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<鳩山由紀夫「デノミの歴史」> 「ドミノとデノミ」決めゼリフとちった事件で本気度未知数2010/03/21 08:52

三菱総合研究所:「円のデノミネーション」の経済分析


鳩山由紀夫という人物。やはりすごく軽い人物なのかも。
今なおドミノとデノミを勘違いしている可能性も浮上(笑)
とはいえこの数年のうちにハイパーインフレ対処型でデノミ議論再燃か。


<「ドミノをデノミ、決めゼリフとちった事件」関連記事引用>

▼“土壇場”の党首 論戦も湿りがち 小泉首相 追及に演台たたく 鳩山代表 決めゼリフとちる 土井党首 「北」問題挑戦も…
2002/11/01 中日新聞夕刊

 約三カ月半ぶりの党首討論が十月三十日に開かれたが、経済対策に悩む自民、代表選のゴタゴタを引きずる民主、離党ラッシュの社民-と“土壇場”に追い込まれた各党首たちの論戦も湿りがちだった。

 民主党の鳩山由紀夫代表は、いすに乗せたお尻の位置を直したり、手を組み直したりと、落ち着かない。小泉純一郎首相がまず切り込んだ。表情を崩さぬまま「九月の代表選で激戦から代表につかれ…」と、混迷した民主党人事をやゆすると、議場内に静かな笑いが広がった。

 鳩山代表は「総合デフレ対策というが、不良債権はいくらあるのか」などと、経済界から批判の強い竹中平蔵金融・経済財政担当相の経済対策を攻撃する。首相は「数字は見れば分かるが、これは党首討論ですよ。実務的なことは…」と切り返すが、野党席からは「数字を出せよ」「数字が大事なんだ」とヤジが飛ぶ。

 同代表は、さらに「ペイオフにしても、一内閣一閣僚にしても、ことごとく総理の公約は将棋倒しではないか」と勢いに乗る。が、「これでは小泉ドミノ内閣だ」ときっちり決めるところを、「デノミ内閣」と言い間違え、傍聴席を笑わせる失態を演じた。


▼小泉内閣は、デノミ倒し?
2002/10/31 日本経済新聞 朝刊

 「一内閣一閣僚など、公約がことごとく破られている。これでは公約の将棋倒しで、小泉デノミ、失礼、小泉ドミノ内閣だ」。三十日の党首討論で、民主党の鳩山由紀夫代表が小泉純一郎首相との対決姿勢を示すキーワードとして用意していた表現「ドミノ」を、通貨の呼称単位の切り下げを意味する「デノミ」と言い間違える一幕があった。

 一方、首相は答弁の冒頭に「まずは鳩山氏が代表選で激戦を勝ち抜いて再び選任されたことをお祝い申し上げたい」とエールを送る余裕ぶり。鳩山氏が金融機関の不良債権額を示すよう迫ると「そういう実務的なことは党首討論に適さないと思う。言えと言うなら言うが……」と逆に問題提起。若手からは「首相の方が一枚上手」と失笑が漏れた。


<「デノミ研究議員懇談会→デノミ推進議員懇談会→デノミ推進議員連盟」関連記事引用>

▼〔特集〕GNP世界二位ゆえにデノミが必要 吉田春樹
1993/09/21 週刊エコノミスト

 最近では、九二年に渡辺美智雄副総理(当時)が、「三年後にデノミをやるにはいい環境。人心一新になる」と発言し、また今年二月、小渕恵三自民党小渕派会長も、「真剣に考えたらどうか。デノミは一般的に需要を刺激する」と発言して注目された。

 さらに、同じく今年三月、当時まだ与党であった自民党のなかに、相沢英之衆議院議員を会長とするデノミ研究議員懇談会が設立された。今は、立場上デノミは全く考えていないと発言している新生党の藤井裕久蔵相や、新党さきがけの鳩山由紀夫官房副長官も、この懇談会のメンバーであった。また日本新党の海江田万里衆議院議員も、経済評論家としては積極的なデノミ論者である。


▼こちら特報部 今なぜデノミ 自自公で検討開始決定(上) 100年に1度のチャンス? 経済効果はプラマイゼロ? 物価・為替・景気・政情、安定が前提
1999/10/05 東京新聞朝刊

 自自公三党の政策協議で打ち上げられたデノミ論だが、実は自民党が八月にデノミ推進決議をしている。同党金融問題調査会の「デノミに関する小委員会」(相沢英之委員長)がまとめた「二〇〇二年一月一日を期して、百円を一新円とする円のデノミ実施提言」だ。自由党も政策協議で自民党より一年早く「二〇〇一年一月から百円を新しい一円にする」と提案した。

 しかし、各党間では政務調査会長ベースの話にも挙がっておらず、自民、自由両党が先走りしている感は否めない。大蔵省理財局も「諸外国の実態など基礎的な勉強はふだんからしているが、一部報道にあったような自民党から検討を依頼する文書は来ていない」と言う。

 それでも自民党の相沢委員長(衆議院議員)は、今回の推進決議で「鳩山由紀夫・民主党代表も父親の遺志を継いで積極的だ。先週会った宮沢蔵相も、これまでの冷ややかな態度と違い『そういう考え方もあるかな』と言った」と環境が整いつつあると期待する。

 相沢氏は、大蔵事務次官出身で元経済企画庁長官。一九九三年に自民党内にデノミ研究議員懇談会を、九七年には共産党を除く超党派の衆参両院議員五十八人でデノミ推進議員懇談会を結成し、実現を目指してきた。


▼2004年6月 8日 デノミ推進議員懇談会総会 開催される
http://www.imai718.jp/katudou/2004/06/post-10.html

6月4日、今井宏が幹事長を務める超党派の議員連盟「デノミ推進議員懇談会」が開催され、衆参合わせて19名の議員に参加を賜りました。

この議員連盟は平成3年に自民党有志議員によって設立され、平成9年の超党派組織への拡大を経て、現在まで活動を行ってきました。今回は新役員の選出に併せて会員数拡大を図ろうと、改めて衆参の全議員にお声をかけさせて頂きました。その結果、新たに30名(自民23、民主6、公明1)の議員に入会を賜り、既存の会員20名(自民14、民主6)と合わせて、50名の議員連盟として再出発を果たすこととなりました。

総会では幹事長今井宏の司会の下、まず相沢英之会長から挨拶を兼ねて、これまでの経緯について話があり、現在までのデノミを巡る政官界の動きについて詳細な説明を賜りました。次に規約の改定が行われ、名称を「デノミ推進議員連盟」に変更すること、役員として新たに「名誉会長」を置くことが決定されました。続く新役員の選出では新会長に鳩山邦夫衆議院議員、幹事長には引き続き今井宏、そして新設の名誉会長には相沢英之前会長が選出され、全会一致で承認を受けました。

これからは勉強会、講演会等を積極的に開催し、議連をあげてデノミの実現に向けた取り組みを進めていきたいと考えています。


▼「やはりデノミだなァ」相沢英之オフィシャルブログ「オピニオン・アイ」
2009-07-28 17:36:02
http://ameblo.jp/aizawa-hideyuki/entry-10309119781.html

 私は、以前から日本もデノミを実施すべしと唱えていた。大蔵省の理財局長の時、水田大蔵大臣、鳩山事務次官と相談して昭和四十七年にデノミを実施できないか、具体的準備に着手した。百円を一円とする案であった。

 経済成長、物価、為替、その上政情が安定していることがデノミ実施の前提条件であると言われ、当時、正にその時期ではないか、と思われていた。

 デノミを実施する場合の手順その他問題点を逐一検討して、いつ実施してもよいよう体制を作っておいた。

 この時は、昭和四十六年十二月のニクソン・ショックもあって実現を見なかった。

 私は、昭和四十九年に大蔵事務次官で退官し、昭和五十一年十二月に衆議院議員となったが、何としてもデミノを実施したく、昭和五十二年デノミ推進議員連盟を作り、その会長となった。自民党の金融問題調査会の中にデノミ小委員会を設置して党の正式機関でも準備を進めることとした。

 いろいろの経緯は省略しておくが、平成四年ヨーロッパにユーロが誕生した時、もしデノミを実施したら、丁度一ドルに、一ユーロ、一円という大変にわかり易い、覚え易い交換比率に近いものとなる、ということでデノミ議連も張り切ってPRも進めたのであるが、実現を見なかった。

 デノミの功罪は数え上げればいろいろある。今のままで、どこが不自由なのか、という議論も根強くある。デノミをすれば貨幣、紙幣の印刷、帳簿、コンピューターの改訂など、金融機関を始め、企業の負担も巨額なものとなる。その通りであるが、ひっくり返してみれば、それが需要の喚起と繋がり、デフレ経済にプラスの刺激となる。計算の仕様にもよるが、まぁGDPについて0・五%のプラスにはなるという試算もできた。

 私は、例えば、宮沢首相に三度もデノミ実施を薦めたが、三度目には、「君は又デノミか」と言われて、何だか嫌な気さえした。

 主要国のなかで、対米ドル三桁の交換比率となっているのは、日本の円だけである。戦前は、明治の初め一ドル一円、途中から一ドル二円となっていた。

 それがデノミをすれば、一円は一ドル、一ユーロに近くなる。計算の手間は大して変らないにしても、何よりも、円の威信回復になるではないか。

 ドル、ユーロに対して第三局とのアジアの基軸通貨になったらいいなと、いうのが私の願いである。

 解散・総選挙のドサクサにこういう結末にわたり大きな問題となるものにあわてて結論を出すようなことを求めているわけではないが、二年ぐら先に実施時期を置いて、デノミ実施の問題を総選挙の大きな争点にはならないか、してもいいではないか、という意見である。(21・7・27)


<画像引用>

「円のデノミネーション」の経済分析
http://www.mri.co.jp/PUBLICITY/PAPER/1999/rp99112400.pdf