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江戸時代の大阪とレバレッジ取引2009/07/29 08:18



日経さんの特集記事で非常に興味深いものがあったので紹介しておきます。
このあたりは地域通貨の森野榮一氏が実に詳しいので、以前からよくお話を伺っていました。
森野氏講演会第2弾を企画してみようかな。


<日経記事引用>

特集――第3部危機はいつから(1)江戸時代の大阪、コメ取引が起源(大収縮)
2009/07/12日本経済新聞朝刊

先物の知恵は世界に/効率化の一方で歯止め失う

 レバレッジ取引は決して海の向こうの話ではない。

 世界初の先物取引所は1730年、大阪・堂島に誕生した。公設米会所では、コメの現物取引のほかに「帳合米取引」という先物売買が行われた。今の外国為替証拠金取引(FX)と似た差金決済。仲買人は信用力の低い参加者から「敷銀」という証拠金を預かった。ざっと130~200倍のレバレッジだったという。

 それでも、市場規律は保たれていた。「大坂堂島米会所物語」の著者、島実蔵は「市場を揺るがすような大損失を出す者は出なかった」と指摘する。当日決済でリスクを繰り越さなかったのと、参加者が市場の信用維持に全力を注いだからだ。一例が各藩が発行した「米切手」。財政の苦しい藩がコメの裏付けのないまま米切手を発行すると、米商人たちが団結して流通をやめさせた。

 大阪の知恵が海を渡り、シカゴに農産物の先物市場が発足したのは1847年。さらに、シカゴ金融のドン、レオ・メラメドが1972年、通貨先物を導入、世界初の金融先物市場を開設した。アポロ11号が初の月面有人着陸に成功した69年にメラメドはシカゴ・マーカンタイル取引所(CME)トップに就いた。ミルケンがドレクセルに入社、ヘッジファンド王、ジョージ・ソロスが旗艦ファンドを創設した年でもある。

 金融の激変が革新の土壌だった。71年、米大統領リチャード・ニクソンはドルと金の交換停止を発表。73年に通貨体制は固定相場から変動相場に移行する。政府の役割を重視するケインズ派の影響が薄れ、市場重視派が勢いを増した。その代表格のミルトン・フリードマンが「英ポンドを空売りしたくても、どこの銀行も注文を受けてくれない」と新聞にコメント。それを知ったメラメドがフリードマンのお墨付きを得て、金融先物導入につなげた。

 レバレッジ拡大はデリバティブの発達と不可分の関係にある。金利、株価、商品と次々と生み出された金融先物は世界的なマネーの流れを素早くした。市場のゆがみを調整し、市場機能を効率化するとの評価がおおむね定着した。

 危機の原因の一つ、CDSも最初はリスクを軽減するために生まれた。だが、マネー過熱とともに投機の対象にすらなり、歯止めを失った。そして日本。ネット上でFX取引に参加し、為替相場に影響を与えた個人投資家が知らぬ間にレバレッジ拡大の一部を担った面もある。

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