Google
WWW を検索 「園田義明めも。」を検索

朝日新聞の早野透氏に物申す2009/08/02 16:23

早野透


超面白い記事を発見!
朝日新聞コラムニストの早野透氏にツッコミを入れてみます。

>非核三原則はやはりいかさまだったらしい、アメリカ艦船の核持ち込みをこっそり認める密約が国民への背信であることはいうまでもない。

背信って・・・(ポカ~~~ン)

>だが、鳩山由紀夫民主党代表が口走ったように、じゃ、これからは密約でなく、核持ち込みには「現実的対応」で、となれば非核三原則は崩れることになる。

どう考えてもそうなります。
将来のために、今こそちゃんと議論しましょうよ(トーゼン!)

>この「現実論」というやつが曲者だ、

え?(ドーシテ、ソッチイクノ・・・)

>目の前の現実に対応しているうちに戦争に突っ込んでしまったのが大日本帝国の歴史である。

ええええー。
現実が見えていたら、米国と戦争しません!(キッパリ)

>またそれを繰り返すとまでは言わないが、福島瑞穂社民党党首が「自民はだめ、民主は危ない」と心配するのもわかる。

あの~、現実を見ようとしていないのは早野氏ではないでしょうか。
アナタみたいな人がいざとなったらヤバイと焦って戦争に突っ込むのです。
早野氏の左マキマキのノーミソの方が心配(^_^;)。

大丈夫か、朝日新聞!(ナニヲイマサラ)
同じ過ちを繰り返そうとしているのはアナタたちだよ。
そろそろノーミソ変えちゃったほうがいいぞ!(888888888888888888)


<関連記事引用>

(ポリティカにっぽん)政権選択の夏 変えちゃいけないものもある 早野透
2009/07/30朝日新聞朝刊

 ザ・コラム The column

 また、戦争の記憶がよみがえる夏が来た。あわただしく1年をすごしていても、夏がくれば、戦争のことを思い出す。

 戦後、旧満州から引き揚げてきた羽田澄子さんがつくった映画「嗚呼(ああ)
 満蒙開拓団」を見た。「満州国」建設の夢に踊らされた農民の悲劇を、「いつかは作らなければならない。いまラストチャンス」と羽田さんが心をこめて撮ったドキュメンタリーである。

 戦前、冷害飢饉(ききん)、繭の暴落で極貧におちた農民に、政府は「行け満州へ 拓(ひら)け満州を」とあおりたてた。だが、敗戦、ソ連兵の侵攻で、開拓農民はあわただしく逃げなければならなかった。

 軍人の家族はいちはやく列車で逃げた。取り残されて歩き疲れて死んでいく老人、殺される赤ちゃん、水とビスケットを持たせて野原に置き去りにされる男の子。中国人に預けられた残留孤児、身を寄せた残留婦人。満州に果てたこれら農民もまた「日本軍国主義の犠牲者」として「日本人公墓」をつくってくれた周恩来。

 羽田さんが訪ね歩いて聞いた人々は、いま日本の街や村ですぐ隣に生きている人々である。ああ、国策の誤りによって、こんな苦しみを胸に秘めて戦後を生き抜いたんだなと思うと、私は、「政治」というものの責任の重さを改めて噛(か)みしめるのである。

   *

 敗戦から65年目、日本は「政権選択」をかけた天下分け目の夏である。政権政党である自民党に、かくも逆風が吹いている選挙はかつてない。衆院解散か麻生おろしか、自民党のゴタゴタにようやく決着をつけた21日の両院議員懇談会で最後に発言した古賀誠氏の発言が耳に残った。

 「国を守るには平和でなければならない。あの愚かな戦争で、250万の命を失い、ヒロシマナガサキの犠牲を生んだ。戦後の平和を守ってきたのは自民党だ。勇気と自信をもってがんばろう」

 古賀氏は、東国原英夫宮崎県知事かつぎだしの失敗でミソをつけた。統治能力も落ちた自民党にあって、しかし、誇るべきはともかくも「平和」を維持してきたということかもしれない。

 心配なのは、民主党である。あんなに反対したインド洋への給油の自衛隊派遣を、「政権を取った翌日に、帰ってこいなんてできるわけがない」と、つまりは容認とのことである。福田康夫首相は民主党の抵抗でいったん自衛隊を撤収する羽目になって、もうあんな「ねじれ」の苦労はしたくないと辞任した。野党だったら反対、政権を取ったら容認という態度は信用できようか、「現実路線」などと言いくるめないでほしい。

 非核三原則はやはりいかさまだったらしい、アメリカ艦船の核持ち込みをこっそり認める密約が国民への背信であることはいうまでもない。だが、鳩山由紀夫民主党代表が口走ったように、じゃ、これからは密約でなく、核持ち込みには「現実的対応」で、となれば非核三原則は崩れることになる。

 この「現実論」というやつが曲者だ、目の前の現実に対応しているうちに戦争に突っ込んでしまったのが大日本帝国の歴史である。またそれを繰り返すとまでは言わないが、福島瑞穂社民党党首が「自民はだめ、民主は危ない」と心配するのもわかる。

 あれは16年前の夏、1993年の総選挙で、宮沢喜一首相率いる自民党政権は過半数割れ、下野して、細川護熙首相の「非自民」連立政権ができた。あのとき外交安保政策はどうだったろう。取材ファイルをひっくり返してみる。連立を組む8党会派の「合意事項」というペーパーがでてくる。全5項目の第2項にこうある。

 「憲法の理念及び精神を尊重し、外交防衛等、国の基本施策について、これまでの政策を継承しつつ……」とある。そうだった、自衛隊違憲、日米安保反対の社会党も「政策を継承」の言葉をのんで政権に加わった。政権交代の波に乗って、自らのアイデンティティーをないがしろにしたところから、社会党は壊れたのだった。

   *

 取材ファイルから、退陣を前にした宮沢首相がオフレコで番記者に語ったメモがみつかった。宮沢氏も亡くなったいま、もう公表してもいいだろう。

 「みなさん、これだけはお願いしたい。いいですか、憲法は変えない方がいい。守ってください。二度と戦争はしちゃいけないんです。僕は憲法ができたいきさつは知っているんです。あれは翻訳だ。日本語じゃない。それでも憲法は変えちゃいかんのです」

 「私と後藤田(正晴)さんは、憲法を変えちゃいけないという最後のジェネレーションなんです。占領は屈辱ですよ。ドイツ人は忘れっぽいからまた(国際貢献の名で)戦争をしようとしている。小沢なにがしってのは、僕にとって何でもないんです。でも、憲法を変えるといったら、それだけは断固許さない」

 政権交代はあっていい、だが、変えてはいけないものがある、「平和」という原理は壊さないでほしい。宮沢氏がほろ酔いで語った言葉は、戦後保守の知性の究極の思いだったかもしれない。

 (本社コラムニスト)


<画像引用>

asahi_com コラム 早野透「ポリティカにっぽん」
http://www.asahi.com/column/hayano/ja/profile.html

コメント

_ 非生産者 ― 2009/08/02 21:10

園田さんの毒舌に完敗です(o・v・o)

_ へなちょこエンジニア ― 2009/08/03 08:20

>この「現実論」というやつが曲者だ
ほっほー。戦争したいのですね。
左まきまき頭まきまき巻いて巻いてポンポンポイ。

_ Y-SONODA ― 2009/08/03 08:36

へなちょこエンジニアさんへ

左マキマキも右マキマキもよく似とるねw

_ へなちょこエンジニア ― 2009/08/04 08:08

殿;
>左マキマキも右マキマキもよく似とるねw
右旋体と左旋体を2つで鏡像体と言いますからね。

_ Y-SONODA ― 2009/08/04 08:15

へなちょこエンジニアさんへ

右手も左手も同じノーミソにつながっている。
これって昔からの私の持論なのですw
思考回路がよく似てるんだもん。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「カ○スの勝手でしょ」にようこそ♪ 質問:○に入るカタカナ一文字は?

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://y-sonoda.asablo.jp/blog/2009/08/02/4472776/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。