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宮島理氏:「正義」を簡単に着替えて「カマトトぶる日本人」(BLOGOSより)2011/06/26 14:25



<関連記事引用>

反原発は反普天間と同じ結末招く
2011年06月24日14時34分

宮島理

http://news.livedoor.com/article/detail/5660144/

 政府が感情的な運動を煽っておきながら、結局は最悪の意味での現状維持に終わる。民主党政権になってから繰り返されているのは、その場限りで感情を発散できればいいという「退行」である。
 
 普天間問題は結局のところ、普天間基地が永久固定されるという最悪の意味での現状維持になろうとしている。その理由は、今では誰もが理解している。民主党政権が「最低でも県外」という期待を持たせたことで、反普天間運動を煽ってしまったからだ。
 
 この件については、2009年12月16日の新聞記事が本質を鋭く突いている。

「外務省幹部は『外交関係でこれほど恵まれたスタートを切ることができた政権は過去になかった』と断言する。陰りが見えるとはいえ、米国は依然、軍事力、経済力ともに世界一だ。中国やインドの台頭は著しいが、日米欧が組めばなお強力で、その関係も悪くない。そして、橋本政権から麻生政権までの自民党政権のくびきだった普天間問題は、米政府、日本政府、沖縄県の考え方が初めて一定幅に収まった状態で、『後は淡々と進めるだけだった』(同幹部)からだ。

 結局は、鳩山自身が問題を4次方程式にまで複雑化させたことが混乱の原因だとの見方は根強い」(読売新聞 )

 自民党政権の普天間移設は、決して100点ではないが、沖縄の負担軽減と日米同盟の深化という意味で、60点くらいの内容になっていた。もちろん、反普天間運動からしてみれば、県内移設はすべて0点だろう。ただ、現実的な路線として、長い時間をかけて地元と議論をし、普天間移設をまとめあげたことは、非常に大きな政治的成果だったと言える。
 
 ところが民主党は、「自民党の普天間移設は100点じゃないから0点も同然だ」と言いだし、「最低でも県外」と口にした。もっともこれは本気ではなく、単に「民主党は自民党よりもっとビッグなことができる」と主張したかったという程度の話に過ぎないのだが、反普天間運動は「そうだ、自民党の普天間移設は0点だ。米軍を沖縄から追い出せ」と一気にボルテージを上げた。(この辺の構図は改革論議についても言える。自称改革派が「60点の改革は100点じゃないから0点も同然だ」と言って地道で漸進的な改革を妨害するのが、民主党の「改革つぶし」である。詳しくは「図解:民主党の改革つぶしの手口」 をご覧いただきたい)
 
 もともと現実的な問題解決策はない反普天間運動を、問題解決能力のない民主党政権が無責任に煽る構図になったのが不幸の始まりだった。当然のごとく、普天間問題は膠着した。二転三転し、最後には「辺野古」に戻っていったのは記憶に新しい。
 
 しかし、今さら「辺野古」と言われても地元は納得しない。私は自民党政権の普天間移設に賛成していたが、そんな私だってもし辺野古住民だったら、こんなメチャクチャなプロセスを経て「やっぱり辺野古でお願いします。ゴメンね」と言われても絶対に納得できないだろう。
 
 政府が感情的な反普天間運動を煽ったことによって、割を食ったのは、普天間基地周辺の住民である。民主党政権は選挙向けのリップサービスのつもりでしかなく、運動家は運動家でその場限りの感情を発散できればいいのかもしれないが、住民には生活がかかっている。民主党政権と反普天間運動の無責任なタッグが、最悪の意味での現状維持を招いてしまった。(この問題で唯一得をしたのは米軍再編が遅れることで相対的に自由度が増した中国軍)
 
 同じことは「脱原発」についても言える。民主党政権と反原発運動の無責任なタッグが、おそらく最悪の意味での現状維持を招くことになるだろう。そのことを説明する前に、原発問題について整理しておきたい。
 
 私は地球温暖化問題に懐疑的なので(温暖化がないと言っているわけではないが)、もともと原発には熱心ではなく、エネルギー安全保障の観点から、現状程度の原発依存度でいいと考えていた。しかし、民主党政権の「温暖化ガス25%削減」を支持している多くの有権者は、民主党政権が温暖化ガスを出さない原発を推進していることについても、きっと賛成していたことだろう(菅政権も2010年6月の閣議決定 で、2030年までに原発を14基以上増やす方針を明確にした)。「知らなかった」とは言わせない。
 
 原発事故が起きた後、私は大変なことになったが、これは国民が選択してきた原発のコストであり、これから長い時間をかけて乗り越えていかなければならないと覚悟した。ところが、民主党政権の「温暖化ガス25%削減」に賛成し、当然、その論理的帰結として民主党政権の原発推進政策も支持してきたはずの有権者が、「原発にリスクがあるなんて知らなかった。原発なんてもう要らない」と言い出した。この「カマトトぶる日本人」 たちに、私はあきれるだけだった。
 
 さらにひどいことに、「カマトトぶる日本人」たちは、昔ながらの反原発運動に煽られて、「原発をすぐ止めろ」と言い出した。何の問題解決策もないくせに「悪魔祓い」 をすればいいと考える日本人が、21世紀になってもこれだけいるという事実に、愕然とするしかなかった。
 
 この無責任かつ感情的な運動に乗っかってきたのが、菅首相だった。既存原発のリスク再評価や代替エネルギー確保という地道で大変な作業を嫌う菅首相は、いざとなれば電力会社の責任にして逃げられる浜岡原発停止“要請”というポピュリズム的手法を実行した。このポピュリズム的手法に、「カマトトぶる日本人」たちも、「あーこれでひとまず安心」と、訳も分からず賛同していた。

 私が民主党政権と反原発運動の無責任なタッグに批判的なのは、彼らが最優先で取り組むべき課題を結果的に妨害し、さらには中長期的なエネルギー政策までオモチャにしているからだ。原発事故を受けてまず取り組むべきことは、現場作業員の環境改善、原発周辺汚染地域の除染、避難民の生活である。それなのに、彼らは原発から遠く離れた都市部住民の「(過敏な)安全安心」を優先し、原発周辺住民を後回しにしている。
 
 本来なら、今回の原発事故については「父祖の地を守れ」というスローガンが唱えられるべきだ。私も汚染により避難を強いられ、生業を奪われている原発周辺住民には深く同情している。だからこそ、何よりもまず、原発周辺での対応に政治的資源を注がなければならない。
 
 ところが、反原発運動は「こどものいのちを守れ」と言う。微量の放射性物質しかない都市部住民を煽り、昔ながらの反原発運動に駆り出そうとしている。「父祖の地を守れ」というスローガンでは原発周辺に限られてしまうので、むしろ都市部に拠点を置くべく「こどものいのちを守れ」という煽り方をしているのだろう。一部の人たちの政治勢力を拡大するために、原発事故が政治利用されてしまっている。(政治利用ではなく純粋に「こどものいのち」を心配しているのだというなら、子供の死亡原因1位である自動車を規制すべきだが、彼らは「マイカー全廃」 とは言わない。結局、原発周辺の汚染や、交通事故などで失われる子供たちの生命について考えているわけではなく、都市部住民を煽る口実がほしいだけなのだろう。だから、「こどものいのちを守れ」と、原発問題の論点をすり替えている。反普天間運動でも、「ジュゴンのいのちを守れ」と、論点のすり替えがなされた)
 
 さらに反原発運動は、中長期的なエネルギー政策を考えずに、感情的に行われている。この点でも、反普天間運動にきわめてよく似ている。
 
 もし本気で「脱原発」をしたいなら、天然ガスなどの現実的な代替エネルギーを確保する道筋を付けなければならない。さらに、原発依存度を下げれば、外国からのエネルギー資源輸入への依存度が増すので、エネルギー安全保障の観点が必要となる。備蓄体制も強化しなくてはならないし、場合によっては中東などの安定のために、日本の防衛力を積極的に展開する場面も多くなるだろう。もちろん、外交力も強化しなくてはならない。いずれも、オイルショックから日本が抱えている課題であり、いまだに解決できていないものが多いが(だから原発依存に逃げたという経緯もあった)、「脱原発」と言うなら、ある意味で原発依存時代よりも大きな覚悟が求められる。
 
 仮にそれだけの覚悟をしたとしても、実現するには時間がかかる。少なくとも向こう数年間は、電力の安定供給のために、既存原発を使わざるを得ない。そこで、すべての既存原発のリスクを再評価し、安全性を高め、それでもなお「リスクはゼロではない」という現実を理解した上で、既存原発を従来通り稼働、あるいは再稼働していかなければならない。
 
 また、「脱原発」のスケジュールが遅れれば、既存原発に頼る期間もそれだけ長くなる。場合によっては、安全性確保の観点から、既存原発を最新型の原発に更新することも必要になってくるだろう。その時、反原発という感情論ではなく、冷静な判断であえて既存原発を更新するという決断をすることが、「脱原発」という最終ゴールに近づいていくことにつながる。
 
 以上は、天然ガスなどの現実的な代替エネルギーを想定した場合だ。それでも、これだけの覚悟と困難が想定される。仮に「自然エネルギー」で原発を代替するというプランを採用すれば、実現のスケジュールはさらに長引くだろう。下手をすれば、いつまで経っても実現できないということも予想される。
 
 その意味で、反原発や「自然エネルギー」にかまけるのは、実は「脱原発」を妨害していると言わざるを得ない。反普天間運動が結果的に普天間固定という最悪の現状維持をもたらしたように、反原発は原発の現状を固定化するのではないかと危惧する。
 
 反原発は今すぐ原発を停止させることを要求しているから、稼働を前提とした既存原発のリスク再評価を許さない。しかし、既存原発が停止したままで、いずれ電力不足が発生すれば、現在の感情的でなおかつ誰も責任を取りたがらない日本では、なし崩し的な再稼働が行われるだろう(詳しいシナリオは「あいまいな日本の原発再稼働」 をご覧いただきたい)。その結果、既存原発はリスク再評価もされず、それゆえ安全性も高められないままに、ずるずると稼働し続けていく。
 
 さらに、菅首相が「自然エネルギー」に拘泥して現実的なエネルギー政策論議を放棄すれば、「脱原発」の動きも(かけ声とは裏腹に)完全にストップする。民主党政権と反原発運動の無責任なタッグによって、原発の安全性は向上せず、「自然エネルギー」も進展しないまま、最悪の意味での現状維持が招かれてしまう可能性は、決して低くないと考えている。
 
 日本の問題は、「反原発か原発推進か」ではない。重要なのは、さまざまなリスクを理解し、その上でどのエネルギー政策を選択するかということだ。山林破壊や村落崩壊になれば水力を嫌い、大気汚染や資源高になれば火力を嫌い、放射性物質が漏れれば原子力を嫌い、騒音になれば風力を嫌い、温泉が枯れれば地熱を嫌い、電力が安定せず維持費がかかると太陽光を嫌い、そのくせ電力供給は誰かが何とかしてくれると思っているような国では、「脱原発」どころか、どのようなエネルギー政策も行き詰まるのは目に見えている。
 
 地球温暖化対策と原発増設という民主党政権の方針を支持してきた積極的原発推進派(国民の多数派)は、何の合理的説明もなく、一夜にして反原発派に転じた。その意味で、原発推進派と反原発派というのは、実は同根ではないかと考えている(昔ながらの生粋の反原発派は除く)。一方、民主党政権の方針に反対し、あくまで消極的に既存原発利用を考えていた私は、原発事故後もスタンスを変えずに当面の既存原発利用(と将来的な「脱原発」の検討)を主張しているわけだが、原発推進派から反原発派に「転向」した人々は、常に「絶対正義」の側に立って「悪の原発を支持するのか」と批判する。まさに敗戦後と同じような醜い現象が、現在の日本を覆っているのである。


「正義」を簡単に着替える日本人
2011年06月25日16時15分

宮島理

http://news.livedoor.com/article/detail/5662716/

 日本人は何も変わっていない。無定見に「正義」を着替え、いかなる「正義」にも便乗しない者を絶えず感情的に攻撃する。

 敗戦は、日本人がその責任から逃れるために、古い「正義」をスルリと脱ぎ、新しい「正義」を羽織った時代だった。そこには合理的説明も省察も何もなく、効力の失われた「正義」を捨て、新しい「正義」を拾うという、醜い自己保身があるだけだったのである。

 その過程で、いかなる「正義」にも阿らない人々が犠牲となった。

 美濃部達吉は戦前、いわゆる天皇機関説を唱えたことにより、軍部や右翼、ならびに「世論」から激しく攻撃された。美濃部は貴族議員議員を辞職する事態に追い込まれている。

 戦後になって、軍部や右翼に同調していた「世論」は、一転して軍部と右翼を叩き、「民主主義者」となり「平和主義者」となった。明治憲法は当然改正されるべきだということになり、天皇機関説により「リベラル」と思われていた美濃部は、反明治憲法陣営(およびGHQ)から、力強い味方として期待されていた。

 しかし、美濃部は「軍国主義者」にも「平和主義者」にも阿らない。自分の憲法学を貫き、新憲法制定(明治憲法改正)は無効であると主張した。また、天皇機関説の美濃部は、明治憲法下でも戦後日本はやっていけると考えていたとも言われている。

 この美濃部の行動に、反明治憲法陣営は「勝手に失望」した。そして、美濃部は彼らから批判されることになるのである。戦前は「軍国主義者」に批判され、戦後は「平和主義者」に批判されたわけだが、「軍国主義」も「平和主義」もその衣を着ているのは実際のところ同一の「世論」であった。美濃部は日本人の無定見な「正義」に翻弄されたと言えるだろう。

 同じような目にあった人はまだいる。戦前、津田左右吉は、その実証主義的な記紀研究が皇室の尊厳を犯しているとして、これまた軍部や右翼から批判されていた。戦後になり、「尊皇主義者」から「反天皇主義者」に「転向」した人々にとって、津田は反天皇運動の味方になると期待された。

 ところが、津田は1946年に「建国の事情と万世一系の思想」という論文を発表し、天皇制廃止を否定した。そのため、反天皇運動からは激しく批判されることとなったのである。

 津田もまた、戦前は「尊皇主義者」に批判され、戦後は「反天皇主義者」に批判された。「尊皇」も「反天皇」も、時代と寝ることしかできない者たちによる仮衣装であり、日本人の無定見な「正義」は、津田のような人物をも苦しめた。

 こうした日本人の欺瞞を鋭く突いたのが、太宰治だった。太宰は1946年に発表した「十五年間」の中で、次のように書いている。

「日本に於いて今さら昨日の軍閥官僚を罵倒してみたって、それはもう自由思想ではない。それこそ真空管の中の鳩である。真の勇気ある自由思想家なら、いまこそ何を措いても叫ばなければならぬ事がある。天皇陛下万歳! この叫びだ。昨日までは古かった。古いどころか詐欺だった。しかし、今日に於いては最も新しい自由思想だ。十年前の自由と、今日の自由とその内容が違うとはこの事だ。それはもはや、神秘主義ではない。人間の本然の愛だ。アメリカは自由の国だと聞いている。必ずや、日本のこの真の自由の叫びを認めてくれるに違いない」(「十五年間」より)

 太宰一流の皮肉だが、現在であれば、「天皇陛下万歳!」のかわりに「原発万歳!」と叫ぶところだろうか。

 美濃部、津田、太宰の時代と、今の日本人は何ら変わるところがない。昨日まで「脱ダム」「温暖化ガス削減」「原発ルネサンス」と言っていた人々が、一夜にして「水力発電推進」「火力発電推進」「原発即時廃止」と叫んでいる。

 民主党政権では、「脱ダム」「温暖化ガス削減」「原発ルネサンス」が掲げられた。「脱ダム」の象徴が八ッ場ダム問題である。そして、「温暖化ガス25%削減」を進めるために、温暖化ガスを出さない原発を積極的に推進し、海外に輸出することも官民一体で行われた。菅政権も2010年6月の閣議決定で、2030年までに原発を14基以上増やす方針を打ち出している。

 政権交代を実現した国民の多数派は、「脱ダム」を支持し、「温暖化ガス削減」を支持し、さらに「温暖化ガス削減」の論理的帰結としての「原発ルネサンス」を明確に支持した。ちなみに、私は「脱ダム」にも「温暖化ガス削減」にも「原発ルネサンス」にも懐疑的だったが、エネルギー安全保障の観点から消極的に原発依存度の現状維持という立場を取る「時代遅れ」でしかなかった。

 ところが、時代の先端を行く国民の多数派は、原発事故を受けて、一気に次の新しい流行へと飛び移った。彼らは一夜にして「脱ダム」を忘れて「水力発電推進」を言い出した(念のため言っておくが、多目的ダムの八ッ場ダムには、発電目的も含まれている)。さらに「温暖化ガス削減」を忘れて「火力発電推進」を言い出した(石炭・石油から天然ガスに比重を移したところで温暖化ガス削減では原発に到底及ばない)。「原発ルネサンス」はどこかへ消え去り、「原発即時廃止」がトレンドとなった。

 180度転換した「世論」の前では、「水力発電のためにダム増やしたら環境破壊になるけどいいの?」「火力発電を増強したら、温暖化ガス削減目標は絶対に達成できないけどいいの?」「原発即時廃止したら当面の電力が足りなくなるけどいいの?」という当然の疑問は何の意味も持たない。「正義」を着替えた彼らにとって、そのような「過去」にこだわるのは「ダサい」のである。もちろん、「風力・地熱・太陽光だけじゃ絶対に電力足りないよ?」という疑問もスルーされる。別に彼らは本気でエネルギー政策を考えているわけではなく、単に原発事故という責任から逃れたいだけだからだ。

 それどころか、「本当に脱原発をしたいなら、既存原発を当面活用しつつ、地道に代替エネルギー確保やエネルギー安全保障強化をしていかなきゃいけないんじゃないの?」という主張をする者は、「時代遅れの原発推進派」として糾弾されてしまう。また、「浜岡原発停止“要請”は、電力供給対策を放棄して、いざとなれば電力会社の責任にして逃げられるポピュリズム的手法なんじゃないの?」と批判する者は、彼らにとって「原発利権の回し者」だ。浜岡原発停止“要請”を賛美することは、かつて民主党政権の積極的原発推進路線を支持していた忌まわしき「過去」を忘れるための大切な「儀式」なのである。「儀式」を邪魔することは、絶対に許されない。

 こうした「空気」の時は、空想的理想論がもてはやされる。「原発の電気は使いたくない」という子供じみた言い回しをして、「自然エネルギー」がブームになるのは、「血塗られた平和は要らない」という子供じみた言い方をして、「非武装中立」を唱えた時代と重なる。そう、「自然エネルギー」とは、21世紀の「非武装中立」なのだ。

 積極的原発推進路線にも原発即時廃止路線にも阿らない人々は、現在、息を潜めてジッとしている。積極的原発推進路線から原発即時廃止路線に「転向」し、絶えず「正義」を振りかざす人々の感情が収まるまで、何も言わないのが得策だとあきらめているのだろう。政治家もマスメディアも学者も奥歯に物が挟まったような言い方しかしないのは、敗戦後とまったく同じである。わが日本は、いつまで「正義」を簡単に着替える人々に振り回されなければならないのだろうか。


<関連記事>

先ず我が国の国民性に付いて思うことは付和雷同性が多いことで、これは大いに改善の要があると考える。
昭和天皇、聖談拝聴録原稿(木下のメモ)③「結論」
http://y-sonoda.asablo.jp/blog/2008/07/31/3663328

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