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進化する小沢一郎の「権力なき貴族院」構想?!2010/01/25 08:02

ハイエクの立法院=参院、小沢一郎の「権力なき貴族院」

特定の利益団体の利益の代弁や人々の特定の目的・欲望・意思(WILL)にこたえる政党政治(行政院=衆院)とは別に、政党政治に基礎を置かず、より上位から長期的視野で全体の公共利益=世論=OPINIONを代表する立法院=参院で構成すべきだ。・・・フリードリヒ・ハイエク(1899~1992年)


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東京地検特捜部の事情聴取から一夜明けた24日、小沢一郎は地方行脚で広島へ。
今夏の参院選での支持を呼び掛けたとのこと。参院選に向けて西へ東へ大忙し。

今や参院選は「衆院選で落選した政治家の失業対策」などと揶揄される。「衆院のカーボンコピー」とも批判され、「良識の府」はどこへやら。参院無用論が呪縛霊のようにまとわりついている。

与党となった民主党の人たちもかつては参院改革で熱弁を振るっていた(下記読売記事参照)。

とりわけ小沢が「文芸春秋」1999年9月号で発表した「日本国憲法改正試案」で取り上げた「権力なき貴族院」は話題を集めた。これも今となっては平野貞夫の受け売りようにも見えてくる。

後に小沢は「権力なき貴族院」の構成についてこんな発言をしている。

「私は農業団体であれ組合であれ、各界の代表でそれなりの見識を持った人を衆院で指名して天皇が任命すればいいと思う。」

農業団体に組合(汗)。だったら次は公明党の支持団体やさらには外国人参政権組からの起用もあるのか(大汗)。「脱官僚依存」を人気取りに使っている以上、当然のことながら官僚は除外ということになるのだろう。

そんなことを考え始めるとこの国から逃げ出したくなる。誰か止めてよ小沢さん。


<関連記事引用>

参院改革「百家争鳴」 政治家たち激論 有識者懇は「再考の府に」(抜粋)
1999/09/19東京読売新聞朝刊

 ◆“英流”任命制を提案/小沢氏 “米式”県単位で選出/鳩山氏

 自民、民主両党の「ダブル党首選」で憲法に関する論議が高まる中、憲法問題の大きな論点のひとつである参院改革についても、政治家たちの発言が相次いでいる。当の参院では、有識者懇談会が、憲法の枠にとらわれない参院の抜本改革を検討中だ。「衆院のカーボンコピー」とやゆされ、無用論も根強い参院の改革論議の現状を探った。

 ◆寄稿で持論応酬

 「こういういい加減な参院改革は許されません」

 民主党代表選に立候補した鳩山由紀夫幹事長代理は「文芸春秋」十月号に寄稿した「ニューリベラル改憲論」の中で、自由党の小沢党首の参院改革論を厳しく批判した。

 この寄稿は小沢氏が同誌九月号に発表した「日本国憲法改正試案」に対し、同じ改憲の立場から、個々の改正の具体的内容について反論したもの。参院改革について小沢氏は「イギリスのような権力なき貴族院」を念頭に、参院議員を「選挙によらない名誉職的なものにして、大所高所から御審議願うという制度に変えた方がいい」として、「参院議員は参院の指名により、天皇が任命。その任期は終身」との憲法改正を提案した。

 その理由として小沢氏は〈1〉衆参両院がほぼ同等の権限を持ち共に選挙で選ばれるため、参院も政党化して二院制が目指す役割分担ができなくなっている〈2〉衆院で過半数を獲得しても参院で過半数割れすると政権が強いリーダーシップを発揮できず、総選挙で示された国民の総意が政治に反映されない――ことを挙げた。

 これに鳩山氏は「ねじれ現象も国民の選択の結果。ねじれを早く解消したいなら、参院任期を六年から四年にすればいい」と反論。参院議員を終身任期の任命制とすることについては「特権階級を復活させ、腐敗構造をつくる格好の契機となる」と批判した。

 そのうえで、鳩山氏自身の参院改革案としては「アメリカの上院のように各県二人あるいは四人選出するという仕組みにした方がいい。人口によって選挙区が決められる衆院とは異なり、参院は地域の声をしっかりと反映させるような制度がいい」と提案した。

 ◆衆院と統合し一院制/菅氏

 一方、鳩山氏と代表選を戦っている民主党の菅代表は同誌九月号で「衆院と参院は一つに統合すべきだ」として一院制論を展開した。菅氏は、鳩山氏とは逆に「ねじれ現象」の発生が政治を混乱させているとして、「(一院制で)国民が政権を選んだ責任を直接感じ取れることが重要」と強調した。


参院は大改革すべき 小沢前民主党代表代行インタビュー詳報(抜粋)
2004/07/14岩手日報朝刊

 小沢一郎・民主党前代表代行へのインタビュー詳報は次の通り。(聞き手は川井博之東京支社編集部長)

 ―参院の在り方についてはどう考えるか。

 「イギリスでもドイツでも議院内閣制のところは二院制をとっているが事実上の一院制だ。日本はほぼ同等の権限を持った二院制であり、同じことをやっていては意味がない。参院は大改革すべきだと思っている。(審議は)事実上衆院でやるべきで参院は良識の府であり、チェック機能だ。選挙をやっていては政党化するのは決まっている。参院は違う方法を考えるべきで、選挙なしに正論を言えるような身分を保障しないといけない。例えるなら『権力なき貴族院』。私は農業団体であれ組合であれ、各界の代表でそれなりの見識を持った人を衆院で指名して天皇が任命すればいいと思う。憲法改正がかなり必要だろうからその部分は改正した方がいい」

検察の狙いは金丸モデルで小沢の脱税逮捕?(2) ついにマルサ動く2010/01/25 18:02



東京地検特捜部からの協力要請を受けて、国税査察官(マルサ)が動いているようです。

金丸逮捕を振り返ると、そこには「山口県萩市長」や「会津藩士」も見出せる。


<関連記事引用>

【人に志あり】「金丸逮捕」を実現「マルサ」の男たち 黒子役「やるしかない」
2002/12/30産経新聞東京朝刊

 国民からの公平な徴税は税当局の鉄則だ。だが、平成四年、当時自民党副総裁だった故・金丸信が東京佐川急便の経営陣から五億円を受け取り、罰金二十万円の略式命令の処分だけで終わったとき、この鉄則は大きく揺れた。検察批判が世間で巻き起こるなか「政治家といえども特別扱いは許されない」と信念を持って内偵調査に入った男たちがいた。のちに金丸の三十億円を超える蓄財を暴き、脱税容疑での逮捕に持ち込んだ「マルサ」の男たちである。突破口になったのは、たった一枚の紙切れだった。来年三月で、逮捕から十年になる。(飯塚浩彦)

 「政治家に甘い」「不公平だ」。平成四年秋、法務・検察当局はかつてないほど国民から厳しい批判を浴びていた。

 金丸は東京佐川急便経営陣から五億円のヤミ献金を受け取った。だが国税庁は「政治資金として受け入れ、それが実際に政治資金として使われていたのなら税法上は違反といえない」とし、東京地検特捜部は金丸からの事情聴取すらしなかった。下った処分は政治資金規正法の量的制限違反として、わずか二十万円の罰金だけであった。

 大物政治家は持ち込まれた五億円もの裏金を本当にすべて政治のためだけに使ったのだろうか。使い道が明らかでないだけに、各方面から批判が噴出。ついには検察合同庁舎の玄関にペンキがかけられる騒ぎまで起きた。

 一連の騒動を歯ぎしりしながら見ていたのは、税務署など国税当局の第一線で働く職員たちである。彼らは徴税の過程で納税者と接し、常に「税の公平」を説いている。徴税に不公平はありえない。内部には「個人的な所得になっていないか、もう一度チェックすべきだ」という声が強かった。

 ◆調査に着手

 声に押されるように国税庁調査査察部が動き始めた。職員は国税査察官、俗に「マルサ」と呼ばれ、税制上の不正がないか調べる。

 部長は野村興兒(こうじ)(現・山口県萩市長)。その年の六月、福岡国税局長から国税庁に戻ってきたばかりだった。昭和四十二年入省の旧大蔵省キャリアだが、税務行政部門の勤務が長く、誰もが認める正義漢だ。第一線の東京国税局査察部には、査察総括第一課長の遊佐清徳(故人)、同二課長の菱田次男(現税理士)、査察管理課長の中村健二郎(同)ら、たたき上げの精鋭がそろっていた。

 調査開始時点で、査察部にはある程度の資料がそろっていた。そのなかには金丸が日本債券信用銀行(日債銀、現・あおぞら銀行)で割引金融債(割引債)を購入しているという情報もあった。

 割引債は、債券の額面から運用期間中に得られる利息分をあらかじめ差し引いた価格で買い、満期に額面金額が返ってくる。超低金利のいまは販売が伸び悩んでいるが、一年後の満期まで待てば元本が保証されるうえ、複利で増えるため、高金利下の当時は安全確実な利殖法として人気だった。

 買った人の名前を券面に記載しなくてもいい無記名方式なため、一個人がどれだけ債券を購入しているか、すぐにはわからない。運用期間が終了して償還日を迎えた割引債を、額面の金額で返さず、新たに別の債券を購入していけば資産も増えていく。

 ◆証拠を発見

 「きっと割引債を購入して、次々と乗り換えているのだろう。それが分かればなぁ」。大阪国税局時代に割引債を使った脱税事件を摘発し、その悪用手口を知っていた野村はそんなことを考えていた。

 年明け早々の五年一月上旬。「こんなものがありました」。遊佐から一枚のコピー用紙を見せられた野村は仰天した。「何だ、これは?」

 B4サイズの紙に手書きで書かれたチャート図。それは金丸とみられる人物が購入した割引債の流れを示していた。いつ購入し、いつ償還して新しい割引債に乗り換えたかがひと目でわかる。総額は三十億円を超えていた。

 このコピーは東京国税局が日債銀の取引先の税務調査を実施した際に入手したものだ。作成日は四年八月二十七日。のちの捜査で明らかになるが、金丸が五億円のヤミ献金を認めて自民党副総裁を辞任した日に、資産を預かっていた日債銀本店営業部の幹部が、あわてて作成したものだった。

 コピーを前に野村や遊佐らは意見を交わした。

 「政治資金なら選挙前の支出など動きがあってもおかしくないが、使われた形跡がない」

 「個人の隠し所得ではないのか」

 「この割引債が金丸本人のものだという裏付けが何もない。預かった金だといわれたらどうする」

 金丸は議員を辞めてもなお、次期首相の選出に影響力を持つ「キングメーカー」といわれる超大物の政治家だ。国税庁や国税局職員の人事権を握る当時の大蔵省にも、にらみを利かせていた。「ほんとうに強制調査をやれるのか。握りつぶされてしまうのでは」。悲観的な見方もあった。

 ◆ゴーサイン

 迷った野村は、上司である国税庁長官の土田正顕(現・東京証券取引所社長)と、次長の瀧川哲男(同・公庫住宅融資保証協会副理事長)に概要を報告。調査続行と検察への連絡について伺いをたてた。

 野村の説明に、しばらく目をつぶって考えた土田は言った。「わかった。やるしかないだろう。検察へ連絡しよう」

 昭和三十四年に大蔵省へ入った土田は、戊辰戦争で維新政府軍と戦った会津藩士の血を引く硬骨漢であった。土田は振り返る。「金額はあまりにも大きかった。二億、三億ではない。けたが違っていた。しかし、答えは『やるべきだ』という以外になかった。国税は、政治家や有力者にも特別扱いをしない。職員はそう割り切っているし、でないと組織が持たない」

 野村は部下一人を連れて、検察庁の次長検事、土肥孝治(現・弁護士)を訪ねた。土肥は野村がかつて大阪国税局査察部長を務めたときの大阪地検特捜部長だ。数々の脱税事件を二人三脚で手がけた。

 例の紙切れを見せると、大阪出身の土肥は関西弁で「こんなもん持ってきてもろても困るなぁ」と言いながら目を輝かせた。

 ◆最後まで極秘

 最高検察庁の検事として捜査の指揮を執った石川達紘(現・弁護士)は打ち明ける。「あの時点で検察には新たに金丸氏を調べる手持ちの材料はなかった。今度失敗すると検察は完全に立ち上がれなくなるとも思い、一瞬迷った」。だが、五億円ヤミ献金の捜査で批判の集中砲火を浴びた東京地検特捜部の部長、五十嵐紀男(現・公証人)はこの話を聞いた瞬間、「これは、まだついているぞ」と思った。

 方針は決まった。あとはどう秘密を守り、電撃的に強制捜査を行うかだ。事前にマスコミや永田町などに情報が漏れれば、外部から雑音が入りかねない。何より、証拠を隠滅される恐れがある。国税、検察とも担当者を極端に絞り込んだ。査察部内で、遊佐と仲がよかった菱田でさえ、全容を知ったのはかなり遅かった。土肥も「検察内部でもトップシークレットだった。幹部でも知らない者が多かった」と話す。

 割引債購入の手続きをしたのは誰か。金丸個人の金であることに間違いはないのか。特捜部と協議を繰り返し、中村らは「外堀」を埋める作業を続けた。

 胃が痛む日々が二カ月近く経過するころ、金丸事務所など「本丸」を攻める強制捜査の着手日が決まる。三月六日。平成五年度の政府予算案が衆院本会議で採決される日だ。永田町とマスコミの目はそちらに向いていた。

 当日の早朝、国税、検察のそれぞれ百人を超える職員は、家宅捜索先を教えられないまま呼び出された。事務所などの捜索の結果、総額三十億円を超える割引債のほか、蓄えた金の延べ板まで発見された。同日夜には、東京地検が「金丸元副総裁逮捕」の緊急記者会見をした。

 野村は大蔵事務次官の尾崎護(現・国民生活金融公庫総裁)には報告していた。尾崎はかつての上司で、土田の前任の国税庁長官だった。尾崎は「あれは三月の強制捜査着手の直前だったか。止める理由は何もなかった」と言う。

 土肥は「あれで検察が国民の信頼を回復できたのは間違いない」と語り、石川も「国税がしっかりしていたからできた。野村さんをはじめ、メンバーに骨のある人物がそろっていた」と黒子役に徹した「マルサ」をたたえる。

 しかし、実際に内偵調査にあたった中村や菱田は十年近くたった今も「大きな事件をやっているという意識は全くなかった。いつもの仕事の感覚だった」と淡々としている。

 「徴税は公平が鉄則。特別扱いは許されない」。野村をはじめ、当時の関係者は口をそろえる。この基本姿勢は、第一線で働く税務職員に受け継がれているはずだ。(敬称略、肩書は当時)


<関連記事>

検察の狙いは金丸モデルで小沢の脱税逮捕?
http://y-sonoda.asablo.jp/blog/2010/01/17/4819359