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ベストを尽くしても「痛恨の出来事」、その先に見えてきた日本企業の国外脱出ラッシュ2011/04/14 08:03

ベストを尽くしても「痛恨の出来事」、その先に見えてきた日本企業の国外脱出ラッシュ


賠償問題を抱えている以上、人災的な面を決して認めるわけにはいかない東電。
しかし、「ベストを尽くした」は別に言わなくてもいいこと。

ベストを尽くしてこの結果。だったら原発なんてやめちまえよと言われて当然。
それでいいのか東電さんよとツッコミを入れたくなる。

この状態で柏崎刈羽原発3号機の運転再開などできるものか。
長期にわたって電力不足で縮こまる日本の姿が現実味を帯びてきた。

このままでは日本企業の国外脱出ラッシュが始まるだろう。


<関連記事引用>

東電・清水社長会見(3)「収束に向けベストを尽くした。廃炉を恐れてはいなかった」
2011.4.13 15:56 (2/2ページ)
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110413/biz11041315560027-n2.htm

 --外部電源がだめになった段階で、より早く海水の注入を決断していれば水素爆発などを免れたのではないか。廃炉を恐れてのことだったのか。今回の事故は、一私企業で責任を負える範囲はないように見受けられる。今後、原発を一企業で進めていくことについてはどう考える

 清水社長「海水の注入や、実際の収束に向けてのさまざまな取り組みについてはベストを尽くした。廃炉を恐れるというより、その時々のパラメーターに基づいてやった。タイミングはしっかり判断してやった。原子力のありかたについては、現在、事態の収束に向けて全力で取り組んでいるところであり、現時点であり方についてコメントする段階ではない」


東電・清水社長会見(8)「民営でありたいが、言及できる状況ではない」
2011.4.13 16:59
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110413/biz11041317000038-n1.htm

 --(3月)12日のいつごろ、東京に戻ったのか

 清水社長「12日の午後10時ごろ戻った」

 --ベント(炉内の圧力を下げるための排気)について、最終的にゴーサインを出したのは誰でいつなのか。その後の作業の段取りは

 清水社長「本部には不在だったが、常時連絡をとって判断していた。確認の上でベントも実施した。ゴーサインを出したのも私だ」

 --官邸から「東電が福島原発から撤退したい」という情報があったが、コミュニケーションにギャップが生じたのはなぜか。東電としては当時、どういう判断をしようとしていたのか

 清水社長「福島原発撤退や退避がベストという判断をしたというのは事実ではない。私が官邸に行った際に、政府と事業者が一体となって取り組むべきだという話をいただいた。緊急時に備えて直接作業にかかわらない人間は、退避などのしかるべき対応をとるが、全員がそうということではない。首相にそのことはちゃんと伝えた。(官邸との齟齬があったことによる)私の体調への影響はない」

 --12日のベントは、住民の避難が終わらないうちに始まった。被災された人に対し、どう感じているのか

 清水社長「外部電源喪失の中で、作業を強いられたのはもちろんだが、いかなる理由があっても、ご迷惑をかけたことは改めておわびしたい」


放射線封じ込め「時間がかかる」 東電社長会見
2011年4月13日22時8分
http://www.asahi.com/business/update/0413/TKY201104130518.html

 東京電力の清水正孝社長会見の主なやりとりは、以下の通り。

 ――被害者への賠償について決まっていることは。

 「国と協議しながら誠意を持って対応する。避難が長期に及んでいるので、一日も早く仮払いをしたいとは思っている。具体的な金額はこれから決める」

 ――福島第一原発1号機で12日に実施したベント(排気)の対応に社長も携わったのか。

 「当然、原子力緊急時対策本部長として逐一かかわった」

 ――政府のベントの命令から時間がかかったが、社長の判断が遅れたのか。

 「外部電源が失われ、困難な状況で作業を強いられた。着手にやや時間がかかったのは事実だ。作業が大変厳しい条件下だった」

 ――海水はもっと早く注入できなかったのか。

 「収束に向けてベストを尽くしてきた。廃炉を恐れるうんぬんより、その時の状況に基づき適切な判断をしてきた」

 ――廃炉を進めるのか。

 「福島第一原発1~4号機は廃炉にせざるを得ないという認識だ」


「レベル7、深くおわび」 東京電力社長の主な一問一答
http://www.47news.jp/47topics/e/204896.php

 ―事故発生後、海水注入やベントのタイミングが遅れたのではないか。

 「技術陣の報告を受けて指示し、ベストは尽くしてきた。その時々のパラメーターに基づいて私が判断した」


東日本大震災:福島第1原発事故 東電社長会見 「具体策まだ」何度も
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110414ddm003040087000c.html

 ◇将来像描けぬまま 指導力に疑問

 東京電力の清水正孝社長は1カ月ぶりに都内の本店で会見したが、福島第1原発事故の収束見通しや補償問題の説明は具体性に欠け、被災者らの不安は払拭(ふっしょく)できないまま。巨額の賠償負担などを抱える東電の先行きについても方向性は示せなかった。事故対応では、格納容器内の水蒸気を放出して圧力を下げる「ベント」や炉心への海水注入について、自身の決断だったことを明らかにしたが、初動の遅れが事態を悪化させたとの指摘については「ベストを尽くした」と述べるにとどめた。

 「具体的なやり方はこれからだ」「まだ、決まった段階ではない」。会見では、損害賠償の具体策や事故収束の見通しに関する質問が集中したが、清水社長はこう繰り返すばかりで、損害賠償や震災復旧などで巨額の財務負担が生じる東電の将来像は描けないまま。事故や夏場の電力不足など難問が山積する中、指導力を発揮できるかは疑問も残る。

 清水社長は損害賠償の一時金支払時期について言及を避ける一方、鼓紀男副社長が福島市で4月中の支払いに言及するなど情報発信で足並みをそろえられない場面も。損害賠償を東電以外の電力各社にも負担させる案が浮上していることにも「承知していない」と述べるだけで具体的な見通しは示せなかった。

 東電を巡っては、原発部門を切り離して公的資金を投入する案など、経営危機を先取りした処理策が政府内で浮上。清水社長は「民営でありたいと考えているが、現時点で言及できる状況ではない」と述べるにとどめ、事故後に予想される経営難を乗り切る対策は描けていない。

 東電のトップは従来、対外調整が多い総務・企画畑からの輩出が続いたが、清水社長は資材調達の出身。「官僚的な東電の体質を一新する」(東電OB)ための起用だったが、社内基盤の弱さや、政府などとの調整経験が少ないことなどが当初から不安視されていた。今回の事故では、体調を崩した清水社長に代わり、勝俣恒久会長が官邸や原子力安全・保安院との調整などで陣頭指揮を執っている。

 事故の情報発信についても情報開示の遅れが批判されている。清水社長は「現場の錯綜(さくそう)で伝わらなかったのはおわびしたい。私自身が(適切に開示されているか)確認しながら進めている」と釈明。東電は歴代トップが3人続いて原発のトラブルや不祥事で辞任に追い込まれており、事故収束に指導力を発揮できないままでは東電への逆風は強まる一方だ。【三沢耕平、永井大介】

 ◇放射線封じ込めに時間

 大量の放射性物質を放出する深刻な原発事故の対応に追われる東京電力。清水社長は13日の記者会見で、原子炉や使用済み核燃料プールの冷却機能の復旧が難航している福島1~4号機について、「放射性物質の放出を一日でも早く抑止するために全力で取り組む」と強調した。だが、「放射線を封じ込めるのは時間がかかる」とも述べ、事態が長期化するとの見通しを示した。

 清水社長は事故の状況について「原子炉や核燃料プールの冷却と放射性汚染水の排水処理が喫緊の課題だ」と説明。「少しずつ安定化している」と語ったが、収束時期の見通しは「詰めている段階」と述べるにとどまった。

 東日本大震災発生直後の対応では、原子炉格納容器内の圧力を下げるため、弁を操作して高温の水蒸気を外部に逃がす「ベント」作業の遅れが事故拡大を招いたと指摘されているが、「外部電源の喪失で、作業の着手に時間がかかった」と強調。ベントや圧力容器への海水注入は自らの指示だったと説明したものの、決断の時間など詳細は明言を避けた。社長は震災当日の3月11日は関西地方に出張。地震で交通網が乱れ、東京に戻ったのは翌12日午前10時だった。

 福島第1原発1~3号機の事故が、国際評価尺度で最悪のレベル7と暫定評価されたことは謝罪したが「地震で制御棒が正常に働き原子炉を止めることができた。その意味で経年化した(1号機などの)施設の安全性は保たれた」と強調した。【中西拓司、八田浩輔】


<画像引用>

東電・清水社長会見(3)「収束に向けベストを尽くした。廃炉を恐れてはいなかった」
2011.4.13 15:56
http://sankei.jp.msn.com/economy/photos/110413/biz11041315560027-p1.htm

会見する清水正孝社長 =13日、東京・内幸町の東京電力本店(瀧誠四郎撮影)