木霊と日本最古の伝世鏡 ― 2008/07/24 00:54
<上>
屋久島つわのやの「森の精霊」
http://www.tsuwanoya.com/uploads/spiritual_photos/1.jpg
<下>
元伊勢籠神社の海部直伝世鏡「息津鏡・邊津鏡」
http://www.motoise.jp/main/houmotu/kagami.html
屋久島も行かなきゃなぁ。
などと思いつつ、屋久島の宿泊施設を探していました。
ほーほー、リゾートホテルみたいなところもあるのね。
屋久島つわのや
http://www.tsuwanoya.com/
ん?スピリッチュアルに森の精霊?
それで出てきたのが木霊の写真です。
ま。。まてよ。
この模様は何かに似ているぞ。
とっさに思い出したのが、何かと話題を集める丹後一宮の元伊勢籠神社。
元伊勢 籠神社(このじんじゃ)
http://www.motoise.jp/
ここにあるのが海部直伝世鏡「息津鏡・邊津鏡」。
邊津鏡は前漢時代、今から二〇五〇年位前のものとされています。
実はM51(子持ち銀河)も思い出したんですけどね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%90%E6%8C%81%E3%81%A1%E9%8A%80%E6%B2%B3
http://ryutao.main.jp/st2k_m51_sc8.html
昔の人は木霊から宇宙を見ていたのかもしれませんね。
<追伸>
これを書いているときに地震が発生。
東北地方にお住まいの皆様が気がかりです。
心よりお見舞い申し上げます。
屋久島つわのやの「森の精霊」
http://www.tsuwanoya.com/uploads/spiritual_photos/1.jpg
<下>
元伊勢籠神社の海部直伝世鏡「息津鏡・邊津鏡」
http://www.motoise.jp/main/houmotu/kagami.html
屋久島も行かなきゃなぁ。
などと思いつつ、屋久島の宿泊施設を探していました。
ほーほー、リゾートホテルみたいなところもあるのね。
屋久島つわのや
http://www.tsuwanoya.com/
ん?スピリッチュアルに森の精霊?
それで出てきたのが木霊の写真です。
ま。。まてよ。
この模様は何かに似ているぞ。
とっさに思い出したのが、何かと話題を集める丹後一宮の元伊勢籠神社。
元伊勢 籠神社(このじんじゃ)
http://www.motoise.jp/
ここにあるのが海部直伝世鏡「息津鏡・邊津鏡」。
邊津鏡は前漢時代、今から二〇五〇年位前のものとされています。
実はM51(子持ち銀河)も思い出したんですけどね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%90%E6%8C%81%E3%81%A1%E9%8A%80%E6%B2%B3
http://ryutao.main.jp/st2k_m51_sc8.html
昔の人は木霊から宇宙を見ていたのかもしれませんね。
<追伸>
これを書いているときに地震が発生。
東北地方にお住まいの皆様が気がかりです。
心よりお見舞い申し上げます。
コメント
_ Q ― 2009/07/13 18:14
_ Y-SONODA ― 2009/07/14 01:47
Qさんへ
こういう説もあるのかという点で大変勉強になりましたよ。
ところで海部氏系図周辺で南朝北朝につながる流れもあるのでしょうか。
あったらおもしろいのになぁ。
こういう説もあるのかという点で大変勉強になりましたよ。
ところで海部氏系図周辺で南朝北朝につながる流れもあるのでしょうか。
あったらおもしろいのになぁ。
_ Q ― 2009/07/19 16:07
南北朝時代とは無関係じゃないでしょうか?
北畠親房の神皇正統記を読んでみても、もう皇室の創世記の記憶が無くなってしまった感があります。
まあ、皇室の創世記の歴史は、中世の南北朝時代を思わせるような対立の歴史だったのかもしれません。現代の皇太子、秋篠宮云々の件でも分かるように、皇室一族内での正統性をめぐって、いつも争ってきたのでしょう。南北朝時代の前の源平の戦いでも、平家が押す天皇(安徳天皇)と、源氏が押す天皇(後鳥羽天皇)とは違っていて、あの間は東西朝時代と見なすことも可能です。
南北朝時代は、三種の神器の所在の是か非かで、どちらが正当性があるのかで揉めまくった。
皇室の創世記は、初代の大倭王の天火明命の男系の直系の子孫が絶対なのか、あるいは、その兄弟(ニニギ命)の男系の直系の子孫にも継承権があるのか、王統の正統性をめぐっての対立だったように思います。
北畠親房の神皇正統記を読んでみても、もう皇室の創世記の記憶が無くなってしまった感があります。
まあ、皇室の創世記の歴史は、中世の南北朝時代を思わせるような対立の歴史だったのかもしれません。現代の皇太子、秋篠宮云々の件でも分かるように、皇室一族内での正統性をめぐって、いつも争ってきたのでしょう。南北朝時代の前の源平の戦いでも、平家が押す天皇(安徳天皇)と、源氏が押す天皇(後鳥羽天皇)とは違っていて、あの間は東西朝時代と見なすことも可能です。
南北朝時代は、三種の神器の所在の是か非かで、どちらが正当性があるのかで揉めまくった。
皇室の創世記は、初代の大倭王の天火明命の男系の直系の子孫が絶対なのか、あるいは、その兄弟(ニニギ命)の男系の直系の子孫にも継承権があるのか、王統の正統性をめぐっての対立だったように思います。
_ Y-SONODA ― 2009/07/20 10:26
Qさんへ
やはり南北朝時代とは無関係ですか。
私の方でも調べていたのですが、関連が無さそうですね。
今なお南朝北朝が活断層のようになっている。
その根っこはもっと古いのではないかと思っていろいろ調べているのですが、そろそろ限界かな~。
やはり南北朝時代とは無関係ですか。
私の方でも調べていたのですが、関連が無さそうですね。
今なお南朝北朝が活断層のようになっている。
その根っこはもっと古いのではないかと思っていろいろ調べているのですが、そろそろ限界かな~。
_ Q ― 2009/07/21 06:02
園田さんは、大室伝説を信じているんですか?いや、あれは、いくら何でもトンデモですw
ただ、日本の明治維新の思想背景に、南北朝時代が影響しているのは確かでしょう。天皇中心の政治になる上で、かつて後醍醐天皇が目指した建武の親政は避けて通れなかった。
まあ、本当のところ、南北朝時代というのは、大覚寺統の中でも傍流だった後醍醐天皇が、自分の系統が大覚寺統からも完全に外れてしまうのを阻止するためだけに起こしたようなものです。
大覚寺統の嫡流は、後醍醐天皇の兄の後二条天皇の系統でしたから、鎌倉後期以来の両統体制に置いても、大覚寺統のほうは、後二条天皇の系譜で一本化される予定だった。
そうすると、持明院統と大覚寺統の交合で皇位継承していましたが、大覚寺統からも完全に傍系として外される予定である後醍醐天皇の系譜に皇位が戻ってくるのは困難になる。
だったら、自分が天皇である間に何とかしないと駄目だろうって、後醍醐天皇は思うはずです。
じゃ、どうすれば、良いか?
「両統があるのが悪い。大覚寺統で一本化するべきである。そして、それを後醍醐天皇系で独占する。では、両統の原因はどこか?鎌倉幕府が京都朝廷に干渉した結果だ!」となる。
ただ、日本の明治維新の思想背景に、南北朝時代が影響しているのは確かでしょう。天皇中心の政治になる上で、かつて後醍醐天皇が目指した建武の親政は避けて通れなかった。
まあ、本当のところ、南北朝時代というのは、大覚寺統の中でも傍流だった後醍醐天皇が、自分の系統が大覚寺統からも完全に外れてしまうのを阻止するためだけに起こしたようなものです。
大覚寺統の嫡流は、後醍醐天皇の兄の後二条天皇の系統でしたから、鎌倉後期以来の両統体制に置いても、大覚寺統のほうは、後二条天皇の系譜で一本化される予定だった。
そうすると、持明院統と大覚寺統の交合で皇位継承していましたが、大覚寺統からも完全に傍系として外される予定である後醍醐天皇の系譜に皇位が戻ってくるのは困難になる。
だったら、自分が天皇である間に何とかしないと駄目だろうって、後醍醐天皇は思うはずです。
じゃ、どうすれば、良いか?
「両統があるのが悪い。大覚寺統で一本化するべきである。そして、それを後醍醐天皇系で独占する。では、両統の原因はどこか?鎌倉幕府が京都朝廷に干渉した結果だ!」となる。
_ Y-SONODA ― 2009/07/21 07:49
Qさんへ
私のクスノキコラムをお読みになっていないのでしょうね。
このコラムではっきりと「明治天皇すり替え説」を否定しましたよ。
http://www.sonoda-yoshiaki.com/colum7.html
ただし、このコラムでも書きましたが、テレビに出てくるような著名な研究者の中には大室説を信じている人が多いですよ。その方がしっくりくるからでしょう。
私は特に山県の発言内容から大室説の矛盾を突きました。
このあたりが明治維新以後の日本最大の謎だと思うのです(笑)
おそらく皇室が靖国神社参拝を控えていることにも多分に影響しているのではないかと。
靖国神社の南朝びいきはびっくりしますよ。
実際に見に行けばすぐにわかると思います。
私のクスノキコラムをお読みになっていないのでしょうね。
このコラムではっきりと「明治天皇すり替え説」を否定しましたよ。
http://www.sonoda-yoshiaki.com/colum7.html
ただし、このコラムでも書きましたが、テレビに出てくるような著名な研究者の中には大室説を信じている人が多いですよ。その方がしっくりくるからでしょう。
私は特に山県の発言内容から大室説の矛盾を突きました。
このあたりが明治維新以後の日本最大の謎だと思うのです(笑)
おそらく皇室が靖国神社参拝を控えていることにも多分に影響しているのではないかと。
靖国神社の南朝びいきはびっくりしますよ。
実際に見に行けばすぐにわかると思います。
_ Q ― 2009/07/22 00:08
すいません。読んでなかった...園田さん、いろいろ書かれているんですよね。
明治以後の日本の保守というのは、江戸時代の徳川光圀の大日本史や、本居宣長の国学思想の影響をたぶんに受けていますね。これは、皇室の外にいた人たちによる新興宗教ですよ、ある意味。本来の保守本流とは違う。
ちなみに、マスコミによく登場した旧皇族の竹田氏、彼は南朝派ですよ。南朝を正統と見るべきという考えですよ、彼は。彼も当然、北朝系なんだけど、いつのまにか、南朝思想を自分たちの思想だと勘違いしてしまっているのかも。だとしたら、恐ろしい。
また、彼の皇室の起源に対する見解や邪馬台国の関する見解でも、もろ、本居宣長の国学思想の影響を受けています。
まあ、若い竹田氏の思想背景は、当然、彼が独自に形成したものではなく、明治以後の日本の保守本流が、国学思想を基礎としていて、竹田氏もそれに忠実に従っているだけだと思います。
実際に、邪馬台国論争なんて、最近の箸墓古墳の研究の成果で、竹田氏も言うこと、ぐらついています。
明治以後の日本の保守というのは、江戸時代の徳川光圀の大日本史や、本居宣長の国学思想の影響をたぶんに受けていますね。これは、皇室の外にいた人たちによる新興宗教ですよ、ある意味。本来の保守本流とは違う。
ちなみに、マスコミによく登場した旧皇族の竹田氏、彼は南朝派ですよ。南朝を正統と見るべきという考えですよ、彼は。彼も当然、北朝系なんだけど、いつのまにか、南朝思想を自分たちの思想だと勘違いしてしまっているのかも。だとしたら、恐ろしい。
また、彼の皇室の起源に対する見解や邪馬台国の関する見解でも、もろ、本居宣長の国学思想の影響を受けています。
まあ、若い竹田氏の思想背景は、当然、彼が独自に形成したものではなく、明治以後の日本の保守本流が、国学思想を基礎としていて、竹田氏もそれに忠実に従っているだけだと思います。
実際に、邪馬台国論争なんて、最近の箸墓古墳の研究の成果で、竹田氏も言うこと、ぐらついています。
_ えの ― 2009/07/22 01:03
南北朝のもと
明夜航記『とはずがたり』
http://yumiki.cocolog-nifty.com/nautica/2009/02/post-fd34.html
美少女が後深草院と亀山院の<間>に寝た夜
http://blogs.yahoo.co.jp/kome_1937/26257261.html
という後宮のお話はそれはそれとして(後醍醐天皇は真言立川流を庇護したので関係はある)、南朝方についた地方豪族はどのような事情、思惑があったか。
「南朝五忠臣」
http://trushnote.exblog.jp/7559770/
『と言うわけで、貢献度や階層別に考えると、真の「南朝五忠臣」は楠木正成・北畠顕家・新田義貞・菊池武光・文観となるのではないでしょうか。』
『文観のイメージと言えば、髑髏を用いて怪しい儀式を行い男女交合すなわちセックスに耽る事で髑髏が真実を語り悟りを得られると主張するいかがわしさ満点の「淫祀邪教」・立川流の大成者というものです。』
菊地武時・菊地武光、阿蘇惟直
http://tenjin.coara.or.jp/~primrose/kikuti01.html
『鎌倉時代の菊地氏は源平争乱に反源氏の行動をとったために、不遇であり、承久の乱にも敗れ、北条氏から所領の一部を没収され、反北条氏のの意識が形成されていったと、史家は説いている。』
『北条氏の九州の拠点、「九州探題」は菊池氏にとっては最大の障害であった。「菊池」は関白「藤原道隆」の末裔であり、代々、太宰府に仕え、九州支配を担ってきたと言う意識があり、少弐、大友にたいしても、この機に乗じて優位に立とうと考えたのではないかと言う。』
明夜航記『とはずがたり』
http://yumiki.cocolog-nifty.com/nautica/2009/02/post-fd34.html
美少女が後深草院と亀山院の<間>に寝た夜
http://blogs.yahoo.co.jp/kome_1937/26257261.html
という後宮のお話はそれはそれとして(後醍醐天皇は真言立川流を庇護したので関係はある)、南朝方についた地方豪族はどのような事情、思惑があったか。
「南朝五忠臣」
http://trushnote.exblog.jp/7559770/
『と言うわけで、貢献度や階層別に考えると、真の「南朝五忠臣」は楠木正成・北畠顕家・新田義貞・菊池武光・文観となるのではないでしょうか。』
『文観のイメージと言えば、髑髏を用いて怪しい儀式を行い男女交合すなわちセックスに耽る事で髑髏が真実を語り悟りを得られると主張するいかがわしさ満点の「淫祀邪教」・立川流の大成者というものです。』
菊地武時・菊地武光、阿蘇惟直
http://tenjin.coara.or.jp/~primrose/kikuti01.html
『鎌倉時代の菊地氏は源平争乱に反源氏の行動をとったために、不遇であり、承久の乱にも敗れ、北条氏から所領の一部を没収され、反北条氏のの意識が形成されていったと、史家は説いている。』
『北条氏の九州の拠点、「九州探題」は菊池氏にとっては最大の障害であった。「菊池」は関白「藤原道隆」の末裔であり、代々、太宰府に仕え、九州支配を担ってきたと言う意識があり、少弐、大友にたいしても、この機に乗じて優位に立とうと考えたのではないかと言う。』
_ Y-SONODA ― 2009/07/22 01:29
★Qさんへ
>ちなみに、マスコミによく登場した旧皇族の竹田氏、彼は南朝派ですよ。南朝を正統と見るべきという考えですよ、彼は。彼も当然、北朝系なんだけど、いつのまにか、南朝思想を自分たちの思想だと勘違いしてしまっているのかも。だとしたら、恐ろしい。
そうなんです。竹田氏もなぜか勘違いしているのです。
今や陰謀系で有名な中丸薫さんは「明治天皇すり替え説」も肯定。
この人は明治天皇の孫と自称しているにも関わらず、南朝系を名乗っています(笑)
知り合いがその理由を本人に聞くと「南朝の方が格好いいから」と(爆)
この保守の勘違いが明治以後から現在まで脈々と受け継がれている。
現在の拠点は靖国神社です。
私はコラムで南朝正統史観と書きましたが、実際にはそれほど大袈裟なものじゃない。
勘違いの背後にあるのは単なる南朝ファン程度のもの。憧れですね。
それは三島由紀夫や北方謙三にも共通します。
北朝系の皇室が南朝びいきの靖国神社参拝を控えているのは当然のこと。
勘違い人は思い込みが激しいから、いつまでたってもわからないのです。
そして、彼らはいざとなったらまた日本を戦争へと導きますよ。
★えのさんへ
明夜航記『とはずがたり』
http://yumiki.cocolog-nifty.com/nautica/2009/02/post-fd34.html
>なんと日本全国を真っ二つにした「南北朝の争い」は、これから起こったことなのだ。うーん…あまりにもバカバカしい。
それが今も続くなんて、もはやグロテスク!
>ちなみに、マスコミによく登場した旧皇族の竹田氏、彼は南朝派ですよ。南朝を正統と見るべきという考えですよ、彼は。彼も当然、北朝系なんだけど、いつのまにか、南朝思想を自分たちの思想だと勘違いしてしまっているのかも。だとしたら、恐ろしい。
そうなんです。竹田氏もなぜか勘違いしているのです。
今や陰謀系で有名な中丸薫さんは「明治天皇すり替え説」も肯定。
この人は明治天皇の孫と自称しているにも関わらず、南朝系を名乗っています(笑)
知り合いがその理由を本人に聞くと「南朝の方が格好いいから」と(爆)
この保守の勘違いが明治以後から現在まで脈々と受け継がれている。
現在の拠点は靖国神社です。
私はコラムで南朝正統史観と書きましたが、実際にはそれほど大袈裟なものじゃない。
勘違いの背後にあるのは単なる南朝ファン程度のもの。憧れですね。
それは三島由紀夫や北方謙三にも共通します。
北朝系の皇室が南朝びいきの靖国神社参拝を控えているのは当然のこと。
勘違い人は思い込みが激しいから、いつまでたってもわからないのです。
そして、彼らはいざとなったらまた日本を戦争へと導きますよ。
★えのさんへ
明夜航記『とはずがたり』
http://yumiki.cocolog-nifty.com/nautica/2009/02/post-fd34.html
>なんと日本全国を真っ二つにした「南北朝の争い」は、これから起こったことなのだ。うーん…あまりにもバカバカしい。
それが今も続くなんて、もはやグロテスク!
_ ぽん夫人 ― 2009/07/22 08:21
>北朝系の皇室が南朝びいきの靖国神社参拝を控えているのは当然のこと。
勘違い人は思い込みが激しいから、いつまでたってもわからないのです。
そうはいっても、南朝も北朝も知らないよ、だって、いきなり赤紙が来て、あっちいけ、こっちいけと振り分けられ、筆舌にしがたい苦労をされた人たちを あそこで
祀っているというのなら、とりあえずいってやればいいじゃん、
大丈夫だよ。貴方、エンペラーじゃなくって、プリーストキングじゃないの。
たたられそうなら ふるべゆらゆらと 追い払えるよ。
と思う私はバカですかね?ああ、きっとおバカさんなんでしょうね。
だってそうしないと、ずーっといらぬ方向へパトス持て余しちゃってなんだか、とても気の毒なんだもの。
素朴な疑問なんですが、
もうすでに、ご自分の言葉で大いなる勘違いを説く
すべをお持ちになられた園田様、実際勘違いを起こしている方々にそのような事を指摘されたりした御経験はございますか?その時の先方の反応なども気になります。やっぱり聞く耳持たずだったりしましたか?
勘違い人は思い込みが激しいから、いつまでたってもわからないのです。
そうはいっても、南朝も北朝も知らないよ、だって、いきなり赤紙が来て、あっちいけ、こっちいけと振り分けられ、筆舌にしがたい苦労をされた人たちを あそこで
祀っているというのなら、とりあえずいってやればいいじゃん、
大丈夫だよ。貴方、エンペラーじゃなくって、プリーストキングじゃないの。
たたられそうなら ふるべゆらゆらと 追い払えるよ。
と思う私はバカですかね?ああ、きっとおバカさんなんでしょうね。
だってそうしないと、ずーっといらぬ方向へパトス持て余しちゃってなんだか、とても気の毒なんだもの。
素朴な疑問なんですが、
もうすでに、ご自分の言葉で大いなる勘違いを説く
すべをお持ちになられた園田様、実際勘違いを起こしている方々にそのような事を指摘されたりした御経験はございますか?その時の先方の反応なども気になります。やっぱり聞く耳持たずだったりしましたか?
_ ぽん夫人 ― 2009/07/22 10:15
連投コメント失礼いたします。
上のコメントでは言葉が足りませんでした。
質問させて頂いたのは、
日本や皇室というものに真剣に考えた、もしくは考える人々の情熱が出発点を取り違えたせいで、
本来ならば、とっつきにくい、よくわからない存在である、皇室への興味や日本に対してのバッファーというか、誘導係りというか、そういう存在であるべきなのに、
その情熱が思いと裏腹に、天皇陛下に対してはプレッシャーになり、また、新規参入者に対しては、道を狭めている、またはアレルギーを植え付けているとしたら、
大変もったいないと思ったからです。
新気づき系がそこへつらつらと流れるのはこれまた、非常にもったいない。
竹田さんは五月女ケイ子(!)とレッツ古事記を上梓していたり、柔らかい事もされている。
そんな彼ですらビバ!南朝といわねばならない空気があるのでしょうか?
上のコメントでは言葉が足りませんでした。
質問させて頂いたのは、
日本や皇室というものに真剣に考えた、もしくは考える人々の情熱が出発点を取り違えたせいで、
本来ならば、とっつきにくい、よくわからない存在である、皇室への興味や日本に対してのバッファーというか、誘導係りというか、そういう存在であるべきなのに、
その情熱が思いと裏腹に、天皇陛下に対してはプレッシャーになり、また、新規参入者に対しては、道を狭めている、またはアレルギーを植え付けているとしたら、
大変もったいないと思ったからです。
新気づき系がそこへつらつらと流れるのはこれまた、非常にもったいない。
竹田さんは五月女ケイ子(!)とレッツ古事記を上梓していたり、柔らかい事もされている。
そんな彼ですらビバ!南朝といわねばならない空気があるのでしょうか?
_ トンチンカン ― 2009/07/22 12:49
園田さんのクスノキの話を読んでから、江戸末期に"再発見"され明治天皇の佩刀になった「小竜景光」が少し恐くなりました。
明治天皇は南北両朝の融和を考えて佩いていらっしゃったのでしょうか?
明治天皇は南北両朝の融和を考えて佩いていらっしゃったのでしょうか?
_ Y-SONODA ― 2009/07/23 06:33
★ぽん夫人さんへ
ご返事を書いているとかなり長くなってしまいました。
そのため少し整理して最新記事としてまとめましたので、そちらをご覧下さい。
とはいえ、只今ログイン不調。少し時間がかかるかも。
★トンチンカンさんへ
小竜景光話も怖いですよね。
なにやら「明治天皇すり替え説」の論拠にしている人もいます。
南北両朝の融和なのか何なのか。
このあたりに言及した文献も総じて歯切れが悪いのです。
★えのさんへ
神仏混淆に密教に修験道に神仏習合。
そもそも仏の解釈も日本ではかなり曖昧。
靖国問題花盛りのころ、NHKの討論番組に出演していたのが武田鉄矢さん。
「日本じゃ死んだらみんな神様仏様、靖国参拝何が悪い」的な発言があったような。
「だったらいっそ靖国寺にすればいいのに」とテレビに向かって一人ツッコミ。
いくら八百万とはいえ神様になるための基準はあった方がいいんでねーかと思うのは私だけ?
ご返事を書いているとかなり長くなってしまいました。
そのため少し整理して最新記事としてまとめましたので、そちらをご覧下さい。
とはいえ、只今ログイン不調。少し時間がかかるかも。
★トンチンカンさんへ
小竜景光話も怖いですよね。
なにやら「明治天皇すり替え説」の論拠にしている人もいます。
南北両朝の融和なのか何なのか。
このあたりに言及した文献も総じて歯切れが悪いのです。
★えのさんへ
神仏混淆に密教に修験道に神仏習合。
そもそも仏の解釈も日本ではかなり曖昧。
靖国問題花盛りのころ、NHKの討論番組に出演していたのが武田鉄矢さん。
「日本じゃ死んだらみんな神様仏様、靖国参拝何が悪い」的な発言があったような。
「だったらいっそ靖国寺にすればいいのに」とテレビに向かって一人ツッコミ。
いくら八百万とはいえ神様になるための基準はあった方がいいんでねーかと思うのは私だけ?
_ Q ― 2009/07/28 20:11
園田さんは、邪馬台国論争については、どのような見解をお持ちですか?
この論争は、この籠神社の件に関しても、微妙に関連していたりしますし、例の本居宣長の国学思想にも、関係していたりします。
この論争は、この籠神社の件に関しても、微妙に関連していたりしますし、例の本居宣長の国学思想にも、関係していたりします。
_ Y-SONODA ― 2009/07/29 08:08
★Qさんへ
>園田さんは、邪馬台国論争については、どのような見解をお持ちですか?
正直日本の歴史系論争は明治からロマン主義とロマン主義のぶつかり合い。
それはコロボックル論争を振り返ればわかるとおり。
熱くなるのもわかるのですが、ロマンはロマンのままで残していてもいい問題もあるような。
邪馬台国論争も確かに根っこは深いのですが、ロマンのままでいいのではないでしょうか。
>園田さんは、邪馬台国論争については、どのような見解をお持ちですか?
正直日本の歴史系論争は明治からロマン主義とロマン主義のぶつかり合い。
それはコロボックル論争を振り返ればわかるとおり。
熱くなるのもわかるのですが、ロマンはロマンのままで残していてもいい問題もあるような。
邪馬台国論争も確かに根っこは深いのですが、ロマンのままでいいのではないでしょうか。
_ Q ― 2009/08/05 20:25
上のコメントで私は、熱田の尾張連の件については南北朝とは無関係だろうといいましたが...確かに、尾張連の件と南北朝とは、直接的には無関係ですが、どちらも本質的には似たような構造をもっていると思います。というのは、天皇の祭祀王としての面と政事王としての面の葛藤という構造をもっていることです。
尾張連の件は、南北朝の問題が起こる以前の「南北朝的」な問題だったのではないでしょうか? それで、この尾張連の件がある程度の決着(平安期に、熱田社の大宮司から尾張氏が退く)がついた時に、今度は、新たな問題としての南北朝の問題へ向かって動き出した。南北朝の動乱というのは、直接的には後醍醐天皇の皇統独占が原因ですが、もっと大きな思想的な面で見ると、天皇を祭祀王として見るのか政事王として見るのかの問題です。その切欠が源頼朝の鎌倉政権の樹立からです。
天皇が政事王の座から追われる切欠になったのが熱田生まれの源頼朝の鎌倉政権、その源頼朝の母親が、尾張氏以外の初めての熱田社大宮司である藤原季範の娘、そして、この藤原季範の母親が、最後の尾張氏の大宮司の娘なのです。何か因縁めいたものを感じるのです。
尾張連の件は、南北朝の問題が起こる以前の「南北朝的」な問題だったのではないでしょうか? それで、この尾張連の件がある程度の決着(平安期に、熱田社の大宮司から尾張氏が退く)がついた時に、今度は、新たな問題としての南北朝の問題へ向かって動き出した。南北朝の動乱というのは、直接的には後醍醐天皇の皇統独占が原因ですが、もっと大きな思想的な面で見ると、天皇を祭祀王として見るのか政事王として見るのかの問題です。その切欠が源頼朝の鎌倉政権の樹立からです。
天皇が政事王の座から追われる切欠になったのが熱田生まれの源頼朝の鎌倉政権、その源頼朝の母親が、尾張氏以外の初めての熱田社大宮司である藤原季範の娘、そして、この藤原季範の母親が、最後の尾張氏の大宮司の娘なのです。何か因縁めいたものを感じるのです。
_ Y-SONODA ― 2009/08/06 08:02
Qさんへ
今日の安岡正篤記事は何かのヒントになるかもしれませんよ。
今日の安岡正篤記事は何かのヒントになるかもしれませんよ。
_ Q ― 2009/08/07 02:00
安岡正篤の記事は、面白いです。
堀田家って、孝元天皇後胤の紀氏の出自だったんですね。かなり古い家系ですね。
しかし、尾張連とは、直接的には関係ないかなとは思います。尾張氏は、紀氏以上に古い家系ですし。
堀田家って、孝元天皇後胤の紀氏の出自だったんですね。かなり古い家系ですね。
しかし、尾張連とは、直接的には関係ないかなとは思います。尾張氏は、紀氏以上に古い家系ですし。
_ Y-SONODA ― 2009/08/07 02:17
Qさんへ
えのさんが興味深い情報を入れて下さっていますよ。
えのさんが興味深い情報を入れて下さっていますよ。
_ Q ― 2009/08/08 10:37
園田さん、
尾張連に関しては、基本的に南北朝とは無関係です。ただ、祭祀王と政事王の関係という意味では、尾張連の件と南北朝の件は、同じ対立軸があったということです。
で、尾張連の件は、基本的に、安岡正篤だとか、堀田家とか、南朝がどうのこうとか、渡来系がどうのこうとか、全く関係ない話です。
で、園田さんに聞きたいのですが...
私の意見ですが、「皇室の発祥の地というのは、葛木の高天地方で、皇室の先祖やその周辺の豪族たちも、この葛木の高天地方から発祥しました。」
このことを言うと、意外に納得してくれない人が多いです。何故なのか?園田さんの意見を聞きたいです。参考にしたい。
高天原とは、古事記に出てくる地名であり、日本書紀では天上の地とされているところです。
で、世間で多い意見は、「高天原とは神話上の地で精神的な世界」だとか、または「高天原は九州」「高天原は富士山あたり」「高天原は中国か朝鮮半島」「高天原はイスラエル」だとかですね(笑)
尾張連に関しては、基本的に南北朝とは無関係です。ただ、祭祀王と政事王の関係という意味では、尾張連の件と南北朝の件は、同じ対立軸があったということです。
で、尾張連の件は、基本的に、安岡正篤だとか、堀田家とか、南朝がどうのこうとか、渡来系がどうのこうとか、全く関係ない話です。
で、園田さんに聞きたいのですが...
私の意見ですが、「皇室の発祥の地というのは、葛木の高天地方で、皇室の先祖やその周辺の豪族たちも、この葛木の高天地方から発祥しました。」
このことを言うと、意外に納得してくれない人が多いです。何故なのか?園田さんの意見を聞きたいです。参考にしたい。
高天原とは、古事記に出てくる地名であり、日本書紀では天上の地とされているところです。
で、世間で多い意見は、「高天原とは神話上の地で精神的な世界」だとか、または「高天原は九州」「高天原は富士山あたり」「高天原は中国か朝鮮半島」「高天原はイスラエル」だとかですね(笑)
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://y-sonoda.asablo.jp/blog/2008/07/24/3645729/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
大和王朝(初期は葛木高天に本拠地があった?)の全国統一は、神武天皇の東征から始まったのではありません。大和王朝の全国統一は、神武天皇の3代前のニニギ命あたりの時代に、出雲を併合することによって成し遂げられた。その後、ニニギ命は九州高千穂に送り込まれました。しかし、そのニニギ命の兄弟にあたる天火明命やその末裔たちは、その後もずっと近畿地方に居続けたそうです。
もう、謎は大体、解けたでしょう。