Google
WWW を検索 「園田義明めも。」を検索

宇宙人とAIGとCIA2008/10/06 09:39

ビッグ・リンカー槙原稔の世界エリート人脈


昨日、アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)が売却を決めた日本の生命保険3社の買収で、東京海上ホールディングスと独アリアンツが連合を組む可能性もあると書きました。

東京海上ホールディングス単独での買収も当然考えられるのですが、アリコが保有するAIG株が急落し、アリコ自体の財務内容が悪化している可能性が高いことから、連合の可能性を指摘しました。

三菱系の東京海上ホールディングスと独アリアンツの連合としたのは、両社をつなぐ大物がいるからです。

その人物とは槙原稔。
三菱商事取締役会長を経て現在は同社相談役。
只今独アリアンツの国際諮問委員会のメンバーと東京海上ホールディングスの社外取締役を務めています。

槙原は国際的な大企業役員を多数兼任している「ビッグ・リンカー」なのです

これまでネット上で「ビッグ・リンカー達の宴」シリーズを発表してきましたが、
このビッグ・リンカーとは「大連結者」のこと。

そもそもこの言葉はアムステルダム大学で政治学の教鞭を執っているマインダート・フェンネマ(Meindert Fennema)教授らが最初に使い始めたと思います。

日本語文献では、『企業権力のネットワーク 10カ国における役員兼任の比較分析』(上田義朗訳、文眞堂1993年)の中でビッグ・リンカーに触れた論文が収められています。

インターネット時代になって、リンクという言葉が頻繁に使われるようになったので、ちょいと私が復活させたのです。

日本を代表する世界的なビッグ・リンカーである槙原稔。
「組織の三菱」の中にあって、正攻法を好み、ウソを嫌う性格も災いし、さらには「社内公用語を英語に」などと言い出したことから、三菱グループ内部からも「アメリカ人」に「宇宙人」、さらには「エイリアン」などと揶揄されてきました。

その人格がどうやって形成されたのかが、興味あるところ。

1939年、槙原が9歳の時に三菱商事ロンドン支店長だった父の槙原覚がイギリス官憲に逮捕・投獄されます。日本政府がロイター通信記者などの英国人を逮捕した報復と見られています。
 
3年後の42年5月、この父を「大洋丸事件」で亡くします。軍の依頼で、民間人の一人として南方の占領地の立て直しに向かう途中、乗っていた大洋丸が撃沈。1300人以上の乗員乗客のうち、約800人が死亡する大惨事でしたが、軍の方針でほとんど報道されなかった。

母ハルは東京・京橋の明治屋に勤めたり、終戦後は米軍図書館で働いたりしながら女手一つで槙原を育てます。

もし生きていれば、父は大合同で誕生した三菱商事の初代社長である高垣勝次郎と社長の座を争ったであろうと言われるほどの大物でした。

そのため、岩崎家の好意に助けられ、戦時中は東京・国分寺にあった三菱の創業者一族である岩崎家当主の邸宅の別棟に母子身を寄せていました。

終戦と同時に岩崎邸の母屋がキリスト教の聖公会に接収され、そこで出会ったケネス・バイエルという司教がハーバード大学卒業生で、「ハーバードかケンブリッジ、オックスフォードに行きたい」と思っていた槙原の相談相手になります。

司教は「直接ハーバードは無理だけど、セント・ポール・スクールという高校があって、そこそこの成績で卒業すればハーバードに行ける」と高校入学の橋渡しをする。

旧制成蹊高校理科3年の槙原は貨物船に乗って太平洋をわたり、米国での生活は司教の親せきや知り合いが面倒をみてくれた。

この頃に夫人の喜久子と再会します。成蹊高校時代に元三菱製紙会長の岩崎隆弥に頼まれて英会話を教えた三女が、当時中学生の喜久子。三菱グループの創始者岩崎弥太郎のひ孫です。

槙原がハーバード大学の学生だった53年にニューヨークで喜久子と再会。三菱商事に入社して1年後に“聖心女子大”の大学生だった夫人を中退させて結婚します。

槙原の人生には聖公会が大きくかかわっていたわけです。槙原も夫人もクリスチャンかもしれませんね。

「国分寺の邸宅」とは現在の「殿ヶ谷戸庭園」。ここを聖公会が使っていたことがあるのかを調べたことがあるのですが、その事実は見当たらず。

ケネス・バイエル司教と出会った「岩崎邸の母屋」とは東京都台東区池之端にある「旧岩崎邸庭園」で知られる岩崎家本邸のことを指していると思われます。

ここは戦後、GHQに接収され、主に岩崎家のゲストハウスとして使われていた洋館は、GHQ参謀2部(G2)直轄の秘密工作機関であった「キャノン機関」の活動拠点として「本郷ハウス」と呼ばれていた時期があります。

日本に送り込まれた宣教師の中にも明らかに諜報機関につながっていた人物もいました。

槙原が米国諜報機関とつながっていると思っているわけではありません。非常に繊細な問題なので、誤解しないで下さいね。

とはいえ、AIGには深い闇があるのは事実。
最近いただいた本ブログへのコメントが実におもしろい。
野蛮な来訪者さんがこんなことを書いています。

「今回のAIGの資産整理において、大手町の日本本社ビルはどうなるのでしょうか。 あの物件(というか土地)の取得経緯に面白いストーリーがあるだけに、整理対象となるのか、行方が気になるところです。」

このコメントを見て、早速アルルの男・ヒロシさんに電話。
「アレのこと」だよねと2人でニヤリ。

それで、早速アルルさんがこの土地のいわくについて調べてくれました。
詳しくはこの記事を読んで下さい。

【メモ】 AIGの歴史と「井戸を掘った人」
http://amesei.exblog.jp/8717232/

「アレのこと」を知るにはアルルさんのこの記事も極めて重要です。

AIGビルにはCIAの支部があるという噂
http://amesei.exblog.jp/3136459/

私も以前からAIGとCIAの関係が気になっていました。
私の知り合いに広大な皇居の森を一望できる大手町のAIGビルで働いていた人がいるのですが、
確かにそれらしき人たちが出入りしていたと聞いたことがあります。

AIGの創業地である上海は世界各国の諜報機関が集ったところ。創業時点から協力関係が存在していたはずなのです。

これがあるから米国はAIGを政府管理下に置いた。リストラ対象事業の買収先についても、必ず米国政府の政治的意図が反映されるはずなのです。

この意図をよんで、AIGが売却を決めた日本の生命保険3社のいずれかを中国人寿保険もしくは中国平安保険が買収する可能性があると予測したのです。

それではここに貼り付けた画像をクリックしてみてください。

この買収劇で鍵を握るのはおそらくJPモルガン・チェース。
槙原は現在JPモルガン・チェースのインターナショナル・カウンシル(国際諮問委員会)の委員。
この委員会のメンバーでAIGの役員を務めたことがある有名人にはAIGマークをつけておきましたので、お楽しみください。

そして、野蛮な来訪者さんとアルルの男・ヒロシさんには、この件に関する追加情報を猛烈に期待していますので、何卒宜しくお願いします。
力を合わせて日本の戦後史を塗り替えましょう!


<関連記事>
三菱商事社長槙原稔氏――海外育ちが生んだ自然体(トップの素顔)
1994/01/08, 日経産業新聞
槙原稔・三菱商事会長 内からの国際化
1994/01/09,朝日新聞夕刊

西室泰三に学ぶグローバル人脈の作り方
http://y-sonoda.asablo.jp/blog/2008/08/01/3664399