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「奇跡の一本松」の裏側で、村に襲いかかる凶器になっていたのもマツ2012/09/12 07:44

「奇跡の一本松」の裏側で、マツは村に襲いかかる凶器にもなっていた


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陸前高田 奇跡の一本松切断へ (画像引用)
9月12日 5時12分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120912/k10014957141000.html

津波に耐えて残ったものの、枯れていることが分かった岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」をモニュメントとして保存するため、12日、根元から切り倒す作業が行われます。

「奇跡の一本松」は、7万本の松が立ち並んでいた陸前高田市の高田松原で、津波に流されずに1本だけ残った樹齢270年の松の木で、被災地の復興のシンボルとして親しまれてきました。

しかし、枯れていることが分かったため、市は、いったん切り倒して防腐処理をしたうえ、モニュメントとして元の場所に立てることを決めました。

作業は、12日午前9時半に始まる予定で、業者が作業用の車両を使って、8本ある枝を切り出したあと、木を根元から切り倒します。

そして、クレーン車で支えながらゆっくり横倒しにして、幹をノコギリで3つに切るなど、作業は慎重に進められることになっています。

切られた一本松は、愛知や京都の工場などで幹の中をくり抜いて防腐処理され、中に強化樹脂の棒が通されることになっています。

一本松は、来年2月末までに再びつなぎ合わされ、元の場所に立てられる計画です。


陸前高田市:希望の一本松、維持を断念 緑化センターが正式発表
根腐れ発生し、枯死
http://www.tohkaishimpo.com/scripts/index_main.cgi?mode=kiji_zoom&cd=nws7212

 東日本大震災による大津波で被災した高田松原で唯一生き残り、陸前高田市の復興シンボルともなった「希望の一本松」が、海水上昇などの影響で根腐れが発生し、枯死したことが13日、㈶日本緑化センターによって発表された。震災から9カ月間、同センターなどの専門機関、専門家、地元の保全団体が諸活動を行ってきたが、今後の維持を断念した。しかし、一本松の接ぎ木や実生からは新たな苗も生まれており、今後は後継樹の育成と、それらを元にした松原再生に希望が託された。

 大津波で、高田松原にあった約7万本の松はほとんどが流出。ユースホステル裏にあった高さ約30㍍、樹齢270年の一本松が唯一残った。クロマツとアカマツの中間形質を備えた「アイマツ」であり、被災後の陸前高田を周知させる役割となった。

 一本松の生存を受け、同センター、㈳日本造園建設業協会、㈳日本造園学会の3団体は、保護に向けた体制を構築。住田町や県などの支援、NPO法人愛知ネットを通じた企業からの金銭的支援も受けながら、維持活動に努めてきた。

 生き残ったとはいえ、地下は約80㌢も地盤が沈下し、根の部分は海水に浸った状態。津波が運んだ漂流物で樹幹は損傷し、生育には過酷な状況が待ち受けていた。

 関係機関では、損傷部の治療や改良土の覆土、よしずによる強風、高潮からの防御など可能な対策を実践。海水が混じった地下水の流入を防ぐため、深さ5㍍の位置に幅40㌢、長さ6㍍の止水矢板を設置し、ポンプで塩分濃度が高くなった地下水をくみ上げる作業なども行った。

 そのかいあってか、7月には新芽が伸び、緑葉が2~3㌢伸長して球果の形成も確認。息を吹き返したとして関係者や市民を喜ばせた。

 しかし、孤立木となったために夏の高温や乾燥にさらされ、ゾウムシ類による食害なども発生。10月にはいずれの根も腐った状態と確認され、ポンプの利用も終了した。

 センターの報告書では「『希望の松』に人智をつくした保全対策を講じたが、その労力は報われることはなかった」と、残念な結果に至ったことを示唆。一方で、接ぎ木や実生繁殖が成功して子孫が残っているとし、「保護対策は大きな挫折を経験し、陸前高田市を見守る役割を託された希望の松後継樹を残す小さな目標を達成しつつ、活動の第一段階を終了する」とまとめた。

 この結果を受け、戸羽太市長は「市民にとって希望の松であり、残念で忍びないが、9カ月間市民の支えになったことはありがたく思う。永久に存続させたかったが、懸命な手立ての結果と受け止めたい」とし、今後の保存などは専門家らの意見を踏まえて考えたいとした。

 高田松原を守る会の小山芳弘副会長は「技術的に可能であれば、会としてはあのまま残すのがベストと考えている。松原には種から出た小さな一本松もあり、こちらで預かっている。復興のシンボルとして残せるよう育てていきたい」と話していた。


東日本大震災:「村守ったマツ、襲ってきた」 野田村の住宅を破壊 津波に強い防潮林再生へ /岩手
毎日新聞 2012年08月19日 地方版
http://mainichi.jp/area/iwate/news/20120819ddlk03040121000c.html

 東日本大震災の大津波で、沿岸部に県が長年かけて整備してきた防潮林は約9割が流失した。野田村では防潮林のクロマツが流木となって背後の住宅街の家々を壊し、住民は「今まで村を守ってきたクロマツが襲ってくるなんて」と衝撃を受けたが、一方で、流木にしがみついて命を救われた住民もいた。林野庁と県は教訓を基に、防潮林の再生計画に取り組んでいる。【金子淳】

 昨年3月11日、大地震から約50分後。米田(まいた)地区の村議、藤森俊勝さん(62)は高台へ逃げる途中で、松林の隙間(すきま)から海水が流れ込むのを見た。バリバリと音を立てて家や車が流されていく。高さ十数メートルの津波が押し寄せ、木々が一斉に傾いた。それきり松林は見えなくなった。

 この日午前、野田村森林組合は松林の間伐作業を行い、材木を周辺に積み上げていた。倒れたクロマツは材木とともに流され、次々と民家にぶつかった。村は住宅の約3割に当たる約500戸が全半壊した。藤森さんは「防潮林の効果はある程度あったかもしれないが、被害を拡大したのも松だ」と指摘する。

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