Google
WWW を検索 「園田義明めも。」を検索

今こそ中国の手口を知っておこう - 産経:「中国スパイ機関熾烈な対日工作」及び「米機密文書詳報」より2010/11/07 01:17



<関連記事引用>

中国スパイ機関熾烈な対日工作 戦後動乱期歴史の裏側で暗躍 米機密文書で明らか
2002/05/02 産経新聞 東京朝刊

 【ワシントン1日=前田徹】朝鮮戦争直後から日中国交正常化前後にかけて日本国内で暗躍した中国スパイについての米国防総省機密文書が米国立公文書館から見つかり、戦後日本を舞台に展開された米中の熾烈(しれつ)な情報戦の実態が明らかになった。中国は当初、日本共産党を通じた日本革命を画策し、中ソ対立が深刻化すると今度は旧社会党や労働組合の親中派工作に力を注いだほか、朝鮮半島危機を招いた米軍のプエブロ号拿捕(だほ)事件では自民党有力者に働きかけて情報収集に躍起となった様子なども赤裸々に描かれている。(5面に詳報)

 ◆共産党通じ革命を画策/社会党議員や労組幹部に金品

 機密文書は公文書館にある第二次大戦戦犯関係文書に交じって保管されていた。ほとんどは第四四一分遣隊や第七〇四情報隊など在日米軍防(ぼう)諜(ちよう)部隊が国防総省に報告する形になっており、(1)朝鮮戦争直後の一九五三年から六〇年代前半(2)六〇年代後半まで(3)六七年前後から七三年ごろ-と時系列に分類されていた。

 まず分類(1)の一群の報告書によると、中国は四九年十月の中華人民共和国建国直後から、中国帰りの旧日本軍帰還兵に元在日中国人の工作員をまぎれ込ませて潜入させた。初期段階ではソ連情報組織の影響を受けた「H2機関」が在日米軍基地の情報入手を図り、その後は中国共産党が指導する中国からの帰還者組織「一〇一機関」が主導権を握ったことが報告されている。

 当時、中国スパイ機関は朝鮮戦争で銃火を交えた米軍の情報収集に重点を置く一方、日本共産党に対する指導強化にあたっており、米軍基地に日共党員を浸透させる工作や、五四年二月には「一〇一機関」が日共党員に渡す拳銃二千丁の密輸に失敗したとの情報が報告されている。

 また、五六年九月ごろ、中国銀行香港支店に中国と北朝鮮が共有する工作資金の秘密口座があったことを示す報告書があり、北朝鮮が中国と共同で対日工作を展開していたことをうかがわせる文書も見つかった。

 分類(1)の文書は総じて朝鮮戦争直後の動乱の雰囲気を色濃く伝え、分類(2)には中国スパイ組織の内部抗争や路線対立の模様などが報告されている。それに続く分類(3)の文書は、▽日米安保改定と佐藤栄作首相訪米(六七年十一月)▽米軍の情報収集船が北朝鮮に拿捕されたプエブロ号事件(六八年一月)▽日中国交回復(七二年九月)-など変動する東アジアの情勢と密接にからむ。

 ジョンソン米大統領が六八年十月にベトナム戦北爆全面停止宣言をしたさい、中国は米国のアジアからの撤退を予感し、その関連情報を日本外務省経由で入手できなかったとして日本における中国スパイ網のトップが情報源の人物を叱責(しつせき)したり、佐藤首相の訪米目的を探るため外務省内部の人物から情報を入手したことも示唆されている。

 とりわけ目を引くのはプエブロ号事件で米国と北朝鮮が交戦する危険がでたさい、日本が参戦する可能性を探るため中国スパイ網が当時の三木武夫外相から直接情報を得るよう自民党有力者に働きかけ、情報収集に全力をあげた様子を伝える米軍第七〇四情報隊の六八年二月の一連の報告書だ。結局情報入手に失敗するが、その一週間後に国会で社会党議員が日本参戦に関する質問を佐藤首相に突きつけており、報告書は中国情報機関が社会党に働きかけた可能性をにおわせている。

 このほか、日本の労働組合幹部が中国側の招待で訪中し、多額の宝石類を持ち帰り、それ以降は親中派になったとする報告や、社会党参院議員がダイヤの指輪を中国要人から贈られるなど金品攻勢が行われていたことを示唆する報告もあった。



米機密文書詳報(2-2)活動資金確保へ麻薬密輸 佐藤訪米で日本は軍事力強める
2002.05.02 産経新聞 東京朝刊 

 六八年四月、在日米軍第七〇四情報部隊所属、デビッド・トヤマ特務員報告書

 六八年一月から三月にかけて入手された情報によると、中華料理店「A(報告書は実名)飯店」を中心にした中国スパイ網は、日本の警視庁が青島グループと呼んで監視するグループと重なり、さらに「チェン・グループ」の活動にも深くかかわっていることがわかった。

 A飯店は山東省出身のS(報告書は中国名)が経営しており、Sは第二次大戦中、青島で三井物産に雇われていた経緯がある。しかし、その後、Sは四八年から四九年にかけて日本に密航した中国スパイとわかった。Sは違法に外国人登録を行った。

                   ◇

 この情報を裏付けたのは(佐藤訪米やプエブロ号事件で情報収集を行ったチェン・グループ一員で米側スパイでもある)RU12で、別の報告書で「チェン・グループ」関西方面責任者とされた同志社大のT(報告書は日本名)教授はこの報告書にも登場している。

 ■日米70年安保と佐藤訪米

 六八年四月、在日米軍第七〇四情報部隊所属、デビッド・トヤマ特務員報告書

 (米側情報源の)RU12宅に六七年十月十五日、チェン・ナンハンが現れた。チェンは、東京周辺で活動する中国スパイ網「チェン・グループ」のリーダーと見なされる男だが、佐藤栄作首相の訪米の狙いを探るようRU12に依頼した。RU12はその後、チェンらが作成した手書きの中国本国送付報告書コピーを入手した。概要は次の通り。

 「日米安保改定は東アジア反共同盟の結成を目的としている。同盟とは単に軍事的な意味でなく経済、政治、文化に至るものだ。同盟結成の時期を考慮するうえで(安保改定の)七〇年が重要になるが、この年は中国が核兵器を作戦配備するのと重なる。最新の三木武夫外相訪米に関する情報入手で、今回の訪米では、沖縄返還を強く打ち出さないことがわかったが、日本は明確な返還タイムテーブルを持っていないようにみえる。だが、同盟準備のために日本が軍事力増強を図るとみられ、中期的には日本こそがアジアにおける共産圏諸国への対抗バランスの役割を果たす。そうした役割を果たせるようになるまで米国は沖縄を手放さない」

 また、羽田国際空港における日米安保反対デモについて、「日本共産党と対立する三派全学連は日本での革命を指導する可能性があるのにそのことがまだ十分に分析されていない。この学生組織は革命を起こす唯一の組織という意味で無視してはならない」と評価した。

 一週間後の二十三日、チェンはさらに次のように分析した。

 「米国がこの時期に弾道弾迎撃ミサイル(ABM)設置を発表したことはとりあえずは中国と戦わないことを意味する。それはベトナム戦の終局も意味する。つまり米国がアジアから撤退することだ。しかし、(撤退前に)米国は日本の軍事力を強めようとするだろうし、他の反共諸国の力も強めようとするだろう。従って佐藤訪米で日本は沖縄返還の見返りに軍事力を強める。大統領選を意識してジョンソン大統領がベトナム和平に動きだしており、沖縄返還問題に対する日本の感情を考えれば、この分析はさらに補強される」

 この分析の情報源としてチェンは日本外務省内部の人物を示唆した。

 佐藤首相訪米当日の十一月十二日、チェンは情報を中国に送付したとRU12に語った。その情報の趣旨は次の通り。

 一、ベトナム戦に日本は自衛隊を送らない。代わりに南ベトナム政府への経済援助を行う。援助は東南アジア地域援助の一環として行う。

 二、日米安保改定に日本は応じるが、同時に軍備増強にも応じる。核兵器持ち込みも受けいれる。

 三、東アジア反共同盟が結成されれば、日本は参加する。

 四、日本は沖縄および小笠原諸島の返還を要求し、米側は行政権委譲を明確にするが、日程は未定。経済問題では日本が貿易の最恵国待遇などを米国に求める。

 チェンはこのほかベトナム戦での核使用の可能性を探るようRU12に指示する一方で中国の核開発について「急速に進んでおり、六八年終わりまでにアジア全域を覆う地域を核攻撃できる能力を備える。その中に日本、台湾、フィリピン、ロシア、ベトナムが含まれる。六九年後半にはたぶん米本土も攻撃可能になるだろう。中国の核開発は文化大革命に全く影響を受けていない」と述べた。

 ■プエブロ号事件と朝鮮戦争危機

 六八年二月六日、在日米軍第七〇四情報部隊所属、ウィリアム・ヘーブリン特務員報告書より

 プエブロ号事件発生でチェンは、六八年一月三十日、RU12を呼び出し(1)北朝鮮と米国の間で戦争が起きた場合、日本政府はどう対応するか(2)ベトナム戦がさらにエスカレートした場合はどうか(3)米国・北朝鮮の戦争で、日本は中国の北朝鮮支援を予測するか。中国が北朝鮮を支援した場合、日本政府と自衛隊はどう対応するか(4)こうした緊急時に関連した日米安保条約の特別条項は存在するのか(5)日ソにおいても緊急時の密約、合意事項は存在するか-の五点を早急に調査するよう命じた。

 《六八年一月二十三日、北朝鮮の元山港沖でアメリカの武装情報船プエブロ号が拿捕(だほ)され、乗組員が取り調べをうけた事件。ベトナム戦の最中であり、アジア・極東全域が緊張した》

 チェンはRU12に対し三木外相とのインタビューで情報を得るよう勧め、自民党有力者の橋本登美三郎か田中角栄を通じて申し込むのが確実だということになった。しかし、RU12は結局、三木外相に直接連絡を取れず、チェンとRU12は翌午前十時に再会することにし、チェンは当座の活動資金三万円を渡した。

 RU12は橋本と連絡が取れ、橋本が三木外相との会合を約束したと話すと、チェンは三十一日夕までに中国本国に報告書を送らなくてはならないと述べ、三木外相とは別に情報通とされる政治問題専門家に意見を求めるよう指示する。三木外相は結局、国会開会中を理由に断ってきたためチェンは次のような報告書を作成した。

 一、戦争勃発(ぼっぱつ)に際して日本の参戦は予想されない。

 二、ベトナム戦エスカレートにも日本は何ら積極的役割を演じない。

 三、戦争状態に入れば中国が北朝鮮を支援すると日本は信じているが、それが日本の安全を脅かすとは考えない。従って日本は積極的な対応策を採らない。

 四、日米間には密約はない。

 五、日ソ間においても密約や特務事項はない。

                   ◇

 ヘーブリン特務員はチェン報告が十分な情報工作もないまま性急に作成された理由について送付方法に事情があったと推測し、三十一日夕からの東京周辺の出入港チェックを行い、二月一日に東京港を出航した中国船を突き止めたと付け加えている。また、二月七日付報告書で、中国当局がチェンに指示した情報収集の目標事項が、社会党議員によって国会で質問されたことから、この国会質問と中国の知りたい事項が酷似していることに留意を促している。

 ■日中国交回復前後のスパイ活動

 七三年七月九日、在日米軍第五〇〇情報部隊所属、ベンジャミン・ハミルトン大佐報告書より

 日中国交回復にともなう初代駐日大使の日本赴任によって中国の日本における情報活動は活発になると考えられる。その対象はソ連の対日影響を弱め、中国経済再建に必要なノウハウを日本から得ることになる。とりわけ(1)日ソ関係に対抗する日中関係の確立(2)在日米軍と自衛隊情報の収集(3)チュメニ石油埋蔵地(ウラル山脈東部)へのソ連の意図を探る(4)ICBM(大陸間弾道弾)関連技術情報の収集-に絞られる。加えて日本政財界への影響力保持とソ連の影響力阻止が重要な課題となる。

 《田中角栄首相は日中国交回復を主要な政策目標に掲げ、公明党を橋渡し役にしたうえで訪中、七二年九月二十九日に日中共同声明に調印し、日中国交が回復した。日中国交回復はニクソン米大統領の訪中に追随するもので、逆に中国側では中ソ対立を念頭にソ連への対抗の狙いがあるとみられていた》

 七二年十二月六日、在日米軍第五〇〇情報部隊所属、トシオ・アオヤギ大佐報告書より

 東京華僑総会のC(報告書では実名)が七二年九月十五日から十一月九日まで訪中団を率いて滞在中、周恩来首相から次のような特別任務を指示された。(1)台湾の在日学生に対し中国の費用による中国訪問を勧め、代わりに学生は台湾に戻って中国の指示を受ける(2)日本国籍を得た中国人に極秘に中国を訪問させ、日本帰国後は中国政府のための活動に従事させる。



米機密文書詳報(2-1)活動資金確保へ麻薬密輸 佐藤訪米で日本は軍事力強める
2002.05.02 産経新聞 東京朝刊 

 ■対日工作における中国と北朝鮮の協力関係

 一九五五年三月十八日、在日米軍第四四一防諜(ぼうちょう)部隊所属、ストーン大尉報告書

 貿易代表部副代表として日本に滞在するニ・ウェイティンは最近まで北朝鮮・平壌の中国大使館勤務だった。日本では政治問題を担当するとみられるが、ニについて日本外務省は朝鮮名がリー・ウングキルという北朝鮮軍少将だとの情報を寄せた。主な任務は覚醒(かくせい)剤や麻薬などの密輸とみられる。

 五六年九月五日、在日米軍第三作戦グループ所属、アーサー・ウォーターハウス特務員報告書

 米国の情報源であるC38は五六年八月十二日、中国銀行香港支店に口座を開こうとした。C38は口座開設で多額の融資を受けることを意図していたが、応対した融資係のファンはC38が五三年から五四年にかけて約十カ月間、中国で中国共産党についての“オリエンテーション・コース”に参加したと打ち明けた途端に親しく振る舞うようになった。ファンはC38を親中共と理解したようだ。ファンが口座開設に香港在住の紹介者がいると説明したので、C38は大阪市にある国際新聞社のL(報告書は中国名)前会長の名前を挙げた。これに対しファンは妙な顔つきになり否定的な態度を示した。

 C38の問いにファンは「これは極秘だが」と前置きしたうえで、「Lの口座は個人資産ではなく中国共産党と北朝鮮政府による公的隠し口座のようなものだ。日本と韓国に対する情報活動やプロパガンダ資金として使われている」と証言した。Lは当時、香港に自宅を構えているが、実際には住所は明確でない。

 C38は帰国後、東京にある東京華僑総会事務所を訪れ、同総会幹部と会話中にリ・ティエンチェンを紹介された。リは「日本の官憲が在日中国人の香港行きを監視しているので、香港への密航ルートをアレンジできる」と説明した。リによると、密航は千五百香港ドルの費用でビザ取得の心配もないという。同席した華僑総会幹部はC38に対し「リは(香港にいる)Lの工作資金の運び屋のような役割をしている」と説明した。

                  ◇

 ウォーターハウス特務員はこうしたC38情報を分析した結果、東京華僑総会事務所で紹介されたリは中国の対日工作員で、香港の工作資金を管理するLから資金を受け取り、日本に持ち込むクーリエ(運び屋)のような任務を負っていると報告している。

 六八年一月六日、在日米軍第七〇四情報部隊所属、ウィリアム・ヘーブリン特務員報告書

 ス・アン(四七)はストラート・トーワ(ダッジ・ロイヤル・インターオーシャン・ライン所有)の船員だが、同船舶は六七年八、九、十、十一月に麻薬密輸容疑で捜索を受けた。捜索が行われたのはシンガポール、香港、大阪などで、上海寄港中、スは船長以上の権威をみせ、横浜では中国曲芸団の舞台裏を訪問するのを目撃されている。シンガポール当局などはスが麻薬、金、時計などの密輸にかかわっているとみている。また、ファン・ジャンスン(三七)はロイヤル・ルイ号の船員として麻薬密輸に従事しているとみられている。

                  ◇

 ヘーブリン特務員は、スとファンが中国工作員だとは断定できないとしながらも、周辺調査からみて二人が麻薬密輸に深くかかわっており、中国がスパイ活動資金を麻薬密輸でまかなっていると報告した。

 ■国会議員や労働組合幹部への工作

 五五年三月十一日、在日米軍第四四一情報部隊所属、セイジ・オカザキ特務員報告書

 シン・エンピン(通称スー・シャン、二十七歳)は中国の元女優で対日スパイとして活動している。現在は東京都渋谷区に居を構え、香港にある南宋公司社長で元中共軍将軍のリ・クンリァンの指示で活動しているとみられるが、スーの活動対象は日本の国会議員に接触し、関係を保つこととされ、これまでの情報では月二百万円を費やしていると推測される。

 スーはとりわけ民主党議員で前内閣官房長官のN(報告書では実名)議員に接近、強い関係を築いたもようで、すでに多額の政治資金をスーが提供している。スーは中共統一戦本部支配下にある北京大学元農学部校舎を本部にする国際地下工作員訓練所で初期訓練を受け、五一年十月に香港に派遣された。さらに南宋公司のリの指示を受けて東京に潜入した。スーの実兄はそれ以前に東京に潜入、活動していたが、五四年十月、兄が台湾の国民党政府寄りになったとスーが報告したため実兄は中国に呼び戻され処刑された。

 在日米軍参謀部所属第五〇〇情報グループ特殊任務部隊報告書

 富士重工労働組合宇都宮支部のO(報告書では実名)は中国機械工業労働組合の招待で一九六三年六-七月に訪中した。そのさいオパールや月長石など高価な宝石類、絵画類など計五十万円相当と現金を持ち帰った。また、栃木県選出の社会党参議院議員、T(報告書では実名)に対してはダイヤモンドの指輪を中国要人からの贈り物として届けた。

 Oがこれら高額の宝石類を購入できたのは中国スパイの疑いのある在日中国人、スン・クンタイに、中国の知人から現金を預かってきてほしいと依頼され、その現金を借用したからだと説明している。また、TはOに周恩来首相あての紹介状を渡しており、指輪は周恩来首相かその周辺の要人からの贈呈品の可能性がある。

 Oは訪中後、日中友好協会宇都宮支部メンバーとなり「中国は労働者の天国」など中国礼賛の言動を強めている。

 ■中国スパイ網の実像

 五三年三月十七日、在日米軍第四四一防諜部隊所属、ロバート・ガンビーノ特務員報告書

 日本国内にH2機関と呼ばれる中国の対日工作網が設置された。H2機関はソ連情報機関の指導で設立された革命闘争前線委員会の支配下にあり、H2機関本部は香港に存在する。香港本部トップは李平凡だ。H2機関は日本国内に六つの支部を持ち、活動目的は米軍などに関する情報収集とともに「中日合作指導部」を通じた日本共産党への指導と監視にある。同指導部は五〇年ごろに設置されたとみられる。

 在日米軍第四四一防諜部隊佐世保支部所属、ジョン・マゾーラ特務員報告書

 中国対日工作グループについて次のような情報がI58によってもたらされた。このグループは中国からの帰還者で作られたもので「一〇一機関」、あるいは「中共帰国者情報機関」と呼ばれている。最上部組織は「中共政治華東局」で、その下に「対日人民工作軍政人員訓練団」が設けられた。訓練所は旅順・大連地区▽広東地区▽天津地区の三カ所に設置され、旅順・大連地区にはさらに東京担当、北九州担当、武器密輸担当の三グループがある。東京地区グループのリーダーは陳で、北九州地区は周だが、二人とも北京大出身の中国人でありながら中国からの帰還者第二陣に紛れて五三年に日本に潜入した。任務は日本におけるスパイ活動のほか日本共産党員に資金と武器を提供し革命を奨励することにある。

 一九五四年二月後半、周は長崎県平戸市周辺に二千丁の拳銃を密輸しようとして失敗している。近く中国紅十字総会の代表と中国新民主主義青年団の廖承志が友好を理由に当地を訪問するが、目的は日共党員との連絡とみられる。

 六七年八月二十六日、在日米軍第七〇四情報部隊所属、ウィリアム・ルビー特務員報告書

 日中友好協会にいる米側情報源によると、LT貿易(日中間の準政府協定に基づく貿易)に従事するS(報告書では中国名)は一九六七年四月、中国に呼び戻され、元日共メンバーの組織化失敗を強く叱責(しっせき)された。このため失脚が予想されたが、対日工作に戦術的変更があり、Sが再び反日共グループ組織化の責任者として派遣されることになった。

 新戦術は次の通り。(1)「毛沢東思想の研究」出版をこれまでの「毛沢東思想研究会」ではなく新たにつくる「合同産業会社」に委ねる。さらに販売は「日本出版販売会社」で行う(2)「毛沢東思想研究会」の元日共中央委メンバー、N(報告書では実名)を運営資金不正流用の疑いで左遷する。代わりに元日共メンバーで親中派のHらを任命する(3)新日本共産党の旗揚げを準備し、初代党首には西園寺公一を迎える(4)すべての親中派メンバーは日共の戦術を見習いそれぞれの組織にとどまって日共分子追放を目指す-など。