Google
WWW を検索 「園田義明めも。」を検索

中国解剖(2):歪み抱える「海の中国」、「山の中国」2009/08/10 08:11

「海の中国」、「山の中国」の経済格差


中国分析数あれど、バランスの取れた内容となると日本ではなぜか少ない。
そうした中で野村総合研究所の此本臣吾氏の「海の中国」、「山の中国」に注目。

中国は「先富論」から「和諧社会」への転換を試みるも海と山の経済格差は改善されず。
そして、新疆ウイグル暴動は起こるべくして起こった。

日本では民族問題ばかりに注目が集まるが、実際には経済格差の問題の方が大きい。
貧富の差を示すジニ係数も暴動警戒ラインの0.4を越えた状況が続いている。

海と山の二つの中国。二つの間に歪みがある限り、中国は安定しない。
当然中国が抱えるこの弱点を最大限に利用しようと目論む外国勢力も現れてくるでしょう。
まさに米英が得意とするところ。中国が出過ぎた時には牙をむく。

それでは昨年の週刊エコノミストに掲載された此本氏の論文を紹介させていただきます。


<此本臣吾氏論文引用>

〔特集〕改革・開放政策から30年 市場経済のひずみは限界に達した-中国大失速
2008/07/22週刊エコノミスト

胡錦濤政権の試練
改革・開放政策から30年
市場経済のひずみは限界に達した

改革・開放政策を打ち出して30年。中国は様々な矛盾を抱えながら発展してきたが、次第にその矛盾を抑えられなくなってきた。

此本臣吾(野村総合研究所執行役員)

 中国にとって20世紀は豊かさを求めて格闘を続けた世紀であった。

 1949年の中華人民共和国成立後、毛沢東は公有制を主体とする経済体制を主導し、中国は世界で最も貧富の格差が小さな国家となったが、経済発展の活力が失われてしまった。78年からトウ小平が「小康」社会(安定した状態にある社会)を目指し、社会主義を標榜する中国共産党による実質的な一党独裁下で経済の資本主義化を進めるという社会主義市場経済(改革・開放政策)を導入した。それから30年、中国はようやく豊かさを手にするところとなった。 

 トウ小平が指導した社会主義市場経済は、「先富論」(沿岸都市部から先に豊かになり、その恩恵が後に内陸や東北の、経済発展から遅れた地域へも波及するという考え方)とも呼ばれる。

 概念的には中国を「海の中国」(沿岸部)と「山の中国」(中西部・東北部)に分けて、海の中国では経済の資本主義化を進め、外資を導入し、投資と輸出を活発化させて中国経済の牽引車とする。一方、山の中国では、海の中国で吸い上げた税金を還流させ(財政移転)、海の中国の企業からの投資、出稼ぎ労働者からの送金をてこに、経済発展を促す。海から山へは資金が供給され、山から海へは労働力が供給される。海側から先に豊かになるが、いずれは所得再分配効果が働いて山側も豊かになるという考え方である。

「低福祉・低人権」の下での成長

 しかし、現実はどうであったか。時とともに縮むはずの海と山の経済格差は逆に拡大してしまった。東部地域は総人口の35%を占めるに過ぎないがGDPでは60%を占めている。図に示すように、都市と農村の所得の格差も広がった。2002年から06年までの農村の1人当たり純収入の年平均伸び率は6%であり、GDP伸び率を下回っている。

 農村部の生産適齢人口は4・9億人と言われているが、都市への出稼ぎや郷鎮企業などの、農業以外での就労者が1・8億人、農業従事者は3・1億人である。しかし、現在の耕地面積からすると必要な労働力は1・7億人に過ぎず、つまり差し引きで1・4億人もの余剰労働力を農村は抱えている。これらの人々は海の中国の経済的な反映とは全く無縁な生活を送っている。

 農民の土地財産の法的保護が不十分であるところに付け込んで土地の強制収用が乱用され、全国で少なくとも5000万人近い農民が土地を失ったといわれている。耕す土地を失えば都市に移住するしかないが、十分な教育を受けていない農民は職にも就けず、都市戸籍を持たないので行政サービスも受けられない。

 この事態に対し、06年には、農村の産業基盤に対する特別財政支出(06年予算で総額5兆円)、義務教育の学費免除や技能訓練教育などの人材の育成(同、総額3・3兆円)、農村での医療保険制度、最低生活保障など、農村問題解決に向けた包括的な政策が打ち出された。しかし、問題の深刻さからみればその解決は容易ではない。

 一方、先富論の恩恵を得た沿岸部においても、問題は山積している。輸出の担い手である華南地区の輸出加工企業は、過酷な労働環境下でも低賃金で働いてくれる出稼ぎ労働者によって支えられてきた。今の中国の輸出を支えているのは、労働者にとって「福祉もなく、人権もない」という特殊な制度下で生み出されたコスト競争力である。

 低福祉、低人権に立脚する現状から脱皮するには、それらの改善によるコスト上昇を吸収するだけの技術や生産性の高さ、つまり中国自身の産業の高付加価値化を実現しなければならない。

和諧社会への戦略転換

 02年の中国共産党第16回党大会では、経済の発展と同時に社会の調和も必要とする「全面小康」が提起され、06年には社会主義和諧社会を専門的に討議する共産党中央の正式な決定が出された。昨年秋の第17回党大会で和諧社会を含む概念として採択された党規約(科学的発展観)においては、「全面的で協調の取れた持続可能な発展」という表現がなされている。

 全面的とは、経済だけではなく、社会、政治、文化、生態環境などの各方面の発展に着目すること(経済一辺倒の成長は認めない)、協調とは各方面の発展がお互いに結びつき、お互いに促進し合い、良性的連動性を持つこと(ある一部地域だけの突出した成長は認めない)、持続可能とは、将来の発展の必要性を考慮すること(環境問題、エネルギー問題など将来に禍根を残す成長は認めない)を意味する。

 また、05年2月に胡錦濤国家主席は地方政府幹部との討論会における講和で、「社会主義和諧社会とは、民主法治が実現され、公平正義な、誠心友愛に溢れ、活力に満ち、秩序があり安定し、人と自然が互いに調和されている社会である」と述べている。ここでの和諧社会には、単純に経済格差がない、環境にやさしいということだけではなく、法治であるとか、文化・精神、社会治安という広範な国家の有りようそのものを含んでいる。

 1949年から改革開放前夜までの約30年をイデオロギーと計画経済の時代とすれば、78年から現在までの30年は先富論と市場経済の時代であった。先富論による30年間で沿岸部を中心に「小康」は達成されたが、その副作用が各所にひずみとなって蓄積されている。このひずみは放置すればするほど将来に大きなつけとなって返ってくる。今の中国はこれ以上、先富論を続けることはできない。先富論に代わる新たな国家指導理念を必要としているのである。

江沢民路線からの脱却

 江沢民前政権は00年に「3つの代表」理論(私営企業家の共産党への入党を可能とする根拠となる)を発表するなど先富論の強力な推進者であった。江沢民がいわゆる上海閥と称されたように、支持基盤が「先富地域」であることから、それは当然の成り行きでもあった。

 地方の貧困、格差への関心がそう高くはなかった前政権時代において、上海や広東という先富地域はわが世の春を謳歌していたのである。それに対し、胡錦濤は、貧しい地域の典型である安徽省の生まれで、入党後も貧困地域での業務経験が多かった。彼が03年に国家主席に就任して以降、この空気は一変する。

 上海や広東といった先富地域の自由度を高く持たせた江沢民時代の延長線上では、先富地域から富が後進地域へ再分配されるという「先富論」の成果は得られなかった。かといって先富地域から切り離して後進地域をいきなり市場経済化させても経済は発展しない。かつての自民党政権下の高度成長期の日本もそうであったように、ある発展段階においては地方の経済開発には中央からの強力な財政移転が必要である。

 しかし、先富地域の自主性を重視する江沢民政権ではそのような強制力は働かず、むしろ先富地域は自らの富を自らの将来のために使い、施政者の権力も財力とともにますます強大化して中央も手に負えなくなってしまった。

 胡錦濤政権は、2期目に入る直前の07年に上海市のトップである党委員会書記の陳良宇を逮捕、さらに党籍剥奪とした。また、広東省共産党委員会書記に胡錦濤と同じ中国共産主義青年団出身の汪洋を任命、地方での行政経験の長い郭金龍を北京市長に就任させるなどの人事改革を断行した。

 先富地域が自らの富を自らのためにしか使わないとすれば、それではいつまでたっても後進地域の経済開発は実現できない。胡錦濤政権は2期目に入り、中央からのコントロールが利くように人事体制を固め、和諧社会の推進体制を整えた。

産業の高度化と再配置が鍵に

 地域間の経済格差を是正するには、まず、中部、西部、あるいは東北部での産業振興を図る必要がある。また、沿岸部では労働者の福祉や所得が向上してもそれを吸収できるだけの付加価値の高い産業の定着が必要である。労働集約的な産業は沿岸部から中西部や東北部へ移転させ、沿岸部は新たに技術集約、資本集約型の新産業、あるいは、雇用の受け皿としての第3次産業を発展させる。中国政府はこのような産業再配置を進めたいと考えている。

 沿岸部にある輸出専門の労働集約型工場にとって、いくら労賃が安く、優遇措置があっても、物流費が嵩む内陸の奥地へシフトすることは難しい。しかし、交通インフラを整備すれば沿岸部から数百キロ程度の中部地域であれば工場移転も可能である。

 一方、沿岸部の産業高度化においては外資企業への期待が大きい。今年に入り、一律的な外資優遇税制は廃止されたが、ハイテクや環境・インフラ、先進サービス業向けには新たな優遇税制が施行された。海外からの投資の6割が製造業であり、また、投資の9割が沿岸地域に集中している。これからは「外資ならば何でもいい」というわけにはいかない。外資企業に対しては、沿岸部に進出するのであればハイテクやサービス業を優先し、労働集約的な工場であれば内陸へ進出するように圧力がかかるだろう。

 通信機器の「華為」、自動車の「奇瑞」など独自技術で輸出を目指す内資企業も出始めているが、まだまだ技術力では世界で競争するレベルには達していない。人材や技術への投資を惜しまず、長期的な視点で競争力を高める内資企業がどれだけ出てくるであろうか。1つの可能性は、これからの中国を担う20代、30代の人材である。彼らは留学経験があり、国際的な経営ノウハウを身につけ、旺盛な事業意欲を持っている。

 インフラの整備とともに労働集約型工場を内陸にシフトさせて後進地域の経済開発を軌道に乗せ、同時に、先富地域では高付加価値型の産業を育成する。こうした産業再配置が成功すれば、沿岸部と内陸部が相互補完的に連携し合う経済成長が実現できる。

権利に目覚めた国民

 中国国民の間に、江沢民時代は上海や資本家が重視され、地方や農民は置き去りにされたという意識がある一方で、胡錦濤政権の政治は「親民政策」、弱者の味方であるという受け止められ方をする。

 今年初めの中国南部での雪害、5月の四川大地震など、大災害があれば温家宝首相がすぐに現地に飛び、陣頭指揮をする姿が全国に放映される。民にできるだけ近くわが身を置き、下層の人々の利益を守る。これまでの歴代の高圧的な中国共産党政権とは違って、胡錦濤政権の「人民への圧力」は明らかに弱められている。

 ただ、少女殺害事件の隠蔽の疑いに端を発した今年6月28日の、貴州省甕安県で発生した数万人規模の暴動、あるいは、これほどの大規模でないとしても地方政府への不満が発端となる小競り合いは日常的な出来事になっている。かつてなら泣き寝入りが当然であったものが今ではマスコミに訴えるなどの手段を使い、住民も強硬手段に打って出てくる。

 また、中国では08年1月から新労働契約法が施行された。これにより、労働者の権利が明確化され、労使協調や労働者側に有利な雇用契約が義務づけられた。胡錦濤政権は経営(資本)寄りではなく労働者寄りである、との見方が常識化し、それが、労働者の権利意識の高揚、その結果として労使紛争の多発、という動きにつながっている。

 個人の権利が強まるなかで、中国は社会の各所で利害衝突が多発する時代に入っている。これまでは口をつぐんでいた人々が自由に不平や不満を口に出すようになってきた。上からの圧力で塞がっていたパンドラの箱が開いてしまった。和諧社会とは逆説的であるが不安定化する社会でもある。人々の法治意識、地方自治機能、公正な裁判や調停のための司法機能など社会の様々な仕組みが向上し、社会における紛争や衝突が安定化するには10年以上の時間を要するのではないか。和諧社会の実現が近づくほど、社会の安定をどう保つのかという経済格差以上の厄介な課題が浮上するだろう。

 改革開放の次の国家戦略として提起された和諧社会建設。その実現の鍵を握るのは、地方への指導力、産業再配置、社会の不安定化の抑止力、ではないかと考えている。


<関連サイト>

中国事業のリスクに 日本企業はどう対応すべきか(画像引用)
http://www.nri.co.jp/opinion/chitekishisan/2005/pdf/cs20051003.pdf

中国の目指す新国家像としての 「社会主義和諧社会」
http://www.nri.co.jp/opinion/chitekishisan/2007/pdf/cs20070903.pdf

第 1 章 中国における社会保障制度の歴史的発展(画像引用)
http://www.mof.go.jp/jouhou/kokkin/tyousa/2103chinatyousa_04.pdf

貧富の差を示すジニ係数、警戒ラインの0.4超え上昇続く―中国
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090521-00000006-rcdc-cn

中国解剖(1)
http://y-sonoda.asablo.jp/blog/2009/08/05/4479809

イルカ親善大使には誰がいい?(2)2009/08/10 20:53





イルカ親善大使には誰がいい?(1)
http://y-sonoda.asablo.jp/blog/2009/08/09/4499193