3割弱だが、これを将来はゼロにするとの方針だ。現在のエネルギー基本計画では2030年に50%以上に高めるとしていたが、全面的に転換する。

 確かに、東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発事故を受け、従来の原発政策の見直しは避けられない。中長期的に再生エネルギーを強化してゆくことも、方向性としては妥当だろう。

 しかし、再生エネルギーの発電比率は水力を含めても9%程度で、一気に高めることはできない。問題は10年、20年単位での基幹エネルギーの転換をどう円滑に進めるかだ。首相はこの点を全く説明しておらず、無責任以外の何物でもない。

 唐突なストレステスト(耐性検査)の実施により、定期検査を終えた原発の再稼働は当面、遠のいた。このままだと、来春にも国内すべての原発が停止する。首相は節電と企業の自家発電の活用などで乗り切れるとしたが、エネルギーの安定供給という政府の責任を放棄したといえる。

 この夏だけでも、東日本では15%削減の電力使用制限令が発動され、家庭や企業は重い負担を強いられている。企業・工場の海外脱出も出始めている。また発電コストが低い原発を減らし、再生エネルギーの比率を高めれば、電力料金が上昇するのは必至だ。

 菅首相は、原子力安全・保安院を経済産業省から切り離す方針も改めて強調した。検討すべき行政課題ではあるが、原発再稼働の判断を先送りする口実にしてはならない。

 これまで菅首相は、重要政策について政府・与党内できちんと議論することなく、その場限りで思いつきの発言を繰り返してきた。単なる政権延命のためだけの政策転換は、もう許されない。一刻も早い退陣こそ求めたい。


▼ 読売:脱原発宣言 看板だけ掲げるのは無責任だ(7月14日付・読売社説)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20110713-OYT1T01147.htm

 深刻な電力不足が予想される中で、脱原子力発電の“看板”だけを掲げるのは無責任だ。

 菅首相は13日の記者会見で、「原発に依存しない社会を目指すべきだ。計画的、段階的に依存度を下げ、将来は原発がなくてもやっていける社会を実現する」と述べた。

 日本のエネルギー政策を大転換する方針を示したものだが、原発をどのように減らしていくのか、肝心の具体策は示さなかった。

 原子力発電を補う代替エネルギーの確保策が、不透明なままだったことも問題である。

 首相は、太陽光や風力などの自然エネルギーを「ポスト原発」の有力候補と考えているようだ。

 自然エネルギーの普及は促進すべきだが、現時点では総電力の1%にとどまり、発電量は天候などで変動する。コストも高い。

 量と価格の両面で難題を抱えており、近い将来、原発に代わる基幹電力の役割を担えるほど見通しは甘くない。

 火力発電で急場をしのげても、燃料費がかさんで電力料金が上がれば、産業の競争力低下を招く。工場の海外移転による空洞化も加速して、日本経済は窮地に立たされかねない。

 安全確保を徹底しつつ、原発利用を続けることが、経済の衰退を防ぐためには欠かせない。

 首相はまた、当面の電力不足について、節電などで「この夏と冬に必要な電力供給は可能だ」との見通しを述べたが、その根拠についての言及はなかった。

 企業の自家発電など「埋蔵電力」も活用できると見ているようだが、どの程度の供給余力があるのか、手探りの状態にある。

 代替電力の展望もないまま原発からの脱却ばかりを強調するのは、あまりにも非現実的だ。

 原発のストレステスト(耐性検査)を巡る閣内不一致によって、九州電力玄海原発など、定期検査で停止している原発の再稼働に見通しが立たなくなっている。

 首相が、ストレステストの判断が妥当なら「再稼働を認めることは十分にある」と述べたのは、当然のことである。

 ただし、脱原発を掲げる政府が運転再開を求めても、地元自治体は戸惑うだろう。

 首相には、福島第一原発の事故に伴う国民の不安に乗じ、脱原発を唱えることで、政権延命を図る思惑もあったのではないか。場当たり的言動が、多くの混乱を引き起こしている。首相は、そのことを自覚すべきだ。


▼ 毎日:「脱原発」表明 目指す方向は評価する
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20110714k0000m070138000c.html

 菅直人首相が13日、記者会見し、原発への依存度を今後、計画的、段階的に下げていき、将来的には原発がなくてもやっていける社会の実現を目指すと表明した。国のエネルギー政策を抜本的に見直す「脱原発」表明である。

 原発への依存を減らしていくこと、そして現実的にもそうした方向にならざるを得ないことは、私たちもこれまで何度も指摘してきたところだ。その考え方については基本的に支持し、評価したい。

 しかし、首相のこの日の会見ではあまりに具体性が乏しい。将来とは一体、いつごろを考えているのか。代替エネルギーをどうやって促進していくのか。何より、菅首相が「私自身の考えを明確にしたい」と前置きしたように、これは内閣、あるいは民主党も含めた政権としての方針なのか、はなはだ心もとない。

 いずれ遠くない時期に退陣するであろう首相だ。まず、政府・与党としての考えをまとめる作業を急いでもらいたい。

 菅内閣では九州電力玄海原発の再稼働問題をめぐり、首相と海江田万里経済産業相との間で「不一致」が問題になったばかりだ。一連の経過に対し、首相は会見で「私の指示が遅れ迷惑をかけた」と改めて陳謝したが、今回の「脱原発」表明についても、早くも「どこまで閣内で議論をしているのか」という疑問の声が出ている。

 もちろん、首相のリーダーシップで進めていくことは必要だ。しかし、民主党の執行部でさえ菅首相と距離を置き始め、絶えず退陣時期が焦点となっている現状を考えれば、個人的な意見の言いっぱなしで終わる心配がある。

 一方、菅首相は、企業や各家庭の節電の努力の結果、今年の夏から冬にかけては「十分に必要な電力供給は可能」と明言したが、もっと具体的な数字を挙げて説明しないと説得力を欠く。

 さらに来年夏以降に関しては、天然ガスを使う火力発電所の活用などを挙げたが、「計画を立てていきたい」と語るだけだった。これでは、ただでさえ方針が二転三転する菅内閣に不信感を強めている産業界などは納得しない。

 国民の安全と暮らし、経済活動をどう保っていくか。確かに首相がいうように国民が選択すべき政治課題である。いずれは総選挙の大きな争点ともなるだろう。だからこそ、政権与党の責任として民主党の考えをまとめることが必要だ。

 首相はこの日も退陣時期を明確にしなかったが、まさか「脱原発」を自らの延命の材料にするつもりはなかろう。次期代表を決める代表選でもきちんと論議すべきである。


▼ 朝日:脱原発―政治全体で取り組もう
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit1

 菅直人首相がきのう記者会見し、「脱原発」をめざす方針を明確にした。「将来は原発がない社会を実現する」と初めて言い切った。

 国策として進めてきた原発を計画的、段階的になくしていくという政策の大転換である。

 私たちは13日付の社説特集で、20~30年後をめどに「原発ゼロ社会」をつくろうと呼びかけた。首相は目標年次こそ示さなかったが方向性は同じだ。首相の方針を歓迎し、支持する。

 退陣を表明した首相が、国の根幹となり、社会のあり方を決めるエネルギー政策の今後を方向づけていいのかという意見はあろう。

 確かに最終目標として原発全廃に踏み切れるのか、何年かけて実現するのかといった点は、そう簡単に国民的な合意は得られまい。

 だが、自然エネルギーを飛躍的に普及させ、原発への依存を減らしていく方針への異論は少ないはずだ。誰が首相であっても進めなければならない、焦眉(しょうび)の政治課題なのだ。

 ただ、首相の今回の方針も、例によって内閣や民主党内の論議を積み重ねたものではない。脱原発の具体策を示したわけでもない。そのぶん、発言の唐突さは否めない。

 民主党はかつて原子力を「過渡的エネルギー」としていたが、政権をとった一昨年の衆院選で原子力利用に「着実に取り組む」と方針を転換している。菅首相も原発依存を高める計画を閣議決定し、原発の海外輸出を成長戦略に位置づけていた。

 こうした経緯を総括し、まず民主党としての考え方を明確にしなければ、首相発言は絵空事になりかねない。

 自民党は過去の原子力政策を検証する特命委員会を設けて議論を始めている。電力業界や経済産業省とともに経済性を重視し、安全性を犠牲にしてこなかったか。真摯(しんし)な反省が不可欠だ。それなくして、新しい政策は説得力を持たないだろう。

 エネルギー政策の転換を探る超党派の議員による勉強会も発足した。脱原発への機運は確実に高まっている。

 だからこそ首相が交代した後も、この流れが変わらぬような道筋をつけてほしい。

 最悪の原発事故が現実のものとなった以上、もはやスローガンを唱えるだけでなく、脱原発への具体的な手法と政策を真剣に検討しなければならない。

 いまこそ、与野党を問わず、政治全体として脱原発という大目標を共有して、具体化へ走り出そう。