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嘆きの壁 ローマ法王とレナード・コーエンと佐々木承周老師2009/05/13 00:00

レナード・コーエンと佐々木承周老師






ベネディクト16世、「岩のドーム」を法王として初訪問 エルサレム
http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2601548/4138384
ローマ法王がユダヤ教聖地訪問 嘆きの壁で祈り、関係修復図る
http://www.47news.jp/CN/200905/CN2009051201001091.html
「虐殺への謝罪うかがえない」イスラエルで法王に批判集中
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090512-OYT1T01149.htm?from=navr

学生時代に読んだユダヤ系カナダ人のレナード・コーエンの「嘆きの壁」をふと思い出しました。
確かまだ実家の本棚にあるはず。

ボブ・ディラン含めた数多くのアーティストの尊敬を集めるコーエン。
日本でもほとんど知られていませんが、
コーエンは後に禅の佐々木承周老師の弟子になります。

「和」に導くヒントはここにあるのではないでしょうか。





レナード・コーエンと佐々木承周老師
http://www.leonardcohenfiles.com/roshi89.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Kyozan_Joshu_Sasaki

コメント

_ Blondy ― 2009/05/13 07:04

そうですか、レナード・コーエンと佐々木承周老師 できますか。 

恐れ入りました。

それでは、私は 町田宗鳳 『人類は「宗教」に勝てるか 一神教文明の終焉』を出さざるを得ませんね。

_ Y-SONODA ― 2009/05/13 08:11

Blondyさんへ

町田宗鳳さんできましたか。
じゃー、久保田展弘さんでお返しを♪
ちなみに久保田さんはつい最近まで国際平和協会の役員さんでした。

ディランつながりでボブ・ニューワースのGreat Spiritが現在のBGM。
「先住民族に伝わる賢者たちの言葉」が響いています。

_ Blondy ― 2009/05/13 17:00


大陸にいた縄文人のご祖先がベーリング海経由でアメリカ大陸に渡ってインディアンをやってるので、[賢者たちの言葉」は日本人には比較的にスッと入りますが、闘争心旺盛でサスティナビリティ意識の弱いバーバリアンやノーマッド、ベドウィンをご先祖に持つ人々にはなかなか理解できないもののようですね。 

やっぱり環境は人をつくりますよね。


久保田展弘さんと協会つながりですか、さすがですね~。

とすると、山折 哲雄さんとか安田 喜憲さんレベルはあたり前田のクラッカーでしょうから、天の邪鬼な小生としては、日本にはほんとに色々流れ着いていて、一見日本らしいと感じられるものの背後にいろいろワケがあるというところを強調したいので、とりあえず、清川 理一郎さん(猿田彦と秦氏の謎)でも振っておきます。

_ とおる ― 2009/05/13 20:14

知らない人名ばかりです。
ローマ法王が「嘆きの壁」に立っている映像が載っていますが、昔、私も行ってきました。(「嘆きの壁」の前のユダヤ教徒が集まっている仕切られた広場には入りませんでしたが)
その夜、ラビン首相が暗殺された記憶は、忘れられません。

_ Y-SONODA ― 2009/05/14 09:28

★Blondyさんへ

>大陸にいた縄文人のご祖先がベーリング海経由でアメリカ大陸に渡ってインディアンをやってる

これをジョニ・ミッチェルから始まる音で表現してみました。
これぞ音楽文化人類学だ!な~~んてね。
それにしてもムックリも少しは改良すればいいのにねw

清川理一郎さんのフリーメーソン本は持っているのですが、
猿田彦本まで出していたとは知らなかったので、早速購入しました。
興味深い情報、ありがとうございます。

★とおるさんへ

>知らない人名ばかり
知らない方が日本では普通だと思うので、気にしないで下さいね。

ところで実際に嘆きの壁に立ってみて、何か感じるものはありました?

_ Blondy ― 2009/05/14 14:43

「ジョニ・ミッチェルとバフィのムックリ」の音楽文化人類学ありがとうございます。勉強になります。
じゃあ源流紀行ということでラフ族をお返しさせていただきます。
http://www.youtube.com/watch?v=vBWQ6jQ1FcE

清川さんのメイソン本は顕教のセム一神教に対する通奏低音としての密教の地母神信仰の存在を示した世界的な稀書ですが、どうせ絶版になると見て10冊くらい実家の書庫に仕込んであります。
数が必要な時はお声掛けくださいませ。

_ 猿田彦 ― 2009/05/14 16:16

皆さんご無沙汰しています。私のことを話題にしていただいているようで、ちょっとご挨拶に参上しました。
清川先生も書いて下さっていましたが、日本の神話に現れる猿田彦にも様々な要素が混入されています。清川さんの書かれた秦氏との関係は、後から追加挿入されたようなものでして、誤りではない一つの要素でもあるのかなと。。。まぁいいじゃないかと思っています。

猿田彦はサムシンググレート(神)と人をつなぐことがお役目でして、そうすることによって人の歩むべき道をお見せすることが私のお仕事です。

世界の神話や伝承にも姿を変えて現れています。モーゼもそうですよ、日本では権現と呼ばれるなかに猿田彦が姿を変えて現れたものもありますが、人間が勝手に権現を名乗ったり名付けたりして少々迷惑してることもあります。まぁそういう偽物は短い時間に消えて行くのですが、人間の云う千年とか万年という時間は私たちの世界では短い部類に入るものなのです。

清川先生は大変好奇心旺盛な方でして、次の本もなかなか興味深いものがありますよ。

「キリストと黒いマリアの謎」
「薬師如来 謎の古代史」―仏の素顔とインドの魔族

Blondyさんの仰る稀書とは、「フリーメーソン源流紀行」のことでしょうか? 私のところにも2冊ありますので、どなたかご希望の方がおられれば1冊はお分けできます。

_ 猿田彦 ― 2009/05/14 16:58

佐々木承周老師のことを日本の新聞は一切記事にしていないと、園田さんからご報告がありました。マスコミとはそういうものかも知れません。私は老師に直接お目にかかったことはありませんが、恐らくそういうこと(マスコミに出る)を極力避けておられたのではないかと思います。

自らが会得したものを穢すことは、無名有力を貫くことで初めて守り続けることができるとお考えになったのではないかと。。。
例え相手が一人であっても、聴きたい教わりたいという人がいれば出かけていく、ライブ(現代風ですが)でこそ最も伝えたいことを伝えることができる・・・そうお考えになっているように思えます。

大規模な集会を開く、宗派を大きくする、立派なお堂(教会)を造る、そんなことを積み重ねることによって、宗教と呼ばれるものはその本質を歪め続けてきたのですから。。

_ Blondy ― 2009/05/14 18:04

猿田参さん、ご光臨ありがとうございます。よろしくお願いします。

そうですね、「フリーメーソン源流紀行」のことです。

猿田参さんがあげられた他の2冊もよろしいですね。

そういえば鹿島昇さんも猿田参さんのことをいろいろお書きになってましたね。

_ Blondy ― 2009/05/14 18:12

上記で、猿田彦さんのお名前を間違ってしまいましたが、単純ミスです。失礼いたしました。祟らないでね。

_ とおる ― 2009/05/14 20:23

園田様
> ところで実際に嘆きの壁に立ってみて、何か感じるものはありました?

何も感じませんでした。
ユダヤ教徒でも無く、キリスト教徒でも無く、信仰心がほとんど無い人間ですから、「ほう、これが、あの頃の神殿の遺跡か~」くらいです。
「嘆きの壁」よりも、そこの石畳の表面が人に踏まれてピカピカに光っていたという記憶があります。(現実はどうだったか不明ですが、私の記憶の中では)
エルサレム・ストーンを使った街並みに、夕陽があたると、色が冴えて、見たことも無いような風景となります。「嘆きの壁」も、夕陽の頃に見たら、さぞかし印象深いだったろうと、帰国してから想像しているだけです。

_ 猿田彦 ― 2009/05/14 21:56

Blondyさん、こんにちは!
私はあちこちの神社さんで丁寧に祀っていただいておりまして、祟るなんて罰当たりなことはとてもできません。
これからどうぞよろしくお願いします。

_ 猿田彦 ― 2009/05/14 23:02

Blondyさん、  鹿島昇さんが猿田彦を書いていたことを知らなかったのは不覚です。古代についてたくさん出版されているようですが、どの本を読めば良いか教えていただけましたら幸いです。

鹿島昇さんの本は幕末に注目して読んできましたが、長州忍者外伝に触発されて現地探索をしてきたことがあります。
伊藤博文について、私の想定していた以上のその正体を掴むことができたのは収穫でした。その内容は残念ながら公開の場に書くことは憚られるのでお許し願いたいと思います。

しかし、あの地域・・旧熊毛郡とか上関一帯は、深く濃いものがたくさん潜められているようで、まだまだ探索の必要を感じています。例えば皇座山とか大皇山など、なぜこんな名前の山がとか。また、西の田布施もこのあたりの中心地ですね。さらに半島のすぐ東には宮本常一さんの大島がありますね。

_ 猿田彦 ― 2009/05/14 23:25

久保田展弘さんとは、協会の同じ評議員として2度隣り合わせで座ってお話したことがあります。あの年齢にしてその目が実に清らかに澄んでいたことが、強い印象として残っています。
彼のお話の中で面白かったのは、彼はシナイ山に3度登って瞑想をしたそうですが、その時「何でこの人たちはこうなったんだろう?」と、山上から空に向かって問いかけていたということです。
彼の云わんとしたことは私にはよくわかるのですが・・・

シナイ山は毎日多くの信者さんたちが登ってくるのですが、瞑想をする人は皆無のようで、みなさん観光登山なのだそうです。彼が半日瞑想を続けて降りてこないものだから、運転手(ガイド)さんが心配して探しに登ってきたこともあったそうです。

_ Blondy ― 2009/05/15 03:17

猿田彦さん、

こちらこそよろしくお願いします。

鹿島さんが猿田彦さん関係に触れている記述は、例えば下記です。

「裏切られた、三人の天皇 明治維新の謎 増補版」 鹿島 昇 新国民社 より一部引用
『秀真伝(ほつまつたえ)』には猿田彦が「われはいせのそさるたひこ」といったとあるが、猿田彦は秦帝国から秦韓に亡命した秦人の末裔で、かつては九州吉野ヶ里の奴国の王であったが、おくれて朝鮮から亡命した神武(実は扶余王仇台)に国土を献じ、みずから伊勢に移ったものであり、そのあと奈良地方に朝鮮人の移民がやって来て、「ウリ、ナラ、チョイン、ナラ、ムグンハ、カンサン」という「ナラ」をもってその地名としたものである。
かつて、伊勢を中心として幾内の大和地方に日本国を建国した秦王国の人びとは、その昔ディオドトス王のバクトリア王国の民であり、かつて中国を侵略して秦という大帝国を建設したが、「馬を鹿」といわせて儒者を殺し、オリエント史をもって中国古代史としたために大帝国を維持しえなかった。その子孫であった秦王国の支配者たちが創作した日本国の偽造史は、あえて朝鮮人亡命者を天皇としたもので、まさに「馬を鹿といった」ものであった。

拙Blondyは、現在、海外滞在中で 日本関係の蔵書が手元にないため、その他については直接この本とこの本にあったと
即答できませんが、幸い、松重 楊江(まつしげ ようこう)さんというかたが、“鹿島 曻-その業績と生涯 日本史のタブー
に挑んだ男 ”という鹿島集大成本を出されたようであり、その目次に、下記が出ていますのでご参考までに下記しておきます。

秦人の亡命者・猿田彦は、神武の九州侵入により東へ移動 256
猿田彦は、中南越の苗族を率いた秦人の亡命者(『水尾大明神木土記』より) 256
神武の九州侵入により、伊勢都彦=猿田彦は東へ移動(『伊勢国風土記』) 258

伊藤博文や田布施の話、機会があったら伺いたいものです。
長州と紀州の十津川の役割関係も気になっています。

_ Blondy ― 2009/05/15 03:22

旧約聖書の、特にあまり読まれないレビ記あたりには、シナイ山のふもとの幕屋に神がモーゼを呼んで、牛、小羊、山羊、キジバト、小鳩、油を混ぜた種なしパン、種入りパン、聖餅、ブドウ酒、小麦粉、穀物の青い穂、乳香、油、塩 等につき、品質・数量・調理法等をこと細かく
指示して供物としてささげさせる場面が何か所も出てきます。

日々の捧げものはこうしろ、罪や咎があった場合や神と和解する場合はことの度合いに応じてこうしろ、祭司の取り分はこうしろと実に具体的です。

神の家からからだまし取る者は、その代価の五分の一を追加した金額を祭司に支払えともいう。

そして、神の姿を見てはいけないといい、神域に勝手に近づく者には弓矢や槍が飛んでくる。

これでは小生には、数十人のグループがパワースポットの山の上で供物に頼って優雅に生活していたとしか思えません。

_ Y-SONODA ― 2009/05/15 07:53

★とおるさんへ

いつか嘆きの壁も見に行こうと思っていたのですが、
「何も感じなかった」と聞いて意気消沈(笑)
とはいえピカピカ石畳が新たな目標になりそう。
どうもありがとうございました。


★猿田彦さんとBlondyさんへ

我が家で清川さんの「フリーメーソン源流紀行」の発掘調査を行ったのですが発見できず。
おそらく本の山の縄文層あたりに潜んでいるのではないかと。
結局私も2冊目買っちゃいました(笑)

ラフ族のムックリに驚愕しつつ、
佐々木承周老師がNYTのインタビューに応じていることから、
日本には本物と通じ合う本物の記者がいないから記事がないのではないかとボソボソ。

さぁ、あとは皆さん。
お二人の貴重なやりとりを楽しんでくださいね。

_ とおる ― 2009/05/15 09:28

園田様
> いつか嘆きの壁も見に行こうと思っていたのですが、
> 「何も感じなかった」と聞いて意気消沈(笑)

感受性の豊かな方だと、何か感じると思います。
エルサレム旧市街は、あちこちに歴史的な物が転がっていますので、それだけでも感激すると思います。
景色も様々で、楽しめると思います。
ただ、空港でのセキュリティの厳しさや、ユダヤ人のサービス精神のなさ(?)には、「二度と、こんな国に来てやるか!」と思うかもしれませんが、それも、後で、いい思い出になるかもしれません。
いつか、また余裕を見つけてじっくりと見て回ろうと思っています。
なお、イスラエルから帰った後で、ヘブライ語をすこし習っていました。

_ kept ― 2009/05/15 10:19

すみません、少し話題が逸れてしまうのですが、悪石島の「ボゼ」について研究された本など、知っていらしたら教えて下さい。

検討はずれな書き込みでしたら、申し訳ありません。

_ (未記入) ― 2009/05/16 00:21

Blondyさん

とてもご丁寧なガイドをありがとうございました。

鹿島昇さんのこの書籍はだいぶ前に読みましたが、あまり印象になく覚えておりませんでした。

猿田彦神社と名乗る神社は現在伊勢神宮内宮の側にあり、猿田彦が東へ移ったとは誰でもそう言えることと思います。鹿島氏のその他の説明は根拠が説明されておらず、申し訳ないですが私はあまり評価しておりません。

確かに伊勢の海女が着る白衣の裾にある災難除けの縫い込みは、同様なものがシナイ半島の遺跡にもあるとか、神宮の灯籠のダビデの星、伊勢神宮の宮司職は明治になるまでは代々渡会氏であったなど、遠方から来た人たちの痕跡と思える印が残っており、何らかのそういった事象(渡来)があったのは事実だと思っています。ただ、こう言ったことを繋げて物語を書くことはそんなに難しいことでもないように思ったりしています。

実は猿田彦の総本社については鈴鹿市にある椿大神社と長く争っていまして、椿のほうが創建は相当に古く、明治から昭和にかけての政府認定は椿大神社を総本社としています。
私はどちらも現地へ足を運んだのですが、当人としてはどっちでもないよと言いたいのですが・・・

それから、水尾神社の伝承は小椋一葉さんが「箸墓の歌」で触れていたように思います。これは少し調べてから報告致したいと思います。
いずれにしても瀬戸内海両岸には渡来した人たちの痕跡と、それを迎えた(争いも含め)原日本人と呼べる人たちの痕跡がかなり残っているようです。さらに四国側の山を越えたところから四国山中に至っては徐福が初めて国を開いた地域があるなど、奥深いものがたくさんあります。
このあたりはいずれ稿を改めてお話申し上げたいと思います。

それから、松重楊江さんのこと、ありがとうございました。彼は上関半島の東側、柳井市のご出身ですね。この方は何か知っているかも知れません、書物を取り寄せて勉強したいと思います。

_ 猿田彦 ― 2009/05/16 03:58

猿田彦です、
先の名前未記入のコメントは私です。名前を入れるのを失念しておりました、皆さんごめんなさい。

で、ついでといってはなんですが・・音楽文化人類学のほうにちょっと寄り道を。。。
この分野は園田さんにとても敵わないのですが、たまにはご存知ないこともあったようで、私から紹介させていただきます。

アルタイのカイ
http://www.youtube.com/watch?v=dR9GS4P8s00
http://www.youtube.com/watch?v=nHaj-TydLF8

このカイ(独特の喉の使い方をした発声をする音楽)の名手 Bolot Bairyshev さんです。
彼の曲の中で私が最も好きな曲 Ukok は残念ながら Youtube には見あたらなかったのですが、カイの特徴はご覧いただけると思います。

私は特にアルタイという場所に注目しているんです。
というのは、アフリカで発生した人類はアラビア半島を経て西アジアに行き、そこから東西に分かれて西はコーカソイドに、東はモンゴロイドと呼ばれる人種に分化していった。 
この説はほぼ定説と見て良いようですが、とするとアルタイあたりは現代人類の原点のような場所なのではないでしょうか。

Blondyさんのラフ族のムックリには驚かされました(ご教示ありがとうございました)。ベーリング海を渡って米大陸へモンゴロイドが移っていったのはごく最近のようですが、太平洋の両岸に広がるモンゴロイドたちには共通点がたくさんあるようです。

例えば、星野道夫さんが親しくしていたアラスカのボブ(やや発達障害が伺える男性)が抱いていた木製の古い人形のようなものは、東北のオシラサマとそっくりでした。(森と氷河と鯨)

ムックリの話で、アイヌのシャーマンと言われるアシリ・レラさんのことを思い出しました。彼女とお会いしたのはかれこれ10年前になります。お会いして驚いたのは彼女の見かけがあまりにも私の知るアイヌとかけ離れていたからでした。
http://www14.plala.or.jp/AsiriLela/mokuzi.htm
に現在の写真が貼られていますが、ご覧のようにまるでポリネシアかミクロネシアの人のようなのです。

こうなるとアイヌは北方から日本列島に移ってきたモンゴロイドの末裔であると単純に決められない。

より古い時代に(スンダランドが陸地であったころか?)、ユーラシアから移ってきたモンゴロイドが温暖化するにつれて徐々に現代のポリネシア人の特徴を持つに至った。そして一部の人たちが再び北へ(今度は黒潮に乗って)移ってきて、アイヌと混血・混住するようになったのではないでしょうか? 

私は「風土が民族性を作る」と」かねがね言ってまいりましたが、
Blondy さんの「環境は人をつくります」というのも、同じことを仰りたいのではないかと思っています。

そして、上の例のように単純に一方通行で考えてはいけない複雑な事象が重なり合っているのでしょう。

_ kept ― 2009/05/16 08:50

悪石島 仮面神ボゼ
http://www.aruzou.com/tokara/boze.htm

日本の仮面としては、とてもユニークで、ニューギニアの仮面との相似が取り上げられるので気になっていました。悪石島、ボゼで検索しても全然引っかからなかったんですが、トカラ列島で検索したら、すぐに本が見つかりました(涙)。

南日本の民俗文化誌3 トカラ列島
http://www.book.janjan.jp/0902/0902167544/1.php

http://www.geocities.jp/shimatosyo/satunan/rist_sa/0393akusekijima.htm

流れと違う話題を書き込んでしまい、失礼しました。

_ Y-SONODA ― 2009/05/16 09:46

★とおるさんへ

>ユダヤ人のサービス精神のなさ

これは意外。中国以上でしょうかw
中国もつい最近までひどかったなー。
店員同士でぺちゃくちゃおしゃべり。
大きな札を出すと露骨に嫌な顔。
こんな国、二度と来るかーと思いましたわ。

★keptさんへ

ボゼについてはここにそれらしき本が並んでいますよ。
私もついでに下野敏見さんの本を買っちゃったw
現地の図書館や大学などに問い合わせるともっと出てくるかもしれませんね。

悪石島(鹿児島県鹿児島郡十島村)文献目録|島の図書館―離島文献情報サイト
http://www.geocities.jp/shimatosyo/satunan/rist_sa/0393akusekijima.htm

などと書いていたらkeptさんもこのサイトを見つけたようですね。

★猿田彦さんへ

清川理一郎さんも鹿島昇さんも読む人によっては評価が大きく分かれるかもしれませんね。
私も鹿島さんは少し苦手かもしれない。

Blondyさんのラフ族のムックリに続くアルタイのカイもおもしろいですね。
さすが猿田彦さん。

音楽を通じたルーツ探し。
皆様からの情報もお願いしたいものです。

Blondy さんの「環境は人をつくる」。
これは「自然が人をつくる」と言い換えることも可能かと。

根っこにあるものはみんな同じはずなのに完全に忘れちゃってる人がいますね。

_ kept ― 2009/05/16 14:52

園田さんへ
ありがとうございました。
あの辺りの島の文化関係は、とても面白いですね。
中でも、ボゼの意匠が一番好きだったのでボゼで探していたんですが、近視眼的になってましたw。

_ Y-SONODA ― 2009/05/17 09:45

Keptさんへ

いえいえ、こちらこそボゼをきっかけに下野敏見さんの本を見つけたので感謝。
本の到着を心待ちにしていまーす。

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_ 米流時評 - 2009/05/13 07:08


 ||| さらば中世!タリバン恐怖政治の終焉 |||
 イスラム原理主義で中世の暗黒時代を再現した狂気の蛮族、タリバン統治の終焉
 密告・暗殺・公開斬首刑……殺戮の恐怖政治から脱出する百万のスワット谷住民

 日本は、昨夜の小沢民主党代表の辞任宣言で、
みなさん一斉にこの話題をとりあげてらっしゃいますね。
次期総選挙の勝敗の鍵を握る当事者の辞任ですから、無理もありません。

 私はすでに米国永住の身柄なので、一片の意見も寄せる権限はありません。
 なので、あくまで私感にすぎませんが、外野席で見る限りでは
 「なんとタイミングの悪い……」という実感は拭えません。 ...