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楠木正成の怨霊と御陰2008/06/06 14:58

このところ頻繁にやり取りする友人が、彼なりの切り口と座標で解説した本が講談社から出版された。当ブログでもその間の出版社の交渉過程と小生の観察を記させてもらった。
http://www.sonoda-yoshiaki.com/index2.html

出版から削除された部分を上記サイトにて掲載しているが、多くの意見が寄せられる。その実直な質疑のなかに、その提起は友人の本と根底では同義ながら、文字表現と解釈に異なるものをみる、というものだった。
それは楠木の意志を勘案して善なるものを現世に活かそうとする意志が双方にある。それゆえ小生も拙意を呈する気持ちになった。

それは文中にある楠木正成の意にたいする各様の捉え方だが、「怨」という、ある種忌まわしい文字を楠木の「霊」に繋げ、「怨霊」としたことだった。友人にもその意がある。また真摯な質疑を呈する方も意があるが、そのことについて小生に意見を求めるメールが友人から届いた。

以下は、友人の情を別として応答したものである。


「怨霊」は「御陰」

邪なものからすれば、怨であり、心の秘奥にある自制心などを支える「御陰」ともおもえます。

産霊を、゛むすび゛とも読みますが、神域の問いは、現世を超越して恐れを抱く、祟りがある、これを利用しようとすれば霊の意思とは異なる現象を招くといいます。これをアカデミックに考察するとノイローゼになり、解消するスベとして珍奇かつ高邁な仮説を立て自己納得します。

愚かな軍部、政治家からすれば怨ですが、無辜の民からすれば御陰です。
孫文もペテン師、女好き、謀略家、と色々あり、これを部分検証しても全体はわかりません。また切り口によっては英雄豪傑もその類の論評に晒されます。

拙書「請孫文再来」も、その評を超えて明治の先覚者が命がけで隣国の革命に挺身したその歴史的事実と、彼らが抱いた一国の革命の背景にある西欧の植民地に抑圧されたアジアの解放と再興に、その要を観たからである。

書籍出版は商業という生業(なりわい)によって行ないます。とくに異なった切り口、新資料の発見など、時にはセンセーショナルな部分やプロパガンダ的宣伝に好都合な標題が生業を援けます。

とくに今どきのサイト上のやり取りによくある「部分コピー反論」から、゛炎上゛といわれる非難合戦を観るに、全体像やこの種の内容に必須な「情緒性の認知」や「忖度」など、読者の思索、観照が衰えると説明責任の欲求に晒され、どうしても部分解説の集合という書風に陥る傾向があります。
それゆえ、たとえバーチャルでも劇画、映像が解りやすいようです。

書き手として往々にしてこれに陥るのが研究家などにみられる姿のようです。
また、曖昧な部分があれば「小説」として選択します

標題に戻れば、楠木も孫文も肉体的衝撃を回避せず、吾が身に受けて不特定多数の安寧を求めたもので、その代表するものとして天皇があったと見るべきが歴史からの恩恵という見方です。

なによりも、楠木の善なる精神を倣い、かつ彼のように肉体的衝撃を恐れず、つまり何ゆえ生命と財産が存在るかを問い、かつ継承する血統、家柄の持つものの責任を内観することが、その意を繋ぐ事かとおもいます。

俯瞰した歴史の中で多くの錯誤と、それら伴う争いがありますが、尋常として死地に臨む楠木の「歴史への責任」を鎮まりを以って考えたいものです。
何よりも鎮まりを守る「鎮護の国」の守護者たらんとしたものだからです。
 
現世求められるのは、後世の評の良し悪しは置いて、国家安寧の基礎となる人間の尊厳と調和を「長(おさ)」を推戴して「スメラギ」の道を指し示した一隅の人間の存在を発見し、心に留め置くことです。それは楠木にも熊楠にも観ることができます。

眼前に展開される数多の文字、口舌は、己を知る、つまり「我、ナニビトゾ」を明確にしてくれる臨機でもあります。それは苦いものほど効あるものです。

http://blog.goo.ne.jp/greendoor-t/

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