「ジョセフ・グルー」再び ― 2013/03/08 07:58
あの時、グルーは日米開戦回避のため、本当に頑張ったと思うよ。
何が残念か。それはグルーの名前すら知らない日本人が大半であること。
https://twitter.com/YS_KARASU/status/309584764002766848
あの時、誰が問題だったのか。あたしゃ、木戸幸一だと思うよ。
https://twitter.com/YS_KARASU/status/309596476865142784
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外交文書 日米開戦回避の電報遅れ経緯調査
3月7日 16時49分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130307/k10013027561000.html
昭和16年の日米開戦の直前に、アメリカのルーズベルト大統領から昭和天皇に宛てられた戦争回避を呼びかける電報の配達が遅れたことについて、戦後、連合国側が経緯を調査し、開戦を強行した勢力を明らかにしようとしていたことが、7日に公開された外交文書で明らかになりました。
それによりますと、昭和16年12月の日米開戦の直前、アメリカのルーズベルト大統領は、昭和天皇に宛てて、戦争回避を呼びかける電報を出しました。
電報は、日本時間の12月7日正午ごろに東京の電信局に到着しましたが、アメリカのグルー駐日大使に配達されたのは午後10時半ごろでした。
その後、グルー大使は電報を渡すため昭和天皇への面会を東郷外務大臣に求めたものの、実現せず、翌8日の午前3時半ごろには真珠湾攻撃が始まりました。
電報の配達が遅れたことについて、連合国側は戦後の昭和21年8月、東京裁判に向けて、外務省の電信担当の職員を尋問し、「開戦前に電報が昭和天皇に渡されていれば戦争は避けることができたに違いない。10時間半の間、電報はどうなっていたのか。東郷外務大臣は電報の中身を見ていたに違いない」と問い詰めるなど、連合国側が開戦を強行した勢力を明らかにしようとしていたことが伺えます。
外交史が専門の筑波大学の波多野澄雄名誉教授は「昭和天皇の決断によっては、開戦が遅れたり、回避されたりする可能性があったと考え、旧陸軍が意図的に配達を遅らせたのだと思う。アメリカ側としては、真珠湾攻撃の責任がどこにあったのかが大きな関心事だった」と話しています。
2013年 3月 07日 11:01 JST 更新
外務省、配達遅れの関与否定=日米開戦前の天皇宛て「親電」—外交文書
http://jp.wsj.com/article/JJ12150597793580954132818773576252953451009.html
1941年の日米開戦直前に、ルーズベルト米大統領から昭和天皇に宛てられた親電の伝達が遅れたことをめぐり、極東国際軍事裁判の国際検察局が外務省の関与を疑い同省職員を尋問し、職員は関与を否定していたことが、7日公表された外交文書で明らかになった。
46年8月1日付の外務省文書課のメモによると、国際検察局の2人が同日、同課を訪れ、親電の一時差し止めに関して尋問。同課職員は「親電には何ら関係がなかった」と答えた。
親電は日米開戦が避けられない状況の中、旧日本軍の仏領インドシナからの撤退などとともに、平和的解決を促す内容だった。41年12月7日正午ごろに米国から東京の中央電信局に到着したが、グルー駐日米大使に配達されたのは午後10時半ごろ。東条英機首相、東郷茂徳外相が皇居に参内し親電を伝えたのは翌8日午前2時半ごろで、旧日本軍の真珠湾攻撃はその約1時間後だった。
研究者の間では、親電の配達を遅らせたのは旧日本軍で、この間、外務省も親電の内容を解読・翻訳して米国への最後通告に反映させようとし、結果的に開戦後の最後通告につながったとの見方もある。 [時事通信社]
【外交文書公開】「ルーズベルト親電」伝達遅れ、GHQ徹底調査
2013.3.7 12:50
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130307/plc13030712510009-n1.htm
外務省は7日、昭和16年の真珠湾攻撃直前にルーズベルト大統領が昭和天皇に宛てた親電の伝達が遅れた経緯に関する連合国軍総司令部(GHQ)国際検察局による調査実態の記録を含む外交文書ファイル72冊を公開した。国際検察局が終戦後、外務省担当者らに事情聴取を行い、詳細な経緯を調査していたことなどが明らかになった。
外務省が作成した昭和21年8月1日付の文書によると、国際検察局は親電が早期に届けられれば戦争回避が可能だったと認識しており、開戦当時の東郷茂徳外相が伝達を遅らせたとして開戦責任の証拠固めをしたと分析している。
ルーズベルト親電をめぐっては、平成16年に元ニュージーランド大使の井口武夫尚美学園大教授(当時)が、グルー駐日米大使に配達される前に東郷外相が解読していた可能性を指摘。親電の内容を受けて日米開戦の最後通告を修正したため、開戦通告は真珠湾攻撃の約1時間後になったとしている。国際検察局側の認識は井口氏の議論と重なっており、対米通告遅延の論争に一石を投じそうだ。
国際検察局の職員2人は昭和21年8月1日、外務省の電信官2人を尋問した。国際検察局の2人は東郷外相の名前を出しながら、親電配達が遅れた経緯や、事前に外務省が解読した上で陸海軍に送付した事実の有無を質問した。電信官2人は「本件親電には何等関係がなかった」「斯かる事実ありたるを知らざる」と回答した。
文書では聴取を受けた印象として、国際検察局側が「東郷外務大臣は親電を解読したものを事前に見ているに違いない。この電報が天皇陛下に渡されたならば戦争は避けることが出来た」と認識していると指摘。さらに「検事(ママ)局側の同大臣の開戦責任に関する証拠固めを目的とするものの如く観取せられた」と分析している。
東郷外相は終戦後、極東軍事裁判でいわゆる「A級戦犯」として禁錮20年の刑を言い渡され、服役中の25年7月に死亡。53年10月、靖国神社に合祀(ごうし)された。
◇
ルーズベルト親電 日米開戦直前に昭和天皇に宛てた親電で、日本に和平を呼びかける一方、日本軍の仏印からの全面撤退を要求する内容。日本時間12月7日正午、東京電報局に到着。グルー駐日米大使に配達されたのは10時間以上遅れの同日午後10時半だった。親電は8日午前0時半にグルー大使から東郷茂徳外相に手渡され、東條英機首相が同2時半に昭和天皇に親電全文を読み上げた。
ルーズベルト電、天皇に渡れば開戦回避…GHQ
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130307-OYT1T00772.htm
1941年12月8日の日米開戦の直前、当時のルーズベルト米大統領から昭和天皇に送られた戦争回避を訴える親電(電報)の伝達が遅れた問題で、終戦直後に連合国軍総司令部(GHQ)が外務省に対し、「電報が天皇陛下に渡されたならば戦争は避けることができたに違いない」との見解を示していたことが、7日公開の外交文書から明らかになった。
文書によると、GHQの見解は、国際検察局の担当官が46年8月1日、伝達遅れの経緯を調べるため外務省職員2人を尋問した際に示された。
問題の親電は41年12月7日正午、東京の中央電信局に入電。しかし、米大使館のグルー大使に配達されたのは同日午後10時半だった。大使から東郷茂徳外相を経由し、昭和天皇に伝達された直後に、真珠湾奇襲が始まった。(2013年3月7日14時52分 読売新聞)
<画像書籍>
滞日十年 上 (ちくま学芸文庫) ジョセフ・C. グルー
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滞日十年 下 (ちくま学芸文庫) ジョセフ・C. グルー
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