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「君たちは考えがプアだね」吉田茂の駐留軍=番犬論2010/05/28 08:41




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吉田茂 財布持たなかった宰相(100人の20世紀:57)
1999/02/14 朝日新聞 朝刊

 米ソの冷戦が始まっていた。米国は、日本を西側世界に組み込もうと対日講和を急ぐ。国際社会への復帰を最大目標とした吉田は、米国のその思惑を利用した。独立後も基地を使わせるという日米安保条約の締結にもためらいを見せなかった。

 だが、米国の性急な再軍備要求は断った。

 「今はまず経済力をつけて民生の安定を図ることが先決だ。日本は敗戦で国力を消耗し、やせ馬のようになっている。このひょろひょろのやせ馬に過度の重荷を負わせると、馬自体が参ってしまう」

 経済最優先で国を再建し、当面の安全保障は米国にまかせよう――。その吉田の選択が、以後の日本の進路を決めた。

 調印は五一年、サンフランシスコのオペラハウスで行われた。一階が調印式場で二階が報道関係、三階と四階が一般傍聴席だった。

 邦字紙「日米時事新聞」社長の梅津孜(つとむ)さんは傍聴席から見ていた。

 「高くて、谷底をのぞき込むようでした。吉田さんは体は小さかったが物おじするところがなく、立派なものだった。戦争中つらい思いをした日系人は、これでいくらか肩身が広くなるかなと感じたものです」

 その梅津さんも昨年十一月、七十八歳でなくなった。

 当時、若手代議士だった元農相の松野頼三さん(八二)は、調印を終えて帰国した吉田に、かつて秘書官を務めた気安さで尋ねた。

 「独立国になるのに、米軍が今まで通り居つづけるのはおかしいじゃないですか」

 そのときの吉田の答えを、今でも鮮明に覚えている。

 「世界は裸で歩ける情勢ではないし、日本はまだ自分で防衛する力を持たない。駐留軍というが、番犬と考えればいいのだ。しかも経費は向こう持ちだよ。君たちは考えがプア(貧弱)だね」

 松野は、親英米派だと思い込んでいた吉田が、米国を番犬呼ばわりしたのに驚いた。

 イデオロギーにとらわれない実利主義――。それは、財布を持たない人間の、生来の経済感覚だった。