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ごね続けたムバラク、背後にちらつく軍部のソフトなクーデター2011/02/16 08:14

ごね続けたムバラク、背後にちらつく軍部のソフトなクーデター


<関連記事引用>

ムバラク氏の辞任拒否演説 直前に次男が原稿修正
米報道 2011/2/14 22:51
http://s.nikkei.com/eWgeFT

 エジプトのムバラク大統領が辞任前夜の演説で、予想を裏切り即時辞任を拒否したのは、次男のガマル氏が直前に演説原稿を書き換えたためだったとする情報を、米AP通信や米紙ワシントン・ポストなどが伝えた。ムバラク氏の土壇場での変心に慌てた軍が「辞任かクーデターか」の選択を突きつけ、最終的に11日の退陣につながったという。

 反政府デモの拡大を受け、大統領は10日夜の国民向け演説で辞任を表明する方向で準備が進み、エジプト政府上層部や米政府にも情報が伝わっていた。しかし、演説の直前、ムバラク氏の家族や側近が巻き返しに動いた結果、ムバラク氏は辞任拒否に傾いた。一時は大統領の後継候補と目されてきたガマル氏が原稿を書き換えたという。

 エジプト紙アフバルによると、演説の収録中にムバラク氏の長男アラー氏がガマル氏を「おまえが友人を政権につれてきて腐敗まみれにし、父の晩節を汚した」となじり、殴り合い寸前になったという。(カイロ=松尾博文)

ごね続けたムバラク氏 辞任演説のはずが…原稿書き換え
2011年2月16日1時30分
http://www.asahi.com/international/update/0215/TKY201102150472.html

 【カイロ=古谷祐伸】エジプトの民衆デモで退陣したムバラク前大統領(82)は、最後まで辞任を拒みつづけ、結果として軍部に引導を渡された――。そんな内幕を、側近や米政府関係者らの証言に基づき、AP通信や米紙ワシントン・ポストが報じた。

 ムバラク氏は10日のテレビ演説で、副大統領に一部の権限を譲る一方で、「外国の圧力には屈しない」「危機を解決する明確な方針がある」として辞任は拒んだ。ところが翌11日昼ごろ、カイロからシナイ半島のリゾート地シャルムエルシェイクへ脱出。数時間後、スレイマン副大統領によって退陣が発表された。

 AP通信によると、ムバラク氏は10日夜の演説で辞任を表明するはずだったが、演説原稿は土壇場で何度も書き換えられ、結局は強気の姿勢を示すものに変わった。家族が危機を乗り越えられると主張し、ムバラク氏が信じたためだという。

 だが、これで国民の怒りが爆発し、中立を保っていた軍部も動いた。ワシントン・ポストによると、演説の数時間後に軍幹部がムバラク氏に会い、「自発的に辞めるか、追放されるか」を選ぶよう迫った。ムバラク氏は荷物をまとめ、家族と軍のヘリに乗ったという。

 11日午前11時半ごろ、大統領府から2機の軍用ヘリが飛び立つのを、朝日新聞記者が目撃しており、ムバラク氏が乗っていた可能性が高い。

 副大統領による大統領退陣の発表は、1分間もない短いものだった。閣僚会議の会場にあったムバラク氏の巨大な肖像画も、13日に取り外された。

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