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「小泉純一郎=トリックスター」説を読む2009/09/07 07:00

怪獣島の決戦 ゴジラの息子


トリックスターの自覚がないトリックスターに権力を持たせるとどうなるのか。
そんなことをすれば、破壊者としてのゴジラのできあがり。

目は血走り、背中はピカピカ、そして火を吐き、全てのものを根こそぎ破壊。
そして、ついに自民党は音を立ててぶっ壊れた。

ミニラを残して立ち去るゴジラ。
冷たい視線を浴びながら、今やミニラは凍り付いている。

廃墟の中から鬼が出るか蛇が出るか。
旧田中派的な利益誘導型政治がひょっこり顔を出せば、笑うに笑えない。
脱皮・再生へと導く蛇神さまの登場をお祈りしたい。


<関連記事引用>

時代の風:衆院選と「空気」=精神科医・斎藤環
2009/09/06毎日新聞朝刊

 ◇破壊と再構築の時代へ

 8月30日に投票が行われた第45回衆議院議員選挙は、民主党が308議席を獲得する圧倒的勝利に終わった。

 細川政権以来16年ぶりという非自民政権の誕生は、しかし一部を除いて熱狂とは無縁だったように思われる。オバマ政権誕生に際してのアメリカ国民の熱狂ぶりとはかなり対照的だ。率直な感想を言えば、どこか「ヴァーチャル選挙」めいてもいた。

 マスコミをはじめ誰もが民主党の勝利を予想し、予想を裏付けるべく投票所に向かい、予想以上の開票結果を目の当たりにした爽快(そうかい)感と、「ちょっとやりすぎたかな」という一抹の不安を覚える。

 そこに「山を動かした」という熱狂はない。むしろ「政権交代という空気」だけが勝手に動いたような印象もあり、奇妙なほど現実感が欠けている。それは私たちばかりではなく、大量当選した新人議員たちにとっても同様なのではないか。

 「マニフェスト選挙」と呼ばれた今回の選挙で、果たして本当にマニフェストは問われたのか。その圧勝に見合うほど、民主党のマニフェストは支持されたのだろうか。あるいは政策よりも「空気」が重視されたとしたら、それはどこから来たのだろうか。

 空気のみを重視する視点からすれば、民主党圧勝の功労者は2人いる。第一に小沢一郎氏、第二に小泉純一郎氏である。

 小沢氏の功績は、なんといっても94年の選挙制度改革にさかのぼる。細川内閣のもとで小選挙区制の導入を強力に推進したのが小沢氏だった。著書「日本改造計画」でも主張されているように、政治にダイナミズムを持ち込む2大政党制を目指す小沢氏にとって、政権交代が起こりやすくなる小選挙区制こそが理想だった。

 導入当初は大政党、すなわち自民党を利するばかりだと批判された小選挙区制だったが、導入から15年にして本当に政権交代を実現してしまった。いまやシステム設計者としての小沢氏の先見性は否定すべくもない。

 それでは小泉氏の「功績」とは何か。今回の選挙結果は、むしろ小泉政治の負の遺産に対する反動そのものではなかったか。確かにそのような見方も可能だ。しかし「政策」ではなく「空気」のほうに注目するなら、別の解釈も可能になる。

 小泉改革以降、政治をとりまく「空気」は決定的に変化した。その変化を支えたのは政治のあいまいな閉塞(へいそく)を破壊したいという人々の衝動だった。小泉氏は一人のトリックスターとして、その「破壊」が本当に可能であることを示してしまった。「自民党をぶっ壊す」という彼の宣言は、一種の時限爆弾となって8年後にさく裂したのだ。

 今にして思えば、05年の衆院選における自民党の圧勝こそが、すでに崩壊の予兆だった。あのとき勝ったのは「自民党」ではない。「守旧的な自民党を破壊したい」という気分が勝ったのだ。当時の小泉氏の勢いは、現在の民主党以上に過激にみえた。

 格差社会の元凶とされがちな小泉内閣だが、私は必ずしも同意しない。統計データに基づくなら、格差の拡大は90年代後半の現象であるという。むしろ小泉内閣が破壊しようとしたのは、旧態依然の「55年体制」そのものだった。

 小泉氏は利益誘導型の口利き政治と金権腐敗、族議員の跋扈(ばっこ)する利権構造、政官癒着の温床となっていた事前審査など、それまでの政治における伝統的手法を完膚なきまでに破壊しつくそうとした。「郵政民営化」はそのシンボルにすぎない。

 当時、人々が喝采(かっさい)したのは小泉氏の政策内容に対してではない。「改革という名の破壊」の爽快。その劇薬の味に人々は酔った。それゆえ今回の選挙結果は、小泉改革の反動にはどうしてもみえない。そこにあるのはむしろ、4年前と同じ気分の反復だ。

 小泉改革を支えたのは、彼の強烈なキャラクターであり、その人気はいまだ根強い。小泉以降の安倍、福田、麻生それぞれの内閣が、キャラの弱さゆえに短命に終わったのもやむを得まい。

 彼らは「改革」を引き継げぬまま迷走を続けた。改革の内容を、ではない。破壊も辞さないような「改革への衝動」が、彼らには欠けていた。ふたたびかつての伝統的手法にしがみつこうとする自民党の面々をみて、人心が離れるのはもはや必然だったろう。その伝統をまるごと一掃せよ。それが人々の答えだったのではないか。

 それゆえ最も懸念されるのは、民主党の幹部クラスに小沢氏、鳩山由紀夫氏、岡田克也氏など、自民党の旧田中派に縁のある政治家が多いことだ。果たして民主党は“田中的”な利益誘導型政治と、完全に決別できるのだろうか。

 2度も劇薬の味を知ってしまった人々の信頼をつなぎとめるには、「素晴らしいマニフェスト」よりも「過激な政治的意志」のほうが重要だ。その背景には、あいまいな均衡と安定よりも、ダイナミックな破壊と再構築が待望される時代へという「空気」の変化がある。果たして民主党は、どのように「空気」を入れ替えるのか。今後の動向に注目したい。


くろしお/トリックスター知事/加藤紘一
2009/04/19宮崎日日新聞朝刊

 東国原知事を「現代のトリックスター」と名付けたのは本紙だったが、似た人が別にいた。加藤紘一衆院議員が小泉純一郎元首相を「平成のトリックスター」と呼んでいる▼加藤氏が近著「劇場政治の誤算」(角川書店)で書いている。「(鮮やかに解散を決断し)郵政民営化に反対票を投じた議員の選挙区に刺客を送り込む。それは傍(そば)から見れば本当に自民党を中から壊そうとしているトリックスターのように見えたことでしょう」▼トリックスターは善悪二元論では論じられない。加藤氏は「神話に登場する物語をかき乱す者」と規定しているが、元首相はその破壊と創造の立役者。そういう役割を必要とする時代があるということだろう。そして評価は後世に待つ▼東国原知事はこの命名には不満だったようだ。ただたしかに二人のキャラクターは似ている。首相(国政)と知事(地方自治)のスケールの違いはあっても、メディア(特にテレビ)を活用、タレント力を武器に直接世論に問う大向こう政治。世間は浮き立った▼まさに「劇場政治」である。だが、かつての「YKK」の盟友がそれを「誤算」「終焉(しゅうえん)」として決別する。功罪半ばしたが、小泉政治がもたらした格差社会、地域コミュニティーの崩壊に、加藤氏ならずとも胸を痛める人は多いはずだ▼元首相は退場してもトリックスター知事は健在である。小泉政治には次の総選挙で総括が出るだろうが、地域社会は誤算でも終焉でも困る。知事は自らの姿勢を「今の行政と昔の行政の戦い」と言う。地方自治の将来を占う試金石になる。


<画像引用>

怪獣島の決戦 ゴジラの息子
http://www.7andy.jp/dvd/detail/-/accd/D0027501


<関連記事>

蛇信仰と注連縄:吉野裕子の「猿田彦=蛇神=伊勢大神」説
http://y-sonoda.asablo.jp/blog/2009/09/03/4559931