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英エコノミスト誌もバック・トゥ・ザ・フューチャー 「1930年代の教訓を無視すれば、歴史は繰り返す」2011/12/13 07:12

英エコノミスト誌もバック・トゥ・ザ・フューチャー:「1930年代の教訓を無視すれば、歴史は繰り返す」 


<関連記事引用>

1930年代の教訓:行く手に潜む落とし穴
2011.12.13(火)
(英エコノミスト誌 2011年12月10日号)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/32434

2008年に世界は最初の大恐慌を招いた失敗を回避することで、2度目の大恐慌に陥るのを免れた。しかし欧州と米国の双方にとって、当時から学ぶべき教訓はまだ残されている。


「あなたの言う通り、我々の責任だった」。2002年、ベン・バーナンキ氏はノーベル賞受賞者ミルトン・フリードマン氏の90歳の誕生日を祝うスピーチでこう述べた。

 これは1930年代の世界大恐慌時の苦難の大部分は中央銀行に責任があったとするフリードマン氏の結論に対する発言だった。

 「しかし、あなたには感謝したい」と、後に米連邦準備理事会(FRB)の議長に就任するバーナンキ氏は続けた。「我々は二度と同じことを繰り返さない」

 あれから9年、バーナンキ氏の仲間の中央銀行総裁たちは、この誓いを守ったと自画自賛している。イングランド銀行のマーヴィン・キング総裁は今年3月、「我々は大恐慌が起きるのを防いだ」とデイリー・テレグラフ紙に語った。

2008年の危機が大恐慌に発展しなかった理由

 2008年に世界経済を襲った衝撃は、かつての大恐慌を引き起こした衝撃に引けをとるものではなかった。2008年に経済がピークをつけた後の12カ月間で、世界の工業生産は大恐慌の1年目と同じくらい落ち込んだ。株価と国際貿易の落ち込みは大恐慌時を上回った。

 それでも今回、恐慌は起きなかった。世界の工業生産はピークから大底までで13%落ち込み、これは間違いなく深刻な景気後退ではあったが、1930年代の減少幅は40%近くに達していた。今回の危機では欧米の失業率が10%強までしか上昇なかったのに対し、1930年代には25%を超えたと推測されている。

 これほど大きく結果を変えられたのは、大恐慌から学んだ教訓によるところが大きい。

 世界大恐慌があれほど深刻化し、長引いた理由については依然、議論が続いている。一部の経済学者は人件費などの構造的な要因を強調する。経済史を専門とするアミティ・シュレーズ氏は「政府による介入が恐慌を大恐慌に発展させた」と主張する。

 シュレーズ氏によれば、当時のフランクリン・ルーズベルト米大統領は鶏肉を不当な安値で売った農家に刑事罰を科し、「連邦政府が1789年以来作成してきた立法関連書類の総計よりも多くの文書を生み出した」という。

 シュレーズ氏の著書『The Forgotten Man(邦題:アメリカ大恐慌―「忘れられた人々」の物語』は、米国の共和党員に多大な影響を与えている。ニュート・ギングリッチ氏の愛読書でもある。

 しかし、経済学者の間で一般的な見解は、財政および金融政策を同時に引き締めたことが厳しい状況を惨状に変えたというものだ。今回、各国政府は同じ失敗を犯さなかった。1930年代には各国の指導者が予算を削減し、中央銀行が金利を引き上げたのに対し、2008年の危機後はほぼ一様に景気刺激的な政策が取られた。

 大恐慌当時は、国際協調が破綻し、通貨戦争と保護主義につながったが、2008年から2009年にかけては、世界のリーダーたちが一致団結した。キング総裁の言い分には一理ある。

 しかし、もう少し詳細に見てみると、それほど安心できる状況ではないことが分かる。というのも、互いに関係する2つの重要な分野で、先進国が1930年代と同じ失敗を犯す恐れがあるからだ。

 先進国は、1937~38年の米国の「恐慌の中での景気後退」を招いた財政引き締めを繰り返す危険がある。そしてもう1つ、現在の欧州の危機は、1920年代後半から1930年代前半にかけて起きた金融市場の混乱と不気味なほど似ている。

 当時、緊縮財政と金融引き締め、最後の貸し手の不在という圧力を受け、各国経済はドミノのように総崩れした。要するに、学ぶべき教訓はまだあるということだ。

破滅への道

 1930年代より2000年代の方が経済を刺激するのははるかに容易だった。大恐慌を受けて導入された社会的セーフティーネット(安全網)は、現代の失業者には使うカネがあることを意味しており、これは積極的な政府の介入がなくても景気後退に対する緩衝材となる。

 各国政府は赤字を出すことにそれほど身構えなくなり、一国の経済の中で国が管理する部分がはるかに大きくなった。1929年の大暴落の後、当時のハーバート・フーバー米大統領が講じた公共工事、財政出動、減税といった対策は、国内総生産(GDP)の0.5%に満たない規模だった。

 一方、現在のバラク・オバマ大統領による景気刺激策は2009、2010の両年とも、GDP比2~3%に達している。フーバー政権の予算は全体でもGDPの2.5%程度だったが、オバマ政権の予算はGDPの25%に達し、財政赤字がGDP比10%に上っている。

 1934年、ルーズベルト大統領は財政支出をGDPの10.7%まで引き上げた。この頃までに、米国経済は既に力強く成長し始めていた。1936年には、インフレ調整済みのGDPが1929年の水準に戻った。

 ニューディール政策による公共支出が実際にどれだけ景気回復に貢献したのかを巡っては、いまだに議論がある。シカゴ大学のジョン・コクラン氏、ハーバード大学のロバート・バロー氏など一部の経済学者は、ニューディール政策の貢献度はゼロだったと主張している。財政出動による景気対策がうまくいったためしはないというのが彼らの見解だ。

 財政措置には一定の効果があると考える人々も、やはり1930年代の苦境の主因は金融政策にあると考え、財政支出は金融政策ほど重要ではなかったと見なす傾向がある。

 バーナンキ氏とマーティン・パーキンソン氏(現在はオーストラリアの財務省で事務方のトップを務める)は1989年の論文で、「ニューディール政策は(回復そのものをもたらしたというよりも)自然回復の『道を開いた』と捉える方が適切だ」と書いている。

 これに対してポール・クルーグマン氏をはじめとする別の一派は、財政出動には、もっと有益な役割があったと考えている。

金融・財政政策同時引き締めが招いた「再発」

 しかし、金融政策と財政政策の相対的な重要性がどうだったと考えるにせよ、大恐慌に突入して5年目に同時に実行された金融、財政引き締めが悪性の再発をもたらしたことについては、疑いの余地はほとんどない。

 1935年に「赤字の削減を継続して予算を均衡させなければ、もう破滅するしかない」との懸念を口にしたヘンリー・モーゲンソウ財務長官に背中を押され、ルーズベルト大統領は1937年、議会に財政引き締めを要請した。

 その時点までに、米国の債務残高はGDP比40%という前代未聞の水準に達していた(当時の基準では莫大だが、現在のドイツと比べると半分の割合)。

 議会は歳出を削減し、増税に踏み切り、1936年から1938年にかけてGDP比5.5%に相当する赤字を解消した。

 これはギリシャが2年間で解消しなければならない赤字の規模より大きい(図1参照)が、ギリシャのために用意された長期的な削減計画よりははるかに小さい。

 同時に、FRBは1936年半ばから1937年半ばにかけて各銀行の法定準備預金額を2倍に引き上げ、各銀行に市場から資金を引き揚げるよう促した。さらに財務省は金の輸入量の水準に合わせてマネーサプライ(通貨供給量)を制限し始めた。

 1937~38年の恐慌中の景気後退は、実質GDPを11%押し下げ、失業率を4ポイント上昇させた。失業率のピークは計算方法によって異なるが、13%もしくは19%だったとされている。

スノーデンの再来か

 現在の金融政策は1930年の米国とは異なり、引き締め方向には進んでいない。本誌(英エコノミスト)が印刷に回された時点で、欧州中央銀行(ECB)はさらなる利下げに踏み切ると予想されていた*1。

 しかし財政政策は、多くの地域で急速に引き締めに向かっている。オバマ政権の景気刺激策は終わりに近づいており、州政府と地方自治体の支出削減が続いている。大統領選挙に挑む共和党の候補者たちは、かつてのモーゲンソウ財務長官の主張をそのまま繰り返し、借り入れで賄う景気刺激策はほとんど効果がなく、未来の納税者の負担を増やしただけだと主張する。

 オバマ大統領も当時のルーズベルト大統領のように、予算削減の必要性を強調し始めている。現在行われている給与税の減税と緊急の失業給付が失効したら、2012年の成長率はGDP比1%前後下振れするだろう。

 米国だけではない。巨額の債務を抱える英国政府は、デビッド・キャメロン首相の下、同国の信用力に対する信頼喪失を避けるため、2010年に過酷な財政再建計画を導入した。

 その論拠として挙げられた内容は、1931年に当時のフィリップ・スノーデン財務相が増税と歳出削減を伴う緊急の緊縮予算を組んだ時のものと似ている。

 当時は信頼が回復せず、英国はポンドの切り下げと金本位制の放棄を余儀なくされた。今回の場合、これらの対策は投資家からの信頼を高め、国債の利回りも落ち着いた。英国がいまだ2度目の景気後退に直面しているのは、ユーロ圏の問題によるところが大きい。

 とはいえ、政府が財政引き締めに着手する時には、1930年代のような衝撃の可能性に常に留意しなければならない。

 財政引き締めは必ずしも痛みを伴わないという意見もある。ハーバード大学のアルベルト・アレシナ氏とシルビア・アルダーニャ氏は2009年、増税でなく歳出削減に重点を置いた場合は特に、緊縮政策が景気拡大効果を持つこともあり得ると主張する論文を発表した。

 金利を押し下げる予算削減は民間の借り入れや投資を刺激するし、政府が将来の税負担の見通しを変えることで成長を促せるというのだ。

 これには懐疑的な意見もある。国際通貨基金(IMF)が7月に発表した論文には、アレシナ氏とアルダーニャ氏は緊縮政策の諸事例について認識を誤っており、その結果、予算削減の利点を過大評価しているとの指摘がある。一般に、予算削減は経済の拡大ではなく縮小をもたらすというのがIMFの認識だ。

 ボッコーニ大学のロベルト・ペロッティ氏は緊縮政策の実施中に景気が拡大した例を調べ、こうした事例がほぼ例外なく、通貨下落に関連した輸出の増加に起因することを突き止めた。

 1930年代には、米国の緊縮政策による景気縮小効果は、純輸出高の改善によっていくらか和らげられた。米国の貿易収支は1936年から1938年の間に、GDP比0.2%の赤字から同1.1%の黒字に転じた。現在、世界の大部分が予算を削減しており、すべての経済が揃って輸出を増やすことで痛みを和らげることはできない。

 1930年代において金融政策が重要な役割を果たしたことは、中央銀行が緊縮政策の影響を相殺できることを示唆しているのかもしれない。IMFは2010年、英国の緩和型の金融政策は大規模な予算削減の収縮効果を和らげ、「持続可能な回復の基礎を築く」はずだと記している。

 しかし、現在の英国は景気後退に近い状態で、失業率は上昇しており、中央銀行にできることに限界があることを示している。

金本位制の世界によく似たユーロ圏

 緊縮政策への動きが最も劇的なのがユーロ圏だが、ここは緊縮政策の余裕に最も乏しい地域だ。

 変動相場制も最後の貸し手もない状態での切り盛りを続けるユーロ圏諸国の現在の苦境は痛々しいまでに、1930年代前半の金本位制の世界を想起させる。

 第1次世界大戦後、ドイツに負わされていた戦争賠償金の支払いスケジュールが当初あまりにも無理な条件に設定されていたため、1920年代半ばにこれが見直された。

 するとその後、大打撃を受けていたドイツの経済が急成長する可能性に気付いたフランスと米国の債権者が大挙して押し寄せ始めた。

 資本の大きな流れがドイツのソブリン債務の支払いを助け、賃金の急上昇を招いた。こうして当時のドイツは、2000年代半ばに欧州周縁国で見られたような、信用供与が主導する好景気を経験した。

 1928年から1929年にかけて、パーティーは終わり、資本は逆流を始めた。まず、投資家は右肩上がりの米国の市場に賭けようと、米国に資金を送り込んだ。次に金融恐慌を受け、ドイツから資金を一斉に引き揚げた。ライヒスバンク(ドイツ帝国銀行)は自行の金準備を守るため、金利の引き上げを余儀なくされた。

 突然外貨を奪われたうえ、それまでの好景気が持続不能な賃金上昇を招いていたため、輸出を成長の原動力にすることもできなくなったドイツは、現在のアイルランドやポルトガル、ギリシャ、スペインが行ったように、債務支払いのための緊縮政策を実施した。

 変動相場制を取る国であれば、資本の流出にもプラス面を見いだすことができる。為替相場が下落し、輸出を押し上げるためだ。しかし、当時のドイツの為替相場は金本位制によって固定されていた。競争力を取り戻すには賃金を徐々に下げるしかない。実際、失業率が上昇する中でも、こうした現象が起きた。

 締め付けが厳しくなると、銀行に圧力がかかった。オーストリア経済もドイツと同様の問題に直面し、1931年に同国最大の銀行、クレジット・アンシュタルトが破綻すると、これを機に各銀行への信頼の喪失が急速に広まった。

 ドイツで圧力が高まる中、経済大国の首脳たちは繰り返し会合を開き、動揺するドイツ経済に支援を差し伸べる可能性について話し合った。しかし、特にフランスが、ドイツの債務や戦争賠償金の減額を決して許さなかった。

ドミノ倒し

 当時のイングランド銀行のモンタギュー・ノーマン総裁は、最後の貸し手がいないことでパニックが助長されていることに気付き、国際的な金融機関の創設を提案した。ノーマン総裁の案は、基金を立ち上げて2億5000万ドルを資本として用意するとともに、さらに7億5000万ドルを借り入れてレバレッジをかけ、資本を必要とする政府や銀行に貸し付けるというものだった。

 これでも控えめに過ぎたと思われる総裁の計画は、暗礁に乗り上げた。資金の確保に必要な金を保有するフランスと米国が反対したためだ。

 そのため、ドミノ倒しが起きた。クレジット・アンシュタルト破綻のわずか2カ月後、ドイツの大手銀行ダナート銀行が破綻した。ドイツ政府は基本規制の導入と金の支払い中止を余儀なくされ、事実上、通貨のペッグ(固定)を解除することになった。ドイツ経済は崩壊し、1930年代の恐怖が始まった。

 その後起きたことは、恐ろしいほど馴染みのある話だ(もっとも今の欧州には、新たなヒトラーを選ぼうとしている国は1つもない)。ユーロ圏の一員であることは金本位制の順守と同じように、競争力のない国が貿易赤字を削減するために通貨を切り下げられないことを意味している。

 緊縮財政には、減退の悪循環が付いてくる。緊縮が内需を圧迫し、失業率を高め、その結果、税収を損ない、多額の赤字を持続させ、銀行と国債に対する信用を失わせるのだ。

 周縁国の住民が中核国の安全な銀行に資金を移すに従い、1930年代と同じように、マネーサプライが減少する(図2参照)。

 債権国とのハイレベル会合は苦しみの終わりをもたらさない。最後の貸し手は存在しない。

 欧州金融安定基金(EFSF)は、ぞっとするほど似ているノーマン元総裁の計画よりも順調に進んだが、ユーロ圏の指導者たちはいまだに、現在4400億ユーロ規模のEFSFにレバレッジをかけ、2兆ユーロに拡大する方法を見つけていない。

 たとえレバレッジをかけることに成功したとしても、パニックを終わらせるにはまだ不十分かもしれない。イタリア市場の混乱に見舞われた投資家はいきおい、先手を取って他のユーロ圏諸国の銀行と国債へのエクスポージャー(投融資残高)を減らしている。フランスやオランダなど、比較的経済に活気がある国も無傷では済まなかった。

 財政状況がどれだけ強固でも、パニックに駆られた短期的な流動性逼迫は国を支払い不能状態に追い込むことがある。

歴史が繰り返すのは必然ではないが・・・

 必ずしも歴史が繰り返すわけではない。ノーマン総裁が率いたイングランド銀行は、必要な時に政府に資金を貸すために17世紀に創設された機関だ。中央銀行というものは常に、ほかに貸し手がいない時には、政府に融資することを余儀なくされてきた。ECBはこの役目を引き受けられる。

 ECBは各国政府から直接債券を買うことを憲章で禁じられているが、流通市場で債券を買うことはできる。これまでも少しずつ国債を購入してきたし、もっと体系的に購入するという意思を表明することもできる。紙幣を無限に生み出せる力をもってすれば、市場が売りたいと思っている債券をすべて買う意欲があると発表し、パニックと感染の主な原因を取り除くことができるはずだ。

 フランスとドイツは12月8~9日にブリュッセルで開かれる欧州首脳会議を前に、法的拘束力のある予算均衡の「ゴールデンルール」をユーロ圏諸国が採用することを提案した。ECBのマリオ・ドラギ新総裁は、財政協定が合意されたら、ECBが国債購入を拡大する可能性があるとほのめかしていた。

 だが、ドラギ総裁がどの程度の規模の国債購入を念頭に置いていたのかは、はっきりしない。ドイツ連銀総裁でECB政策理事会の有力メンバーであるイェンス・バイトマン氏は、ECBはユーロ圏の最後の貸し手に「なってはならない」と明言している。

この道の行く手にあるもの

 今の路線では、先進国の状況は上向く前に一層悪化するように見える。現行政策のままでは、米国と英国の2012年の成長率は恐らく2%に届かず、どちらの国も景気後退に陥る可能性が十分ある。ユーロ圏が景気後退に入る可能性は高い。ECBは金融政策を緩和することでユーロ圏の経済見通しを改善できるが、各地に広がる緊縮財政と不確実性を克服するのは難しい。

 1931年や2008年のように、深刻な金融危機は大幅なGDP縮小を招くかもしれない。すると、デフォルト回避に四苦八苦するユーロ圏諸国に一段と大きな圧力がかかるだろう。

 1931年にパニックが大きくなると、各国は次々と資本逃避に見舞われた。銀行取り付け騒ぎと通貨暴落から身を守ろうとする努力は、圧力を受けた国々で一連の財政緊縮措置とマネーサプライの急減を招いた。それがGDPと雇用の激減に手を貸すことになり、ひどい不況を恐慌に発展させることになった。

 景気回復に火をつけるには、金本位制の終焉が必要だった。これで中央銀行は自由にマネーサプライを増やし、景気を浮揚させることができたからだ。

 現在、ECBは、ユーロを解体することなく状況を打破するために必要な手段を持っている。だが、ECBとユーロ圏の政府に選択肢があるという事実は、彼らがそれを選ぶことを意味するわけではない。

 金本位制の崩壊は景気回復につながったが、通貨を切り下げた国々からの輸入品の大量流入を食い止めるために各国が貿易障壁を設けたため、ひどい経済的なダメージをもたらした。

 失業と戦うために選ばれた政府は、賃金・物価統制や産業のカルテル化といった介入策を試し、多くの場合、景気刺激的な金融・財政政策が可能にした景気回復を妨げることになった。

 最も大きな被害を受けた国々では、長らく苦しむ市民が偽りの救いを求めてファシズムに走った。

 今の世界は1930年代当時よりは、大惨事に対処できる状況にある。当時は大半の経済大国が金本位制を敷いていた。今はユーロ圏が世界のGDPに占める割合は15%にも満たない。先進国では、失業は苦しいとはいえ、1930年代のようには完全な極貧状態にはつながらない。

 当時は世界的な指導者が存在しなかった。現在は、米国は恐らくまだ、非常時には災害対応を調整する役目を担うことができるだろう。国際機関は当時よりずっと力を持っており、民主主義はずっとしっかり根付いている。

 それでも、長引く景気低迷は、リベラルな資本主義の価値の再考を招く一因となっている。乏しい需要を互いに奪い合う国々は今、為替市場に介入している。スイスは自国通貨がユーロに対して上昇するのにうんざりしている。米国の上院は、為替操作に対する罰として中国に関税を課そうとした。

教訓を無視すれば、歴史は繰り返す

 欧州域内では、ユーロ危機の混乱が人種差別主義者を含む醜い国家主義者を助長している。彼らの過激思想は、欧州大陸を破壊したナチズムの恐怖と比べるとまだ穏やかだが、だからと言って歓迎できるものではない。

 今の状況はまだ、取り返しがつかないところには来ていない。だが、修復が遅れれば遅れるほど、修復作業は難しくなっていく。

 2008年の金融危機のショックの後、世界は1930年代の教訓のおかげで、多くの経済的な痛みを免れることができた。大恐慌が与えてくれるその他の重要な教訓を思い出すのは、今ならまだ遅くはない。それを無視したら、恐らく歴史は繰り返すことになるだろう。


*1=ECBは12月8日に政策金利を0.25%引き下げて年1.0%とすることを決めた


<「1930年代」関連記事集>

Lessons of the 1930s: There could be trouble ahead (画像引用)
http://www.economist.com/node/21541388


Walter Russell Mead's Blog
Haunted By The Ghosts Of The 1930s
http://blogs.the-american-interest.com/wrm/2011/12/01/haunted-by-the-ghosts-of-the-1930s/


Gideon Rachman
The long shadow of the 1930s
http://www.ft.com/intl/cms/s/0/79656ee4-19b3-11e1-ba5d-00144feabdc0.html#axzz1gGnpnfoA
http://y-sonoda.asablo.jp/blog/2011/11/30/6224101


▼ Ambrose Evans-Pritchard

Merkel's Teutonic summit enshrines Hooverism in EU treaty law
Angela Merkel’s summit has sealed a 1930s outcome for Europe, further entrenching Germany’s misguided and contractionary policies without offering any viable way out of the crisis at hand.
http://www.telegraph.co.uk/finance/financialcrisis/8949723/Merkels-Teutonic-summit-enshrines-Hooverism-in-EU-treaty-law.html


The West's horrible fiscal choice
The US, Britain, and Europe are together embarking on a sudden and severe tightening of fiscal policy, in unison, before economic recovery has reached safe take-off speed. The experiment was last tried in the 1930s.
http://www.telegraph.co.uk/finance/comment/ambroseevans_pritchard/8680240/The-Wests-horrible-fiscal-choice.html


US money supply plunges at 1930s pace as Obama eyes fresh stimulus
The M3 money supply in the United States is contracting at an accelerating rate that now matches the average decline seen from 1929 to 1933, despite near zero interest rates and the biggest fiscal blitz in history.
http://www.telegraph.co.uk/finance/economics/7769126/US-money-supply-plunges-at-1930s-pace-as-Obama-eyes-fresh-stimulus.html


China’s young officers and the 1930s syndrome
http://blogs.telegraph.co.uk/finance/ambroseevans-pritchard/100007519/china%E2%80%99s-young-officers-and-the-1930s-syndrome/

コメント

_ IMF chief warns over 1930s-style threats ― 2011/12/16 08:22

IMF chief warns over 1930s-style threats
By Hugh Carnegy in Paris, George Parker in London and Peter Spiegel in Brussels
http://www.ft.com/intl/cms/s/0/169f1364-2746-11e1-864f-00144feabdc0.html#axzz1geFiT8Fe

The managing director of the International Monetary Fund has warned that the global economy faces the prospect of “economic retraction, rising protectionism, isolation and . . . what happened in the 30s [Depression]”, as European tensions again flared over suggestions in Paris that the UK’s credit rating should be downgraded before France’s.

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