防衛汚職の背後にちらつく“もうひとつの影” ― 2008/07/30 01:27
http://www.mainichi.co.jp/syuppan/economist/news/20080105-185851.html
秋山直紀逮捕にまで発展した一連の防衛利権問題。
ロッキード事件との関連はすでに少し触れましたが、
シーメンス事件とも似ているのではないかと。
そしてたどり着いたのが、この週刊エコノミスト論文です。
これは実によく書けていますね。
やはり歴史という視点を忘れてはいけません。
本来これが基本なのですが、
残念ながら今のメディアの方々はこの基本を忘れています。
原田さんは「最悪のシナリオ」として、『近い将来、東アジアにおける軍需マーケットの膨張、すなわち局地的なものであれ「戦乱」を予期されはしないかということである』と書いています。そして、『防衛省汚職事件が「日本という近未来の軍需マーケットの存在を示唆するものだった」と思い起こされる日が、近いうちに来るのかもしれない』と結んでいる。
「戦乱」には当然日中間の戦争も含まれているはず。
私はかなり具体的な「新日中戦争」のシナリオがすでに存在するのではないかと見ています。そのシナリオを描いているのは当然米英仏独露などなど。
私が周囲に漏らしている持論は「今なお世界の中心は英国だ」。
米国を都合よく振り回しているのは英国。
なんといっても熱心なキリスト教大国・米国は担ぎやすい。
英国こそ本流と見ていたのは吉田茂であり、白洲次郎でした。
しかし現在の日本は米国しか見ていない。
実は今回の防衛利権問題には、
“英国の影”以外に“中国の影”もちらついています。
おそらく今回の事件には中国も相当関与しているはず。
中国も得したことは間違いない。
いざとなったら中国はまた英国と組みますよ。
米国に接近することだって有り得る。
すでに防衛分野における中国の対米人脈網は、
日本を圧倒するほどの勢いで拡大している。
そうなるとまた日本だけがまた悪者。
いつか来た道ですね。
経済状況もあの時と非常に似てきた。
原田さんも書いているように雲行きがあやしくなるのは、
2010年の上海万博が終わった頃になるでしょう。
その前後から憲法九条改正論も再浮上してくるはずなので、
これをシグナルと判断すればよい。
『隠された皇室人脈』にも書いたように
点火スイッチはやはり石油になる可能性が高い。
これもあの時とまったく同じ構図ですね。
原田さんといえば某会員制月刊誌でご一緒したことがあります。
エコノミストさんもよく存じておりますので、
敬意をこめて以下に全文掲載させていただきます。
▼引用開始
〔エコノミストリポート〕
「シーメンス事件」との共通点 防衛汚職の背後にちらつく“英国の影”
原田武夫(元外交官、原田武夫国際戦略情報研究所代表)
2008/01/15週刊エコノミスト
前事務次官の逮捕にまで発展した防衛省汚職事件。防衛利権をめぐる官民癒着の呆れた実態が明らかとなったが、同事件をさらに読み解くと、軍需マーケットをめぐって対峙する米英企業という、異なる視点が浮かび上がる。
防衛省をめぐる不祥事は2007年10月19日、防衛専門商社の山田洋行との癒着をマスコミが報じたことで明らかとなった。同省の守屋武昌前事務次官が山田洋行の宮崎元伸元専務から、1998年から8年間で300回を超えるゴルフ接待を受けていた(参院・参考人質疑での答弁)というのである。接待が守屋氏の在職中に行われていたことから、自衛隊員倫理規定に違反する疑いが報じられた。
続けて浮上した疑惑が、航空自衛隊の現行輸送機C1の次期輸送機(CX)エンジンの調達問題である。
防衛省は03年、米ゼネラル・エレクトリック(GE)をCXエンジンの納入業者に選定。日本での販売代理店は山田洋行が務めていたが、GEは07年4月、日本ミライズに代理店を変更すると防衛省に通知した。
日本ミライズは宮崎元専務が山田洋行から独立し、06年9月に設立した防衛専門商社だ。だが、同社に契約実績がないため、防衛省内では07年6月下旬、GEからエンジンを直接購入することや、従来の「随意契約」(発注者が入札を実施せず、任意に業者を選定する契約方法)を一般競争入札に変更することも検討していた。これらの案に対し、守屋前事務次官は反対。また、06年11月にGE幹部と事務次官室で面会した際には、山田洋行との間で代理店の座を争っていた宮崎元専務が同席していたことも判明した。こうした経緯を受けて、東京地検特捜部は11月8日に宮崎元専務を、同28日には守屋前事務次官をそれぞれ逮捕した。
連日報じてきた各メディアは、一連の事件を政府の調達をめぐる官民癒着事件と捉えている。だが、本当にそれだけなのだろうか。ほかの業界でもしばしば行われてきたような官民癒着問題とは異なる側面を持ってはいないだろうか。
事件発覚で得するのは?
日本で「防衛」というと真っ先に思いつくのが、日米同盟のパートナーである米国であろう。実際、先ほど触れた通り、今回の事件をめぐる一連のストーリーのなかでも、米国を代表するコングロマリット(複合企業体)であるGEの名前が登場する。その限りにおいては、戦後日本の安全保障を規定してきた日米同盟、あるいは在日米軍を所与の前提としがちな私たち日本人にとっても、「想定内の不祥事」と言えるのかもしれない。
しかし、事実関係を仔細に見詰め直すと、その向こう側にある「透かし絵」がくっきりと見えてくる。
CXエンジンの入札でGEと競合していたのは英国を代表する企業、ロールス・ロイスだった。ロールス・ロイスといえば、独BMWなどに売却した自動車部門のイメージが強いが、実は航空エンジン製造でも大変有名で、軍需企業でもある。海上自衛隊の次期護衛艦のエンジン調達をめぐっても、同社はGEと受注合戦を繰り広げており、GEに敗北している。同じく英国のBAEシステムズも、山田洋行による水増し請求報道を通じて名前が浮かんでいる。同社は、世界有数の航空宇宙メーカーであるとともに、戦車や潜水艦を製造する巨大軍需企業としての顔を併せ持っている。
今回の事件には随所に“英国の影”がちらついているのだ。
政府は07年12月3日、首相官邸に有識者による「防衛省改革会議」(座長、南直哉・東京電力顧問)を設置した。報道によると、会議の冒頭、町村信孝官房長官は、(1)文民統制の徹底、(2)厳格な情報保全体制の確立、(3)防衛装備品調達の透明性――の3テーマを挙げ、検討を求めたという。
このうち(3)について、従来のような代理店を通さない装備品のメーカー直接調達を推進し、商社依存の見直しを行うことになれば、GEにとっても打撃となるだろう。「防衛商社」という不透明な媒介を通じてこれまで受注を勝ち取ってきたのが、GEだからだ。今回の事件で「得をする」のは、これまでGEに敗れてきた企業となろう。
このような視点で防衛省汚職をつぶさに見ていくと、日本の防衛マーケットをめぐり英国が徐々にその存在感を増していることに気づく。
シーメンス事件との共通点
現実が目まぐるしく動く時、「これから先」を占うにあたっては、歴史に立ち返ると意外な発見につながることがある。今回の防衛省汚職を照らすべき鏡は何か。それは今から、94年前の1914(大正3)年に発覚し、日本海軍、ひいては時の山本権兵衛内閣を震撼させた大疑獄「シーメンス(ジーメンス)事件」だ。
当時の日本にとって、安全保障政策を規定していたのは、1902(明治35)年に結ばれた日英同盟だった。大英帝国の覇権の維持にあたり、日本は東アジアの一翼を担わされる格好になっていた。
この状況下で、日本海軍への英国の関与は極めて強かった。艦艇などの兵器、その製造技術を提供したのは、圧倒的に英国の兵器メーカーや造船企業だった。英国と日本の間には、極めて濃密な武器移転の関係が維持されていた。1904~05年の日露戦争時に日本海軍が使用した軍艦もほとんどが英国製だった。
英国の関与は海軍の軍事発注・技術協力にとどまらない。日露戦争の際には、膨大な戦費を賄うために政府が発行した戦時国債を、米ニューヨークのユダヤ人銀行家ジェイコブ・シフ氏が引き受けたと言われている。シフ氏はロンドンのロスチャイルド家の意向を受けたとされる。このように、日露戦争時の英国製軍艦、及びシフ氏による国債の引き受けを考え合わせると、結果的に経済的利益を得たのは英国であったと考えることができるのだ。
シーメンス事件が起きた1914年の7月に、第1次世界大戦が勃発した。日本も日英同盟に基づき、連合国の一員として参戦。敵国となったドイツが持つアジアでの権益獲得を狙い、中華民国(当時)の山東省にある租借地の青島と、南洋諸島に兵力を送った。第1次大戦中に起こったロシア革命の影響拡大を牽制すべく、1919(大正8)年にはシベリア出兵も行った。日露戦争に引き続き、第1次大戦を機に東アジアで巨大な軍需が生まれたのである。
シーメンス事件では、独シーメンス社と並び、英ヴィッカーズ社による巡洋戦艦の受注をめぐる贈賄工作も発覚。日英同盟のもと、極めて濃密な関係が維持されていたにもかかわらず、英国が強烈な売り込みをかけていたことになる。当時、日本という軍需マーケットにおいて、つばぜり合いを演じていたのが、ドイツだった。そしてその筆頭格ともいえるシーメンス社の不正を、ロンドン発で大々的に報じたのが、英国を代表する通信社のロイターだった。
第1次大戦が勃発する時点で、すでに英国は軍需発注のための「仕込み」を終了していた、という仮説も成り立つのではないか。94年前のシーメンス事件と、今回の防衛省汚職事件。英国の影がちらつくなか、かつてシーメンス社が演じた役回りが今の米GE社に回ってきているように見える。
東アジアの戦乱を予期
日本の軍需マーケットに隠然たる力を持つ英国。その大きな影が再び陽の光に晒され始めた今、1つのシナリオが見えてくる。
それはあくまでも「最悪のシナリオ」なのだが、近い将来、東アジアにおける軍需マーケットの膨張、すなわち局地的なものであれ「戦乱」が予期されはしないかということである。
確かに、朝鮮半島情勢をとってみても、米朝和解の兆しや南北の経済連携など、平和な「東アジア新秩序」が語られつつある。だが、本当に落とし穴はないのか。
07年11月下旬、米海軍の空母キティホークが感謝祭の休暇のための香港寄航を拒否された。さらには、12月にカーター元大統領が米中密約を告白(1979年の国交正常化に際して、米国の台湾への武器輸出継続を中国は容認)するなど、米中関係は大きく揺れ動き始めている。
「バブル」とも指摘されている中国経済の高度成長も、2010年の上海万博後は持続しない可能性は高い。そのようななかで、東アジアがますます不安定化することは誰の目にも明らかだ。
防衛省汚職事件が「日本という近未来の軍需マーケットの存在を示唆するものだった」と思い起こされる日が、近いうちに来るのかもしれない。
シーメンス事件とは
1914(大正3)年に起こった独シーメンス(独語音では「ジーメンス」)社による日本海軍将校への贈賄事件。明治初期から、日本海軍は艦船や装備品を英国とドイツから購入しており、シーメンスは日本海軍に無線機器などを提供していた。激しいシェア争いのなか、同社は発注の見返りとして発注元の有力者や担当技術者にリベートを渡していた。
事件表面化の発端は、1913年10月、シーメンス東京支社に届いた1通の脅迫状。同支社を解雇された元社員が、藤井光五郎・海軍機関少将や沢崎寛猛・海軍大佐に贈賄のうえで契約を取ったことを示す証拠文書を買い取るよう迫った。ところが脅迫は失敗。一件落着したように見えた。
しかし、本社が脅迫者を告訴したことで事態は急展開。ベルリン地方裁判所において、恐喝罪で懲役2年の判決が下されたことをロイターが全世界に報じ、日本の『時事新報』がこの外電の全文を掲載したことで、疑獄が明るみになった。
当時の山本権兵衛内閣は海軍拡張予算を含む予算案を帝国議会に提出していたため、政府に対して厳しい追及が行われた。その後、検察が捜査を開始、海軍省には査問委員会が設置された。捜査の手は藤井海軍機関少将にまで及び、その取り調べの過程で英ヴィッカーズ社による贈賄事件も発覚。山本内閣への追及は激化し、1914年3月に総辞職に追い込まれた。
▲引用終了
IISIA 原田武夫国際戦略情報研究所
http://www.haradatakeo.com/
原田武夫国際戦略情報研究所公式ブログ
http://blog.goo.ne.jp/shiome
秋山直紀逮捕にまで発展した一連の防衛利権問題。
ロッキード事件との関連はすでに少し触れましたが、
シーメンス事件とも似ているのではないかと。
そしてたどり着いたのが、この週刊エコノミスト論文です。
これは実によく書けていますね。
やはり歴史という視点を忘れてはいけません。
本来これが基本なのですが、
残念ながら今のメディアの方々はこの基本を忘れています。
原田さんは「最悪のシナリオ」として、『近い将来、東アジアにおける軍需マーケットの膨張、すなわち局地的なものであれ「戦乱」を予期されはしないかということである』と書いています。そして、『防衛省汚職事件が「日本という近未来の軍需マーケットの存在を示唆するものだった」と思い起こされる日が、近いうちに来るのかもしれない』と結んでいる。
「戦乱」には当然日中間の戦争も含まれているはず。
私はかなり具体的な「新日中戦争」のシナリオがすでに存在するのではないかと見ています。そのシナリオを描いているのは当然米英仏独露などなど。
私が周囲に漏らしている持論は「今なお世界の中心は英国だ」。
米国を都合よく振り回しているのは英国。
なんといっても熱心なキリスト教大国・米国は担ぎやすい。
英国こそ本流と見ていたのは吉田茂であり、白洲次郎でした。
しかし現在の日本は米国しか見ていない。
実は今回の防衛利権問題には、
“英国の影”以外に“中国の影”もちらついています。
おそらく今回の事件には中国も相当関与しているはず。
中国も得したことは間違いない。
いざとなったら中国はまた英国と組みますよ。
米国に接近することだって有り得る。
すでに防衛分野における中国の対米人脈網は、
日本を圧倒するほどの勢いで拡大している。
そうなるとまた日本だけがまた悪者。
いつか来た道ですね。
経済状況もあの時と非常に似てきた。
原田さんも書いているように雲行きがあやしくなるのは、
2010年の上海万博が終わった頃になるでしょう。
その前後から憲法九条改正論も再浮上してくるはずなので、
これをシグナルと判断すればよい。
『隠された皇室人脈』にも書いたように
点火スイッチはやはり石油になる可能性が高い。
これもあの時とまったく同じ構図ですね。
原田さんといえば某会員制月刊誌でご一緒したことがあります。
エコノミストさんもよく存じておりますので、
敬意をこめて以下に全文掲載させていただきます。
▼引用開始
〔エコノミストリポート〕
「シーメンス事件」との共通点 防衛汚職の背後にちらつく“英国の影”
原田武夫(元外交官、原田武夫国際戦略情報研究所代表)
2008/01/15週刊エコノミスト
前事務次官の逮捕にまで発展した防衛省汚職事件。防衛利権をめぐる官民癒着の呆れた実態が明らかとなったが、同事件をさらに読み解くと、軍需マーケットをめぐって対峙する米英企業という、異なる視点が浮かび上がる。
防衛省をめぐる不祥事は2007年10月19日、防衛専門商社の山田洋行との癒着をマスコミが報じたことで明らかとなった。同省の守屋武昌前事務次官が山田洋行の宮崎元伸元専務から、1998年から8年間で300回を超えるゴルフ接待を受けていた(参院・参考人質疑での答弁)というのである。接待が守屋氏の在職中に行われていたことから、自衛隊員倫理規定に違反する疑いが報じられた。
続けて浮上した疑惑が、航空自衛隊の現行輸送機C1の次期輸送機(CX)エンジンの調達問題である。
防衛省は03年、米ゼネラル・エレクトリック(GE)をCXエンジンの納入業者に選定。日本での販売代理店は山田洋行が務めていたが、GEは07年4月、日本ミライズに代理店を変更すると防衛省に通知した。
日本ミライズは宮崎元専務が山田洋行から独立し、06年9月に設立した防衛専門商社だ。だが、同社に契約実績がないため、防衛省内では07年6月下旬、GEからエンジンを直接購入することや、従来の「随意契約」(発注者が入札を実施せず、任意に業者を選定する契約方法)を一般競争入札に変更することも検討していた。これらの案に対し、守屋前事務次官は反対。また、06年11月にGE幹部と事務次官室で面会した際には、山田洋行との間で代理店の座を争っていた宮崎元専務が同席していたことも判明した。こうした経緯を受けて、東京地検特捜部は11月8日に宮崎元専務を、同28日には守屋前事務次官をそれぞれ逮捕した。
連日報じてきた各メディアは、一連の事件を政府の調達をめぐる官民癒着事件と捉えている。だが、本当にそれだけなのだろうか。ほかの業界でもしばしば行われてきたような官民癒着問題とは異なる側面を持ってはいないだろうか。
事件発覚で得するのは?
日本で「防衛」というと真っ先に思いつくのが、日米同盟のパートナーである米国であろう。実際、先ほど触れた通り、今回の事件をめぐる一連のストーリーのなかでも、米国を代表するコングロマリット(複合企業体)であるGEの名前が登場する。その限りにおいては、戦後日本の安全保障を規定してきた日米同盟、あるいは在日米軍を所与の前提としがちな私たち日本人にとっても、「想定内の不祥事」と言えるのかもしれない。
しかし、事実関係を仔細に見詰め直すと、その向こう側にある「透かし絵」がくっきりと見えてくる。
CXエンジンの入札でGEと競合していたのは英国を代表する企業、ロールス・ロイスだった。ロールス・ロイスといえば、独BMWなどに売却した自動車部門のイメージが強いが、実は航空エンジン製造でも大変有名で、軍需企業でもある。海上自衛隊の次期護衛艦のエンジン調達をめぐっても、同社はGEと受注合戦を繰り広げており、GEに敗北している。同じく英国のBAEシステムズも、山田洋行による水増し請求報道を通じて名前が浮かんでいる。同社は、世界有数の航空宇宙メーカーであるとともに、戦車や潜水艦を製造する巨大軍需企業としての顔を併せ持っている。
今回の事件には随所に“英国の影”がちらついているのだ。
政府は07年12月3日、首相官邸に有識者による「防衛省改革会議」(座長、南直哉・東京電力顧問)を設置した。報道によると、会議の冒頭、町村信孝官房長官は、(1)文民統制の徹底、(2)厳格な情報保全体制の確立、(3)防衛装備品調達の透明性――の3テーマを挙げ、検討を求めたという。
このうち(3)について、従来のような代理店を通さない装備品のメーカー直接調達を推進し、商社依存の見直しを行うことになれば、GEにとっても打撃となるだろう。「防衛商社」という不透明な媒介を通じてこれまで受注を勝ち取ってきたのが、GEだからだ。今回の事件で「得をする」のは、これまでGEに敗れてきた企業となろう。
このような視点で防衛省汚職をつぶさに見ていくと、日本の防衛マーケットをめぐり英国が徐々にその存在感を増していることに気づく。
シーメンス事件との共通点
現実が目まぐるしく動く時、「これから先」を占うにあたっては、歴史に立ち返ると意外な発見につながることがある。今回の防衛省汚職を照らすべき鏡は何か。それは今から、94年前の1914(大正3)年に発覚し、日本海軍、ひいては時の山本権兵衛内閣を震撼させた大疑獄「シーメンス(ジーメンス)事件」だ。
当時の日本にとって、安全保障政策を規定していたのは、1902(明治35)年に結ばれた日英同盟だった。大英帝国の覇権の維持にあたり、日本は東アジアの一翼を担わされる格好になっていた。
この状況下で、日本海軍への英国の関与は極めて強かった。艦艇などの兵器、その製造技術を提供したのは、圧倒的に英国の兵器メーカーや造船企業だった。英国と日本の間には、極めて濃密な武器移転の関係が維持されていた。1904~05年の日露戦争時に日本海軍が使用した軍艦もほとんどが英国製だった。
英国の関与は海軍の軍事発注・技術協力にとどまらない。日露戦争の際には、膨大な戦費を賄うために政府が発行した戦時国債を、米ニューヨークのユダヤ人銀行家ジェイコブ・シフ氏が引き受けたと言われている。シフ氏はロンドンのロスチャイルド家の意向を受けたとされる。このように、日露戦争時の英国製軍艦、及びシフ氏による国債の引き受けを考え合わせると、結果的に経済的利益を得たのは英国であったと考えることができるのだ。
シーメンス事件が起きた1914年の7月に、第1次世界大戦が勃発した。日本も日英同盟に基づき、連合国の一員として参戦。敵国となったドイツが持つアジアでの権益獲得を狙い、中華民国(当時)の山東省にある租借地の青島と、南洋諸島に兵力を送った。第1次大戦中に起こったロシア革命の影響拡大を牽制すべく、1919(大正8)年にはシベリア出兵も行った。日露戦争に引き続き、第1次大戦を機に東アジアで巨大な軍需が生まれたのである。
シーメンス事件では、独シーメンス社と並び、英ヴィッカーズ社による巡洋戦艦の受注をめぐる贈賄工作も発覚。日英同盟のもと、極めて濃密な関係が維持されていたにもかかわらず、英国が強烈な売り込みをかけていたことになる。当時、日本という軍需マーケットにおいて、つばぜり合いを演じていたのが、ドイツだった。そしてその筆頭格ともいえるシーメンス社の不正を、ロンドン発で大々的に報じたのが、英国を代表する通信社のロイターだった。
第1次大戦が勃発する時点で、すでに英国は軍需発注のための「仕込み」を終了していた、という仮説も成り立つのではないか。94年前のシーメンス事件と、今回の防衛省汚職事件。英国の影がちらつくなか、かつてシーメンス社が演じた役回りが今の米GE社に回ってきているように見える。
東アジアの戦乱を予期
日本の軍需マーケットに隠然たる力を持つ英国。その大きな影が再び陽の光に晒され始めた今、1つのシナリオが見えてくる。
それはあくまでも「最悪のシナリオ」なのだが、近い将来、東アジアにおける軍需マーケットの膨張、すなわち局地的なものであれ「戦乱」が予期されはしないかということである。
確かに、朝鮮半島情勢をとってみても、米朝和解の兆しや南北の経済連携など、平和な「東アジア新秩序」が語られつつある。だが、本当に落とし穴はないのか。
07年11月下旬、米海軍の空母キティホークが感謝祭の休暇のための香港寄航を拒否された。さらには、12月にカーター元大統領が米中密約を告白(1979年の国交正常化に際して、米国の台湾への武器輸出継続を中国は容認)するなど、米中関係は大きく揺れ動き始めている。
「バブル」とも指摘されている中国経済の高度成長も、2010年の上海万博後は持続しない可能性は高い。そのようななかで、東アジアがますます不安定化することは誰の目にも明らかだ。
防衛省汚職事件が「日本という近未来の軍需マーケットの存在を示唆するものだった」と思い起こされる日が、近いうちに来るのかもしれない。
シーメンス事件とは
1914(大正3)年に起こった独シーメンス(独語音では「ジーメンス」)社による日本海軍将校への贈賄事件。明治初期から、日本海軍は艦船や装備品を英国とドイツから購入しており、シーメンスは日本海軍に無線機器などを提供していた。激しいシェア争いのなか、同社は発注の見返りとして発注元の有力者や担当技術者にリベートを渡していた。
事件表面化の発端は、1913年10月、シーメンス東京支社に届いた1通の脅迫状。同支社を解雇された元社員が、藤井光五郎・海軍機関少将や沢崎寛猛・海軍大佐に贈賄のうえで契約を取ったことを示す証拠文書を買い取るよう迫った。ところが脅迫は失敗。一件落着したように見えた。
しかし、本社が脅迫者を告訴したことで事態は急展開。ベルリン地方裁判所において、恐喝罪で懲役2年の判決が下されたことをロイターが全世界に報じ、日本の『時事新報』がこの外電の全文を掲載したことで、疑獄が明るみになった。
当時の山本権兵衛内閣は海軍拡張予算を含む予算案を帝国議会に提出していたため、政府に対して厳しい追及が行われた。その後、検察が捜査を開始、海軍省には査問委員会が設置された。捜査の手は藤井海軍機関少将にまで及び、その取り調べの過程で英ヴィッカーズ社による贈賄事件も発覚。山本内閣への追及は激化し、1914年3月に総辞職に追い込まれた。
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