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「昭和の教祖」こと安岡正篤と楠木正行2009/08/06 08:02

南朝後裔を名乗った安岡正篤


「俺は、楠木正行を助けて南朝のために戦死した堀田弥五郎正泰の末裔だ」

 安岡は、生涯のあいだに何十回となく周りの人たちにこんな話をして祖先と血統を自慢した。
 
 全国師友協会残務委員会発行の『安岡正篤先生流芳録』に収録されている上松貞治郎の「津島神社と安岡先生の先祖」という一文によれば、昭和二十七年(一九五二年)七月、愛知県を訪れた安岡は、上松にもつぎのような話をしたという。

「自分の実家の堀田家は尾張の出身で、尾張の津島神社の近郊に堀田庄の主として栄えていた。津島神社の境内の一隅に、堀田弥五郎正泰が、堀田の姓祖は武内宿禰を夢見て、武内宿禰を祭神とする立派な社殿を建立し、今も堀田弥五郎殿として祭られている筈である。その後、堀田弥五郎正泰は楠木正行に味方して四条畷で戦死している。また佐倉の元大名、堀田家は、姻戚の稲葉家に再婚した春日局が徳川家康に推挙して、堀田の一族中より大名に取り立てられたのである。堀田家の系図一切は自分が保管していたが、戦災により惜しくも全焼したので、一度、津島神社と堀田弥五郎正泰に参詣したいと思っている。」

以上、「安岡正篤 昭和の教祖」塩田潮(文春文庫) 第三章「南朝の後裔」より引用
http://www.amazon.co.jp/%E5%AE%89%E5%B2%A1%E6%AD%A3%E7%AF%A4%E2%80%95%E6%98%AD%E5%92%8C%E3%81%AE%E6%95%99%E7%A5%96-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%A1%A9%E7%94%B0-%E6%BD%AE/dp/4167516020/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1249479955&sr=8-2


<画像引用>

安岡正篤プロフィール
http://www.chichi-yasuoka.com/profile.html

コメント

_ えの ― 2009/08/07 00:36

堀田氏
http://www.harimaya.com/o_kamon1/syake/middle/s_tusima.html
「系図によれば、京都の八坂神社の執行職を務めた俊全の子俊重が尾張津島天王の祀宮職の始めと記されている。」
八坂神社
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/yasaka/shrine/index.html
「平安京建都(794)以前より八坂神社のある東山一帯はひらけた場所で、渡来人であった八坂造(やさかのみやつこ)一族が住したところであった。」
「八坂神社の創祀を社伝では斉明天皇2年(656)と伝えている。この年には高句麗の使い伊利之(いりし)が来朝し、彼は八坂造の祖先である意利佐(いりさ)と同一人物と考えられているので、社伝の説をあながち荒唐無稽なものとして退けるわけにはいかない。」
系図によれば堀田氏の祖は高句麗系渡来人。

_ Y-SONODA ― 2009/08/07 02:13

えのさんへ

>系図によれば堀田氏の祖は高句麗系渡来人

確かにそういう説もありますよね。
やはり渡来同士の権力抗争もあったのでしょうか(謎)

_ Q ― 2009/08/07 02:50

一応、こういうソースがある。
堀田家自体は、家系的には、紀氏の家系だが、途中で八坂造から婿が入っている。つまり、途中で渡来系氏族に入れ替わった可能性がある。

http://www.harimaya.com/o_kamon1/syake/kinki/s_yasaka.html

あと、江戸時代に国学を広めた本居宣長も、諸蕃(渡来系)の秦氏の家系じゃなかったか?

_ Y-SONODA ― 2009/08/08 08:55

Qさんへ

本居宣長が秦氏の家系かどうかは検証要だと思いますが、
やはりこのような仮説が成り立ちそうですね。
「日本のエスタブリッシュメントの源流は渡来系である」
「日本のパワーラインの源流は渡来系である」

こんな本を出したら大騒ぎだろうなぁ。
袋叩きにされるかなぁ。

_ Q ― 2009/08/08 10:13

ミステリ読み物としては、面白いかも...いや、たいして、面白くないか...ちなみに、大名の堀田家は、養子が入りまくりですね、江戸時代...

_ Q ― 2009/08/08 11:00

もしかして、園田さん、勘違いされてそうだから言いますが、渡来系とは、新撰姓氏録では、諸蕃というカテゴリに振り分けられていています。

まさか、園田さんは、武内宿禰後胤を渡来系とみているのでは? 武内宿禰系は、一応、皇別氏族で、男系で見たら、神武天皇以降の皇統から分かれた家系です。むろん、母方から渡来系氏族の血が混じっている人もいたのでしょうが...

新撰姓氏録にある氏族

天津神の系譜
天神系・・・葛木の高天出身の譜代豪族
天孫系・・・葛木の高天出身である王家の親藩豪族。
皇別系・・・天孫系の中で、神武天皇以降に分かれた親藩豪族

国津神系
地祇系・・・王家から見たら外様豪族。中でも、出雲系は有名。

渡来系
諸蕃・・・渡来系。日本以外の外国出自の豪族。漢系、百済系、新羅系、高句麗系などがある。最大派閥は、漢系で圧倒的に多い。

その他、未詳。蝦夷とか、熊襲とか、いろいろ。不明の成り上がりぽいのもある。

_ えの ― 2009/08/08 12:40

>「日本のエスタブリッシュメントの源流は渡来系である」

伽耶・倭国連動論
http://mugentoyugen.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_d2fa.html
日本の中の加耶の不思議
http://www.musubu.jp/kashimakayanazo7.htm
室伏志畔『王権論の向こう側』
http://www.doujidaisya.co.jp/kodaisi_syohyou4.html

_ P ― 2009/08/08 16:04

今歴史を学んでいる最中のPです。

Qさんに教えていただきたいのですが、、

Qさんのお話では、「天津神系」が「国津神系」 から国譲りを受け天皇家(大和朝廷)を立てた ということですね。
「天津神系」は「国津神系」でもなければ「渡来系 」でもないというと、どういった人たちのことなのでしょうか?

また、大和朝廷に先行する葛城王朝と呼ばれる王朝があったそうですが、この王朝の人たちとどういうご縁があるのでしょうか?

このあたりのことがもう一つよく分からないのです。

以前にご紹介頂いた高天彦神社のことがウェブに出ていました。
http://takama.sakura.ne.jp/takamahikojinjya
このページにあるご由緒の掲示板の写真では、葛城王朝は滅びた後、平群、巨勢、蘇我の豪族として栄えたとありますが、

以前にQさんにご紹介された高天彦神社のページ、
http://www1.kcn.ne.jp/~uehiro08/contents/parts/97.htm
には、
「本社は大和朝廷に先行する葛城王朝の祖神、高皇産霊尊を奉斎する名社であります。」とパンフレットの由緒の先頭に書かれていて、天孫降臨の際にこの高天彦神社のご祭神がお世話申し上げたとあります。

この二つのご由緒(写真の掲示板とパンフレット)によりますと、高天彦神社のご祭神は「天津神系」ではなく、葛城族の祖神ということになりますね。

ということで、「天津神系」の人たちは本当にどこから来たのかわからなくなりました。古来から高天原に住んでいた人たちが居たということなのでしょうか?

よろしくご教示をお願いします。

_ Q ― 2009/08/08 18:23

渡来系=諸蕃といって、新撰姓氏録では、そういう振り分けになっているんだよ。

で、園田さん?も、えのさんも、その他のミステリ作家さんとかも、よく勘違いしている人が多いんだが、天神系、天孫系というのは、渡来系ではないから(笑) 井沢元彦とかも、勘違いしている(笑)

本当に、ここんとこの認識の崩壊している人の多いこと。どうやら、単純に「天からきた」と日本書紀になっているから、これは外国に違いないとの思い込みがあるようだ。

>Pさん

ちゃんとした系図をしらべれば分かるよ。
それに、本来は、葛木≠葛城であり、でも、結構、後世の人は、ごちゃごちゃに解釈しているな。だから、ネットにある系図なんかでも、葛木=葛城となっている場合が多いが...

天津系とは、天神系、天孫系、皇別系の総称だ。
国津系とは、地祇系のこと。
ここんとこ、混乱している人の多いこと。

そうだな、徳川幕府の幕藩体制にたとえると分かりやすい。

天津系
 天神・・・譜代大名みたいなもん
 天孫・・・親藩大名みたいなもん
 皇別・・・御三家・後三卿みたいなもん

国津系
 地祇・・・外様大名みたいなもん

となり、渡来系には、上のいずれでもない「諸蕃」というカテゴリに分類された。

で、そこのHPにある大和王朝に先行する葛城王朝とは、正しくは葛木王朝のことと思われ、当然、その葛木王朝も天津系であり、その中でも天神系と分類されている一族だ。
で、徳川幕府にたとえるのなら、葛木王朝というのは、水野家とか、吉良家とか、そんな感じだろう。格式からいったら、吉良家だが、初代皇帝の母方の一族だったということなら、水野家に近い。その葛木(元来は、葛城とは区別されていたはず)一族と同族には、大伴氏、鴨氏などがいる。いずれも、高皇産霊尊(高木神)を祖神としている。

_ X ― 2009/08/08 18:42

今までも疑っていたんですけど~。
ひょっとしてQさんて記紀オタクの2ちゃんねる系の方?
なんか駄々っ子のお子ちゃまみた~ぃ。

いつもなんか上から目線発言連発。感じわるーぃ!
そんなに偉い人なんですかぁぁ?

_ P ― 2009/08/08 23:32

Qさん

なんか突然言葉遣いが変わるんですね。

>で、そこのHPにある大和王朝に先行する葛城王朝とは、正し
>は葛木王朝のことと思われ、当然、その葛木王朝も天津系
>であり、その中でも天神系と分類されている一族だ。

これはQさんの推測ですか?
根拠も示さずに断定されるのは、記紀をはじめ文献資料をしっかり読み込んでおられる方とは思えないのですが?

>当然、その葛木王朝も天津系
ということでしたら、それを裏付ける信頼できる系図や文献があるのでしょうか?
殆どの人はそのことを知らないのでしょうから、学問的にも認められている根拠がありましたら提示すべきではないでしょうか?

さらに高天彦神社さんが掲示しているご由緒(葛城王朝は滅びた後、平群、巨勢、蘇我の豪族として栄えた)は誤りだと仰っているわけですね?
高天彦神社さんが葛木と葛城を間違えるわけないですからね。

これまで園田さんのブログをずっと読んできましたが、コメントを入れる方の内容もレベルも高く、貴方のような言葉遣いをされる方はいませんでした。

最近他の方が「園田さんのブログという場所を使って自分の主張だけをする方は、園田さんの判断でコメントを削除してもいいんではないか」と仰っていました。

コメントでいろいろな情報提供をして下さって、それを対話という形でやりとりすることでお互いに考えを深めることができる。
コメントにはそんな意味を感じているのですが、貴方の場合は根拠も示さず自分の考えを断定的に書くだけで、ご自身の言いたいことを主張しているだけのように思います。

_ Q ― 2009/08/09 00:31

Pさん

>当然、その葛木王朝も天津系

これは、新撰姓氏録に出ているから、そうとしか言いようがありませんね。
国津系とは、出雲の大国主命の系譜がそうですね。
天津系とは、高天原(葛木の高天)出身で、高皇産霊尊、天照大御神、神皇産霊尊などの系譜です。

結構、系図の婚姻関係をみたら、古代の神話時代の神々(豪族たち)の権力構造が分かったりします。つまり、神代系図の男系系譜だけをみるのではなく、女系系譜のほうもみても、かなり、よく分かると思います。

葛木と葛城を区別していたというのは、飛鳥時代に、武内宿禰系は葛城氏とし、それとは別系譜の葛木氏というのもいました。ここんとこが、後世でも、ごちゃごちゃになっています。葛城の地名由来が、日本書紀に書いてあり、神武東征の時です。ですから、それ以前から、その地方にある豪族系には、葛木と区別していたと、どこかで読みましたが、その資料は覚えていません。すいません。

上の、徳川幕藩体制の大名区分を例えに、新撰姓氏録の豪族系譜を区別したのは、結構、分かりやすいと思います。
ある意味、天神系というのは、三河譜代みたいな感覚ではないでしょうか?

_ Q ― 2009/08/09 00:43

戦国時代に例えると、分かりやすい。

例えば、三河の場合、

ここの領主は、もとは吉良家でした。しかし、そこに松平家が新興勢力として台頭してきたということでしょうか。
一方、全国レベルでは、京都の足利家とか、その後は織田家が天下人ですよね、一応。


神代、葛木の高天の場合

ここの領主は、高皇産霊尊の系譜であり、大伴氏などの先祖ですね。そこへ、天忍穂耳命(神武の4代前)が台頭してきた感じでしょうか...
それで、この天忍穂耳命は、高皇産霊尊系の王女と結婚するんですよね。その間に誕生したのが、天火明命(尾張氏の先祖)とニニギ命(皇室の先祖)ですね。
一方、全国レベルでは、出雲の大国主命の天下ですよね。

_ Y-SONODA ― 2009/08/09 01:43

Qさん&えのさん&Pさん&Xさんへ

なんか相当邪魔臭くなってきたので、この議論から逃げマースw
八咫烏よ、お前はどこから来たんだ?
そんなの「カラスの勝手でしょ」。
ということでさっさと飛び立ちますね(カーカー)

_ P ― 2009/08/09 02:48

園田さん

この話題は打ち切りということですね。

了解致しました。

_ Q ― 2009/08/09 06:07

すいません。
私も、現段階では、あんまり確信的なことは言えません、少なくとも、ここのブログのコメント欄では。自分の中でも、もっと具体的に言えるんだけど、今の段階では秘密にしておきたい。ここで出しても、一銭にもならないから。すいません。

ただ、私の言っていることって、古事記、日本書紀、風土記、旧事本紀、国宝海部氏系図、新撰姓氏録に記載されていることを、そのまま言っているだけなので、説明しようがない。

だから、精一杯、別の時代をたとえにするしかなかったのです。

>当然、その葛木王朝も天津系
>ということでしたら、それを裏付ける信頼できる系図や>文献があるのでしょうか?
>殆どの人はそのことを知らないのでしょうから、学問>的にも認められている根拠がありましたら提示すべきではないでしょうか?

だから、新撰姓氏録を見てくださいとしか言いようがないそういう文献があるんでしょうかって、記紀や新撰姓氏録に記載されているのだから、ちゃんと見てくださいとしか言いようが無いのです。殆どの人が知らないのは、殆どの人がちゃんと文献を読んでないからでしょう。私が列挙した文献を読んでください。

_ Q ― 2009/08/09 06:41

一応、ネットにある文献のめぼしいソースです。

原文を読むのがベストですが、手間がかかるのなら、以下の口語訳が参考になる。ただし、細かいところは、やはり原文を読むべきでしょう。

私本日本書紀
http://www.loops.jp/~asukaclub/syoki.html

神々の宴
http://www.loops.jp/~asukaclub/kami_h.html

国土としての始原史~風土記逸文
http://homepage2.nifty.com/toka3aki/geography/fudoki_itsu.html

先代旧事本紀の世界
http://mononobe.nobody.jp/kujihonki/index.htm


各豪族の出自についての参考資料です。
どの豪族が、新撰姓氏録では、どこに分類されているか、参考になります。

日本の苗字7000傑 各種一覧 国造一覧
http://www.myj7000.jp-biz.net/table/kokuzou.htm
姓氏類別大観
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/02.htm
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/clan_index.htm


一応、おもいついたソースです。他にも良質のソースはあると思います。

Pさんらに批判されて私は動揺していますが...たとえば、高皇産霊尊を祖神とする豪族の出自が天津系というのは、上で紹介した系図のソースを見れば分かります。

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