八百万友達を探す旅 ― 2009/04/10 07:00
まずは産経さんの記事から
▼引用開始
【櫻井よしこ 麻生首相に申す】皇室存続の仕組み作れ
2009.4.9 03:45
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090409/plc0904090346004-n1.htm
渦中にあるから、麻生太郎首相には大局が見えないのかもしれない。支持率が20%台後半に改善されたからか、総選挙の可能性に言及しているが、それは、敵失の結果にすぎない。第1公設秘書が逮捕された小沢一郎代表や、小沢氏を守り続ける民主党への嫌気であり、首相への前向きかつ積極的な評価ではない。
支持率低迷からの回復の兆しに安堵(あんど)する気持ちはわからないでもない。しかし、こんなちっぽけな回復に安堵したり、一喜一憂して、日本のどこがよくなるというのか。
景気回復も重要だ。経済も極めて大事だ。だが、国民への支援が、景気対策と生活支援の、物やおカネにまつわる次元にとどまってよいはずがない。国民が前に向かって進む勇気や、将来に夢を描きたくなるような支援を与えなければならない。危機のときこそ、国民の心を根底から深く揺さぶり、突き動かし、勇気づけていってほしい。そうした思いで施策を講じれば、思いは通じるはずだ。首相への信頼も高まっていくはずだ。だから、魂を揺さぶるほどのことを、いま、心がけよ。
国民に勇気と力を与えるとは、どういうことか。それはなによりも、現在の日本人の最大の欠陥を埋めていくことから始まるだろう。多くの日本人が、自分が何者であるかを忘れ、自信をもてないでいる。自分は何者か、日本はどんな国だったのか。元々の美しい姿を思いだせば、その記憶は心の糧となり、前進する力となる。
ハンチントンは世界の文明を8分類し、日本の文明は日本ただひとりが打ち立てた文明だと定義した。ハンチントンがなぜ、そのように分類したかは、歴史を辿(たど)れば、間違いなく理解できる。
日本は、中国や朝鮮半島から、多くを学んだ。しかし、学んだ外来文化に埋没せず、消化吸収したうえで、逆にそれらのうえに独自の文化を築き上げた。その中心にあったのが神道であり、神道に基盤を置く皇室である。
日本古来の神道は外来の仏教と融合し、人間を守り導く大いなる存在としての神仏を拝礼した。拝礼の対象を、仏像に限定することなく、山川草木へ広げていった。仏教を、神道本来の自然信仰に帰し、自然のなかに仏様が宿っているという思想に育て上げたのが日本人である。その中心におられたのが皇室である。神道と一体の皇室こそが、ハンチントンの言う日本文明の核なのだ。日本を日本たらしめる存在が皇室だといえる。
だが、いま、皇室は大きな危機に直面している。諸問題のなかでも喫緊の課題は2つある。両陛下のご健康と、皇位継承問題だ。
明日、4月10日、ご成婚50周年を迎えられる天皇皇后両陛下は、ご高齢にもかかわらず、日夜、大きなご負担に耐えておられる。両陛下は、どんな日にも、国民への慈しみ、あらゆる人々への労(いたわ)り、過去、現在、未来の日本人のための祈りと慰霊に、身を捧(ささ)げてこられた。結果、あまりのご公務の多さに両陛下のご健康が蝕(むしば)まれてきたのは周知である。にもかかわらず、両陛下は、ご自分の御身のご不満やご不便については一切、語らずにこられた。
◇
ご成婚以前、電話での語らいでの、皇太子さまのお言葉を、美智子さまはこう回想していらっしゃる。
「どんな時にも皇太子とあそばしての義務は最優先であり、私事はそれに次ぐものとはっきり仰せでした」
お2人のご活動から、その信念が揺らいだことがないのは、容易にみてとれる。そしていま、両陛下のためとして、ご負担軽減の目的で祭祀(さいし)を簡略化しようとの動きがある。歴代陛下のなかでも、特に、祭祀を大切にしてこられた今上天皇のお心に、これはかなうことなのだろうか。祭祀を司(つかさど)る存在、日本人の魂を慰め、鎮め、国家国民の安寧を祈る皇室の存在の本来の意義に、かなうことなのか。私には本末転倒に思えてならないがどうか。
両陛下のご負担の軽減について、日本国の形を考慮したうえで、対処策を考えるのは、内閣の最重要課題のひとつである。たとえば、国事行為はなさっていただくとしても、地方へのお出まし等を大幅に減らしてはどうか。この点に関して、広く皇族方のご協力を仰いではどうか。
このことと一部関連するのだが、もうひとつの重要問題は皇室典範の改正である。
歴史を学ばず、素養浅い小泉純一郎元首相は、遮二無二、女系天皇に向かっての制度改革を進めようとした。この件は秋篠宮妃の悠仁さまご懐妊によってさたやみとなったが、以降、皇位継承問題は放置されてきた。
悠仁さまご誕生で、問題が解決されたわけではないのは、誰の目にも明らかだ。悠仁さまが成人なさり、皇位に就かれれば、今のままでは日本には、皇族は一人もいなくなる。にもかかわらず、だれも積極的にこの問題に取り組もうとしない。
首相のお妹は寛仁親王妃となって、皇室に入っておられる。首相として、また皇室にそれだけ近い立場から、首相は皇室典範の改正を静かに、しかし、着実に進めるべき立場にある。
皇室のあるべき形に踏み込むことは、日本の国柄について論じ、定義することである。責任は、現在の国民に対するだけでなく、過去の長い歴史を紡いできた幾百万の先人たち、長く未来の日本を担っていくこれまた幾百万の人々に対しても負わなければならず、非常に重い。
その重い責任を果たす最初の一歩は、日本文明の核としての皇室を、まずしっかりと存続させる仕組みをつくることである。首相は、旧皇族方のお力も借りる形で、皇室典範改正を、実現すべきだ。
▲引用終了
<私のコメント>
ハンチントンの罠に嵌まるとこういう見方になるのかと嘆きつつも、
どうにも気になるのが櫻井よしこさんの宗教観。
日本人それぞれにいろんな神道観、仏教観があっていいと思うのですが、
「仏教を、神道本来の自然信仰に帰し、自然のなかに仏様が宿っているという思想に育て上げたのが日本人」の「自然のなかの仏様」という箇所に強い違和感がありました。
日本人の根っこに神道的な自然崇拝が確かにあると思います。
この根っこに仏教、それにキリスト教まで接ぎ木してきました。
拙著「隠された皇室人脈」でも取り上げたように、
神道とキリスト教の接点になっているのが美智子さまです。
いずれの宗教にも器用なアレンジを施して融和させました。
和を尊び、宗教間の対立も防ぐ効果もあった。
八百万の神々というのも、西洋的なGODとは異なり、どこかとぼけた神さんがいたり、人間を茶化して遊ぶ妖怪やら妖精も含まれていると思います。
しかし、ここに仏様まで加えていいものか。
そんなことをしたら、根っこまで融けちゃう(泣)
私は今まで旅や音楽を通じて八百万友達を探してきたのですが、
独自性をことさら強調されると困ってしまう。
人類の根っこにあるものを日本人は今なお守り続けているということを誇る方が
お友達が増えるのではないでしょうか。
コメント
_ ますらお ― 2009/07/21 10:31
_ Y-SONODA ― 2009/07/22 01:25
ますらおさんへ
どうもはじめまして。
日本人の宗教観というのも非常に曖昧なもので、神道が宗教なのかどうかも極めて疑問。
仏教とて日本に来ると曖昧に。
曖昧が曖昧と溶け合ってますます曖昧にw
それでも日本人は誇りたい。日本人が大好きなロマン主義ものっかる。
その気持ちはわからなくはないのですが、自然崇拝はどこにでもあったと思いますよ。
それが残っている場所があるのも単なる地理と距離の関係。
一神教の中心から離れた周縁にはたいていその記憶が残っています。
>神道の基本は統治者の先祖崇拝であくまで文字が残されている時代においては最古のもの
文字で残された神道の基本? しかも最古?
そういうのってあるのでしょうか。
どうもはじめまして。
日本人の宗教観というのも非常に曖昧なもので、神道が宗教なのかどうかも極めて疑問。
仏教とて日本に来ると曖昧に。
曖昧が曖昧と溶け合ってますます曖昧にw
それでも日本人は誇りたい。日本人が大好きなロマン主義ものっかる。
その気持ちはわからなくはないのですが、自然崇拝はどこにでもあったと思いますよ。
それが残っている場所があるのも単なる地理と距離の関係。
一神教の中心から離れた周縁にはたいていその記憶が残っています。
>神道の基本は統治者の先祖崇拝であくまで文字が残されている時代においては最古のもの
文字で残された神道の基本? しかも最古?
そういうのってあるのでしょうか。
_ えの ― 2009/07/23 01:52
>「仏教を、神道本来の自然信仰に帰し、自然のなかに仏様が宿っている
この思想は修験道です。
「山の宗教-修験道案内」五来重
http://www.kadokawa.co.jp/bunko/bk_detail.php?pcd=200705000163
http://www7a.biglobe.ne.jp/~monadon/books268.htm
「山の神を祀るのにいろいろ祀り方があったでしょうが、奈良時代になると仏教をもって祀る。こういうことになったのが神仏習合の実態です。山伏がそれに関与しております。」
「修験というのは、一つはシャーマン、一つはマジシャンということで成り立っていた。預言者と祈祷者というものです。…預言者としての性格は『中語』(なかがたり、ちゅうご)というのです。」
蔵王権現
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%94%B5%E7%8E%8B%E6%A8%A9%E7%8F%BE
この思想は修験道です。
「山の宗教-修験道案内」五来重
http://www.kadokawa.co.jp/bunko/bk_detail.php?pcd=200705000163
http://www7a.biglobe.ne.jp/~monadon/books268.htm
「山の神を祀るのにいろいろ祀り方があったでしょうが、奈良時代になると仏教をもって祀る。こういうことになったのが神仏習合の実態です。山伏がそれに関与しております。」
「修験というのは、一つはシャーマン、一つはマジシャンということで成り立っていた。預言者と祈祷者というものです。…預言者としての性格は『中語』(なかがたり、ちゅうご)というのです。」
蔵王権現
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%94%B5%E7%8E%8B%E6%A8%A9%E7%8F%BE
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_ 米流時評 - 2009/04/10 07:22
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はじめまして、たまたまこちらへ行き着いて興味深く読ませていただいた者です。
とても面白いので、これからじっくり色々読ませていただこうと思います。
僕は、縄文と言ってしまっていっかどうかわからないけれど、日本にもっと古くから住んでいた人たちの自然崇拝を後から来た人々の文化と融合した結果が神道ではないかと考えています。
ですから、もっと奥に流れているのは古代のシャーマニズムで、神道の基本は統治者の先祖崇拝であくまで文字が残されている時代においては最古のものだと。
自然崇拝と仏教と関連がありそうなのは、仏教でも新しいほうの「みな空だ」の考えで、自然から宇宙まで、人間と一体化していて関わりあっているというもので、万物に神(一神教の世界から見ると日本のそういった神はスピリットやジンだと言われそうですが)が宿ることに通じそうです。