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「沈まぬ太陽」と「沈まぬリベラル・バイアス」2009/10/21 01:21

毎日新聞:小倉寛太郎



今や日本のGM(ゼネラル・モーターズ→ガバメント・モーターズ)と揶揄される日本航空。
高コスト体質に加えて労組問題を抱える点でも似たもの同士。

そして、「日航再建の参考に」と言わんばかりの映画が10月24日から公開。
その映画とは山崎豊子原作の「沈まぬ太陽」。

渡辺謙が演じる主人公・恩地元のモデルとなった人物は元日航労組委員長の小倉寛太郎。
ノンフィクションとフィクションの狭間で美化される主人公たち。
リベラル・バイアスに敏感な私の鼻がピクピク反応する。

なんとこの映画は3時間22分の超大作。そのため10分間の休憩があるとのこと。
休憩の合間に観客を見渡せば、今は亡き小倉を慕う団塊な人たちと出会えるかも。

リベラル・バイアス天国日本にあって、何ら疑問を感じることなく映画に魅入る人たち。
JALはソフトに沈んでもリベラル・バイアスは決して沈まない。
JALに続くはJP(日本郵政)か。そして日本はゾンビ天国。

その時、「沈まぬリベラル・バイアス」を支える団塊パワーの凄まじさを思い知ることになるだろう。



<関連記事引用>

[追悼抄]10月 元日航労組委員長・小倉寛太郎さん
2002/11/10東京読売新聞朝刊

 ◇おぐら・ひろたろう(10月9日、肺がんで死去、71歳)

 ◆「沈まぬ太陽」主人公のモデル 企業論理に信念曲げず

 涙で途切れ途切れの声を全身から振り絞るような感謝の辞だった。十月二十一日夜、東京・市ヶ谷のホテルで開かれた「お別れの会」に、ベストセラー小説「沈まぬ太陽」を書いた作家、山崎豊子さん(78)は病身を押して車いすで駆けつけた。「あなたがいなくなっても、読者のなかに主人公は生き続けるでしょう」

 小倉さんは一九六一年、日本航空労組の委員長に就任。結成以来初のスト権を確立して交渉に臨み、冬のボーナスの大幅アップを実現した。二年に及ぶ委員長時代、臨時職員の正社員化や警備員の労働時間短縮を要求した。後輩の若月司郎さん(65)は「要求にはいつも、弱者救済の視点があった」と話す。

 委員長を退いた七か月後からカラチ、テヘラン、ナイロビと十年近い過酷な海外勤務を命じられる。この間、日本では交通機関の戦闘的な労働運動が高度経済成長の波にのみ込まれ、企業の論理が前面に打ち出されていく。日航労組も分裂し、第一、第二組合間の争いが繰り広げられた。

 山崎さんは小倉さんに千時間を超す取材を重ねた。その信念を曲げない生き様と組織の非情さを、九九年に刊行が始まった「沈まぬ太陽」の主人公・恩地元に重ねた。

 組合員の「名誉回復の書」と小説の出版を喜んだ小倉さんだったが、自らがモデルとなったことについて、「当たり前に生きてきた自分が珍しがられる。世の中の方がおかしいのではないか」とも話していた。

 芯(しん)の強さは若いころから。東大時代の友人、前田知克弁護士によると、学生運動で逮捕されて黙秘を続け、指紋を取られそうになって、ストーブに両手を押しつけたこともあったという。

 望まないナイロビ勤務ではあったが、小倉さんはアフリカの大地の魅力にとりつかれた。最初は銃、後にカメラを持って、動物と正面から向かい合った。七一年に日本人として初のケニア政府公認プロハンターの資格を得た。ナイロビの自宅には、俳優の渥美清さんや映画監督の羽仁進さんら、多くの日本人が招かれた。七六年には「サバンナクラブ」を設立し、密猟者に父を殺された子供の教育を支援したり、車や学校を寄付したりして、アフリカと日本の懸け橋となった。

 羽仁さんは、今春、小倉さんが「日本の企業は東アフリカにもう少し恩を返すべきだ」と話していたのを思い出す。その言葉を「最後の願い」と受け止めている。(小坂剛)


【ひと】社民党幹事長になった 福島瑞穂さん
2001/10/31西日本新聞朝刊

 ●社民党幹事長になった 福島(ふくしま)瑞穂(みずほ)さん

 高校一年生の時、旺文社の「世界ジュニア特派員」に選ばれ、旧ソ連から英仏独米と一カ月かけて世界を一周した。

 「国境を越えると文化や雰囲気ががらりと変わる。地球は広くて狭いなーと、ものすごく新鮮でした。あの体験に、その後の私は大きな影響を受けました」

 祖父母、両親とも熊本県出身。本人も宮崎県延岡市生まれの「生粋の九州人」だ。宮崎大宮高から東京大へ。

 事実婚の海渡雄一弁護士とは、入学した日にサークルで知り合った。以来三十年近い付き合いで、二人三脚の熱血弁護士夫婦だ。若き海渡氏が日航ジャンボ機墜落事件の被害者弁護団として汗を流す様子は、小説「沈まぬ太陽」(山崎豊子著、新潮社)に詳しい。

 「アドバイザーでありブレーンでもありパートナーだけど、愚痴を聞いてくれて、寄り掛かると楽チンなクッションかな」

 弁護士として、コメンテーターとして、参院議員として奔走。思わぬ大役を土井たか子党首から要請されても「はい分かりました」と二つ返事で引き受けた。「辻元清美政審会長と二人、助さん格さんで黄門様(土井党首)を支えます」

 経験不足を指摘する声もあるが、民主党幹部の仙谷由人氏は弁護士事務所の上司、菅直人幹事長とも携帯電話で直接やり合うなど、独自の人脈をもつ。労働事件を数多く手がけ、労組との関係も実は深い。

 「議員としての任期はあと二年。憲法改正、雇用、経済とどれをとっても、この二年は日本にとって境目になる。不安はあるけど、今思う存分やらなきゃいつやるんだと、腹を決めました」。家族三人で川崎市に暮らす。四十五歳。 (東京報道部・宮崎昌治)


<関連サイト>

映画『沈まぬ太陽』公式サイト
http://shizumanu-taiyo.jp/

小倉寛太郎「私の歩んできた道」
http://minseikomabahongo.web.fc2.com/kikaku/99ogura.html
小倉寛太郎・年表
http://minseikomabahongo.web.fc2.com/kikaku/ogura-siryou1.html

「小倉寛太郎さんお別れの会」についてのご報告
http://www.jca.apc.org/~yyoffice/69OguraKantarou-Owakarenokai.htm

小説「沈まぬ太陽」余話(Ⅰ)
http://www.rondan.co.jp/html/ara/jal2/asahi.html
小説「沈まぬ太陽」余話(Ⅱ)
http://www.rondan.co.jp/html/ara/jal2/sincho.html
小説「沈まぬ太陽」余話(Ⅲ)
http://www.rondan.co.jp/html/ara/yowa3/index.html


<画像引用>

サバンナにみせられ、動物たちにいやされ…小倉寛太郎さんら写真展 /東京
1999/10/27毎日新聞地方版