Google
WWW を検索 「園田義明めも。」を検索

土佐市の津波一時避難場所に丹生神社、稲荷神社など9件2013/06/15 18:51


土佐市の津波一時避難場所は7月上旬までに9件
2013/06/07 建通新聞(高知版)

【土佐市】土佐市は、津波一時避難場所の整備を進めており、宇津賀裏山・鍋鳥頭裏山など9件を7月上旬までに発注する。

 9件の内訳は、宇津賀裏山・鍋鳥頭裏山、サイレン山、吉田・宇佐坂、丹生神社・仙月山、白菊園裏山、池田家裏山、東郷裏山・稲荷神社、渭浜砂防ダム上、西郷砂防ダム下。津波被害からの一時避難場所として避難路および避難広場を整備する。避難路は手摺りを設置し、勾配に応じてコンクリート製スロープか階段を整備する。避難広場は極力現状の地形を活用し、一部は盛土により整備する。


高知新聞:小社会
2013年06月04日08時08分
http://www.kochinews.co.jp/?&nwSrl=303212&nwIW=1&nwVt=knd

宮城県南三陸町の戸倉地区の海岸から2㌔弱入った谷あいに、田子沢という小さな集落がある。大昔、大きな津波によってタコが打ち上げられた、という言い伝えが残っているそうだ。

田子とタコ。地域の人たちは由来は知っていたものの、誰も信じていなかったという。東日本大震災で大津波が駆け上がり大きな被害が出た。被災の実態を伝える語り部ガイドの後藤一磨さんにうかがった話だ。

戸倉小が近くの高台を避難場所に決めたのは被災の前日。その高台にも津波が迫り、教員の機転でさらに小高い場所にある神社へ。子どもたちと教職員は難を逃れることができた。そんな話を紹介しながら、後藤さんは「自然をみくびる、人災的要因が見えてくる」と強調する。

65歳の後藤さん自身、2度も津波で自宅を失っている。1960年のチリ地震津波の後、被害のなかった場所に新築した家が再びのみ込まれた。「私たち人間も、自然が許してくれる範囲でしか生きられない」。

大震災の教訓は南海トラフ巨大地震へとつながっていく。「人災的な要因をいかに減らすかにかかっている」。語り部たちの強い思いをしっかりと受け止めることができるか。巨大地震への備えはそんなところからも始まるのだろう。

海沿いはむろん、陸地深くまで壊滅的な被害を受けた南三陸町は本格的な復興にはまだ程遠い状況にある。記憶を風化させるわけにはいかない。