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ざっくばらんな班目春樹が語った「痛恨の出来事」=「(ベントの)作業が手間取り、結局、海水注入までに数時間ロスしてしまった。これは痛恨の出来事だった」2011/04/02 09:53

ざっくばらんな班目春樹が語った「痛恨の出来事」=「(ベントの)作業が手間取り、結局、海水注入までに数時間ロスしてしまった。これは痛恨の出来事だった」


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原発事故3週間検証 東電、初動つまずく 海水注入遅れ 危機連鎖招く
2011/04/01 東京読売新聞 朝刊

 ◆圧力弁開放も  

 東日本巨大地震に伴う巨大津波で、東京電力福島第一原子力発電所が被災して1日で3週間。同原発では今も、3基の原子炉に仮設ポンプで水を注入し、かろうじて冷却している状態だ。使用済み核燃料一時貯蔵プールが再び過熱する恐れもある。経緯を振り返ると、初期対応が後手に回った結果、新たな危機を招いていった連鎖が見えてくる。批判が多い情報公開のあり方とともに、検証した。

 【ベント】 

 同原発は11日午後、巨大津波襲来で全ての電源を失った。運転を緊急停止した1~3号機の原子炉圧力容器はその後次々と、温度と圧力が急上昇。炉内への注水が難しい事態に陥った。

 炉内の水位が下がると、核燃料棒が過熱して溶け、原子炉が破損する恐れがある。11日夜の時点で東電は、1号機の圧力容器内の圧力を下げるため、放射性物質が混じった蒸気を外部に放出する「ベント」を検討する。だが、実際に行われたのは翌12日午前10時17分。早朝に菅首相が視察に出発した4時間後で、10キロ圏内の住民の避難は終わっていなかった。そして同日午後、1号機で水素爆発が発生、原子炉建屋上部が粉々に損壊した。

 宮健三・東京大名誉教授(原子力工学)は「首相の視察でベントの開始が遅れ、その後の対応が後手に回った可能性は否めない」と指摘する。内閣府原子力安全委員会の班目(まだらめ)春樹委員長も23日夜、「(ベントの)作業が手間取り、結局、海水注入までに数時間ロスしてしまった。これは痛恨の出来事だった」と振り返った。

 一方、事故が起きた11日、東電の清水正孝社長と勝俣恒久会長は出張中で、東京に戻ったのは翌12日。同社広報部は「携帯電話などで連絡をとりあっていたので、指揮系統に問題はなかった」と説明するが、関係者の間には、トップの不在が初動の遅れにつながった可能性があるとの声も出ている。

 【海水注入】 

 炉心を冷やすため、東電が1号機への海水注入を始めたのは12日午後8時過ぎ。格納容器の圧力が異常上昇してから、すでに19時間が経過していた。翌13日以降、3号機と2号機でも海水注入が行われたが、冷却効果は限定的だったとみられる。2号機では14日、仮設ポンプの燃料切れで冷却水を完全に失う。15日朝には格納容器の一部である圧力抑制室が損傷したとみられる爆発が起きた。今も復旧作業の妨げとなっている高濃度の放射性物質が混じった水の発生源になっている疑いもある。

 海水は不純物を含む。注入は炉を傷めるため、廃炉も覚悟しなければならない。19日付の米ウォール・ストリート・ジャーナル紙(電子版)は「注入が遅れたのは、原発資産を損なうことへの懸念があった」と指摘。こうした批判に対し、東電の武藤栄副社長は21日夜の記者会見で「最大限の努力を払って冷却してきた」と、否定に躍起となった。

 【使用済み核燃料プール】

 同原発の事故対応が困難になったのは、原子炉だけではなく、核燃料プールの冷却が後手に回ったからだ。原子炉内の燃料より発熱量は小さいものの、プールの水位が下がって露出すれば破損する点は同じ。原子炉のような密閉構造になっていない分、放射性物質を放出しやすくかえって危険だ。

 原子炉ばかりに目が向いていた国と東電の注意がプールに向き始めたのは13日頃。この間、冷却水の循環が止まったプールは水温が上昇したとみられる。4号機では14日早朝にプールの水温が84度に達し、15日朝にはプールの入った原子炉建屋で爆発、火災が発生した。

 ◆遅い公表、説明も二転三転 

 東電は、事実関係の公表が遅れたり、誤った発表を繰り返したりした。

 テレビは建屋の爆発を中継しているのに、東電からは公表されない――。重大事故などの的確な把握が遅れる背景には、〈1〉通信体制の脆弱(ぜいじゃく)さ〈2〉東電内での情報伝達の遅さ――がある。

 例えば、地震で簡易型携帯電話が使えなくなり、敷地内で作業員同士が連絡を取る手段が消えた。このため、1号機建屋の爆発では「人が現場を確認しても、連絡手段がなかった」(東電・勝俣恒久会長)という。

 2号機地下の水に含まれる放射性ヨウ素は、原子炉の水の濃度と比べ約1000万倍と発表した件では、2度も訂正した。

 プルトニウムの分析をめぐっても、外部機関に依頼したか否かを巡る説明が二転三転した。勝俣会長は「色々なミス、タイミング遅れは申し訳ない。情報隠しは全くない。(発表体制の)強化策を講じる」と語る。

     ◇

 日本政府の情報発信不足は、世界の不信感を募らせた。米国は原発上空に無人偵察機を飛ばして情報収集。日本をあてにしていないことの裏返しだ。自国民に原発の半径約80キロ圏外への退避を求めたのも、日本の説明より悲観的なシナリオに沿ったものだ。

 フランスでもメディアは連日、「日本国民は十分な情報を知らされていない」と日本政府や東電への不信をあらわにしている。

 ◆スリーマイルは冷却系を総動員

 福島第一原発と似た過酷事故に見舞われた米スリーマイル島原発事故(1979年)では、どう対応したのか。同原発では、発電用タービン停止に伴う原子炉の緊急停止後、運転員が判断ミスで炉内を冷やす緊急炉心冷却装置(ECCS)の注水量を絞るなどした。その結果、炉内の水位が下がり、核燃料の一部が溶融する事態になった。

 しかし、この時は福島第一原発と違い、ポンプなどを動かす電源に異常はなかったため、試行錯誤を繰り返しながらも各種冷却系を総動員。事故発生から約16時間で、原子炉を安定的に冷却する機能が回復し、約1か月後には安全な冷温停止状態になった。



 ◇東京電力福島第一原発事故を巡る初期対応の主な動き

  日時              出来事                               

3月11日 
14:46 東日本巨大地震発生(マグニチュード9.0)
16:36 1~2号機の緊急炉心冷却装置(ECCS)が使用不能に
19:03 政府が原子力災害対策特別措置法に基づく原子力緊急事態宣言発令
22:44 原子炉内の蒸気を逃がすベントを行う必要性を官邸危機管理センターで共有

3月12日  
 3:12~枝野官房長官が、1号機を優先してベントを行う方針を明らかに
 5:44 菅首相が、福島第一原発から半径10キロ圏内の住民に避難指示
 6:14 菅首相、福島第一原発や被災地を視察のため、ヘリで出発
10:17 1号機でベントを開始
15:36 1号機で水素爆発が発生、原子炉建屋上部が損傷
18:25 菅首相、福島第一原発から半径20キロ圏内の住民に避難指示
20:20 1号機の原子炉への海水注入開始
20:41 3号機でベント開始                         

3月13日 
11:00 2号機でベント開始
13:12 3号機の原子炉への海水注入開始
                   
3月14日 
11:01 3号機で水素爆発、作業員ら負傷
16:34 2号機の原子炉への海水注入開始
18:22 水位低下で2号機の圧力容器内の燃料棒が全露出            

3月15日  
 6:10 2号機の圧力抑制室で異音、損傷か
 9:38 4号機の原子炉建屋内で火災発生                   


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