古代から来た未来人 折口信夫2008/07/13 09:29

古代から来た未来人 折口信夫
以前から興味を持っていた折口信夫。
お手頃価格で新刊が出たので読んでみました。

やっぱり中沢さんは苦手だなぁ。
なんでもかんでも美化しまくる点がいつも気になるのです。

『精霊の王』(講談社)のツッコミ方はなかなか鋭かったのですが、
本書は物足りないというのが正直な感想。
折口入門書としてはいいのかもしれませんが、
タマやムスビの片仮名表記にはガックリ。
これじゃ見えるものも見えなくしちゃいますよ。

今週の本棚:藤森照信・評 『古代から来た未来人 折口信夫』=中沢新一・著

http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/
20080706ddm015070013000c.html

コメント

_ どい・としき ― 2008/07/13 14:33

折口の文体に比べれば、折口学に青年時代から触れているものには、読みやすく、苦手です。それに比べれば、これまでこだわり続けてきた、一番大事な「見解」が合った様に思います。
中沢が「美的」過ぎる、上記はいい面からです。要は、中沢自身に吉本隆明が言う「重層的な非決定」があるかだけ注意していればいいと思います。
藤森さんの「書評」も、ピンとを外していますね。建築家の限界でしょう。建築とは何かに、答えて欲しいとも思いました。

『森のバロック』の、南方熊楠論のほうが、園田さんのフィールドには、合っているような気がします。
本書が物足りない面は多々ありますが、ひとつの発見を見いだせたので、ぼくには満足です。

方法としては、非常に遠い歴史を辿って考えると、自然を失っているというのは、大変大きな問題です。だから、どこに出ようも無い、脱出口がないように思えます。天然自然の絶滅状態のようなところで、どうしていいのかわからない。このままでは「退化」になる、ということです。

>タマやムスビの片仮名表記にはガックリ。
>これじゃ見えるものも見えなくしちゃいますよ。

同感ですが、こだわらないことにします。「まな、あま」などもそうですが、実践家としては後で教えてくださいという「領域」ですね。

楠の「たまゆら」とは、中沢流に言えば「浮遊する」ものですから、楠のカンファーが「樟脳という殺菌効果」が知られていますが、実は「消炎効果」が重要なことです。「ガン」が全身病であり「慢性の炎症」だという説を認めれば・・・とういうことですが。ガストン・ネサンの『完全なる治癒』(徳間、絶版)に、714Xという「カンフー剤の驚異的治癒の話が出てきます。「たまゆら」が「カンフー剤」をもたらしたことが、例です。

ぼくらの実践では、「健康」をキーワードに、山と里山と「都市」の間を、放牧民のように生きたい、と本書は築かせてくれました。

_ Y-SONODA ― 2008/07/14 00:45

どいさんへ

「森のバロック」も一応読んではみたものの、
鶴見和子の熊楠論と比較したら物足りなさを感じるんですよね。

中沢さんと鎌田東ニさんはよく似てるような気がします。
根っこがあるようで実はフラフラしているって感じですかね。
縄文なり八百万の単なるロマン主義に見えてしまうのです。

_ どい・としき ― 2008/07/14 02:07

言われることは、理解できます。
でも、折口も、中沢さんも、「ホモ」ですからね。
根っこは、こちらが見つけるしかないでしょうね。
中沢さんが、どうして、フランスの哲学の構造派からの影響を受けているのに、フーコーを徹底気にやらないのが不思議です。軸足が多すぎるのも難点ですが、ぼくらには、情報が多い中で、折口にいても、ひとつの発見を貰えばGood楽!ですから、それもご理解ください。何せよ党派は嫌ですから、ロマン派という区切りも無関係に利用させてもらっているのが、正直なところです。実践に役立つか否か、その検証だけに興味があります。園田さんの冷静な分析、ありがとうございました。

_ Y-SONODA ― 2008/07/15 01:32

どいさんへ

どいさんはすでに実践に移されているのですばらしいですね。
参考になるかどうかわかりませんが、
以前に一度問い合わせしたことがある
「カミネッコン」の記事貼っておきます。

http://www.do-mizukan.com/bioblock2/baiotitle.html
http://www.hokkaido-jin.jp/issue/sp/200211/kitanomori_4.html

_ 猿田彦 ― 2008/07/20 19:16

中沢新一氏がタマやムスビを片仮名表記した意図はよくわかりませんが、その意図をもっとツッコミあるいは分析してみるとよいのではないでしょうか。一方、園田氏の表記される木霊、玉響という漢字表記に私なりのツッコミを入れさせてもらいます・・・
一般的には漢字の字面から意味が通じやすいことは理解しますが、どこか意味深いものであるかのような装いを感じさせることがあります。ことに他力本願の人たちを誘導するようなことを成す半端な(霊能者とか称するような)人たちがよく使うやりかたであることにご注意を! 
私自身は日本語の場合、文字にするなら「ひらがな」が良いと思っています。正しくものごとを伝えるために言語の根源に戻ってみると、たまたま人類は文字を持つまでに至りましたが、文字の前には「ことば」がありました。「ことば」は音です。人類は相当に長い期間、音(声)という手段(「ことば」だけではありませんが)によってものごとを伝えることを行ってきたと思います。十万年と云われる人類史のなかで、文字の出現は一万年に満たないものです。文字になる前史にイラストによる伝達という歴史もありましたが。
一方、現代でもアイコンタクトとか阿吽の呼吸という伝達手段もあり、これらの方が瞬間的に正確な伝達が行えることは、私たちでも体験的にわかっていますね。
音であればゆっくり、早く、弱く、強く、あるいはイントネーションの変化などで、文字よりもはるかに多くのことを、言い換えればより正確に、ものごとを伝えることができるはずです。
当ブログでも、木霊、玉響、つぶつぶ、などと文字表記されているものについて、読む人に「音」で感じ取るように読んでもらうには、「ひらがな」表記が良いのではないでしょうかと考えているものです。

_ Y-SONODA ― 2008/07/21 08:15

猿田彦さんへ

<タマやムスビの片仮名表記について>
『古代から来た未来人 折口信夫』は、
折口を知らない人にとっての入門書になると思うのです。
ところが片仮名表記にしたことにより
この本で折口に興味を持って、
追いたいと思った人も追えなくなる可能性があるのです。
折口は「たま」「たましひ」、
「産霊(ムスビ)」「むすび」と表記しています。

例えば青空文庫で折口の著作が多数読めるのですが、
検索比較すれば私の言っていることがわかると思います。

青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/index.html

中沢さんは折口学を「奇跡的な学問」とまで呼んでいるわけですが、
だからこそ表記は折口本人が書いたものを尊重した方がよかったのではないかと思います。

<木霊、玉響について>
昨日新コラム「木霊するツブツブ君幻想」を更新しました。
このシリーズで表記についても言及するつもりですが、
どうやら「こだま」は「こたま」だったものが濁ったようです。
また玉響は本来「たまかぎる」。
いずれも折口が追求した「たま」と関係しているようです。
勾玉との関連からも「たま」は「魂」というより
「玉」と表記した方が正確ではないかと考えています。
「玉」だと音にもつながるような気がします。
ツブツブなりブツブツとつぶつぶなりぶつぶつについては
これはもう私の見たままの感性としてお許し下さいw
一応「玉」を意識はしています。

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